HAKATA PARIS NEWYORK

今のファッションを斬りまくる辛口コラム

2011年08月

本業はファッション、グラフィックなどデザイン関連のクリエイティブディレクター。創る側の視点で今のファッション関連の事情を評論する。マスメディアはもちろん、業界紙誌も扱わないテーマに踏み込む。

ファッション教育の行方。

VANTAN

 福岡のアパレル企業が高校にデザイナーを派遣して講義を行っているというのは、先のコラムで書いた。では、当のファッション専門学校はと言えば、かなり事情が変わってきている。

 若者の価値観が多様化し、コツコツ技術を磨いて自らのクリエイティビティを醸成する、いわゆるデザイナー志望が減少。少子化も手伝って学校側は学生の確保が難しくなり、学校間の競争も激化して閉校や撤退が相次いでいるのだ。

 2008年、福岡県が福岡アジアファッション拠点推進会議の発足時に発表した数字に、「福岡には専門学校は18校、大学・短大6校から毎年約800人の卒業生を輩出」とあった。

 これは行政の担当者が事業予算確保のため、業界予備軍が多いと言いたかったのだろうが、その舌の根のかわかないうちに「九州ファッション専門学校」が閉校した。理由は経営者の体調不良(のちに死去)との報道もあったが、学生確保の厳しさがあったのは言うまでもない。

 また、05年に開校した有名校も来年3月で福岡から撤退する。天神と博多駅の中間に位置し、派手なビジュアル演出と業界人を招いての体験イベント、学務スタッフの熱心な勧誘活動もあった。しかし、プロの仕事に対する意識付けの低さ、就職活動への啓蒙不足から、業界や学生の信頼を得るのは難しかったようだ。


 既存校の間でも生き残るには、若者人気が高いスタイリストやプレス、バイヤー志望にカリキュラムを変更せざるを得ず、「アタッシュ・ドゥ・プレス」「ファッションエディター」「ショッププランニング」「ファッションディレクター」なんて、名前だけカッコいい授業を設けるところもある。

 さらに学生のファッション離れから、ネイルやヘアメイクを合体させて何とか学科を存続させるところも少なくない。あるいは元来、グラフィックデザインがメーンで、ファッションは添えもの程度の学校も、そのグラフィックさえ厳しくなったためゲームやWeb、パフォーマンス(タレント養成)にシフトしている。

 しかし、何のかんの言っても、ファッション業界が新卒を採用する時、企画職以外はほとんどが「販売職」。だから、接客やマナーアップ、コーディネート術、ディスプレイ、ストアコンパリゾン(企業リサーチ)、クレーム処理などの授業に取り組み、まずは第一関門の面接試験に合格しないと業界には入れない。なのにそうした教育がなおざりにされている嫌いがある。


 そもそも、スタイリストがファッション業界の仕事か、ということから学生は誤解している。メーカーやショップから商品を借りることはあっても、仕事は雑誌なら出版社の編集者やカメラマン、CMなら広告代理店のディレクター、タレント直は事務所関係者などと行なう。つまり、実際に働くのは「メディアの世界」で、当然、ギャラもそこから支払われる。

 服飾のディテールやトレンド用語の知識が全く必要ないとは言わないが、小物含めて商品や小道具の入手ルートから雑誌制作のフロー、グラフィックや写真撮影などの知識、現場での臨機応変な対応(裾のまつりやサイズ調整)などまで、習得しておかなければ、使いものにならないのだ。

 プレスにしても然り。商品を貸し出し、雑誌やCM等に露出する。返却後は検品し、タグを付け、プレスルームで保管。掲載された媒体はチェックし、問い合わせに対応する。ただ、そんな程度の認識なら単なる“貸し出しのお姉さん”に過ぎない。

 限られた予算の中で、いかに効率の良い販促企画やメディア戦略を考えるか。それはキャンペーンか、純広告か、編集タイアップか、インスタレーションか、コレクションショーか。あるいは投資家向け、一般向けのディスクローズとは何か。そうした活動の中でネームバリュや信頼度、ブランド価値を高めていくのがプレスの本当の仕事なのだ。


