「セイメイ」(詩)

ウルトラマンの第二話
「侵略者を撃て」の終盤で
科学特捜隊のハヤタ隊員の質問に
バルタン星人はこう答える

セイメイ  ワカラナイ セイメイトハ ナニカ?

宇宙語の翻訳装置は
地球の生命に相当する単語を
バルタン星の語彙の中から 
見つけることができなかった

子供の頃はセイメイの定義など知らず
それでもセイメイとセイメイでないものを いつも分類していた
犬はセイメイ 猫はセイメイ 鳥はセイメイ 蛇はセイメイ
では昆虫は?
子供は いつも 昆虫でつまずく
だからこそ昆虫に 関心を寄せ 手足や 羽をもぎとって 確かめる

セイメイ ワカラナイ セイメイトハナニカ?

それでもぼくたちは みんなで
昆虫はセイメイだと 多数決で決めた
そしてみんなで 子供でいることもやめてしまった

ぼくたちは翻訳機をつくり
セイメイを定義づけし あらゆる宇宙語に対応できるようにして
バルタン星人の訪問に備えた

きみたちもぼくたちとおなじセイメイタイなんだ

そうバルタン星人に伝えたかった
子供でいることもやめて  そこまでして伝えたかった
かれらはそれでも理解できず
ぼくたちをとらえ
ぼくたちの手足をもぎとるだろうか

短歌の練習 12


真っ白なものにはぜんぶぼくの名をフェルトペンで書いてしまった


ぼくはもう精いっぱいだこの胸を開いてこれを見てこのありさまを


好き勝手言うばかりだねお前たち夜におびえた日々も忘れて


あれこれがだんだん許せるようになる許せなかったわたしはどこへ


それ以上考えるなというようにあたまがぎゅっと縮むときある


ウェットなものみなすべて排除した星新一の世界みたいに


下着だけ残していなくなった君そこだけ陽射し届かず寒い


かんたんに恋する人はかんたんな恋より先の恋を知らない


海中の生き物たちにつめよられケジメをつけるヤクザの死体


掬っても掬ってもこぼれていくものが言葉にされ救われてる

通いたくてももう通えない店

大阪の野田阪神の商店街にお気に入りのお好み焼き屋があって、久しぶりに行ったら閉店してた、という話を数年前にブログで書いた。同じく、福島にあったカレーラーメンがおいしいラーメン屋の閉店の話も書いたことがあったはずだ。両店とも個人経営で、店主は高齢。ラーメン屋のほうは、完全に店を閉める前にも長期間休業していたことがあり、久しぶりにのれんが出ていたとき、カレーラーメンを食べてから休業の理由を店主に聞いたら、心臓疾患で入院していたとのことだった。代替わりできるような人がいれば休業しなくて済んだろうし、結局廃業してしまったということは、両店とも跡継ぎがいなかったということなのだろう。好きだった店の雰囲気とか、働いていた人たちに、もう会えないんだな、と考えると、常連というほどじゃなかったし、店の人と会話を交わしたこともほとんどなかったくせに、無性に寂しい。あのお好み焼きも、カレーラーメンも二度と食べられないんだ、ということの、「もう二度と」がとても無情に感じられ、大げさだけど、人生とは…みたいなことまで考えてしまう。閉まることがわかっていれば、もっと通ってもっと食べておけばよかった、という後悔があるが、それだけじゃなく、そういうかけがえのない店が過去に持てたことへの喜び、みたいな感情もわく。最近はコピペみたいに全国展開する同じ顔のチェーン店が増えて、そんな店ばっかりに行ってるから、店に対する感傷的な記憶なんて、この先もう持つ事はできないかもしれない。顔のあるお店との別れも寂しいが、顔のないお店とは別離のさびしささえ持てないわけで、それはそれでさびしい話だ。
そういうことをぼんやり考えていると、昔よく通ったのに、結婚したり引っ越したりで足が離れてしまったチェーンじゃない店が、まだ数軒あることが思い出されて、今も営業してるなら、死ぬまでにもう一回くらいは食べにいかなきゃな、という気持ちになる。新香園の唐揚げ、光明軒のラーメン、えっちゃんのモダン焼き、丸玉食堂の腸詰め…。僕が訪れるまで、どうかどうか営業してますように。

