HAKATA PARIS NEWYORK

今のファッションを斬りまくる辛口コラム

2016年06月

本業はファッション、グラフィックなどデザイン関連のクリエイティブディレクター。創る側の視点で今のファッション関連の事情を評論する。マスメディアはもちろん、業界紙誌も扱わないテーマに踏み込む。

ライセンスで回復は難しい。

macintoshcoat 三陽商会が2016年6月中間期の純損益見通しを15億円の赤字に下方修正した。昨年6月にバーバリー社との契約が切れたため、同年12月期決算では売上高が12%減の974億円、 純利益も対前期比59%減の25億円まで落ち込んだ。本年度も売上げ回復の道筋は立たないようで、立て直しのために全従業員の2割弱にあたる約250人の早期退職者を募集する。さらに複数ブランドの廃止も打ち出すというから、バーバリーを失った後遺症は経営陣の思惑を超える深刻な状況と言えそうだ。

 そもそも、三陽商会はバーバリーを失うことで、売上げ減になるのは想定済みだった。それを少しでも緩和しようと、英国のマッキントッシュ社とライセンス契約を結んで昨年秋には「マッキントッシュ ロンドン」を立ち上げ、主軸ブランドに位置付けた。またバーバリーのセカンドラインでも、新デザイナーに三原康裕氏を起用しヤングレディス向けのブルーレーベルを「ブルーレーベル・クレストブリッジ」に、メンズのブラックレーベルを「ブラックレーベル・クレストブリッジ」に転換した。その他、マッキントッシュフィロソフィー、ポール・スチュアート、エポカなど、7ブランドを基幹ブランドと位置づけて育成・強化するなど、矢継ぎ早に対策を打っていた。
 

 しかし、実際にはバーバリーの穴を埋めるどころか、すべてが輪をかけて凋落の一途を辿りそうな様相である。根本原因はいったい何か。やはりアパレルブランドのライセンスビジネスが時代、マーケットに合わなくなっているのではないか。マッキントッシュフィロソフィー、ポール・スチュアート然りである。経営陣は「百貨店との取引を継続すれば、ある程度売場を維持できる。あとはブランドさえ確保すれば、バーバリーファンの受け皿にはデザインをそのまま踏襲し、ライセンス生産でも十分行けるだろう」との目論見ではなかったかと思う。だが、中間決算をみる限り、あまりにお客を甘く見ていたことになる。

 なぜなら、ブランドライセンスという手法がすでに前近代的だからだ。バーバリー社が三陽商会との契約を解消したのは、「本物」を本社直轄でグローバルに展開し、ブランドバリュを確固としたものにしたいからである。その意味では、ライセンスは本国からすれば邪道であり、ブランド価値を下げる意外の何ものでもないのである。

 そもそも、ブランドのライセンスビジネスがなぜ生まれたか。発展途上にあるアパレルブランドがグローバル展開を試みる上では、店舗展開や広告投資など莫大な資金を要する。またサイズや志向の違いなどで各国、各人にきめ細かく対応することは難しい。だから、地域別で市場を知るアパレルや商社とライセンス契約を結び、ライセンシーにはその市場にあったブランドに焼き直させたのである。こうして本国のブランド側はライセンサーとしてロイヤルティを徴収して資金が潤沢になり、ビジネス展開が容易になるのと並行してブランドの知名度を世界中に浸透させていったのである。当時はお客の側にしてもブランド品に手が届くのなら、ライセンスでも構わなかったのだ。日本におけるバーバリーはその典型だろう。
 

 ところが、ブランド側が名実ともに実力をつけ、ビジネス展開に必要な資金を証券市場から調達し、コングロマリット化するようになると、ロイヤルティでちまちま稼ぐ必要は無くなる。グローバル戦略をしっかり構築し、商品政策から店づくり、広告展開まで一括して行った方が効率が良いし、何よりブランドバリュは上がっていく。特に市場、お客が成熟した地域では、何よりそうした戦略が有効になってきた。要はお客がカネを持てば、皆が「本物」を求めるようになるから、ライセンスなど必要ないのだ。

 マッキントッシュは真逆のケースを辿ったのである。このブランドはもともとアパレル商社の八木通商がインポート商品として開拓し、専門店、いわゆるセレクトショップと一緒になって日本市場に浸透させた。販売拠点がセレクトショップだから、売り方は百貨店とは全く異なる。代表的なゴム引きのコートは価格が20数万円もする。確かにクオリティは高いが、単品そのままでは売りづらい。だから、バイヤーはキーアイテムに位置付けながら、別ブランドのインナーのニットやボトムのパンツ、ブーツまでコーディネートすることで、アイテムそのもの良さを際立たせたのである。これは単品組み合わせの編集力をもつセレクトショップだから、成せる技だったのである。

 つまり、マッキントッシュが日本市場で売れ、浸透したのはこうしたセレクトショップ、バイヤーの地道な努力があったからだ。現在ではこうした市場もすでに成熟し、リピーターは親から子に移っている。コアなマッキントッシュのファンからすれば、マッキントッシュはインポートであって、ライセンスではないのである。コートはマッキントッシュロンドンが発売されるはるか前に某SPAによってコピーされた商品が出回り、こちらも一定のボリューム市場はつかんでいた。だから、なおさら「本物」の価値は際立ったと言える。


 三陽商会はこうしたマッキントッシュが売れた背景を細かく把握することなく、単にブランドネームが浸透したことだけに着目したのではないか。「うちのコート縫製の能力、販路としての百貨店ルートがあれば、ライセンスでも十分行けるだろう」と踏んだのだと思う。マッキントッシュ社がライセンス契約に応じたのは、日本の八木通商が経営権を握っているからに過ぎない。同社にとってはロイヤルティが入ればいいからである。

 しかし、ふたを開けてみると違った。バーバリーの顧客はライセンスでもバーバリーを好んだ。ところが、トレンチやステンカラーのデザインをコピーし、マッキントッシュで焼き直したところで、ロンドンはバーバリーではないから、バーバリーファンは簡単にはなびかない。逆にマッキントッシュのファンからすれば、ロンドンのコートは紛い物でしかないのである。

 もっとも、バーバリーはライセンスと言っても、アイテムはポロシャツ、子供服までに広がって一定のマーケットを作り上げ、売りやすい方向ではあったと思う。ワンポイントマークもブランド好きな中国人の爆買いを誘ったわけだから、契約解消前には駆け込み需要となったのは当然のことだ。しかし、それは伝統あるブランドの力があればこそだ。コアなファン以外知らないマッキントッシュになると、百貨店を拠点にしたところで、成熟した日本の市場を簡単に開拓できるとは思えない。

