気が付けば長い間更新してなかった。

忘れたわけでは有りません。

なんとか百楠の新しい本が出たらいいなと思っていましたが、そのことについてやや動きがありました。

具体化したら報告しますが、まだまだ先のことになりそうです。


船越の商店街 多くの車が見える。昭和30年頃


百楠が療養の日々を過ごした戦後しばらくは、郵便局もこの通りにあった。
坂道になっている。


パーマ屋が一軒ふえた故郷に下り
つり銭は袂へ入れる五月風


終戦による復員と、まだ疎開したままの子供で人口も増えてにぎやかな頃。

疎開児のさくらさくらで暮れる寺
手まり唄父の還らぬ子が一人


 






青丸は宇和島警察署の建物を移築した役場(現・宇和島市立歴史資料館)
昭和30年頃


「干網をくぐる低さの故郷ゐる」
「注連縄をくぐり今年の風の音」
「病床へつつ抜け買えぬらしい魚」



この頃の、船越は現在の町民会館前の広場は、まだ無かったようだ。


そして平成になって、船越湾は埋め立てられ、さらに広がろうとしている


ひっかつぐ仕事をあかず見て帰る




小林多喜二の「蟹工船」が空前のブームらしい。

日本共産党の入党者が一万人以上増えたとか。

戦前に書かれたこの小説が、現在の格差社会に苦しむ人に共感を持たれているという。


職氷河期世代の多くは非正規雇用などの不安定労働者であり、ワーキングプアも少なくない。一流大学を出ても就職ができずに苦しんでいる者もおり、小林多喜二の捉えた世界観は今日の若者の現状と通じるものがあることを示しているフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

しかしながら、仮に「蟹工船」のような社会があった戦前とは比べ物にならないほど社会保障が整備された現在と比較するのは如何なものかと思う。


「無理言ってしもやけの手を熱く見る」
「両の掌の違う体温重ね病む」
「笑はせる男にされて職がない」
「便所まで壁つづくなり重症者」


百楠の句は

生活、労働、家族、闘病

血の出るような苦労の中で何かを見つけ出そうとする「希望と勇気」を私に与えてくれるような気がしてならない。



蟹工船(青空文庫)

マンガ「蟹工船」

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