「カタツムリのような生き物の話」(詩)

お前を産み お前を育てた私の元に戻ってきたお前は
私を産み 私を育てたような顔をして 横柄にものを言う
お前が私から産まれたのか 私がお前から産まれたのか
私もお前も忘れてしまったのだから仕方がないとはいえ
生死の繰り返しが環状の個体とみなされる他の生物と違って
産むものと産まれるものとの分節がひとつひとつの個体である人間は
それが親に向かって言うことか とか
お前に育てられた覚えはないわ とか
固有のコミュニケーションによって 
お前と私の違いを確かめられるはずなのに 
それができなくなってしまったお前と私は もはやひとつひとつの個体ではなく
雌雄同体のカタツムリのように ときとばあいに応じて入れ替わる
カタツムリに似たものになった私たち(もはやお前と私ではないのだ)は
カタツムリの殻のような器官にもぐりこみ 
産んだり産まれたりしながら 決して増えることがなく
死滅のときを 雨でも待つように 待っている

短歌の練習14

火星にも団地ができて遠くから布団をたたく音が聞こえる

たすけてという声だけが砂浜にネットの海は死体がなくて

ぜったいになにもしないと伝えてもこころを閉ざすオジギソウたち

しゅわしゅわの炭酸水はたましいで残った瓶はひかる死骸で

朝起きて氷をひとつ口に入れ冷たい息を手のひらに吐く

残された命は一週間だからむさぼるように本を読む蝉

無添加は荒々しくて怖いからいろいろ混ぜて弱らせている

性別がなければないでさびしいとカマキリが言う食べられながら

足音もなく近づいて「わっ」てやるのが幸福のいつもの手口

とめどない仲間はずれの増殖で仲間自体がなくなりました

目くばせに目くばせ返すあなたとは他人なのだと伝えたかった

右肩をこんなに下げる人だっけ恋の終わりが近づいている

煮こごりかそうめんがいい歯ごたえのあるものは今わたしを砕く

欠けているカップのふちが唇に馴染んでしまい捨て損ねてる

「電話」(創作)

お母さんごめんね。お母さんからの電話のあと、わたしは必ず心の中で謝る。電話なんてかけてほしくなかったって思ってるわたしはなんて薄情なんだろう。お母さんが歳をとるから悪いんだよって恨んでるわたしはなんて自分勝手なんだろう。お母さんが、若いころのお母さんのままならよかった。いつもわたしを、ハリのある声で叱咤激励してくれて、あんたの人生なんだから、あんたがなんでも選んで、自由にすればいいのよって背中を押してくれて、未来が明るいと信じさせてくれた頃のお母さんだったら。そしたらわたしはお母さんからの電話を疎んじるどころか心待ちにできたのに。脚が痛いとか、家が売れないとか、父さんが近頃物忘れが激しくてとか、そんな話は聞きたくないの。わたしが、そう遠くない先に抱えなければならないことを、予告するのははやめてほしいの。呼吸が不規則になるの。悲鳴をあげそうになるの。わたしだってお母さんに言いたいの。職を失ったこと。鬱病だと診断されたこと。猫が死んだこと。ともだちからメールの返信がこないこと。赤い大きな月がこわいこと。抱えて欲しいのはわたしのほうなの。わたしはいまや助けてもらう側の人間であって、お母さんを助けてあげることはできないの。心配させたくないから黙ってるだけなの。だからお母さんもわたしを心配させないように黙っていて。電話をかけてこないで。電話をかけるなら、ハリのある声で叱咤激励してよ。あんたの人生なんだから、あんたが選んで自由にすればいいのよって背中を押してよ。未来が明るいと信じさせてよ。お母さんごめんね。お母さんからの電話のあと、わたしは必ず心の中で謝る。お母さんは電話を切ったあと、何を考えているのだろう。わたしが面倒みてくれるって、なんとかしてくれるって安心しているのかしら。ごめんなさい、お母さんを安心させてあげることはわたしにはできないの。結婚もしなかったの。ひとりぼっちなの。それがわたしの選んだ人生なの、お母さんのアドバイス通り、わたしは自由に選んで、その結果わたし自身の面倒を見ることでいっぱいいっぱいな未来を手に入れたの。だからお母さん、もう電話してこないでよ。昔、お母さんが山登りに連れていってくれたことをよく思い出すの。ずっとずっと、大人になっても、お母さんがおばあさんになっても、山登りに行きたいって思ってた。お母さんのことだ好きだったし今も好きよ。でもね、おかあさん、この間、由子おばさんが死んだって電話で教えてくれたでしょ。わたしは体調がわるくて葬儀にはいけなくて、葬儀の日、わたしね、布団の中で、いとこのゆきちゃんのことを、わたしより先に未来のことが自動的に片付いてしまった彼女のことを、うらやましいなって思ってたのよ。ごめんね。お母さん。ごめんね。