 ましてマッキントッシュロンドンがバーバリー同様にアイテムの裾野を広げたところで、こうしたMD戦略は従来通りのやり方で目新しさは感じない。アパレルお得意の効率主義が裏目に出てしまったということでもある。それはマッキントッシュフィロソフィー、ポールスチュアートにも言えることではないか。フィロソフィーは本家マッキントッシュとは全く異質なものだから、ショップやコーナーだけで完結してしまって新規客は呼び込めないし、ポールスチュアートもファンが歳をとればブランド離れしていく。


 マッキントッシュのコアなファンとライセンスであるマッキントッシュロンドンの客層は異なる。これは八木通商も三陽商会の承知の上で、スタートしたはずである。ただ、ロンドンが苦戦しているのは、ライセンスという中間層を攻略して来たビジネス手法がすでに通用しなくなった面もあるだろう。時代、市場の変化を三陽商会の経営陣は見間違ったのだ。同社を良く知る人の話では、経営の実権をプロパーの人間に代わり商社出向組が握っていることもあるそうだ。ゼロからもの作りを行うアパレルではなく、でき上がったものを買い付けて卸すだけのノウハウしかなければ、ブランドもアイテムもあり溢れている今のマーケット攻略では非常に厳しいのはわかる気もする。

 他のブランドにしても、メーン販路は百貨店のハコだ。店づくりはフラットで、品揃えもセレクトショップのように奥行きがない。トップスからボトムスまで揃っていても、単品がハンギングか、たたみで展開されるだけで、編集力からしても今の嗜好には合致しない。それが若い客層を呼べない根本的な要因だろう。 商品力のカギとなる素材や縫製についても、原価率の圧縮から低下は否めない。大人の洋服好きから見れば、いい加減辟易している。もし、マッキントッシュファンがロンドンのコートを見ると、一目でクオリティの低劣を見抜くはずだ。それほどお客の目は肥えているのである。


 三陽商会はコートづくりでは歴史もあるし、独自の縫製ノウハウをもつ。ならば、これを生かして独自の企画でブランドを作るか、デザイナーにノウハウを提供してコラボレーションに注力すべきではないか。その意味で、クレストブリッジは実験的な取り組みなのだろうが、バーバリーセカンドレーベルの受け皿にするには、あまりに無謀すぎる。メーンターゲットの若者はカネを持たないから価格的に手が出ず、逆にカネに余裕のある大人からすればデザインが若すぎで安っぽい。バーバリーのセカンドレーベルが軌道に乗ったのは、バーバリーチェックというデザインアイコンとブランドバリュの浸透があったからだ。業界人以外はほとんどその名を知らない三原康裕氏には、あまりに荷が重すぎるのである。

 どちらにしても、売上げ回復が図られなければ、リストラは今後も続くはずである。そして百貨店アパレルの一角としての存在すら危うくなっていくかもしれない。

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製造卸の福音となるか。

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 先週の金曜日、読売新聞のネット版が「アパレル業界の不合理な商慣習、改善を」との見出しで、経済産業省の「業界救済策」?について報道した。

 「衣料品の国内市場が縮小する中で過剰な供給と安売りが続き、産業が衰退する懸念がある」ため、「アパレル業界に見られる不合理な商慣習を批判し、経営の改善を促す」もので、6月17日には報告書で課題を示し、(業界に)対処するよう注文をつけるという。

 6月も後半に入り、夏のバーゲン開始を見計らったようなタイミングだ。セールの後ろ倒しも定着したのか、意味をなさないのか、今年は話題にも上がらない。ただ、実店舗にWEBサイトが加わる商品の供給過剰で、安売り(低価格)は常態化している。それが更なるコスト削減の圧力を生み、アパレルの設備投資や人材育成への投資を停滞させ、商品の陳腐化による客離れを引き起こしているのは、紛れもない事実だ。

 単純に日本の市場規模を考えても、オーバーストア、在庫過多は否めない。そこでは経済原理が働くから、価格は下がっていく。加えて海外生産や流通の効率化、情報整備などのイノベーションが進み、中間コストは削減されて値ごろな商品が次々と生まれている。消費者とってそこそこお洒落な商品が低価格で出回れば、飛びつくのはいうまでもない。そこまでは良かったのである。

 ところが、ビジネスの宿命として、収益があがるモデルには皆が「右へ倣え」する。結果、競合が増えて競争が激化。川下の小売りが利益確保に走るあまりに、その分のしわ寄せはアパレルの原価圧縮、さらに製造業者の工賃値下げを強いていったのだ。

 とどのつまり、こうした不毛なビジネス競争を変えていかなければ、産地もメーカーも小売りも消耗していくばかりである。ただ、霞ヶ関という中央省庁の「声明」に対し、業界からは「ここまで衰退すれば、カンフル剤にもならない」「百貨店は委託販売の是正が求められると潰れるところも出てくるのでは」と、冷めた意見も聞かれる。

 でも、医学界ですら、カンフル剤の効果を求める対症療法では、根本治療にはなりえないのは承知の上だ。また病気の症状は自分を守るために体自身が発しているもの。人の体は一部の治療して済むものではなく、食生活、生活習慣、環境、 メンタルヘルスまでの総合ケアがあって健康を維持できるのである。

 ファッション業界も然り。「産地や職人を救う」「百貨店の委託販売を無くす」「コスト管理を明確にする」などの断片的なものではなく、業界構造を俯瞰で見て、川下から川上までのすべての段階にある問題点に切り込み、どこから手を付けていくか。こうしたことは我々のような利害が関係してミクロでしか考えられない人間より、業界をマクロで捉える能力をもつ東大出の官僚さんの方が適任かもしれないと、筆者は思う。

 ただ、経済産業省が公権力の行使として、ファッション産業に携わる企業、団体に対し、委託販売や消化仕入れ、発注商品の買い取り拒否などの商慣習について是正するには、「法令」に基づかなければならない。つまり、それらを現実のものとするには、法に明らかに抵触していることが条件で、グレーゾーンなら新たな法整備や法改正、それを補う省令が必要になる。

 衰退の歯止めが待ったなしという点では、法律や省令に基づかない行政指導という手段もあるが、これとてどこまで実効性があるか懐疑的だ。ここからは少し専門的な話になる。筆者が大学時代に学んだ行政法、行政手続きの解釈、フローとして、どのケースが何に該当するのかを考えてみたい。


