
やはり一番わかりやすいのはナウシカだろうか、
キツネリスのテトやトリウマのカイ、
そして王蟲と心を通わす女性として描かれる、
彼女にそれができるのは、
作中のミトじいの言葉を借りれば、
「姫さまは、人間よりもずっと王蟲に心をひかれておられるようだ、わしは愚かでようわからんが、ただ姫さまがどんどん蟲のほうへ行ってしまうようで…」
(それでも最後まで人間たちから離れないところがナウシカの魅力なのだろうけど)
縄文の人たちが「愛に満ちた人たちだった」とかあまりに理想視することは避けたい、
実際に「愛に満ちた人たちだった」かどうかなどわかりようがないけれど、
でも、
蟲でも植物でも動物でも、
もっと言えば、土とか風とか空とか、
人間以外の「何か」たちとのふれあいは今からでは想像もできないくらいだったように思う、何せ、周りじゅう、人間よりも人間以外の「何か」のほうが圧倒的に多い中で生きていたのはきっと間違いないだろうから、
蟲とか植物とか動物とか土とか風とか空とか、
そういった「何か」の声を聴こうとするのは、必然、
というよりそれらの声に耳を傾けそれらにこちらの思いを伝えようとしなければ日々の暮らしが成り立たないほどに、ごくごく当たり前のことだった、はず、
(そのためのツールとしての土器や土偶だったのだろうと個人的には捉えている)
そしてその、それらとの「会話」のための言葉は、
おそらく人間同士のコミュニケーションで好まれるようなきちんとわかりやすく整理配列された言葉ではなく、
目にしたまま耳にしたまま触れたまま感じたまま浮かんだまま、
いわば「言葉以前の言葉」とでもいうか、
頭で言葉に組み立てる前の言葉をデッサンしたような言葉、
ましてや、
運ばれてきた猫のものがたりの種を育てようとするのであればなおのこと、
三毛猫に、
聞いてみたいことがある
…