「姉妹」(創作)

人の住まない家は荒れるというけれど、人の住む家だって荒れるのだな、と取り込まれた洗濯物の、3日分の山を前にウタエはため息をつく。22歳の長女と17歳の長男と50歳の夫と49歳のウタエの下着や上着や靴下やタオルやハンカチが混じり、重なり、高さは正座したウタエの胸のあたりにまで達していた。5分ほど見つめて結局畳む気力が湧かず、流しの前へ移動すると5日分の食器の生臭い空気がウタエの鼻に入り、そのまましゃがみこんでしまった。ベランダの鉢植えは枯れ、玄関には履物が散乱し、トイレの芳香剤はもう一月前から空だった。なのに、どうしても片付ける気になれない。子供も夫も平気なのだろうか。誰もウタエを責めない代わりに誰も片付けようとはしないのだった。
自分が動かなければもっと酷い状態になる、と考えたとき、ウタエの心臓はギュッと収縮した。たまらず携帯を取り出すと、姉のテルエに電話する。3度の呼び出し音の後に出たテルエの明るい声にすがるように、ウタエは助けておねえちゃんと言った。
「どないしたん」
「どうもこうも、家を片付けられへんねん」
このひと月、憂鬱な気持ちがずっと続いたこと。家事に気力が湧かず、それでも無理して手を動かしていたが、その手も徐々に動かなくなり、今日にいたって何もかも投げ捨てたいような気持になったことを、ウタエはテルエにとぎれとぎれに話した。
「ぜんぶ放り出したらええやん」
通話の初めと変わらない明るい声でテルエは言った。
そんなことしたら家がこわれてしまう、というウタエに、テルエはこわれへんこわれへん、と笑いながら返して、今からうちに遊びにおいでと誘うのだった。そんなことしたら家がこわれてしまう、ともう一度ウタエが言うと、家はこわれへんけどアンタがこわれてしまうで、と今度は笑わずにテルエは言った。

コピーライターって…

コピーライターという職業は説明が難しい。それでも昔は広告用の宣伝文を書く人、という11文字で、なんとなく分かったような気にさせることはできた。しかし僕がいま在籍する会社では、雑誌広告も新聞広告も作っていない。それでも僕の職業はコピーライターのままだ。どんな仕事ですか、と聞かれたらもう広告用の宣伝文を書いていないのだから今度こそ本当に説明に困る。
これは前にも書いたような気がするけれど、僕は人のためになったり世の中のためになったりしない職業に就きたかった。「ためになる」仕事はためにならなかったとき人や世の中に多大な迷惑をかけるからだ。その最たるものが医者で、一歩間違えば人の命を奪う事になりかねない。そんな責任の重い仕事は僕には無理だ、と早くから考えていた僕にとってコピーライターはうってつけの職業だった。誤字脱字で人が死ぬことは絶対にないからだ。
社会的責任の軽さという点でコピーライターに並ぶ職業はちょっと思い浮かばない。しかしそれでお金をもらっている以上、経済という世界の中ではもちろん責任が発生する。会社の中でも発生する。そして責任の渦中では、社会的責任も会社的責任も同じくらい重く感じる。正直にいえば僕はもうこの責任に耐えるのが嫌になっているのだけれど、この責任を捨てるということは無収入になるということなので、毎日折れそうになりながら、ぎりぎり踏みとどまっている。

ある日雪溶けのように

こじれていた人との関係が、勝手に改善されていることがある。口を聞くのもおっくうだったはずなのに、そんな事実はなかったかのように、自然にその人と話せている自分に驚く。特別なきっかけがあったとも思えない。そういう経験をすると、人間の関係性のこじれは、無理に修復しようとしなくてもいいのではないか、と思ってしまう。

だれかの痛み

仕事のことばっかり考えている。仕事のことばっかり考えていることをいいことに、人の痛みに立ち止まらなくなった。だれかが苦しんでいる姿を、痛みをこらえている様子を、目の端でちらっと見て、でも見なかったことにして通り過ぎる。ごめん、仕事が忙し過ぎて、立ち止まってまっすぐ向き合う余裕がないんだ。
以前は睫毛が入ったみたいに目が痛んだのに、今はそれもなくなった。

とても簡単な職歴

専門学校を卒業してCM制作会社に就職して、その会社を3ヶ月で辞めて求人情報誌の出版社にアルバイトで入って途中で契約社員になって、その会社を辞めて広告制作会社にコピーライターとして転職して、その会社が倒産してフリーランスになって、でもフリーは不安だからまた広告制作会社に就職したけど合わないから辞めて、フリーに戻って、また同じような会社に就職したけどまた合わなくて辞めて、またフリーに戻って、でもまたすぐ同じような会社に就職して、ところがそこでは合わないどころかうつ病になってしまい、また辞めて、もうこの業界は無理なんじゃないかと目の前が真っ暗になったけど、コピーライターの他にできるような仕事も思いつかなくて、なんとかもぐり込めたのが現在の会社。気がついたらここで10年を越えてた。もうさすがに次はないと思ってる。