 現状、ファッション業界が取引上で関係する行政法規は、独占禁止法の「私的独占」や「不当な取引制限」「不公正な取引方法」の「禁止」である。また「不当表示防止法」だろうか。私的独占とはまさにマーケットを独占的に支配して他を排除する行為だ。不当廉売はその代表的なものではないか。商品を著しく安く販売することを指すが、これだけデフレが浸透すると、どこからが不当廉売に当たるのかの判断は難しい。

 例えば、大阪のバッタ屋のように元値がわかるブランドをタグを切り取ったとは言え、90%オフと認識できるような価格で売れば「廉売」には当てはまるだろう。だが、価格設定は小売りが自由に決められるわけで、私的独占として違法となるのは同じエリア内でかたやプロパーで販売している店舗の営業の継続を困難させるような場合だ。つまり、地域に溶け込んでいるバッタ屋なら、「不当」には当たらないのである。

 バッタ屋はどこからか商品を仕入れているわけで、間に卸業者が介在する場合もある。倒産したメーカーや問屋が在庫処分に窮している時、バッタ屋や卸業者が買値を叩いて安くさせる場合があるかもしれない。この場合もバッタ屋や卸業者が優越的地位(在庫処分の事業者より強い立場)にないと法規制には抵触しない。売る方と買う方がフィフティフィフティ、ウインウインの関係なら何ら問題はないのだ。第一、大阪のオバちゃんは「安く買えるから、ええやないか」と、公正な取引なんて眼中にないはずである。

 不公正な取引は低価格業態に限ってではなく、プロパー販売の現場でも行われているかもしれない。これが百貨店のケースだ。バブル崩壊以降、売上げダウンに直面した百貨店は、減少分を荒利益をかさ上げして埋めようと、取引先の百貨店系アパレルに歩率の積み上げを要求した。そこでは歩率が1994年から2002年まで8%程度も高騰したと聞く。こうしたケースが不公正な取引(公正な取引とは価格、品質による競争を意味するから、それを阻害する行為はグレーゾーン)とは言えないまでも、今回の是正の対象にはなるかもしれない。

 現に百貨店系アパレルはそのコストを吸収するため、この間には原価率を平均で33%から25%まで低下させたと言われている。当然、アパレルは自社の利益を確保しなければやっていけないので、下請けには素資材のコストダウン、工賃値下げの圧力がかかったわけだ。百貨店が自店の利益を確保するために、その影響が下請けにまで波及したのだから、お役所が法律に基づく是正や行政指導に動くのは当然と言えば当然と言える。


 アウトレット場合はどうだろうか。施設数が増えたことで、売れ残り在庫や廃番商品、B級品が確保できずに「アウトレット専用品」が堂々と売られている。だが、POPなどでその旨を告知していれば、レアなブランドのオフプライスと誤認させるような「不当表示」には当たらない。

 でも、問題はそこではない。リテイルアウトレットを展開するような大手セレクトショップがアウトレット専用品の販売で粗利益を確保するがために、アパレルや商社に商品の卸値を下げさせるケースだ。それが縫製工場にまで遡って値下げ圧力となっているのなら問題だろう。アパレル、産地、工場に負担を強いているのなら百貨店のケースと同じく、是正しなければならない。経済産業省にとっては、これらが法改正や省令、行政指導で取り組むべき要諦と言えそうだ。

 一方、メーカーが展開するファクトリーアウトレットについても、そのメーカーのブランドを売っているFC店やセレクトショップ(仕入れ専門店)、いわゆるプロパー業態の営業の継続を困難にさせるようでは問題だ。

 アウトレットとは安売りが目的ではなく、在庫品をいかに消化して現金化、いわゆるキャッシュフローを進めるかのものだ。だから、アパレルメーカーがファクトリーアウトレットをプロパー店と近接させれば、直営店はもとより、仕入れて販売する小売店といった正価販売に影響が出ないとも限らない。そこで、欧米では50マイルや70マイル規制(80km~100km圏)を設けてきて、両業態を近接させず競争を防止する施策を打ってきた。今でも最大50kmは距離を置くのが成立のカギと言われる。

 米国ならマンハッタンからバスで1時間以上の郊外、イタリアならミラノから遠く離れたアルプス山中というような場所にアウトレットは存在する。でも、国土が狭い日本だと東京からアウトレットを遠ざけても、今度は静岡や長野にあるプロパー業態がじわりと影響を受けてしまう。カニバリゼーションにならないとも限らないわけだ。


 そもそも、なぜ日本でアウトレットモール、そしてショッピングセンターが増えていったのか。それは円高是正=外圧による内需拡大、国内市場の開放がある。また規制緩和に端を発した定期借家契約導入で出店の初期投資が下落したこと。さらに大規模小売店改正に伴い郊外店が開発ラッシュとなったことだ。

 アウトレットに限って言えば、「独占禁止法の運用強化」がある。これによりメーカーは小売店に小売価格の統制ができなくなった(販売価格は小売りが自由に決めて良い)。 独禁法ガイドラインは、メーカーの価格規制のすべてを禁じており、小売店の不当返品も禁止している。だから、在庫が思うようにはけずダブつけば、メーカーも小売りもそれを消化せざるをえなくなるのだ。

 デベロッパーも器を作れば、テナントを埋めなければならない。アパレルメーカーにはとっては出店依頼を受けても、都市部のプロパー店と競合できないことから、低価格、低付加価値の業態の開発、出店に行きつく。専用品を販売するアウトレットもその一つだ。それでも、器が増えると当然業者間の競争に陥るわけで、結果的に自ら収益構造を狂わせしまったのではないかということである。


 またアパレル商社が輸入し、大手セレクトショップが販売したパンツが「ルーマニア製」だったにも関わらず、「イタリア製」と表示したことが「原産国の不当表示」に当たるとして、商社1社並びにセレクトショップ5社に公正取引委員会から「排除命令」が出された。公正取引委員会は日本繊維輸入組合に対しても、傘下組合員が同様な行為を行わないように「表示の適性化」について要望を出したことは記憶に新しい。

 しかし、その後もセレクトショップの1社は「ウール製」のマウラーを「カシミア」と偽って販売している。この手の「虚偽」「偽装」が続いているわけで、行政庁の命令や指導程度で本当に効果があるのかと疑いたくなる。もしかしたら、売場ではスタッフが「この商品はバイヤーがロンドンで作られたものを買い付けてきました」と言いながら、本当は商社丸投げのアジア生産だったりするのかもしれない。

