打合せで、本日も神戸方面へ。場所は西明石。…ちょっと遠い。けど神戸好きだから、ま、いいか。
仕事は30分ほどで、つつがなく終了。ほっ。
行きの電車では、資料の読み込みで車窓を見る余裕がなかったのですが、帰りは窓際に座って流れ行く風景をじっくり鑑賞。
舞子あたりから視界に海が開けてきて、景色は抜群。須磨の海釣り公園辺りで路線はかなり海際に。シーサイドビューを、たっぷり楽しむことができました。
ところで、海を見てたら、ちょっと想い出モードになったのです。といっても神戸とも海とも関係ないノスタルジー。
まだ20代前半の頃、一度だけ、会社をさぼって京都に行って、鴨川をぼーっとみてたことがありまして。
なんでそんなことを思い出したのかは自分でも不明。海→水面→鴨川、という連想が働いたのかもしれません。
電話で会社に病欠ってことにした、その嘘の後ろめたさを抱えて鴨川べりで、何を考えていたのかはもう思い出せないけれど、なんというか、今思うのは、唐突だけど、あれは必要だった、ということなのです。嘘をつくことも、さぼることも。
小さい頃、母親が私に最も厳しく戒めたのが「嘘」でした。
「嘘」はなにより恐ろしい禁忌でした。恐ろしいにもかかわらず「嘘」をついてしまった時の恐ろしさ。さらに恐ろしさのあまり言い出しかねて心の中に抱えているときの恐ろしさ。結局、その多重債務のような恐ろしさに耐えかねて、小さな罪人は告白してしまうのですが。
人間は、嘘をつかざるをえない生き物なのではないか、と思うのです。それも、飢えれば何か口にするほかない、というような切実さで。
本当のことを言い続ける、ということは、はた目には美しいけれど、いつか、その人を、追い詰めてしまうのではないか。
嘘をつかない、ということと、正直に生きる、ということは、イコールではなくて、正直に生きる、ということの中には、時々嘘をつく、ということも含まれている、そんな気がします。
その意味で、あの一日の嘘は生き続けるうえで必要だったのではないか。そのように、あの日の自分を肯定してしまう私は、取るに足りないささいな出来事に対して、不釣り合いに壮大な言い訳を、紡いでいるに過ぎないのでしょうか。
仕事は30分ほどで、つつがなく終了。ほっ。
行きの電車では、資料の読み込みで車窓を見る余裕がなかったのですが、帰りは窓際に座って流れ行く風景をじっくり鑑賞。
舞子あたりから視界に海が開けてきて、景色は抜群。須磨の海釣り公園辺りで路線はかなり海際に。シーサイドビューを、たっぷり楽しむことができました。
ところで、海を見てたら、ちょっと想い出モードになったのです。といっても神戸とも海とも関係ないノスタルジー。
まだ20代前半の頃、一度だけ、会社をさぼって京都に行って、鴨川をぼーっとみてたことがありまして。
なんでそんなことを思い出したのかは自分でも不明。海→水面→鴨川、という連想が働いたのかもしれません。
電話で会社に病欠ってことにした、その嘘の後ろめたさを抱えて鴨川べりで、何を考えていたのかはもう思い出せないけれど、なんというか、今思うのは、唐突だけど、あれは必要だった、ということなのです。嘘をつくことも、さぼることも。
小さい頃、母親が私に最も厳しく戒めたのが「嘘」でした。
「嘘」はなにより恐ろしい禁忌でした。恐ろしいにもかかわらず「嘘」をついてしまった時の恐ろしさ。さらに恐ろしさのあまり言い出しかねて心の中に抱えているときの恐ろしさ。結局、その多重債務のような恐ろしさに耐えかねて、小さな罪人は告白してしまうのですが。
人間は、嘘をつかざるをえない生き物なのではないか、と思うのです。それも、飢えれば何か口にするほかない、というような切実さで。
本当のことを言い続ける、ということは、はた目には美しいけれど、いつか、その人を、追い詰めてしまうのではないか。
嘘をつかない、ということと、正直に生きる、ということは、イコールではなくて、正直に生きる、ということの中には、時々嘘をつく、ということも含まれている、そんな気がします。
その意味で、あの一日の嘘は生き続けるうえで必要だったのではないか。そのように、あの日の自分を肯定してしまう私は、取るに足りないささいな出来事に対して、不釣り合いに壮大な言い訳を、紡いでいるに過ぎないのでしょうか。