hurarism voyage

朝の風景

  • 2013年10月31日
R0017808
 今まで一体いくつの街で朝を迎えてきただろう。 青白い空に無数の小さな煙突が浮かび上がるパリ。窓を開けると目の前にアルプスの山々が迫るシャモニー。長い朝焼けを車窓から楽しんだノルマンディー。いつ暮れたわからないまま白夜が明けたタリン。お祈りを呼びかける放送が街中に響くマラケシュ。ヒンヤリとした石畳に軽やかな馬の蹄が響くセビージャ。霧に包まれたリスボン。すっかりくたびれて家路につく人と、新しい一日を動き出した人が交錯する新宿。バスの中から真っ赤な日の出を眺めていたクライストチャーチ。  

 そして今、朝が来る度にその美しさを実感できる部屋にいる。両親が朝のニュースを見ながら食事をとる音が遠くでかすかに聞こえ、老いた白描と若い黒猫がベッドの脇で寝息をたてている。
 私の部屋にはカーテンがない。窓の外には大きなセンダンとタブの木が枝を伸ばしていてその向こうには低くなった土地に水田が広がっている。つまり外から覗かれる心配のない高台にある。

  目が覚めた瞬間に全てがはっきり見えると言う事はどういった感覚なのか、もう忘れてしまった。朝はぼやけた視界から始まり、まるでボナールやルノワールの絵画のように淡い世界が私を迎える。
 木々の隙間からはオレンジの光が差し込み部屋をまだら模様に染める。横になったまま眼鏡を探し、今度は輪郭の定まった朝の光景を捕まえる。

  子供の頃、旅館やホテルで目を覚ますと、いつも何とも言えない気持ちになった。友達や親戚の家でもそう。誰にとっても朝は行動の流れがもっとも確立された時間帯で、それは一日を過ごす上でとても重要なものだったりする。
 あまりに色んな場所で朝を迎える様になって随分慣れたけれど、思春期や都会で忙しく働いている時期は、朝の過ごし方を失敗すると一日中影響を引きずっていた。 体調や集中力を整える為に過敏になりすぎて、高校生の頃なんて朝の五時に起きてリズムを整えなければ学校に行けなかった。学校につく頃には眠くなって勉強に集中なんてできないのだけれど。

 どこにいても自分の居場所ではない気がして旅を続けてきた。ここに留まりたいと思う場所もあった。自分の身体や気持ちがとても健全でいられる場所も。でも育ってきたこの家よりも素晴らしい朝を迎えられる場所はどこにもなかった。今ここにいる事は私の意思だけれど、それは理由があるからで、本望かというと違う。けれど久しぶりにこの朝を味わっているうちに、帰る場所ならあったんだとちゃんと思える様になった。ちゃんと。
 それだけでもじゅうぶん、旅をしてきた意義がある。

f

  • 2013年10月10日
R0017151

R0017150

R0017157

R0017179

R0017172

R0017242

R0017248

SAKURA 2013

  • 2013年10月10日
R00180922

R0018169

R0018144

R0018130
 

パリの住人

  • 2012年11月29日

R0013115

 華の都、芸術の都、光の都・・・パリを賞賛する眩い麗句の数々。確かに、パリは美しい。初めてこの地に足を踏み入れた時、こんなに美しい街があるのかと驚いた。未だにシャルル・ド・ゴールからロワシーバスで市内に入る度に顔がほころぶ。パリから出るときは
RERやエールフランスバスを使ったりもするけれど、パリに入る時は可能なかぎりロワシーバスを使う。だだっ広い空港周辺から、1998年、自国開催のワールドカップでサッカーフランス代表が初めての栄冠を勝ち取ったスタッド・ドゥ・フランスを過ぎ、モンマルトルの丘にそびえるサクレ・クール寺院を眺め、緑に囲まれた通りを抜けて行くと、パリの生活が見えて来る。そしてバスは豪華絢爛たるオペラ・ガルニエの裏手で停車し、旅人はパリの地を踏む。


 2500年もの歴史の中できっと数えきれない程の旅人を虜にしてきたパリ。  しかし一歩観光地を離れると、この街の汚れに気がつかないという人もまたいないだろう。何世紀前からこびりついているのか解らないような粉塵や「自由」の域をとうにはみ出した落書き。走るメトロの車窓から目にする闇は、私の知るどの街よりも暗く陰鬱だ。投げ捨てられた無数の吸い殻、踏まずに歩くなど不可能なほどにまき散らされた犬の糞尿。いや、全てを犬の犯行とするのは軽卒だったか、という光景を目にする事もあるかもしれない。犯行現場にいたのは正真正銘のホモサピエンスだったり。


 パリは地区ごとに表情を持っている。地区どころか通りごとにもそれぞれの顔がある。
 メトロ4番線のシャトー・ドー駅を降りるとそこはさながら違う大陸。アジア人や観光客どころか白人やアラブ系すらいない。暇を持て余した(としか思えない)男達はメトロの出口を取り囲み、階段を上ってくる人々を値踏みでもしているかのように見下ろしている。通りに連なるアフリカ系の床屋の前にはまさに黒い人垣ができていて、車が巻き起こした風で道路脇のゴミが右往左往している。この辺りは古くからの娼婦街だったそうで、一種独特の雰囲気を漂わせている。警察官を見かける事も多く、住民同士のトラブルで物騒な事件も起きていたけれど、マルセイユに似た猥雑さが何ともパワフルで人間的。観光客や女性の一人歩きには決してオススメできないエリアなのだけれど…。