 あくまで行政法の範疇だから、強行法規のような処罰とまではいかない。しかし、価格競争が激化しているからこそ、「自店の商品をいかにも価値があるように見せかける」わけだ。そこでは安売りだけでなく、不正行為が堂々と行われていたということになる。お役所の実態調査だけでは限界があるし、内部告発をしやすい環境づくりも不可欠と思う。やはりきちんと強行法規を法制化するなり、現行の刑事罰を適用するなどの対応に踏み出さないと、事業者には堪えないのかもしれない。


 しかしながら、法整備に踏み出せば、規制緩和や族議員と衝突することになる。「価格を下げて販売する」ことが常態化した一つの要因は、大店法の改正という規制緩和によって低価格業態の出店が容易になり、オーバストアで競争が激化したことがある。つまり、それを是正するには、アウトレットモールやショッピングセンターといった大型店の出店を抑えることも必要になってくる。

 となると、デベロッパーや建設会社を票田とする建設族の国会議員さんが黙っていないだろう。「規制緩和というアベノミクスに逆行する行為だ」「何のための大店法改正だったのか」と、経済産業省を吊るし上げるかもしれない。御殿場、鳥栖などプレミアアウトレットを運営する三菱地所・サイモン(旧チェルシー)には、米国資本が入っているので、「市場開放に逆行する」と再び外圧がかかることも予測される。

 そもそも大型店の出店を規制する「大規模小売店法」が制定されたのは、中小零細の個人商店や商店街を守るためだ。1960年代、米国では郊外で次々と大型店が開発され始めた。日本でもダイエーが安売りのスーパーを出店した。これらが日本に上陸したり、多店舗化したりするのを予測した当時の通産(通商産業省、今の経済産業省)官僚は、個人商店や駅前の商店街はひとたまりもないと、思ったはずである。そして、自民党の「商工族」に働きかけて、大規模小売店法を成立させ、規制を強化したのである。


 つまり、法律とは何か、規制とはどうして生まれるか、である。それはその時々の「弱者」を保護するためだ。独占禁止法は弱い立場の小売業者、競争力に乏しい問屋、メーカーを保護し、大規模小売店法は個人商店や商店街を守ったのだ。でも、そうした事業構図は時代とともに変わっていく。一方で、日本は米国のようにメーカーと小売りというシンプルな流通構造にはなってない。地方ごとに産地があり、産地卸があり、仲買人がいて、小売りがいるという具合に複雑だ。また、商品を購入しても、すべて現金払いというわけではなく、掛け売りというシステムも存在した。

 そうした中で百貨店が商品を買い取らず委託で販売する「商慣習」も醸成されたいったのである。良く言えばそうした不文律の中で、メーカーも問屋も小売りも儲かる共存共栄が育まれていったのだ。

 景気が良い時代には、アパレルメーカーが卸先の商店主や百貨店関係者を海外旅行に招待したり、ゴルフ接待でもてなしていた。それだけ経費をかけても有り余る収益が上がったからだ。受ける側もそれが規制による保護であることを忘れ、自店の力だと錯覚していた。駅前商店街や百貨店はじっとしていてもお客さんが買い物に来てくれ、自ら商売に注力しなくてもフランチャイズや歩率家賃でも、十分に食べていけたのである。

 しかし、時代が移れば、環境も変化する。グローバル化で競争が国境を超えて進み、大型店や新業態、画期的な流通システムが登場すれば、お客の購買意識や消費行動に現れる。そうして中小零細の商店や商店街はジリ貧になり、百貨店は低迷するようになって行った。言ってみれば、商業という川下の低迷、不振が川中のアパレル、川上の産地、工場にまで波及し、日本のファッション産業全体が空洞化し、構造不況に陥ったとも言えるのだ。

 こうした業界の光と陰を見れば、必ずしも自由競争が良いとは思えない。また海外旅行にもゴルフにも全く縁のなかった製造業者や匠の技を持つ職人さんといった弱者が疲弊していくのを見過ごしていいとも思わない。ただ、現行の法規制ではとても効力を発揮できないのは確かだ。かといって、あまりおカネにならない業界を考えれば、商工族の国会議員さんが立法に一生懸命になることもないだろう。第一、今の自民党や民進党を見渡した時、霞ヶ関の官僚を超えるようなファッション産業の政策通は見当たらない。


 ともあれ、現行の法律では最小限の規制しかできないから、業界が疲弊している状況では、新たな規制を設けなければならないのである。そこで経済産業省も重い腰を上げ、ようやく省令という法規範、法規命令、行政指導に取り組もうということなのだろう。

 お役所仕事、省益優先、族議員の台頭、省令の乱発など、とかく官僚主義に対する批判は少なくない。だが、誰か、どこかが手を付けなければ、業界がますます衰退していくのは間違いない。「業界内部から変革していく」。言うは易しであるが、固定観念や利害をもつ人間たちが蠢く中で、簡単にできることではない。

 まずは行政庁が声を上げるというのは=構造改革に乗り出すということで順当ではないだろうか。経済産業省はファッションという繊維産業を所管することに代わりがないし、ここが現状の問題点を冷静に分析し、改善の方向に変えていくと表明したのだ。筆者は業界が健全な方向に向かい、製造卸への福音になればと、好意的に受け止めたい。

教える側の意識変化は。

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 先日、服飾系専門学校の2016年度の入学者が「増加した」との報道があった。少子化で高卒後に進学する学校は、学生確保に窮している。そのような状況下に服飾専門学校の入学者が増えたのは、学校側の募集策はもちろん、学生側の「しょうもない大学に行くくらいなら、手に職をつける方がいい」との期待もあるのではないか。

 と言っても、専門学校を目指すくらいの若者?だ。将来の目標や展望、産業や社会の変化に対し、明確な知見や判断力を持ち合わせて決断したとは言い難い。高校生の場合、在籍した学校で偏差値や学力が向上していれば別だ。そうでなければ、進学先は一様に落ち着くわけで、その中で学生を奪い合う構図が揺れ動いてだけに過ぎないと思う。

 服飾専門学校を目指す若者は、自分のテリトリー内で得た情報をもとに「自分で服をつ作りたい」「将来、自分のブランドをもちたい」など、多くがデザイナーやクリエーターへの夢をもっている。しかし、学校側にすればそれだけでは学生の確保はままならないから、「ビジネス学科」を併用するところが少なくない。ただ、仕事で専門学校の卒業生に接する人間からすれば、ビジネス学科に進学する学生の「意思」「意識」がデザイン学科に比べると、いたって曖昧でないかとの印象をもつ。

