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2011年06月02日

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99aee282.jpg幸崎駅の島式ホームへ降り立つ。写真は臼杵・宮崎方面を見ている。ホーム幅が広く距離も意外と長い。

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2011年06月01日

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20494a43.jpg改札口を抜けると、すぐに跨線橋を上り、島式ホームへと渡る。写真は、その跨線橋から大分方面を見下ろしたところ。意外と線路が多い。かつての貨物ヤードの名残だろうか。

一番右手の錆付いたレールは現在使われていない待避線で、他のどの線路にも繋がっていない。その左は、1番線。島式ホームを挟んでその左が2番線。そしてそのさらに左側が3番線だ。

日鉱幸崎駅は、駅舎側に隣接しており、右手の駐車場の向こう側にあったらしい。

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954cd928.jpg駅舎内は、窓口と小さな待合室がある。この駅は業務委託駅で、日中は駅員が常駐している。正面の引き戸を抜けると、ホームへ向かうことができる。

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9921fd7e.jpgそれでは、引き戸を開けて駅の中へ入ってみよう。

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b3b02cbb.jpgちょっと引いて撮ってみた。

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1bf55fa3.jpg佐賀関線の旅、始まりはこちら。JR幸崎駅だ。開業した大正3年以来使われていた駅舎は、平成21年にごらんの駅舎へ建て替えられた。

この駅構内に隣接する形で、佐賀関線の日鉱幸崎駅は設置されていた。

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2011年05月31日

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e299c346.jpg大分県の中部から南部にかけて、大分市から佐伯市蒲江に至るまで、海岸線は入り組んだリアス式地形を成している。その一番北、瀬戸内海へ際立って突き出している半島がある。佐賀関半島と呼ばれ、その先端にはさらに海へスペード型に突き出している。スペードの根っこにあたるところに旧佐賀関町の役場があり、日鉱金属佐賀関精錬所がある。

日鉱佐賀関の工場は大正5年操業と、その歴史は古い。主に銅を精錬する工場で、ここの煙突は当時"東洋一"と呼ばれたほどその高さを誇っていた。かつて、その佐賀関精錬所と最寄の日豊本線幸崎駅を結ぶ軽便鉄道が走っていた。今回ご紹介する日本鉱業佐賀関鉄道である。

日本鉱業佐賀関鉄道が計画されたのは、戦時中の昭和18年。戦争の激化で海路が使えなくなったため、代替手段として誕生した。昭和19年には着工されたのだが、完成・開業するには戦後の昭和21年を待たねばならなかった。

延長9.1km。全線単線非電化で、762mmの軽便規格の線路の上を女性車掌を乗せたディーゼルカーが走っていた。駅は全部で9駅。旧国鉄からの鉱石運搬はもちろん、途中の大志生木や古宮に建設された巨大社宅団地からの通勤・通学の足として大いに利用されていた。しかし、昭和35年の貨物廃止以降急激に経営が悪化し、わずか3年後の昭和38年に全線廃止の運命となった。開業から廃止まで、たった17年しか走らなかった薄命の鉄道である。

写真は、沿線から眺める佐賀関精錬所の風景。煙突が二本見えるが、奥の無塗装の煙突が"東洋一"と呼ばれた旧煙突、手前がその後建てられた新煙突だ。

今回、この佐賀関鉄道跡をJR幸崎駅から佐賀関へ向けて歩いてみた。

逝ってみよ。

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2010年07月04日

X31-1 平淵第一隧道

8adad86c.jpg大分県杵築市の中心部と国道10号線とを結ぶ大分県道644号藤原杵築線。沿道にはJR杵築駅がある。その杵築駅と国道10号線との間の区間、現在は鉄道線と併走して直線区間となっているが、古い地形図を見ると、かつては蛇行する八坂川の流れに沿って大きく迂回するルートを走っていたことがわかる。そこに2本の短い隧道が描かれている。平淵第一隧道と同第二隧道である。向かって右側が第一隧道、左側が第二隧道だ。

この隧道に関しては、数々の先輩オブローダー諸氏によって踏破され、ネット上にもその詳細が掲載されているので目にされたかたも少なくないだろう。リンクさせていただいている方々だけでも、しろ氏TEC氏海苔氏らが報告されている。中でも、TEC氏は6ページ+1(second edition)に亘る長編を上梓されており、後日談が非常に充実している。

この隧道のプロフィールについては、僕が調べても到底その情報量に追いつかないので、ここは潔く諦めて、TEC氏が汗と涙(と酒)で入手した貴重な情報を勝手に引用させて頂く事にする。

この大分県道644号線旧道に当たる道は、古くは街道筋であったらしく、この平淵隧道も少なくとも明治期末期には存在していたようだ。昭和中期に拡幅・改修工事が行われている。昭和46年に、蛇行する八坂川を2本の橋でショートカットする現在の新道が完成し、旧道は以後杵築市道/日出町道に格下げされて使用されていた。しかし、急峻な川に落ち込む崖上に敷かれた道だっただけに、昭和51年土砂崩落が発生。車両通行困難となったが、その後復旧されることなく現在に至り、結果完全に廃道化してしまった、とのことだ。

実はこの隧道を訪れるのは2回目だ。1度目は、平成21年のゴールデンウィークに参加したOFF会であったが、その時はあいにく旧道を通り抜けることが出来なかった。今回、旧道を杵築側から赤松(国道)側へ踏破すべく再び向かうことにした。

その結果は果たして…

逝ってみた

※掲載した地形図は、「国土地理院発行/明治36年測昭和2年要部修正測/5万分の1地形図/豊後杵築」の一部を抜粋・加工したものです。
※この記事には、一部TEC氏の公開した情報を本人の事前承諾も得ずに書いてしまった部分が含まれています。

→この記事は、大分県道644号線に編入しました。

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2010年05月15日

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10-02-10_11-161反対側の抗口に出た。振り返ってみると、こちら側はコンクリート製の抗門になっていた。扁額がついており、それで初めてこの隧道が"ワケド"という変わった名前であることがわかった。"ワケド"にも由来はあるのだろうが、扁額にはカタカナで書かれている。

この隧道の先は、民家が数件あるだけだ。この隧道は、もっぱらこの住民たちが行き来するのに使われているらしい。道も民家の手前で終わりになり、その先は未舗装の林道に変わる。ワケド隧道への道を分岐する大分県道688号線は、もともとは祖母山系の切り出した木材を運ぶために敷設された長谷川森林鉄道の鉄道跡を利用して、車道化したもののようだ。

もしかしたら、この隧道も、実は森林鉄道由来のものなのかもしれない。

moonchild4 at 21:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

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10-02-10_11-14出口の方へ向かうと、途中から内壁がコンクリートに変わった。もともとは素彫りに違いないだろうが、後に補強工事が行われたらしい。長さは5〜60mくらいか。

moonchild4 at 20:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)