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↑ 映画 『赤い矢』 (1957年度 ・ 米国)

  南部同盟の首府リッチモンド陥落の数日後・・・。
  合衆国政府軍の重囲に陥っていた南軍総司令官 ロバート ・ E ・ リー大将 は、 遂に降伏の決意を固める。
  そして、 是の日・・・1865年4月9日。
  ヴァージニア州アポマトックス郊外の民家にて、 合衆国政府軍総司令官 ユリシーズ ・ グラント中将 と会見。
  降伏文書に署名した。
  それは、 リー麾下の北ヴァージニア軍の降伏であると同時に、 事実上・・・南部同盟軍の全面降伏を意味するものであった。

  会見に臨んで・・・グラントは、 敗軍の将であるリーを、 礼を厚くして持て成し、 提示した降伏条件も寛大なものであったとされている。
  とも有れ、 四年間に渡って合衆国全土を流血と混乱の坩堝に陥れた 南北戦争 は、 事実上の終結を見た。
  この未曾有の内乱による犠牲者総数は60万名以上と云われている。





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  『赤い矢』 (1957年度作品) は、 後年に成ってからカルト的人気を博する サミュエル ・ フラー 監督による異色西部劇です。
  ・・・南部の栄光の終焉。
  ・・・祖国という虚構の崩壊。
  敗戦後の虚脱状態から立ち直れない儘、 家郷と訣別し、 先住民の社会に身を投じる元南軍兵士の数奇な運命が描かれています。

  私がこの作品を初めて観たのは、 今から四十数年前の事。
  知る人ぞ知る テレビ名画座 ・・・ではなかったと思いますが、 昼時間帯の洋画放映枠に於いてでした。
  無論、 その当時としては、 ハリウッドで異端視されている監督の作品であるとかどうとか知る由もなく、 公序良俗的な、 家族揃って興じられる西部劇かと思って観たのですが・・・。
  そこに繰り広げられるのは、 『ララミー牧場』『ローハイド』 等・・・それまで馴染んでいたTV製西部劇とは明らかに異質の世界で、 少なからぬ衝撃を受けたものでした。
  合衆国を仇敵視し、 白人社会に背を向ける主人公の生き方。
  先住民との間に生起した戦闘で、 白人側が惨憺たる敗北を喫する結末。
  人間の死の非情な扱い方等々・・・。
  取り分け鮮烈な印象として残っているのが、 先住民に捕われた主人公が 走り矢の刑 なる極刑に処せられるシークェンス。
  是については後程詳述しますが、 前半最大の見所である、 その躍動的で、 バイオレンス感覚の横溢する描写は、 今見直しても圧巻です。



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  ・・・1865年4月9日。
  アポマトックスに於いて、 合衆国軍総司令官グラントと南軍総司令官リーの会見が行われる数時間前から物語は始まります。
  合衆国軍将校 ドリスコル (ラルフ ・ ミーカー) は、 将校斥候として前線を偵察中、 狙撃され、 重傷を負います。
  銃弾は、 南軍の古兵 オミーラ (ロッド ・ スタイガー) が放ったもので、 結果的に、 南北戦争に際して、 最後に発射された銃弾となりました。
  繃帯所へ運ばれたドリスコルは一命を取り留めるのですが、 この出来事は、 後々まで深い根を残す事となります。
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  オミーラは、 多くの南部人がそうで有った様に、 降伏を潔しとせず、 合衆国軍に対して徹底抗戦を貫く気勢を示していました。
  敵将グラントとの会見に臨むリー将軍の姿を望見しながら、 内心では交渉が決裂する事を願って止みませんでした。
  降伏文書への調印を終え、 戸外に現われたリー将軍が、 まだ腰にサーベルを提げているのを見て、 リー将軍はきっと降伏案を突っ撥ねたのだ!・・・と糠喜びをします。
  降将となった時点で、 当然、 武装解除されるものと考えていたからです。
  リーに 帯剣 を許したのは、 グラントの軍人としての情誼からでしたが・・・。


  直接関係のない事ながら・・・。
  太平洋戦争終結直後、 ブラジルの日系人社会を二分したとされる、 いわゆる 勝ち組負け組 の抗争に際しての、 勝ち組の強気を表わす逸話がふと脳裡を過ってしまいました。
  戦艦ミズーリ号上で行われた降伏調印式の写真で、 日本側全権の一人である梅津美治郎大将が 帯剣 しているのに対し、 マッカーサーが 丸腰 である事をアピールして・・・。

  見よ!  この写真が示す通り、 敗れたのは米国の方で、 勝ったのは我らが日本なのだ!