 今から10数年前、日本社会ではリストラの嵐が吹き荒れ、学生にも就職氷河期が訪れていた。だからではないが、専門学校生の間でも「会社勤めしているとヤバいようだから、独立して自分のブランドやショップを持とう」という意識が浸透していた。学校にとっても「セレクトショップを経営しよう」「バイヤーになって世界を巡ろう」と若者を煽れば、ビジネス学科の学生を募集しやすかったはずである。

 ちょうど裏原ファッションのブームと重なり、次々とストリートブランドが登場していたため、専門学校に通う若者がそれを扱いたいと思うのは、ごく自然の流れだった。しかし、ブームが去った昨今、専門学校生が「自分のショップをもちたい」「ブランドを立ち上げたい」と声高に叫ぶ姿は影を潜めたように感じる。それは学校教育の成果というより、学生が身を置くファッション環境が大きく変化したからではないかと思う。

 学生の多くがアルバイトをして小金がたまると服を買うだろうが、すでに大半が気軽にネット通販を利用しているのではないか。クレジットカードを持っていなくても、代引きや先払いを利用すればお目当てのブランドは買えなくはない。ショップで買うより安い場合もあり、ポイントが貯まるなどのメリットもある。購買環境として実店舗が減り、WEBサイトが増えつつあるのは、自らも実感としてあるだろう。だからと言って、学生が買う側としてWEBを理解できても、売る側として理解できるほど簡単なものではない。

 デジタル社会は服飾専門学校生の意識はもちろん、進路までも大きく左右している。しかし、こうした環境変化の中で、ビジネス学科への進学目的がハッキリしているとは言い難い。それ以上に学校側が学生に対し進路、その先にある仕事のポジションを明確に伝えられ、指導できているか。意識を変化させているのかと言えば、大いに疑問である。


 アパレルメーカー、小売りともにデジタルシフトを明確に打ち出した今、服飾専門学校こそデジタル、WEBの知識、技術の習得に真剣に取り組まなければならないのではないか。それはビジネス学科に止まらず、デザイン学科然りである。筆者が知るパリやニューヨークの学校ではデジタルデザインには積極的だし、東京の服飾専門学校でも強化され始めている。ところが、地方では未だに洋裁学校の延長線で教える学校やおばさん先生により、アナログどっぷりの授業が延々と続いている。

 もっとも、ファッション教育だけでに止まらず、すべてのジャンルでデジタル化は浸透している。言い換えれば、あらゆる専門職のスキルとして、デジタル、WEBの知識、技術は不可欠なのだ。ヘアメイクも、ネイリストも、グラフィックデザイナーも、カメラマンも、イラストレーターも、スポーツトレーナーも、声優も、タレントも、マンガ家も、将来の独立を考えると程度の差こそあれ、インターネットを活用したWEBサイトを運営し情報を発信していかなければ、取り引きのきっかけにはないからである。

 料金を徴収する課金システムまで整備すれば、プログラムの知識、技術まで身につけなければならない。それはプロ、ビジネスを行う点では共通だからである。特にファッションビジネスにおいて、ショップを経営する上でWEBサイトの制作・運営はどんな個店でも不可欠だ。それを制作するにしても、まずはIllustrator、Photoshopの基礎から学ばんでおかなければならない。時空を超えて商品が動いていることを考えれば、いちいちWEBデザイナーに外注しているほど、ビジネスは悠長ではない。

 ところが、デジタル、WEBの知識、技術を重要視すれば、専門学校の全学科の授業が似通ったカリキュラムにならざるを得なくなる。だから、教える講師の認識は、「デジタル、WEBは専門学科で学ぶもの」なのだ。しかし、それは言い訳に過ぎない。

 というか、化石化している講師たちが食い扶持を守るため、既得権=自分たちのコマを死守しようとの意識が露骨だからだ。本当は自分たちこそ専門学校に通ってデジタルデザインなり、WEBなりを勉強しなければならないのに、そうした投資をせずに手っ取り早く昔取った杵柄で、ギャラを稼ごうという思惑が随所に見えている。

 その割に2年の修学期間でアパレルの企画職につけなかった学生には、「あなたならできるわよ、頑張りなさい」と、無責任極まりない言葉を平気でかけていく。すべては自分たちのパフォーマンスと保身であって、そのツケを学生と業界に回しているに過ぎないのである。


 服飾専門学校では、その名称から感じられるスペシャリズムが一人歩きしすぎて、あまりに崇高なものと誤解されている。多くの卒業生に接してきた人間からすれば、決して彼らの専門的な能力が高いとは思えない。

 特にビジネス学科の授業実態は、コレクション発信のトレンドや専門用語を教え、スキル醸成の欠片も感じない接客技術をレクチャーし、誰でも受かるビジネス検定資格を取得させ、とどのつまりが雑誌の切り抜き帳のようなアナログマップか、それをスキャニングしただけのパワポのプレゼン。借りて来た服によるファッションショーでジ・エンド。せいぜい良いところ、担当者のコネでメーカーや小売りのインターンシップにさせてもらえるか、三文ファッションイベントのフィッターくらいが関の山だ。

 そんな授業内容で、専門的な知識、スキルが身につくわけがないし、今のファッションビジネスにはとても通用しない。だから、就職先はデザイン学科を卒業生でさえ、駅ビルやSCに出店するSPAの販売スタッフが良いところだ。

 就職しても業務は品出しや商品整理、売れた商品の補充、ストックからのピッキング、棚卸し、レジ打ち、袋詰めになる。1日のうちに純然たる「接客」は賞味1時間もあるのか。その程度の「作業」なら、専門学校を出てなくても十分できる。結局、親にとって投資分の教育コストは回収できないわけで、当の本人はオーバーストアで四苦八苦する企業側に使い捨てられるだけである。


 ファッション業界がデジタル時代に突入した中、専門学校生をあえて採用するならデジタルデザインのスキルをもつ若者の方がいいのかもしれない。ビジネス学科の卒業生を売場に配属しても、初任給応分の生産性がないのだから、その選択の方が賢明な選択と言える。というか、マーケットが縮小する中でオーバーストアも限界に来ており、これ以上人を配置しても人件費が嵩むばかりで、売上げは上がらないだろう。売場要員なら新卒ではなく、既卒のパートでも十分こと足りるはずである。