 このシャトー・ドーの駅前に床を構える一人のムッシュがいた。大柄な中年男性で、いつもショッキングピンクのテンガロハットを顔に乗せ、アフリカの大地で昼寝をしているかのような威風堂々とした佇まいで道路に寝ていた。道路脇や建物の軒先に陣取っている路上生活者は珍しくないけれど、彼は歩道のど真ん中を自分の居場所と定めていた。見かけるのはたいてい日中で、夜はいない事が多い。膝下に冷気を感じる冬の朝、既に出勤してきて氷のようなアスファルトに横たわる彼の姿を見た時には、遠巻きながら呼吸を確認してしまった。何の為に?どうしてわざわざ?そんな事、こちらが気にしてもしょうがない。私には理解のできない何かが彼にはあるのだから。


 道ばたの住人達にはそこに居るそれぞれの理由があるのだろうけど、もしもあなたがパリでしばらく生活をするチャンスがあるならば、顔見知りの一人二人はすぐにできるだろう。彼らはあなたがお金を下ろすATMの脇に陣取って小銭をせびるかもしれない。あなたが熱々のバゲットを買ってパン屋の扉を開けると、そこで悲痛な顔をして待ち構えているかもしれない。あなたが仕事や学校から夜遅く帰ると、彼らはきっといつもの駅のいつもの場所で、いつものお布団をかぶって就寝している事だろう。雨が降るといつもは地上にいる彼らは早々に寝床に引っ込み、駅は異臭を放つ人々で混雑する。
 いつもの場所にいるいつもの「あの人」がいなくなると心配になり、翌日戻ってきた姿をみて安心したりもする。彼らが新しい毛布や靴を手に入れているとあなたは目ざとく気付くだろうし、いつもの駅ではない場所で見かけると、友達にばったり会ったような嬉しい気持ちになったりもする。


 フランスに滞在していた一年のうち半年間、私は地方で生活していた。しばらくぶりに戻ったパリで時間の流れを感じさせたのは、ショートヘアだったなじみ(もちろんこちらから一方的に)のおばさんの髪が伸びてライオネルリッチーばりのアフロになっていたことだった。

 彼らが善良な人間なのか危険な人間なのかは分からない。彼らがそこにいる事は誰にとっても良い事ではないのだろうと想像はできる。けれども知り合いの少ない異邦人にとって見慣れた顔がいつもそこにある事は、どんよりとした冬のパリで、少しだけ孤独をまぎらわす手助けをしてくれていた。


 彼らの一部はアフガニスタンから逃げてきた人々だという話を聞いた。戦争で国を追われた人々がすぐ隣で生活しているかもしれないという妙なリアリティ程、私に海外生活を実感させたものはなかった。本人達に聞いたわけではないので真偽は分からない。けれどもそれが「有り得ない」事ではないのが、ヨーロッパであり、フランスであり、パリ。様々な理由によって導かれた私達は、巨大なエスカルゴの中で一時、パリの住人としてすれ違う隣人同士だった。

 

R0016696

 


白いスニーカー

  • 2012年09月30日
父の夢をみた。
父と手を繋いで歩く夢。
私達は川沿いを歩いていて、濁った川にはイルカが泳いでいた。
物心ついてから父と手を繋いで歩いた記憶なんて、ない。



祖母の事を思い出した。
祖母と初めて手を繋いで歩いたときの事を。
それも、物心ついてから、という事だけれど。
祖母は亡くなる5年くらい前、庭掃除をしていて転んだ。
よぼよぼの見かけに寄らず健脚な人だったけれど、それ以来
すっかり足腰が弱ってしまった。

ある年のお正月、宮崎の鵜戸神宮へ初詣に行った私達は
いつものように駐車場から伸びる海沿いの参道を歩いていた。
祖母の歩みは遅く、ちょこんと押せば倒れてしまうような
弱い生き物になってしまった気がした。
私は祖母のハンドバックを持ってやり
少し照れくさい気もしたけれど祖母の手を取った。
祖母は嬉しそうな、恥ずかしそうな顔をして
「こんなばあちゃんと手を繋ぐのなんて恥ずかしいでしょう。」
と言った。

それからは祖母とよく手を繋ぐようになった。
祖母の手は私と良く似ていた。
私よりも幾分か女らしい形をしていたけれど。


昨年、妹の結婚式で、父の衰えをひしひしと感じた。
父は母よりも一回り年上で、年が明ければすぐに71歳になる。
昔は家族みんなで向かっていってもとうてい太刀打ちできない
頑固でたくましい「九州男児」を絵に描いたような人だったけれど
時間は過ぎ、父はすっかりおじいちゃんになっていた。

移動のときも、ただ皆の後をついて来る。
スーツに不釣り合いの白いスニーカーを履いている。
大きな荷物も持てず、所在無さげにしている。

父は教師だった。
母が祖父から譲り受けた会社の代表を勤め
自分でいくつかの会社を立ち上げたりもした。
あまり上手くいったとは言えないけれど
何処に出ても(一見)堂々としていて恥ずかしくはなかった。

親族紹介で父は、兄嫁の名前を忘れた。
甥と姪の名前も飛ばした。
あまり美味しくもない料理にしきりに感心し
椅子から立ち上がる時にはよろけていた。

ここ数年、初詣に行っても父は参道を歩く事はない。
もうたった数百メートルを歩く事ができないのだ。

桜木町の駅でゆっくりと小さく歩幅を刻んでいた
父の白いスニーカーを思い出し
父の手を取って歩く日も近いのだろうと思った。



ギャラリー
  • 朝の風景
  • f
  • f
  • f
  • f
  • f
  • f
  • f
  • SAKURA 2013
カテゴリー
  • ライブドアブログ
hurarism voyage