 あるDCブランドメーカーのプレス採用試験で、こんな論文問題が出された。テーマは「記事と広告の違いを書きなさい」。 筆者はこれを見て目から鱗が出た。 まさに的を射た問題である。  

 おそらく、この答えが導き出せるのは、雑誌の編集者やコピーライター経験者だろう。つまり、メーカー側は即戦力としてのプレスにそうした能力を求めているのであり、それはファッション専門学校の卒業生レベルでは、あまりに高いハードルと言わざるを得ない。 

 もっとも、アタッシュ・ドゥ・プレスの授業なら学習して然るべき内容なのだが、実際に行なわれているかどうかは疑わしい。

 ファッション業界は、「1枚の布を使って服を作り、それを売る」。しかし、そのプロセスには様々な技術や能力が必要で、それを身につけるには地道な勉強が不可欠。最近はビジネス革新が激しくなっているが、人が流行を追って服を着る限り、ファッションの仕事はなくならない。だから、専門教育も原点に帰ることだ。デザイナー志望がいなければ、売るための教育に専念すればいい。

 そうした基本的な教育を学校ができないというなら、アドヴェンチャーグループのように業界がもっとやるべきだろう。かつてリクルートの求人広告に「服が好きですか。ハイ、売るほど好きです」というコピーがあった。業界が厳しくなっている今こそ、原点に帰って「糸へんが好き」という若者を育てなければならないと思う。



先見の明は教育にも。

地球

 アパレル・雑貨メーカーのアドヴェンチャーグループが高校のデザイン学科で学ぶ学生のアイデアを商品化し、販売するという。

 メーカーとして“プロダクトアウト”で商品を企画・生産するだけでなく、買う側の視点、いわゆる“マーケットイン”の発想でも商品提案を行なおうということだ。

 すでに参加する高校にはグループ企業のデザイナーが赴き、実際のアパレルの仕事内容やマーケティングリサーチなどを講義しているというから、授業料ばかり取ってプロさえ育成できない専門学校より、よっぽど中身の濃い教育ができているのかもしれない。

 高校生にとっても、早い段階からアパレル企業が実際にどのようなフローで仕事をやっているかを学ぶのは、決して無駄ではないと思う。よく専門学校関係者は「プロの現実を教えようとすると、学生の夢を壊してはいけない」とおっしゃるが、そんな方々に限って学生に卒業後の進路や就職のビジョンを示せない方が多い。

 つまり、授業料だけ納めて問題なく卒業してくれれば、あとは「頑張りなさい。あなただったらできるわよ」で、「ハイ、さよなら」なのである。学生集めの目安となる「就職率」や「企業データ」は、数字のマジックやフリーのOB紹介でどうとでもなるからだ。


 では、アドヴェンチャーグループがなぜここまでやるのか。企画のマンネリ化やスタッフのアイデア枯渇から、より顧客目線に近い感性がほしいという多少の卑しさはあるだろう。ただ、それらを指し引いても若いクリエーター育成に取り組むのは、他社に先駆けて新しいことに取り組む同グループのポリシーに他ならない。

 日本のアパレル産業はバーチカル構造のもと、紡績からテキスタイル、企画デザイン、縫製、卸し、小売りまでの国内分業で成り立ってきた。メーカーのビジネスモデルは春夏、秋冬の年2回の展示会による長射程や大ロット生産と、別注企画や売れ筋追加によるフォロー生産。しかし、それらはトレンドの激変や価格競争の激化、業態のバリエーション化で、次第に体を成さなくなってしまった。

 特に、バブル崩壊以前からマーケットでは価格帯が底に広がってきており、量販系や百貨店の平場、あるいは専門店チェーンでも、コスト競争力をもつアパレルが求められていた。つまり、原価率が高くて上質な商品を低価格で提案してくれるメーカーが市場をリードする時代がくるのは、明らかだったのだ。