 前にも書いたが、今のファッションビジネスで食べていく=高額な商品を売り切るには、優れた接客技術と確かな販売力が欠かせない。それは三ツ星ホテルマン並みの会話術やホスピタリティ精神がないと務まらない。それが服飾専門学校、ビジネス学科の中途半端な授業内容で培われるわけがないのである。

 まあ、デザイン学科にしても、旧態依然としたスタイル画やドローイングの「アナログ技術」がどこまで実際の企画現場で必要とされているか。服作りのファスト化、ローコスト化を考えると、ペンタブレットやペイントツールといったデジタル技術の方がが即応性があるし、それを使いこなせることで、その先の作業フローまで一環してシステム化されていく。それがファッションビジネスの最前線というものだ。

 デザイナーにとっても独立すれば、売上げや利益、経費といった数字の知識が欠かせないと言われるが、まずは仕事を覚えていく前提としてデジタルの知識、技術はもっていても有り余るものではない。営業職なら企業勤務、独立を問わず、ネット通販のノウハウ取得は言うまでもないことである。だったら、デジタルやWEBの教育を積極化した方がはるかに実効性、就職にも結びつくというものだ。

 筆者はかつて業界向けにデジタル技術を駆使した「バーチャルコレクション」「模擬バイイング」のシステムツールを企画したことがあるが、こうした教材による授業こそ今のビジネス教育には必要ではないかと思う。


 さて、服飾専門学校の入学者が増えたからと言って、業界が期待してるかと言えば、本音は「否」ではないのか。相手は専門学校生。特別な知識や技術、技能がなければ高校生と同じで、教育研修を施さなければならない。再教育?に膨大なコストがかけられるほど、今の業界、企業に余裕はないだろう。

 一方で、デジタルに対応する知識や技術を持てば、大学、専門学校を問わず企業に必要とされるのも事実だ。それが真の「手に職」ではないのか。大事なことは実店舗からWEBサイトに切り替わっていく中で、本当に必要なヒューマンスキルとは何か。デジタル化が浸透したファッションビジネスにおいて通用する人材とは何か、なのである。

 それらを考えれば、専門学校に必要とされるビジネス教育の答えは、誰も持たない高度な接客、ホスピタリティ能力をもつ人間を育てるか、デジタルの最前線を陰で支える技術スタッフの育成かに大きく二極化されていく。新しい技術はすぐに古くなるとの反論もあるが、今必要な技術無くして就職もクソもない。講師は「学生を育てたい」なんてモラトリアムな戯言を吐く前に、現実に即した指導を行い、結果を出すべきなのである。


 服飾専門学校がいつまでも中途半端なビジネス教育を行っているのでは、業界はもちろん、社会からも必要とされなくなるのは時間の問題かもしれない。

被災商品は売れるのか。

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 4月14日、16日の熊本地震から間もなく2ヵ月が過ぎようとしている。全国的な報道は、罹災証明の申請から仮設住宅への入居と、被災から復興へと変化しつつある。

 地元ファッション業界では、震災直後からすぐに営業を再開する店舗がある一方、ショッピングセンターなどの器が甚大な損害を受けて、営業再開までにまだまだ時間がかかるテナントも少なくない。

 深刻なのはイオンモール熊本(旧イオンモールクレア)とゆめタウンのはません、サンピアンの両店。イオンモールは16日の震央にほど近い嘉島町にあり、被害は甚大だ。約22万4000㎡に立つ2層の店舗は、直営部門の2階フロア(衣料・雑貨、アミューズメント)と西側のテナント棟が天井落下などで再開の目処がたっていない。

 テナント棟には1階に無印良品やザラ、2階にはユニクロ、スポーツオーソリティなどの大型店が入っており、店舗当たりの損失はバカにならないと思われる。もちろん、GMSが苦戦を続けるイオンにとっても、衣料品コーナーが再開できないのは遅々として進まない改革にも水を差す。泣き面に蜂とはまさにこのことだ。

 ゆめタウンはませんは全館を閉鎖。サンピアンも全館、全テナントが休業している。サンピアンからほど近い菊陽町のゆめタウン光の森は、4月28日にいち早く再開。両店に代わって顧客の受け皿になっているようで、平日でも休日と遜色ない集客がある。

 もっとも、はません、サンピアンの両店がニコニコドーの経営破綻に伴い、イズミに譲渡された居抜き店舗なのに対し、光の森はイズミが独自で開発したフォーマットだ。施設は本館が4階建、南館が3階建の多層構造で、本館は3階以上、南館は1階が駐車場で、建築基準でもそれなりの地震対策は取られていたと思う。

 今回の地震は余震、本震とも夜間に発生し、人的な被害はなかったようだ。しかし、ここでも天井や柱の一部に落下や亀裂が生じており、その部分を応急処置した上での営業再開となっている。

 店舗中央の吹き抜け、エスカレーターを囲む2階部分の柱は、6月に入ってもシートで覆われたままで亀裂や破損が生じた箇所はわからない。もし週末の営業中に地震が発生し、階上の駐車場が満杯だったらどうなっただろうか。おそらく1500台以上の過重が2階部分に一気にかかるわけで、想像を絶する被害になったかもしれない。

 イズミ本社では、はませんとサンピアン両店について11月を目処に営業再開したいと発表した。だが、今回の地震でスーパー各店は天井に設置した防煙壁のガラス板が割れて落下したり、スプリンクラーが破損して流れ出した大量の水で売場が冠水したことが、長期休業を余儀なくされた要因と言われている。

 SCとは店舗の規模が違うので、一律で耐震基準を論じることはできないが、イオンやイズミはスーパー以上に営業再開に向けた耐震補強には破格の投資が必要であり、それらを含めて本年度業績における減損は、相当になると覚悟しなければならないだろう。

 テナント各社についても損害は程度の差こそあれ、半年以上も休業すれば売上げの減少はかなりにおよぶはずだ。イオンモールの場合はほどんどが全国展開のテナントで、全社的な損失率は分母が大きい分(店舗数が多い)だけ低くなる。スタッフについても緊急避難的に近隣店舗に異動させ、シフトを調整して業務に従事させられるし、店長は転勤や部署の配置転換ができなくはない。各社の人事はすでに対応していると思われる。

 ところが、規模が大きくないチェーンやFC店にとって休業は、1店舗でも堪えるはずだ。売上げ減少はもちろん、固定客が減っていく可能性もある。それでもなくてもECが急激伸びていることを考えると、長期休業は実店舗の存在価値をますます薄れさせる。