短歌の練習13

シャーペンで元カレの家つないだら射手座になった話したっけ

口数の少ないきみの内側の宇宙でいつか遊泳しよう

いい方を選んだはずだでも星は選ばなかった空で輝く

抱きしめて暖めてから離れてくいちばん悪い人だあなたは

ながされずまよわずずっとまっすぐにまちがった道あるき続ける

あたらしい言葉をつくりきみだけに教えてきみと国家をつくる

いやまさかこんな時代がくるなんてオルドビス紀の魚類のことば

このゆびがこれまで何にふれたのかその遍歴も知らずにきみは

もう明日でお別れだねと聞かされて琵琶湖の底の栓を抜く夢

靴底がガムで地面にひっついてどうやらぼくは生きてるらしい

読みかけの本の栞の位置だけが昨日と今日を区分けしている

透明が好きだねみんな濁るってそんなに悪いことなのかしら

つらいときタルトタタンと言ってみてタタンで舌が少し弾むよ

一手ずつ二人で探す新しい天体がまた棋盤の上に

この町は少し寒いねそういえば夏の記憶があまりないんだ

湯を沸かし食塩を溶き嗅いでみる海の匂いとぜんぜんちがう

「僕が神様でなかったせいで」(創作)

小学3年生に進級してふた月後、学校の前にある田んぼには水が張られ、水面は6月の日差しできらきら輝いていた。指を入れるとほんのりあたたかい。植えられたばかりの稲と稲の間を縫うようにオタマジャクシが泳いでいて、オタマジャクシよりも低い位置にはカブトエビがいる。恐竜図鑑でみた三葉虫のような姿や予測できないような不思議な動きに目が離せなくなって夢中で眺めていて、それは本当に夢中という言い方の通り夢の中にいるような気持ちで、特につかまえて裏返したカブトエビの腹部の無数のひれのようなものの動きはいくら見ていても飽きなくて、その時から25年経ったけれど、あの、カブトエビを見ていた小学3年生の6月のあのひととき以上にうっとりできた時間、そんな時間をもたらしてくれるような出来事は、その後一度も起きなかったから、あのひとときが人間の生命のゴールならよかった、と僕はその頃を思い出しては考えるのだった。
僕が神様なら。
小学3年生になるとカブトエビに夢中になっているうちに徐々に意識が遠のいて、多幸感の中で命の灯が消えるような種に、僕が神様なら人間を設計していただろう。かならず設計していただろう。僕が神様なら。僕が神様でなかったせいで多くの人間たちは小学校3年生で幸福な生を全うすることができず、それどころか30歳を超えても正社員になれずに派遣先で名簿をパソコンに入力するくだらない仕事をしている。安い報酬でしている。今も。どこかで。だれかが。たった今、この僕がしているように。キーボードを打ち間違える。舌打ちする。隣の席の正社員が睨む。舌打ちを咎めているのではないですよね。僕が神様ではなかったことを咎めているんですよね。ごめんなさい。僕が神様ではなかったせいで。派遣社員が苦しんでいる。正社員も苦しんでいる。すべての人間が苦しんでいる。また6月が来た。小学校の前の田んぼは整地され、今はマンションが建っているらしい。

「だいたいこんな感じです」(詩)

生まれてからずっと
百億の問題に答えてきたことを
死んでしまってから知らされるとは

選んだこと 選ばなかったこと
会ったこと 会わなかったこと
伝えたこと 伝えなかったこと
作ったこと 壊したこと 作り直したこと 作り直さなかったこと

あらゆる行為が解答でした

百億問目に答えたら命の輪が綴じ 
あなたという輪郭が現れるのよと教えてくれたのは
僕より先に死んだ僕の昔の恋人で
生きてる時とすっかりかわりはててしまった彼女の姿は
僕にそっくりだった

まあ だいたいみんな こんな感じです
答えあわせのとき 神様が申し訳なさそうに言った

「セイメイ」(詩)

ウルトラマンの第二話
「侵略者を撃て」の終盤で
科学特捜隊のハヤタ隊員の質問に
バルタン星人はこう答える

セイメイ  ワカラナイ セイメイトハ ナニカ?

宇宙語の翻訳装置は
地球の生命に相当する単語を
バルタン星の語彙の中から 
見つけることができなかった

子供の頃はセイメイの定義など知らず
それでもセイメイとセイメイでないものを いつも分類していた
犬はセイメイ 猫はセイメイ 鳥はセイメイ 蛇はセイメイ
では昆虫は?
子供は いつも 昆虫でつまずく
だからこそ昆虫に 関心を寄せ 手足や 羽をもぎとって 確かめる

セイメイ ワカラナイ セイメイトハナニカ?