 こうした構造変化を予見し、いち早く海外生産・調達に打ってでたのが、同グループの夏秋克好社長ご本人。自らインドや中国に赴き、一から積極的に現地の素材メーカーやアパレル工場を開拓。今では当たり前になった海外生産に先鞭をつけたのである。

 高校生がデザインしたのは、バッグやペンケース、靴下、タオル、エプロンなどの約80パターン。生産はグループ企業のグロリアが受け持って中国とインドで行い、「量は少ないもので初回1000点以上」とか。商品は取引先への卸しの他に直営店の「地球文化屋」や「流行雑貨屋」でも販売するそうだ。


 筆者は過去、同グループの夏秋社長、地球文化屋の秋田泰史社長には、業界紙誌の企画で何度もお世話になった。しかし、仕事が終わる度に「また、いろいろ教えてください」と、こちらに意見を求められる低姿勢には、ずいぶん恐縮したものだ。

 今回の企画もグループのネットーワーク力を生かし、開発・発信型で商品づくりを進めるもの。さらにテストマーケティングによる修正を行いながら、販売していくのは間違いないだろう。

 限られたお小遣いの中で、高校生がどんな商品を購入していくか。また、価格帯はいくらぐらいが妥当か。直接商品を販売する地球文化屋や流行雑貨屋は、絶好のマーケティング・スポットになりうるはずだ。

 技術力も完成度も低く「これを売るの!」と言いたくなる商品や、適当に作った古着のリメイクなんかを大名あたりのレンタルスペースで販売する専門学校の授業企画とは、雲泥の差。自分が好きなものとお客さんが買うものはどこが違うのか。高校生は突き詰めて考え、企業が改めて見直す意義は大きい。先を見据えて教育していかないと、人は育たないし、業界の発展もないということである。

ブランドラインナップ、期待薄。


 バーニーズ

 9月16日、天神にバーニーズニューヨーク福岡店がオープンする。バーニーズと言えば、ニューヨークを代表するメンズ・ウィメンズの大型ファッション専門店。筆者が初めて訪れたのは80年だが、その時は今のようなMDではなかった。その後、89年に再訪した時、ようやく今のようなニューヨークのエグゼクティブを魅了するセレクティングの片鱗を感じたのだった。

 93年秋、今度は新しい本店をそれまで“広告代理店通り”の異名をとっていたマディソンアヴェニューにオープン。同店はこれ以降、同アヴェニューに高級ブランド店が集まるきっかけを作ったのだった。

 その年のクリスマス、ニューヨークを訪れた時に覗いてみたが、店づくりは圧巻だった。9フロア、面積2万㎡以上。特にウィメンズはダウンタウン店に比べると、倍ぐらいのスペースがあり、VMDの訴求力には目を見張った。

 売場づくりは、ブランドの中からバイヤーがセレクトしたアイテムのみを展開するというもの。つまり、ヘルムート・ラングのドレスの横に、セルジオ・ロッシの靴がうまくコーディネートされて並べられているのだ。

 しかも、ストアデザインはフロア全体がどこからでも見通せるような什器も含めたオープンなつくり。言うなれば、ブランドのハコを取っ払った“完全な平場展開”がバーニーズの真骨頂なのである。

 差別化についても「バーニーズにしかないもの」というポリシーを貫き、有名デザイナーのバーニーズコレクションに加え、無名デザイナーでも才能有りと認めれば商品投入を厭わず、さらにバーニーズオリジナルのブライベートブランドなど、アパレルリテールをリードする政策が取られている。

 89年の日本初出店でも、この「しかないもの」は踏襲され、日本人デザイナーのブランドも数多く見られた。96年、岩田屋はZ-SIDEの開業でバーニーズを真似たようだが、完全買い取りなど常識を破るシステムの割に、バイイング能力の低さ、根強い商慣習、販売力の乏しさから完全に失敗し、同社が凋落するきっかけとなってしまった。言い換えればそれほど、バーニーズのノウハウは偉大だと言えるだろう。