 なおさら、スタッフは雇用の確保もままならない。おそらく自宅待機を命じられているはずで、社員ならハローワークで失業給付の申請をする時期ではないだろうか。営業再開の目処が立ったにしても、再投資が厳しければ閉店、撤退になる可能性は高い。スタッフは転職せざるをえないことになる。


 過去20年間、5年周期で都市部を地震が襲っている。この間、有店舗から無店舗販売、さらにオムニチャンネルと、販売スタイルが大きく変わった。そんな中で、各店舗は震災リスクとどう対峙して来たのか。ハード面は耐震基準にそってデベロッパーなどに整備してもらえる。でも、店頭における震災対策になると、そうそう野暮ったい器具を取り付けられるはずもない。

 一旦被災すると店舗の営業再開までにはタイムラグがあるわけで、今回のように器であるSCが長期休業に追い込まれると、いかんともしがたい。そうした有事に際して、ソフト面でどう対応していくか。

 テナント出店している場合に店舗に立ち入れず、商品を持ち出せない時はどうするのか。仮に持ち出せても什器転倒によるキズ、天井の落下による汚れが生じているとどうするか。仕入れた在庫はどう処理するのか。SCのような器が閉館した場合、どこかで営業を続けることはできないか等々。デベロッパーとの出店契約の中に規定されている部分もあるだろうが、商品の所有権はあくまで店側にあるのだから、考えておかなければならないことはたくさんある。

 念のために説明しておけば、一般住宅が地震保険に加入していれば、衣服がハンガーごと床に倒れたとか、衣服にコップの水が少しかかったなどの場合、見た目にはほとんど損害が無くても保険金は支払われる(被害程度で区分はあるが)。店舗の場合は地震保険の対象にはならないが、保険の観点からすれば商品が地震でちょっと埃を被ったり、ハンガーからフロアに落下しても、「災害による損失」と解釈できるのである。つまり、被災商品となるのだ。

 一方で、これだけユーズド市場が確立していることを考えると、商品に多少の「瑕疵」が生じても、商品自体にブランド価値があったり、販売するショップにロイヤリティがあれば、お客にとって購入は吝かではないと思う。

 震災が発生する度に、「ご当地の商材を購入して支援してほしい」とのキャンペーンが持ち上がる。確かに食材などではそれが可能だ。衣料品については本社や経営者の判断に委ねられると思うが、被災したB級の衣料品の後処理をどうするかについても、業界全体で議論してもいいのではないか。

 1996年の阪神大震災時には、被災したブランド店の商品を目当てに火事場泥棒が横行し、自警団が結成されたという報道があった。そうした状況を考えると、合法だろうが非合法だろうが、ブランド価値があるものは瑕疵が生じても売れるし、買いたい。これがマーケットの共通認識とみて間違いない。だからこそ、被災した商品を買ってもらうことで、被災地の店舗を応援するということにもつながるはずである。

 今回、被災した鶴屋百貨店は、2~6階を占める衣料品フロアの再開に1ヵ月以上を擁している。報道には、「古い建物で増築してきており、つなぎ目部分の壁が剥がれたり、天井が崩落したり。エレベーター塔も被災し使用不能で、補修や点検に時間がかかった」とあった。

 ただ、肝心な商品の状態については、全く公表されていない。百貨店だから商品は買い取っておらず、売場に並んでいる時点ではメーカーや問屋の所有である。また、被災した商品を仕分けし棚卸しを行わないと、損害額を算定することはできない。だから、詳細は公表できないとの理屈も成り立つ。

 しかし、信用を大事にする百貨店が被災した商品を全てチェックし、見た目に瑕疵がないからといって営業再開後にそのまま販売するだろうか。クレームなど万一のリスクも考えるはずである。被災した、被災していない商品を声高に叫ぶことなく、メーカーにこっそり引き取らせるのは容易に想像できることだ。

 今回のケースでは地震発生が4月半ばだから、売場に並ぶ商品の大半は春物である。現在は6月なので通常ならほとんど夏物に切り替わる。長期休業したことで、逆に商品の入れ替えには好都合だったということもできる。

 だから、営業再開に時間がかかったのは、こうした問題でメーカー各社との調整に手間取ったと考えられなくもない。それが結果的には時間稼ぎになったわけだが。メーカーにすればそうした商品をファミリーセールで販売したり、まさにアウトレットで現金化するなどの後処理は、当然のこととして考えるだろう。

 しかし、その時点まで来ると、お客は被災した商品とはわからない。ならば、1ヵ月以上の休業期間に何らかの対応をしてもよかったのではないかと思う。これはビルインで被災したテナントの方が切実に考えなければならない問題である。

 余談だが、今回の地震で被災したあるディスカウントストアでは、棚や什器から落下したり転倒したりで一部が損傷した商品を「半額」で販売していた。これがよく売れていたから、やはりお客は価格には敏感ということである。

 業界系メディアには、「新品と古着、消える境目」「2次流通の可能性とは」なんて見出しが踊っている。古着に対するネガティブな考えが変化し、堂々とマーケットができ上がっていることを暗示させる。穿った言い方をすれば、多少の汚れ、キズ、煙草の臭い、体臭があろうと、売る側はノークレーム、ノーリターンを堂々と掲げて販売し、買う側は自分の好きなアイテム、ブランドなら気にしないことが常識化したとも言えるだろう。

 それについては「若者の認識だから可能」という意見もあるだろう。しかし、被災地を支援する気持ちは大人も変わりない。多少の瑕疵があっても、着ることに十分足りるなら、購入は吝かではないはずである。大事なことは、被災した商品をいかに現金化して、キャッシュフローを増やし、復興への道筋をつけることではないのか。

 現在ではアウトレット用に製造した有名ブランドがあからさまに流通している。プロパー店に並ぶ商品の中には被災したと言っても、真性のレアブランドもあるだろう。震災が起きなければ堂々と正価で売られていた商品である。震災が頻繁に発生していることを考えると、古着云々だけでなく、こうした商品をどう処理していくかについて、業界での議論があってもいいのではないかと思う。

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コートが売れないわけ。

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 秋冬の展示会がラストになっている。昨年は暖冬でアウター、特にコートが非常に苦戦した。でも、専門店系アパレルは目新しいデザインなら売れると踏んだのか。各社とも「秋冬のアウターはコートよ」と、ばかりにいろんな商品を打ち出している。