それでもぼくたちは みんなで
昆虫はセイメイだと 多数決で決めた
そしてみんなで 子供でいることもやめてしまった

ぼくたちは翻訳機をつくり
セイメイを定義づけし あらゆる宇宙語に対応できるようにして
バルタン星人の訪問に備えた

きみたちもぼくたちとおなじセイメイタイなんだ

そうバルタン星人に伝えたかった
子供でいることもやめて  そこまでして伝えたかった
かれらはそれでも理解できず
ぼくたちをとらえ
ぼくたちの手足をもぎとるだろうか

短歌の練習 12


真っ白なものにはぜんぶぼくの名をフェルトペンで書いてしまった


ぼくはもう精いっぱいだこの胸を開いてこれを見てこのありさまを


好き勝手言うばかりだねお前たち夜におびえた日々も忘れて


あれこれがだんだん許せるようになる許せなかったわたしはどこへ


それ以上考えるなというようにあたまがぎゅっと縮むときある


ウェットなものみなすべて排除した星新一の世界みたいに


下着だけ残していなくなった君そこだけ陽射し届かず寒い


かんたんに恋する人はかんたんな恋より先の恋を知らない


海中の生き物たちにつめよられケジメをつけるヤクザの死体


掬っても掬ってもこぼれていくものが言葉にされ救われてる

通いたくてももう通えない店

大阪の野田阪神の商店街にお気に入りのお好み焼き屋があって、久しぶりに行ったら閉店してた、という話を数年前にブログで書いた。同じく、福島にあったカレーラーメンがおいしいラーメン屋の閉店の話も書いたことがあったはずだ。両店とも個人経営で、店主は高齢。ラーメン屋のほうは、完全に店を閉める前にも長期間休業していたことがあり、久しぶりにのれんが出ていたとき、カレーラーメンを食べてから休業の理由を店主に聞いたら、心臓疾患で入院していたとのことだった。代替わりできるような人がいれば休業しなくて済んだろうし、結局廃業してしまったということは、両店とも跡継ぎがいなかったということなのだろう。好きだった店の雰囲気とか、働いていた人たちに、もう会えないんだな、と考えると、常連というほどじゃなかったし、店の人と会話を交わしたこともほとんどなかったくせに、無性に寂しい。あのお好み焼きも、カレーラーメンも二度と食べられないんだ、ということの、「もう二度と」がとても無情に感じられ、大げさだけど、人生とは…みたいなことまで考えてしまう。閉まることがわかっていれば、もっと通ってもっと食べておけばよかった、という後悔があるが、それだけじゃなく、そういうかけがえのない店が過去に持てたことへの喜び、みたいな感情もわく。最近はコピペみたいに全国展開する同じ顔のチェーン店が増えて、そんな店ばっかりに行ってるから、店に対する感傷的な記憶なんて、この先もう持つ事はできないかもしれない。顔のあるお店との別れも寂しいが、顔のないお店とは別離のさびしささえ持てないわけで、それはそれでさびしい話だ。
そういうことをぼんやり考えていると、昔よく通ったのに、結婚したり引っ越したりで足が離れてしまったチェーンじゃない店が、まだ数軒あることが思い出されて、今も営業してるなら、死ぬまでにもう一回くらいは食べにいかなきゃな、という気持ちになる。新香園の唐揚げ、光明軒のラーメン、えっちゃんのモダン焼き、丸玉食堂の腸詰め…。僕が訪れるまで、どうかどうか営業してますように。

エアプランツを買う(予定)

植物を育てたい。といっても本格的な世話は無理なのでエアプランツなんてどうだろう、と考えている。あれは水やりも容器も不要でそのへんに転がしておけばいい…と聞いたはずなのだけど、調べたら水は与えなければならないことがわかった。ただ、毎日与える必要はないみたいだ。頻度が少ないことから水は不要、という伝聞が広がったのだろうか。よく考えたら水やりは毎日の方が習慣化するからかえって楽な気もする。不定期のほうがついうっかり忘れる可能性もあるし、面倒なのではないだろうか。机に転がってるエアプランツに直接水を与えるわけにもいかないから、やはり容器も必要だ。なんだか思ったより手がかかりそうだけど、それもいいかもしれない。植物を育てたい、と思ったのは生活の中に緑が欲しかったのと、変化するものが足りない、と感じたからで、でも何もせずに変化だけ、というのは虫がよすぎるし、それに手間を取られることも、人間じゃなくて植物相手なら、見返りをもとめるような心理も働かなくて、もしかしたら案外楽しいかもしれない。
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マツ

ジュンク堂とタワーレコードのおかげでかろうじて生きてる40age下流層コピーライター。脱モラトリアムはとっくに断念。水森亜土が目標です。








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