エアプランツを買う(予定)

植物を育てたい。といっても本格的な世話は無理なのでエアプランツなんてどうだろう、と考えている。あれは水やりも容器も不要でそのへんに転がしておけばいい…と聞いたはずなのだけど、調べたら水は与えなければならないことがわかった。ただ、毎日与える必要はないみたいだ。頻度が少ないことから水は不要、という伝聞が広がったのだろうか。よく考えたら水やりは毎日の方が習慣化するからかえって楽な気もする。不定期のほうがついうっかり忘れる可能性もあるし、面倒なのではないだろうか。机に転がってるエアプランツに直接水を与えるわけにもいかないから、やはり容器も必要だ。なんだか思ったより手がかかりそうだけど、それもいいかもしれない。植物を育てたい、と思ったのは生活の中に緑が欲しかったのと、変化するものが足りない、と感じたからで、でも何もせずに変化だけ、というのは虫がよすぎるし、それに手間を取られることも、人間じゃなくて植物相手なら、見返りをもとめるような心理も働かなくて、もしかしたら案外楽しいかもしれない。

「ハンカチ落とし」(創作)

マンションへ帰るころには朝日がまぶしくなっていて、深海みたいなクラブのフロアで踊っていたのはほんの2時間前なのに1週間くらい経ったように遠くに感じた。でも、コートの左ポケットに仕舞ったルリコの、ブラウスからひきちぎったボタンに触ると、忘れてんじゃねーよたった2時間前だろーがよってルリコの汚い声が耳の奥に響いて、わたしの襟首をルリコがいまも掴み続けてるみたいな気がして心臓がバクバクした。20代も半ばになったのに高校の頃と何も変わらないな。仕事の帰りに反りの合わない同僚たちにクラブに誘われて、何かあるにきまってるのにもしかしたらこの機会に仲良くなれるかも、なんてバカみたいに期待して、のこのこ着いていったらやんわりシカトされて、高3のとき教室でハブられたのを思い出して恥ずかしくて悔しくて情けなくてみじめになって、それから急に吐きそうになるくらい腹が立って、飲んだ勢いもあってキレて主犯格のルリコといういけ好かない主任代理の女に掴みかかってボタンを引きちぎって……。捨てようと思ったけど契約社員という自分の立場が頭をよぎって捨てられなかったボタンが左ポケットで「さあ、どうする?」とわたしに決断を促す。あの女に返せるかな。返しても元に戻れるわけねーな。戻ったところで代わり映えのしないクソみてーな毎日が続くだけだし。それよりも月曜、会社行けるかな。涙も吐瀉物も、帰り道で全部出し尽くしていた。コートだけ脱いで化粧も落とさずベッドにもぐりこんだ。ひどく疲れていたせいかすぐに落ちた。「ユコちゃんユコちゃん。」私を呼ぶ声で目を開ける。小学生くらいの見覚えのある女の子が私を見下ろして笑っていた。4年2組で一番仲がよかったキイ子ちゃんだ。「わあ!キイ子ちゃん、元気?」キイ子ちゃんは心配そうな表情で「ユコちゃんだいじょうぶ?泣いてたの?」と聞いてきた。わたしはなんだか恥ずかしくて「泣いてないよー、さっきまでクラブで友達と踊ってたんだよー楽しかったよー」と嘘をまぜて答えた。「楽しい?」「楽しいよ」「ほんとに?」「ほんとに」「ほんとのほんとに?」「ほんとのほんとに」「ほんとのほんとのほんとに?」「ほんとのほんとのほんとに」「ほんとのほんとのほんとのほんとのほんとに?」わたしは笑い出した。でもキイ子ちゃんは笑わなかった。「ユコちゃんかわいそう、本当はちっとも楽しくなんかなかったのでしょう。」子供の姿と声なのに、大人が子供をあわれむみたいに、落ち着いた態度でゆっくりと言った。ああこれは夢だからキイ子ちゃんはなにもかも知ってるんだ。クラブでの一部始終を。そしてきっと、わたしのくだらないこれまでの人生のぜんぶも。