2016年08月30日

おしらせ

本日の更新 (715-306 〜 715-313) は

( ´∀`)つ コチラ

moonchild4 at 04:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

X60-107

2012-12-23230砲台設立の経緯を記す案内板もあった。

moonchild4 at 04:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月29日

X60-106

2012-12-23229こちらは今回見ることができなかった"鶴見崎第二砲台"。鶴御崎園地展望台のすぐ下にある。

moonchild4 at 08:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月28日

X60-105

2012-12-23228こちらの資料を見ると、"鶴見崎砲台"の構造がよくわかる。

これによると、現在いる場所は明治期から海軍が整備した"海軍聴測隊"、先ほど見てきた砲台跡や観測所は太平洋戦争期に陸軍が整備した"鶴見崎砲台"であることがわかる。

ここまでの記事をこの地図に照らし合わせて見返すと、兵舎跡などの位置関係を確認することができるだろう。これによると、先ほどX60-86地点で見た謎の石柱は、"士官宿舎"の痕跡と思われる。

moonchild4 at 20:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月27日

X60-104

2012-12-23227それでも、壁にはいろいろな資料が掲示されている。

こちらは"豊予要塞"の構想図。敵艦隊を挟撃しようする計画がよくわかる。高島がキモだ。

moonchild4 at 22:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月25日

X60-103

2012-12-23222カウンターに向かって右手にある部屋。

頭上の高窓から明るい陽射しが射しこんでいるが、気持ちは一向に晴れてこない。じめじめと居心地の悪い雰囲気だ。

どちらかというと、廃墟訪問に近い。

moonchild4 at 18:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月24日

X60-102

2012-12-23224正面に掲げられているパネルは、なぜか水の子島灯台と資料館の説明となっている。

moonchild4 at 00:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月23日

X60-101

BlogPaintカウンターには記帳があった。こんな場所でも、訪れる人は途切れずいるようだ。

moonchild4 at 10:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月22日

X60-100

2012-12-23221内部は、見た者を躊躇させる状況だった。

入口から入ってすぐ、正面には受付用のカウンターが備えられているが、当然のようにそこには人がいない。代わりに鎮座するのは…まねき猫?

ちなみに、このカウンターの向こう側にはスペースがありそうだ。白く塗られたブロック塀で目隠ししているようだ。

この状態になってから、いったいどのくらいの時間が経過しているのだろう?カギもかかっておらず、いつでも誰でも入れる状況だ。壁もカウンターも、くたびれ果てている。

…いやな予感しかしない。

moonchild4 at 23:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月21日

X60-99

2012-12-23216いよいよ"本丸"の入口に立つ。

入口は、風防室付きの全面ガラス戸であった。
一見、公衆電話のようにも見えるそれは、"負の遺産"というべき戦争遺構を、わざと明るいペンキで塗り潰すようなデザイン。

悪い冗談のように不釣り合いで、一周廻って恐怖感を抱かせる。

人の気配は全くない。
ガラス戸を押してみると、カギはかかっておらず、簡単に開く。

管理は大丈夫なのか、と一抹の不安を抱きながら足を踏み入れてみた。

moonchild4 at 20:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月20日

X60-98

2012-12-23220こちらが壁の模様…



…うん。

…きもちわるい。

moonchild4 at 21:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月18日

X60-97

2012-12-23219つっこむべきは、その記念碑の裏に隠されたこいつだ。

浅くくぼんだこの構造物は、玉石を混ぜたコンクリート製のようだ。その上から"豊予要塞"の軍事施設でよく見る"うろこ状"の装飾が施されている。迷彩塗装が残るそれは、見た目にちょっと気持ち悪い。このうろこ状装飾には、太陽からの光線が照り返すのを防ぐ役割があるらしい。

内部は白く塗られたコンクリートの壁だ。足元を見ると、鉄骨の骨が2本、上に向かって生えている。これを日本軍が造ったのは間違いないと思うが、用途は何だったのだろう?

moonchild4 at 17:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月17日

X60-96

2012-12-23218石碑は、大分県道604号線からバトンを受け、鶴見崎へ向かう道として造成されたこの道路の竣工記念碑だった。

記念碑によると、この道路は昭和55年に自衛隊の手によって完成したとのこと。道路の名前は"鶴御崎燈台開設道路"だ。その名の示すように、昭和56年に初めて点灯されたこの"鶴御崎灯台"の工事用道路として開設されたようだ。

自衛隊が開設した道路は、全国にたくさんあるが、この道路が自衛隊によって造成されたのには深い理由があるのかもしれない。もともとこの一帯が戦時中陸軍によって豊予要塞として整備された場所であり、さらに鶴御崎燈台は旧日本海軍が明治27年に設置した望楼(観測所)の真上に設置されている。古くから日本軍との関連が深い場所であり、おそらく"鶴見崎燈台開設道路"は、戦前・戦中に海軍や陸軍が整備して利用してきた軍用道路を下敷きとしている可能性が濃いものと考えるからだ。

moonchild4 at 22:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年08月16日

X60-95

2012-12-23217灯台へ向かうべく、石垣を登ると大きな石碑があった。その裏には謎の構造物が…

つっこみどころ満載だ。

moonchild4 at 23:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file 

2016年08月15日

X60-94

2012-12-23215見上げれば、純白に塗られた灯台がある。

灯台は、城壁のような石垣の上に建っている。

moonchild4 at 20:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)X-file