 新宿店に続き、横浜店を開店するまでは、MDは申し分なかった。特に東京コレクションのブランドはもちろん、そこまで行かないデザイナーの商品を“レップ”を通じてセレクションするポリシーは、ニューヨークスタイルが息づいてとても好感が持てたものだ。

 ただ、06年、マスターライセンスをもつ伊勢丹が本業の不振から、住友商事と東京海上キャピタル系のファンドに株式を売却。以降、住友商事が運営にあたっているが、MDは商社のノウハウを生かした国内外のコレクションブランド中心になっており、実力デザイナーのブランド発掘という点では二の足を踏んでいるようだ。

 そこで改めて福岡店はどうか。概要を見る限り、品揃えは高級ブランドを中心に服や靴、時計・ジュエリー、化粧品、ギフト用品(チェルシー・パッセージ)などとなっている。しかし、4層というフロア構成を見るかぎり、新宿店のような品揃えは期待できないだろう。

 新宿店にはオンワード樫山出身でニューヨークコレクションにも参加している小川彰子氏の「アキコ オガワ」、フリーデザイナーとしてビームスやサザビーなどにアイテムデザインを提供した斎藤美保子氏の「ミホコ サイトウ」、福岡出身で伊勢丹のオリジナル企画を手がけ、トゥモローランドの商品ディレクションにも関わる森健氏の「オブジェスタンダール」など、パリコレとまでとは行かないが実力では決して引けを取らないブランドも並ぶ。これらが果たして福岡店にやってくるかは、効率面や売場面積からして懐疑的だ。

 博多駅にお客を奪われた天神としても、バーニーズ開店による新たな集客やお客の揺り戻しには期待しているはずだ。ただ、バーニーズの商品は従来の天神、博多駅にない感度、グレードではあるものの、品揃えに奥行きがなく、客層も限られる。 

 新幹線による広域集客で一部のブランドマニアは引きつけるかもしれないが、4層という売場構成を見る限り、幅広いブランドラインナップについては、期待薄と言わざるを得ない。

 




パルコ、撃沈。

 パルコ撃沈

 開業2年目に入った福岡パルコ。初年度は旧岩田屋本館跡地という立地の良さ、福岡アジアコレクションとのタイアップなど、幾多の追い風で好調をキープした。

 ところが、2年目に入った途端、売上げは急降下。4月は昨対34.1%減と極度に落ち込み、5月は26.2%減、6月は22%減とやや回復したものの、セールに入った7月でも15%減と、昨年実績には遠く及ばない。

 このコラムでも過去、福岡パルコについては評論したが、JR博多シティが開業しただけで、この有り様である。パルコ側も事前に博多大丸との共同販促や合同ロールプレイングコンテストなどの対応はしたものの、これらが抜本的な対抗策となるはずもなく、むなしい結果をさらけ出す形となった。

 ただ、なぜここまで売上げが激減したのか。それは「テナントがバッティングしたから。」という単純な答えで解決する問題ではない。厳密にみると、JR博多シティと被るテナントは「ジェラートピケ」「ドレステリア」「アーバンリサーチ」「トランテアン ソン ドゥ モード」くらいだ。にも関わらずこの4ヶ月で、平均24%以上の落ち込みは異常だ。


 筆者はここまで落ち込んだ理由は、2つあると思う。一つは、パルコ進出前からわかっていたハード面の難点である。

 旧岩田屋本館は呉服屋だった岩田屋が1936年(昭和11年)に営業をスタートさせたもので、建設から70年以上を経過している。空襲にも耐えた強固なコンクリート構造だが、戦前の建築で天井高が低く、8階建てとはいえ押さえつけられたように感じる。

 大震災による建築基準の変更で、パルコも出店時には鉄骨の筋交いなどで補強。だが、店舗空間が従来より広がることはなかった。昨年11月、福岡市はパルコに「都市景観賞」を授与した。しかし、そんなもん「5年も空いていた物件によく入ってくれましたね。ありがとう」といった行政特有の恩情サービスに過ぎない。