「でもね、キイ子ちゃん、踊ってる間だけは、ほんとに楽しいんだよ。踊ってるときは、確かにアガって、あ、アガるっていうのはきもちいいって意味で、それで、きもちよくて、それは…なんだっけ、ドーパミン?アドレナリン?何か、頭の中でドラッグみたいなのを無理に出させて、神経を高ぶらせて、ハイになってるカンジ?もしかするとそれって本物のドラッグを使うのと変わらないのかも。てかネットでそういうサイトを見つけて、ちょっとだけ試したらどんな感じだろうって考えたことがあって……。なんて、ね。冗談だよキイ子ちゃん。でもどうしようキイ子ちゃん、わたしどうしたらいい?キイ子ちゃん、もうだめかもしれない、キイ子ちゃん、教えて、キイ子ちゃん、助けて、キイ子ちゃん。」最後はもう泣き声になっていたと思う。「ユコちゃん、ハンカチ落とししよう。」キイ子ちゃんがそう言った瞬間、わたしの心がパッと明るくなった。わたしはハンカチ落としが大好きだったのだ。でもそんなこと、もうずっと長いあいだ忘れていた。キイ子ちゃんのことばが、記憶のスイッチを押してくれたのかな。いつのまにかそこは私の部屋じゃなくて2組の教室になっていた。机は全部後ろにさげられ、教室の前半分にスペースが作られている。2組のクラスメート全員が集まっていた。「じゃ最初はわたしが鬼になるね。みんな輪になって。」キイ子ちゃんが指示すると30人ほどのクラスメートが円陣をつくって床に座った。わたしも輪に入っていた。右隣はニワくん、左隣はカズムラさんだ。ニワくんはその頃テレビで人気のあったお笑いタレントのモノマネでよく私を笑わせてくれた男の子だ。カズムラさんは赤いメタルフレームの眼鏡をかけた勉強のよくできる女の子で、私に小公女と小公子を貸してくれた。けれど結局どっちも難しくて最後まで読まなかったな。そういえばあの2冊、返したっけ。それにしても懐かしいなあ。「じゃあはじめるね。」キイ子ちゃんは真っ赤なハンカチを丸めて両のてのひらで包み、前かがみの姿勢になって、そのまま輪の外をまわりはじめた。キイ子ちゃんが5周まわる間のどこかで、手に隠し持ったハンカチを、気付かれないよう誰かの背後にそっと落とす。キイ子ちゃん、わたしの後ろに落とすかな。それとも別の子の後ろに落とすかな。落とされたらどうしようという気持ちと落としてほしい気持ちとが心の中でぐるぐるして、胸が高鳴る。ああ、クラブで踊ってるみたいだ。ううん、クラブなんかよりずっとずっとアガる。ハンカチは別の子の後ろに落とされ、それでもわたしは楽しい。だってこの次は、わたしに落とされるかもしれないのだから。大人になって、こんなにドキドキしたことなかったなあ。ふっと背後の空気が揺れるのを感じた。そっと手を動かすと弾力のあるあたたかいものがふれた。ハンカチにしては重いなあと思いながら、わたしはそれをつかみ、鬼を追いかける。追いつかなかった。今度はわたしが鬼だ。さあ誰の背中に置いてやろう。私はまわる。キイ子ちゃん、カズムラさん、ニワくんの後ろを過ぎていく。いつの間にか輪の中にはルリコがいる。ルリコといっしょにわたしをシカトした同僚もいる。でももうわたしは腹を立ててはいなかった。ハンカチ落としをやれば、きっとルリコたちとも仲良くなれる、そんな気がしていたからだ。このままずっと、ハンカチ落としをやっていたいなあ。5周を過ぎてもわたしはまわるのをやめなかった。キイ子ちゃんが笑ってる、ニワくんが笑ってる、カズムラさんが笑ってる、ルリコが笑ってる。ああ幸せだ。このままずっとずっとまわっていよう。どうせ夢だもの。このままずっとまわっていよう。死ぬまでまわりつづけよう。手の中で、あたたかいかたまりが、心臓みたいにドクンドクンと脈打っていた。

