2005年03月15日

−自転−

塚元誠一は長良川のほとりの街で家業を継いだ。


少し息詰まりを感じたときには
すぐ傍の競馬場にいつも自然と足を向けた。

たくさんの強豪馬を育んだ懐の大きな競馬場だ。

そんな競馬場の中には入らず
名鉄線の鉄橋をのぞむ川のほとりの堤防の上から
一人煙草を吸い、馬たちの走りを眺め、
観客たちの歓声や怒声を聴くのが
若い頃から好きだった。

オグリキャップの快進撃は
ここ笠松競馬場から始まった。
やがてその波紋の渦は日本全国を巻き込んだ。

しかし誠一は
中央競馬に移ってからのキャップの走りを
自分の目ではあまり見ていなかった。

自転車の購買を考える
家族連れの客のほとんどが土日の午後に訪れるので
中央競馬の午後のメインレースの時間には
店先での接客が主になっていたからだ。

いつも翌朝のスポーツ新聞で
前日のキャップの走りを初めて知ったのだった。
そのほとんどが一面の大きな大きな記事だった。

冬の中山で芦毛の王者の引退に一矢を報いた。

秋の府中で渾身の連打も僅かだけ届かなかった。
代わりに淀でうなりをあげて天才を驚愕させた。
その一週間後に女傑の尻に唯一頭食らいついた。

天才の手綱で府中のマイルレコードをたやすく刻んだ。
純情で将来有望だった若き騎手と阪神で2着に泣いた。

彼は一面に踊った文字と写真とで全ての真実を知った。


平成2年の暮れも迫ったある日の午後。

運転資金に余裕がなくなっていたことが
誠一をあせらせ気付かぬうちに自身を疲弊させていた。

だからまた。
笠松競馬場を眼下に見下ろす長良川の堤防の上へ
彼の足は自然と向かっていた。

そのときには
馬たちの蹄の音や、観客の声の音よりも、
やけに蒼く感じられた煙草の煙が気になっていた。

そして彼はふと思った。

店を少し閉めて
行ったことのない東京へ。
一人でしばらく行ってこよう。

オグリキャップのラストラン。
白さを増したはずのその馬体。
この瞳の中に焼き付けよう。


同じ頃。

輝きを失い始めた希代の英雄馬。
その最後の手綱という難しい仕事の依頼を
天才騎手は快く承諾していた。

平成2年の有馬記念。
そのレース後。彼は笑顔で簡潔に応えた。

「闘ってきた相手が違いますから。」



******** オグリキャップ号 ********

父ダンシングキャップ。母ホワイトナルビー。

僕たちは。みんな。忘れられはしない。
平成2年度の年度代表馬。
      
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Posted by monokakidoumei2 at 23:14Comments(0)TrackBack(0)