 所詮、イニシャルコストをギリギリまで削減した張りぼてビルであるのは、改装を担当した設計者やデベロッパーは十分承知のはず。賞なんてもらったところで素直に喜べず、どこかにジレンマがあるのは、容易に想像がつく。

 リーシングされたテナントも売上げ規模によるスペース配分こそ、適正だったかもしれないが、最近建築されたビルインに比べると、店づくりやVMDの点で遠く及ばない。

 何せ、JR博多シティは総事業費に600億円をかけた超近代的な駅ビル。天井高はパルコの倍近くで優れた開放感を有し、採光や通路スペースなど店舗環境にも十分配慮されている。おまけに付帯設備のパウダールーム、授乳室、トイレはどれをとっても秀逸だ。 

 ハードだけ見ても、中牟田一族の負の遺産、昭和の遺物に居抜きで入った福岡パルコとは比べ物にならない。お客は一度でも買い物すれば、そのしやすさに惹かれるとリピーターになるのが常。 その意味でパルコは、買い物しやすい競合店ができた途端にお客を持っていかれたのである。



 もう一つは、ES(従業員満足度)不足だ。お客が心地いい接客を受けて商品を購入するには、まずテナントスタッフが元気で仕事に取り組めなければならない。パルコにはそうした環境が作られているとは、決して思えないのである。

 先のハードもそうで、押さえつけられたような空間では、のびのび仕事をする気にはなれない。恐らく従業員の休憩所に心地いいソファ、ましてマッサージ機などリラクセーション設備なんて置いてはいないだろう。

 また、デベロッパーのスタッフがこまめに各テナントを回り、店長やスタッフの相談にのったり、他店の取り組み等をきめ細かく紹介して、売場の手直しをするなどもほとんどしていないのではないか。現実問題として4月の落ち込み以降、V字回復は見られないのだから、そう思わざるを得ない。

 言い換えれば、ハード面が充実しているJR博多シティの方がスタッフが仕事をしやすいのは当たり前だし、デベロッパースタッフの気合いの入り方も尋常ではないだろう。

 各店長には精鋭の切り込み隊長が配属されているだろうから、あくまで「今のところまで」はモチベーションが違う。全館、全員が目指すは「打倒!天神」。こんなスローガンが聞こえてきそうだ。

 それゆえ、パルコが売上げを回復させるには、思い切ってハードから作り直すか、それともコンセプトを変えてテナントを総入れ替えするか。

 「9月以降はバーニーズニューヨークも開業するし、多少は沈静化して天神にお客が戻ってくるはず。どうせJR博多シティの人気も一過性だろう」。もし、パルコがそんなことを真顔で考えているようなら、上場企業としては失格である。

 まずやることは、原点に立ち返ってテナントヘルプから見直すべきだ。ファッションビルである以上、ソフトを提供してくれるのはテナントであり、商品を販売するのはそこのスタッフたちだ。こうしたスタッフが働きやすい環境で作ってこそ、共同販促やロールプレイングも生きてくるのである。


H&Mでは勝負にならない。

第二キャナルシティ-3

 福岡地所が進めてきたキャナルシティ博多の増床プロジェクト、同イーストビルが9月30日にオープンする。昨年11月の概要発表で、福岡地所側はイメージを「ファストファッションスタジアム構想」として打ち出した。

 その代表格で“九州初上陸”となるH&Mを目玉に、日本で実績をもつ外資系ザラ、国内勝ち組のコレクトポイント、ユニクロをミキシングして、安さとトレンドを武器に天神や博多駅に対抗しようという試みだ。

 もちろん、これだけではバリエーションを欠くため、インテリアショップのフランフランを施設内移動させ、LAセレクトのキットソンを天神からリーシングするなど、何とかテナントの顔ぶれを整えた形だが、 果たして勝算はあるのか。

 結論から言うと、これで天神や博多駅に対抗できると考えるのは、大きな間違えと言わざるをえない。振り返ると90年代、平成不況下、福岡は全国一元気な街を言われるほど、商業施設の開業ラッシュに沸いた。その時のギミックワードが「九州初上陸」「福岡初出店」だった。