  ・・・と、 強弁に努めたという逸話は結構有名なのですが、 こんな古い話をしても誰も何の事か分からないかナ? (^.^;


  閑話休題・・・。
  降伏を動かし難い事実として受け容れ、 復員してからも、 合衆国への憎悪がオミーラから消え去る事は有りませんでした。
  自分が信じ、 全てを捧げた、 栄光ある祖国は永遠に失われたのだという虚脱感から立ち直れない。
  日常生活へ復帰する事が出来ないのです。
  荒廃した南部の復興という重要な課題が横たわっているのですが、 勝利者の唱える新生合衆国の建設に協力する気が起こらない。
  リンカーン大統領暗殺の報に接した時も、 思わず快哉を叫んで、 母親と口論になります。
  身の置き場所を見出せないオミーラは、 郷里を出奔し、 先住民の生活圏である辺境の地を目指すのですが・・・。


†                                        †


  ジョン ・ フォード監督の西部劇に親しんでいる人には、 すっかり御馴染みになっている場面が有ります。
  駅馬車の車内等で歓談中、 南北戦争 時代に話題が及び、 不用意に、 叛乱軍 ・・・という言葉を口にする。
  すると、 その場に居合わせた、 明らかに南部 (南軍) 出身者と思われる人物が・・・。

  「違う!  南部同盟軍 だ!」

  ・・・と、 間髪を入れず切り返す。
  その人物は作品によって、 ジョン ・ キャラダインであったり、 ワード ・ ボンドであったり、 ジョン ・ ウェインであったりする訳ですが・・・。
  南部魂 は消えず・・・。
  戦い敗れても、 胸奥に生き続ける南部人の矜持を直截に代弁しています。
  その気概と反骨心もまた今日の米国の礎石と成っているのだという、 オマージュの一種でも有るのでしょう。
  尤も、 フォード作品の場合、 サラリと明色化されて描かれ、 些かも教条的になっていないのが身上で、 安心して観ていられます。

  然し、 サミュエル ・ フラー作品 『赤い矢』 の主人公 オミーラ の場合、 それ等の人物と似通っている様でいて決定的に異なっている。
  憎悪は合衆国政府にのみ凝固しているわけではない。
  南部にも怨みを抱いている。
  裏切られたという思いが燻ぶっている。
  最早、 何物も信じられなくなっている。
  identity 自体が完全に溶解してしまっているのです。
  幻想から醒めた後の虚無感 ・ 絶望感は、 底知れぬ程に深く、 自らの郷土も含めて、 賭けるに値するものを再び見出せないでいる。
  オミーラが遂に白人社会と訣別して、 先住民の世界に身を投じようと意を決するに至る心情的背景ですが、 その接触の段階で、 地獄の試練に直面する事となるのです。

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  捕われの身となったオミーラは 走り矢の刑 と呼ばれる極刑に処せられます。
  全速力で逃げる受刑者のすぐ後から、 弓矢を射掛けながら、 先住民の戦士達が追い駆けるのです。
  双方とも駆け足で。
  馬は使いません。
  然し、 狩猟期を迎えようとしている事も有って、 先住民の脚力は何れも並外れています。
  オミーラは、 執拗な追跡を振り切りながら、 無限かと思われる荒野をひた走って、 最終的に逃げ切ります。
  実は、 力尽きて昏倒するのですが、 その場で出逢った先住民の一女性によって救われるのです。
  とも有れ、 日没まで追っ手から逃げ果せたオミーラは、 部族の掟によって助命され、 先住民社会に加わる資格を得るのです。
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  オミーラを演じる ロッド ・ スタイガー が、 『夜の大捜査線』 (’67年) でアカデミー主演男優賞に輝くのは十年後の事ですが、 その時分の体型からは想像も出来ない、 壮絶な気魄をほとばしらせて、 走り矢の刑のシークェンスに挑んでいます。
  正直を云うと、 この時ですら先住民を振り切れる程の駿足には見えず、 些かの無理は感じられます。
  ぎらぎらするリアリズム ・ タッチで支えられた、 この作品に敢えて突っ込みを入れるなら、 その一点に尽きるんですが、 然し・・・スタイガーは不屈の闘志を滲ませた面魂で見事に切り抜けています。