短歌の練習 11

大根のけんが好きだと言えなくて下げられていくお造りの皿

神様が昨日と今日を入れ替えて気づくかどうか試みている

透析は苦しいという透析の字はこんなにも美しいのに

キノコってLoveでCuteでFantasyだからエノキは除外しました

青春にいい思い出が何もないテトラポットはフナムシの家

宅配のピザで孤独に耐えているわざとお釣りが出るように買う

泣かないであなたはここ五十年でもっとも寒い寒波なのです

もうこれはデートじゃなくてストローでコーヒーゼリー吸うための会

生きている化石じゃなくて生きている化石未満と言うべきでしょう

すくすくと死に近づけていることを育児と呼ぶのおかしいかしら

僕のこと分らなくなる母のこと僕も分らなくなりたかった

ほんとうのことを言い続けてごらんどこかできっと嘘になるから

あいうえおまだ言えない日ぼくたちの頭の中はどうなっていた

全身を乗せて南瓜を切る時に自分が切れるような気がする

「ある日わたしは夜空に向かって」(創作)

ある日わたしは夜空に向かってカッターナイフをかざし、横並びに2つ、切れ目を入れた。それは生まれたばかりのきみの目。わたしが10歳のとき、わたしはきみを作った。2つのスリットの向こう側からこちら側へ、光が射す。きみの目が捉える世界の光。まだぼんやりしているだろうけど、きみが成長すればもっとクリアなるよ。そしてわたしはこちら側から、きみの見る世界をきみの目を通してきみと共に見続ける。ハッピーバースデー。わたしはきみを祝福した。あれから18年。きみは18歳になった。きみが見たものならわたしはなんだって見える。ただ、わたしは、きみを見ることだけは、できない。だってきみは、きみ自身を見ることができないのだから。ある日きみは、偶然わたしのそばを通る。きみは後ろから、わたしに近づいてくる。きみの目を通して、わたしの背中が見える。わたしの背中がどんどん大きくなる。わたしは振り返る。少しはにかんだ、わたし自身の表情が見える。

「第一回文学フリマ京都に出店しました」

去る1月22日(日)、「第一回文学フリマ京都」に出店しました。文学フリマは全国の主要都市で行われている文芸同人誌の即売イベントで、京都では初めての開催です。僕は昨年秋の「第四回文学フリマ大阪」に引き続いての出店。新作として、9人の有志の作品を集めたアンソロジー「ここから出して神様」を持っていきました。前回出品した掌編集「悲しくはない」と「歌集赤い犬・青い犬」も出品。1作増えて3作品出品できたので、大阪のときよりブースの体裁は整ったと思います。POPも作り直したし。ちなみに僕は独り文芸サークル「アイスコーヒー」を名乗っています。サークルなのに独り…劇団ひとりのイメージなんですが、そのうち本物の部員ができたらいいな。だれか入部してください。

