538号線
2017年11月08日
538-23 宇佐駅(18)
昭和40年まで、左側のホームのさらに向こう側に、"宇佐参宮線"のホームがあった。
"宇佐三宮鉄道"の目指すべき宇佐神宮は、この写真の右手後方に位置する。そのため宇佐駅を出た宇佐参宮鉄道は、どうしてもこの日豊本線の線路をまたがなければならなかった。そのため、築かれたのが有名な"大築堤"である。
線路は日豊本線に横付けしていて越えるには近すぎるため、一旦左に大きく振ってから右へ切り返し、大規模な築堤で十分高度を稼いだところで国鉄を越えていた。この築堤への上り坂は結構な勾配がついており、機関士泣かせだったらしい。
"宇佐三宮鉄道"の目指すべき宇佐神宮は、この写真の右手後方に位置する。そのため宇佐駅を出た宇佐参宮鉄道は、どうしてもこの日豊本線の線路をまたがなければならなかった。そのため、築かれたのが有名な"大築堤"である。
線路は日豊本線に横付けしていて越えるには近すぎるため、一旦左に大きく振ってから右へ切り返し、大規模な築堤で十分高度を稼いだところで国鉄を越えていた。この築堤への上り坂は結構な勾配がついており、機関士泣かせだったらしい。
moonchild5 at 22:06|Permalink│Comments(0)│
538-21 宇佐駅(16)
宇佐駅の駅名標だ。
宇佐がローマ字で"USA"となるのにちなみ、アメリカ国旗に似せたイラストサインを採用したことがちょっとした話題となった。よく見るとイラストにアメリカの要素は全く無く、それどころか日本語で"八幡総本山宇佐神宮"と書かれている。なかなか秀逸なデザインだが、これはJR職員が洒落っ気で描いたとか。
宇佐がローマ字で"USA"となるのにちなみ、アメリカ国旗に似せたイラストサインを採用したことがちょっとした話題となった。よく見るとイラストにアメリカの要素は全く無く、それどころか日本語で"八幡総本山宇佐神宮"と書かれている。なかなか秀逸なデザインだが、これはJR職員が洒落っ気で描いたとか。
moonchild5 at 21:46|Permalink│Comments(0)│
538-19 宇佐駅(14)
同地点。大分方面を見れば、2番・3番線ホームに渡る跨線橋がある。
実は、かつて3番線ホームのさらに外側にもうひとつホームがあり、跨線橋で結ばれれていた。豊後高田と宇佐神宮を結んでいた、"宇佐参宮鉄道(のち大分交通宇佐参宮線)"である。宇佐参宮線については、すでに大分県道23号線のレポで報告しているので興味があればご参照頂きたい。
宇佐参宮鉄道は、国鉄のルートから外れて取り残された、豊後高田と国鉄宇佐駅、そして宇佐神宮を結ぶために大正5年に開業した。豊後高田を出ると国鉄宇佐駅を有名な大築堤で越え、寄藻川に沿って宇佐神宮へ入っていた。昭和20年に戦時中の企業合併で大分交通宇佐参宮線となったが、旅客数の減少により昭和40年に廃止となった。
実は、かつて3番線ホームのさらに外側にもうひとつホームがあり、跨線橋で結ばれれていた。豊後高田と宇佐神宮を結んでいた、"宇佐参宮鉄道(のち大分交通宇佐参宮線)"である。宇佐参宮線については、すでに大分県道23号線のレポで報告しているので興味があればご参照頂きたい。
宇佐参宮鉄道は、国鉄のルートから外れて取り残された、豊後高田と国鉄宇佐駅、そして宇佐神宮を結ぶために大正5年に開業した。豊後高田を出ると国鉄宇佐駅を有名な大築堤で越え、寄藻川に沿って宇佐神宮へ入っていた。昭和20年に戦時中の企業合併で大分交通宇佐参宮線となったが、旅客数の減少により昭和40年に廃止となった。
moonchild5 at 21:41|Permalink│Comments(0)│
2017年11月07日
538-17 宇佐駅(12)
こちらも同じ駅前旅館の様子だが、3階建てとなっている。キャプションには"昭和9年"とある。
そういえば、前項の写真をよく見ると左側に改築した跡がみられる。538-16の写真の方が新しく、あとで2階建てとなったようだ。"御旅館"の看板は3階から下ろされて再利用されているようだ。
そういえば、前項の写真をよく見ると左側に改築した跡がみられる。538-16の写真の方が新しく、あとで2階建てとなったようだ。"御旅館"の看板は3階から下ろされて再利用されているようだ。
moonchild5 at 10:41|Permalink│Comments(0)│