 アパレル側が企画に力を入れると、この時期よりさらに前に生地を調達し、そこからイメージを仕上げ、サンプルを作って展示会に臨むことになる。だから、季節変動に対応しにくいアイテムだ。小売りのバイヤーにしてみると、この時期に自分は「これ、イイね」と思っても、オンシーズンになって売場に展開するとなると、いろんな外部要因が影響して思い通りにお客が動くかどうかはわからない。売れると数字は伸びるが、外すと在庫になって非常に売りにくい商品だ。


 そして、アパレルも小売りも、翌シーズンを迎えると、一応前年のデータに触れるものの、前年のことは忘れたかのようにまた企画に打ち込み、展示会に出かけていく。一昨年も昨年も今年も、そして来年も再来年も、ずっとその繰り返しを続けるだけ。皆が成功も失敗もいろいろ経験してはいるんだけど、秋冬アウターが一番リスキーなことに変わりはないのである。


 そんなことを思いながら、各社のアウターを巡って見てみた。今シーズンのイチ押しといっても、全く新しいデザインを起こしたものは少ない。過去にヒットしたいろんなアイテムのディテールを上手く取り入れて、今年風にアレンジしたものが目立った。


 昨年にリバイバルしたボンバージャケットを長めにしたものを発表したところもあった。果たして売れるのだろうか。昨年、ボンバージャケットについて書いた時、一家言をもつミリオタやボンバー心酔の諸兄が書き込みをしてきた。自分のカテゴリーだから意見したいというメンタリティは、やはりメンズ特有なものだろう。


 しかし、レディスに関しては単なる一過性のトレンドにしかなりえない。他社が全く発表していないシーズンなら毛色が変わって面白かっただろうが、今年はどうだろうか。中高生の街着って言われないとも限らない。


 今年風ではシルエットで見せるというより、テキスタイルで変化をつけようと言う企画が見られた。昨年は太めやトラペーズラインのシルエットで、ポンチョを押し出すメーカーもあった。今年は幾何学模様やブランケット柄を使って大胆に主張するアイテムが登場していた。

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 アウターは防寒アイテムだから、長時間の外にいるということを前提にする。それなら、地方の車社会ではそれほど必要とされない。だから、ちょっとコンビニに出かける時に羽織ってほしいという打ち出し。その点は昨年同様かもしれない。


 一方で、かちっとしたテーラー風の仕立てで行くにしても、もともとアウターは無地が主体だから変わり目がしない。そこで、フラットにならないように同素材で色違いのパーツを接いだもの、グラデーションダイの素材を用いて変化を出すなどの工夫も見られた。やはり色柄、素材が変わると新鮮に感じるから、バイヤーもじっくり検討しているように感じた。


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 あとは、ここ数年のコンテンポラリーテイストに見られたエフォートレスやミニマルも健在のようだ。若干、後追い企画のような感じでもないが、SPAのようなコストダウンしたコピーではなく、質感をキープした素材使いで差別化したアイテムもある。レディスのトレンドはヤングから浸透し、やがてミセスに波及する。


 とすれば、今年は中高年にバルーンっぽいコートが受けてもいいはずだが、太って見えるという抵抗感をいかに打ち消す着こなしやコーディネートがカギになると思う。

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 専門店系アパレルがつくるアウターは、SPAのような知名度、ブランド力はないため、企画力や素材感で勝負するしかない。ただ、価格的にこなれていないと、市場に出た時になかなか勝負できない。世界的なコスト上昇で、原材料費は高騰している。アパレル側は合繊混紡や新素材を投入できるような素材調達力も持ち得ない。


 テキスタイルメーカーやコンバーターが提案するものの中から、選んで企画するしかないのである。それがオンシーズンの1年前なのだから、企画スタッフにはリスキー以上の辛さがあるだろう。アウターのサンプルを見ていると、そんな葛藤のもとに商品が生み出されているのではないかと、感じられた。そこがアパレルの正念場でもあるのだが。


 コートになると、暖冬がもろ売れ行きに関わってくるから、薄手の素材を使うところも少なくない。ところが、そうなると「落ち感」が関係する。昨年も書いたが、この落ち感をどうクリエーションにするかが企画の妙だし、デザイナーのセンスでもある。日本人が外国人に比べると体型が平板なので、アウターにはボリュームを出したくなる。


 でも、それが引力の法則で落ちでしまえば、着物のようにストンとしてしまう。切り替えや接ぎをどうするか、どこにダーツを入れるか、ウエストマークなどをどう駆使するか。その塩梅がアウターの企画には現れてくる。決してテキスタイルだけでは解決できない課題でもあると思う。


 しかし、気候だけにはアパレルも小売りも勝てない。今年も暖冬になれば、羽織系を除いてはなかなかお客の心をつかむとまでは行かない。 いい加減、ライトなダウンジャケットは陳腐化しているはずで、今さら新規に買う人も少ないだろう。 その辺の暖冬対策を考えた結果、コットンギャバなどの厚手の生地に加工を施したもので、冬を飛び越え春先まで引っ張るほうが無難になる。


 ただ、そうなると、フラットで定番的なデザインになってしまう。やはり、コートが売れない理由を暖冬のせいするだけでなくて、固定観念の洗い出しをすることが不可欠なのではないか。サンプルを見て考えたキーワードを挙げるとすれば、


●暖冬→合繊


●オーバー→ライト


●無地→柄、組織変化


●生地ありき→生地開発


●足し算→引き算


など、だろうか。


 コート=上質という考えはあるが、繊維の質が上がっていること。数年で買い足しを考えると合繊もありかなと思う。柄や組織変化を考えるなら、ポリエステルジャカードなんかの柄出しも面白い。ライトなコートならボリとビスコース、アクリルの混紡、ウールポリの混紡など。染めや柄で遊ぶなら生地開発から取り組む必要もありだ。


 ヘビーにならないデザインもある。袖無し、襟無しのジレだ。ジレはベストのような前開きを想像するが、プルオーバーにしてスリットを入れるなど工夫すれば、変化がでると思う。ここまで来ると、アウターというよりルームウエアの延長線だろうか。

 

 個人的には今年はガツンと寒くなって、颯爽とコートを着たカッコいい女性が街を闊歩する姿を見たいものである。それはアパレル、バイヤーにとってはなおさらではないか。ただ、数を売ろうとか、高い商品を売ろうとすれば、失敗するのは目に見えている。あのお客さんなら着てくれると、具体的に顔と人数が浮かべば、それを適性規模として品揃えに反映すればいい。


 さて、アパレル各社はどれほどの発注を受けたのだろうか。答えは冬の街が教えてくれる。

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