会場は京都市勧業館「みやこめっせ」。実は昨年12月にミュージカル「わたしは真悟」を観るためロームシアター京都という劇場に出かけたのですが、みやこめっせはそのロームシアターのちょうど向かい側に位置するのでした。一度近くまで足を運んでいたおかげで方向音痴の僕でも迷うことなく到着。思いのほか大きな会館で、中には複数の会場があるようでした。文学フリマが開催される会場は大変広く、ブースの列と列の間に余裕がありました。ちなみに大阪の会場は背後にスペースがなかったため荷物の置き場やブースからの出入りに苦労したのですが、今回は荷物も普通に置けたし移動もラクでした。

10時に会場に入ってブースの準備。2回目なので15分くらいで完了し、一般入場の11時までぼーっとしてました。京都では初開催ということで来場者はどれくらいだろう…と不安に感じていたのですが、いざ蓋を開けてみれば盛況で、ほっと胸を撫で下ろしました。

会場には大阪文フリで知り合った方も何人かブースを出しており、途中ご挨拶に伺ったり、反対に当方のブースに来てくれたりと、交友を暖めることができました。また今回アンソロジーに寄稿してくださった方のお1人が愛知から来訪してくださったり…。普段人付き合いが少ない僕にとって、文学フリマは一度に複数の人とお話しするよい機会だったりもします。「本が好き」という共通点があるおかげで、長話はできなくても、なんとなくシンパシーを抱けるのでした。

まったく初対面の方が、自分が書いたり関わったりした作品を手に取ってくれ、あまつさえ購入し読んでくれるというのは、なんだかとても不思議な、そしてもちろんとても有り難いやら嬉しいやらの経験で、前回もそうでしたが、出店してよかったな、と改めて感じたのでした。

会場の様子を伝えたかったんですが、写真をまったく撮っていなくて、とりあえず自分のブースの写真をアップしておきます。

あ、今回も妻が助っ人で来てくれました。
妻が座ると売上がアップする(笑)


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「第一回文学フリマ京都」に出店します

昨年秋に引き続き、文芸同人誌の即売イベント「文学フリマ」に出店します。今度は京都。新刊は、僕を含め9人の方が参加したアンソロジー「ここから出して神様」。掌編小説、短歌、漫画、写真、現代詩、オリジナルソングを収録しています。価格は500円。興味のある方はぜひお越しください。入場は無料です。
<第一回文学フリマ京都>
開催日時:1月22日(日)11:00〜16:00
場所:京都市勧業館 みやこめっせ
最寄り駅:京都市営地下鉄東西線 東山駅 1番出口より徒歩8分
詳しくは文学フリマサイトをご覧ください

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「鳥」(創作)

いつでも過去へ戻れるようにと撒いてきた記憶のパン屑を忘却の鳥が啄んでしまうので、僕は帰りたくても帰ることができなくなってしまった。鳥はますます貪欲で、もっともっと食べさせよと鋭い嘴で背中をつつくから、僕は郷愁を失った悲しみに浸るひまもない。追い立てられた僕は駆け足で前へ進むしかなくて、新幹線の車窓みたいなスピードで未来が現在になり現在が過去になり過去が餌になり鳥の胃袋に収められていく。人生が終わり、僕はどこにも残れず僕には何も残らないというのに、僕の過去をすべて食べ尽くした鳥が一羽残る。僕の記憶をすべて持った鳥が空に羽ばたいて、僕の一生をだれかれおかまいなしにしゃべり続けるのを、そのとき僕は止めることも、止められなくて悔しがることもできない。だからそのときがきたらだれか、だれか鳥を撃ってください。僕の代わりに、銃で。あれは僕の、僕だけの記憶なんです。僕と一緒に土に還るべきものを、鳥なんかに奪われ、勝手に吹聴されてたまるものか。どうか心臓を、一発で、お願いします。そして仕留めた鳥は僕の墓に僕と一緒に埋めてください。




新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
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ジュンク堂とタワーレコードのおかげでかろうじて生きてる40age下流層コピーライター。脱モラトリアムはとっくに断念。水森亜土が目標です。








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