左足の人さし指

足の指も手と同じように、親指、人さし指、中指、薬指、小指、なんだろうか。
ともかく、左足の、手で言う人さし指にあたる指の先がぼろぼろで、特に爪は、厚く盛り上がった皮と爪の先端とが一体化して、皮でも爪でもないようなモノになっている。爪と肉との境目も曖昧になってしまった。右足の薬指は普通なのに、左足だけがそんなふうになっている。
爪なのかなんなのか分らないそれは、日がたつと伸びるというより厚く盛り上がる。それを爪切りで切るのだが、爪のように薄くはなく、また皮膚との境目もないから切りにくい。どこまで切っていいかも分らない。これはなんだろう、と思う。爪でも皮でもないもの。これはなんだろう。年をとるといろんな変化がある。

コーヒーにパンを浸して食べる

子供の頃、マグカップに注いだ砂糖とミルクたっぷりの甘ったるいコーヒーに、トーストを浸して食べるのが好きだった。
元々その食べ方が好きだったのは母で、その母の食べ方を真似した僕も好きになった……ような気がするのだが、実ははっきり憶えていない。いまはもうそんな食べ方はしないし、いつからしなくなったのかも憶えていない。僕のまわりで、コーヒーにトーストを浸して食べる人の話も聞いたことはない。
あれは、我が家独特の食べ方だったのだろうか。

ローンて言うな借金と言え

借金は怖ろしい。
それは未来という、どうなるか分からない、なんの保証もない世界に、絶対確実なもの、しかも負の性質を帯びたものを持ち込まれる怖さだ。だが、人は平気で借金をする。借金ではなくローンと言いかえればそれは借金ではなくなるのだろうか。

土曜出勤から帰宅したら妻がドラマを見ていた。嵐の櫻井君が教師役で、生徒に奨学金のことを話していた。就職したらすぐに返済しなければならないこと。薄給だろうと月3万、しかも自分自身もいまだに払い続けていること。奨学金は借金だ、とはっきり言っていた。まったくその通りだと思う。
就職できず、収入がなくても借金だから返済しなければならない。その恐ろしさを知らず、あるいは知っていても借金ではない別の名をあてがうことで何かを麻痺させて大学へ行く。借金という字が目に入らないようにしながら、やがて車を買う。家を買う。

買うなら現金で一回、そういう考え方を、僕は子供のころから持っていた、というより、お金を後回しにして、先にものを買う、という発明が、子供のころからピンとこなかった。大人になって、怖いとさえ思うようになった。絶対に分かるはずのない未来に、現在を持ち込むことには、お金の返済、という現実的な怖さだけでなく、時間軸に逆らうような怖さがある。

短歌の練習 15

ポンという音がしたので振り向くと過去が半分消えていました

踏み切りが開かない今日も踏み切りが開かない今日も天気雨だね

うつくしいことを書くときぐちゃぐちゃの部屋は忘れていいことにする

アカウント100個作って100の僕ひとりくらいは幸せになれ

まだつきあってもいないのに夢に出てきたりするからひどいよね恋

想像の死はやさしくて高い絵を買わせる人の声に似ていた

動かなくなった夫に朝水をやることにした枯れないように

リベラルは花の名なのと言う人と少女の名だと言う人が居り

人間が求めることはただひとつわたしはここにいるよ見つけて

話すことなんにもないね日が暮れて帰ろうかって言えないふたり

生きるため食べてるぼくと食べるから生きてるきみの分り合えなさ

「外はまだ明るいですよぼくはもう暗いけど はは」返事に困る

富岡多恵子が面白い

今年の5月、四天王寺の古書市で買った「仕かけのある静物」(富岡多恵子)がびっくりするくらい面白くて、以来、自分の中で富岡多恵子ブームが続いている。
「仕掛けのある〜」は短編集だが、どの作品も読み出すとくるくる巻き込まれるように最後まで読んでしまう。その巻き込まれ方がとても気持ちいいのだが、ではどこに、どう引き込まれるのかと説明しようとすると、途端に分らなくなってしまう。
後から知ったのだが富岡多恵子は詩人から出発して小説家になった人だ。そのせいか、小説と詩の中間のようなところがあるような気はする。人の心を掘り下げることに熱心ではなさそうだし、起承転結のある物語を書こうとしているようにも思えない。短編という短い枠の中で、いくつものエピソードがくるくる移り変わり、又戻ってくる。またどこかへ跳ぶ。また戻る。そして最後は、途中で書くことに飽きてしまったかのように、無造作に放り投げられて終わる……という形式が多い。
(そうでない作品もある)
こんな小説、いままで読んだことがない!!!
というわけで、5月以来、僕は富岡多恵子を集め出したのだった。ところがこんなに面白いのに、小説はほぼ絶版。なので古書店や古書市で探すしかない。でもこれがまた、宝探しみたいで楽しいんだけど。

富岡多恵子作品の魅力については、また機会を改めて書いてみたいと思います。
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マツ

ジュンク堂とタワーレコードのおかげでかろうじて生きてる40age下流層コピーライター。脱モラトリアムはとっくに断念。水森亜土が目標です。








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