 あれから15年以上経った現在、これらの言葉がどれほど消費者を引きつけるというのか。ファッションに敏感な消費者ならそれ以前にチェックし、すでにショッピング済みだ。初上陸だの、初出店だの、だからどうした、である。こんなもん、ファッション業界ではとうの昔に意味をなさなくなっている。そんなことも知らないのは、バカな地場マスコミだけだ。

 この間も博多シティ開業のプレス発表会で、毎日新聞の女性記者が堂々とハカタシスターズの担当者にこの手の質問していたが、天下の大新聞とてファッションビジネスについての認識はこの程度なのかと、正直呆れ返ってしまった。

 当のH&Mはバブルが崩壊した後の90年代半ば、正式名称の「ヘニーズ&マーリッツ」ととして、日本市場でその進出が待望されていた。にも関わらず、日本上陸は遅れ、2008年秋までずれ込んだ。

 ただ、この間、ファッションマーケットがすっかり成熟してしまった日本市場において、ブランド力を浸透させ一定のシェアと売上げを確保するには、短期の多店舗・ドミナント展開(1年10店から20店)が欠かせない。

 ところが、H&Mは08年から現在までの出店は、東京で銀座、原宿、渋谷などの都心部と郊外、大阪が戎橋と甲子園といたってスローペース。この間、売上げ減少に歯止めがかからない百貨店各社からの出店依頼は引く手あまただったようだが、出店のスピードは遅々として上がらなかった。

 確かに、08年、銀座店や原宿店は日本初お目見えやコムデギャルソンとのコラボも手伝って、坪効率は月間100万円以上と高効率を誇った。しかし、翌9年第4四半期(9月~11月)は、店舗数6店で同75万円と25%以上下落。さらに11年第1四半期(12月~1月)は、10店で同25万円と急降下している。

 つまり、スロー出店で全国的な知名度をあげられないどころか、売上げも取れなくなってしまったのである。これでは逆に多店舗化が進むはずがない。

 売上げ減の理由は、その商品力にある。確かにトレンドを安く提供するのは魅力だが、ファッション感度やクオリティ、価格対価値などを相対的にみると、それほど高いレベルとは言えない。

 それ以上に日本の消費者の熱しやすく冷めやすいのは、筋金入りだ。メディアが煽ると飛びつくが、商品をじっくり見て頭をクールにすると、それほどの商品じゃないとすぐに気づいてしまう。まして、市場を牽引するヤングウィメンズからすれば、たいして面白みのある商品ではないだろう。

 実際、H&Mはショッピングセンターであるキャナルシティ博多には、大型店として進出する。そのため、メンズ、ウィメンズ、キッズのフルアイテムが並び、ファミリーをターゲットとしてMDになると思われる。だとすれば、ファッションに敏感なヤングが好むエッジの利いた商品がそれほどフェイスに並ぶとは思いにくい。並んだとしてもVMD的には薄まっていくと思われる。

 前出の坪効率が何よりの証拠である。すでに日本市場で外資系のファストファッションが幅を利かす状況ではなくってしまったのだ。福岡地所がそれさえ気づかず、未だに「ファストファッションスタジアム構想」なんて言っているのであれば、ファッション音痴も甚だしい。こんなことを真顔で言っているようでは他社からそっぽを向かれ、今後のテナントリーシングにも禍根を残すのではないだろうか。

 H&Mがファッションウォーズの武器にならないとすれば、他はどうか。これらにしても既存店があるので、H&M以上に新鮮さはない。ユニクロでさえ、一度撤退したキャナルシティ博多に再出店するのだから、勝算は未知数だ。ジル・サンダーとのデザイン契約は終了したし、アンダーカバーとのデザインコラボは銀座店からと、キャナルシティ店には目玉がない。

 ファッションマーケットを読み誤った戦略、時代遅れの武器で、列強の天神、博多駅に戦いを挑んでも伍して戦えるはずがないのである。

 




 




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