2007年08月

嘘についてのとりとめもない話

打合せで、本日も神戸方面へ。場所は西明石。…ちょっと遠い。けど神戸好きだから、ま、いいか。
仕事は30分ほどで、つつがなく終了。ほっ。
行きの電車では、資料の読み込みで車窓を見る余裕がなかったのですが、帰りは窓際に座って流れ行く風景をじっくり鑑賞。
舞子あたりから視界に海が開けてきて、景色は抜群。須磨の海釣り公園辺りで路線はかなり海際に。シーサイドビューを、たっぷり楽しむことができました。

ところで、海を見てたら、ちょっと想い出モードになったのです。といっても神戸とも海とも関係ないノスタルジー。
まだ20代前半の頃、一度だけ、会社をさぼって京都に行って、鴨川をぼーっとみてたことがありまして。
なんでそんなことを思い出したのかは自分でも不明。海→水面→鴨川、という連想が働いたのかもしれません。
電話で会社に病欠ってことにした、その嘘の後ろめたさを抱えて鴨川べりで、何を考えていたのかはもう思い出せないけれど、なんというか、今思うのは、唐突だけど、あれは必要だった、ということなのです。嘘をつくことも、さぼることも。

小さい頃、母親が私に最も厳しく戒めたのが「嘘」でした。
「嘘」はなにより恐ろしい禁忌でした。恐ろしいにもかかわらず「嘘」をついてしまった時の恐ろしさ。さらに恐ろしさのあまり言い出しかねて心の中に抱えているときの恐ろしさ。結局、その多重債務のような恐ろしさに耐えかねて、小さな罪人は告白してしまうのですが。

人間は、嘘をつかざるをえない生き物なのではないか、と思うのです。それも、飢えれば何か口にするほかない、というような切実さで。
本当のことを言い続ける、ということは、はた目には美しいけれど、いつか、その人を、追い詰めてしまうのではないか。
嘘をつかない、ということと、正直に生きる、ということは、イコールではなくて、正直に生きる、ということの中には、時々嘘をつく、ということも含まれている、そんな気がします。
その意味で、あの一日の嘘は生き続けるうえで必要だったのではないか。そのように、あの日の自分を肯定してしまう私は、取るに足りないささいな出来事に対して、不釣り合いに壮大な言い訳を、紡いでいるに過ぎないのでしょうか。

三宮のおもひで

仕事で、神戸方面に出かけることが増えてきました。
神戸、特に三宮は好きです。北側には山。南側には海。でっかいコンパスのおかげで、方向音痴の私でも、そうそう迷うことがない。

高校生の頃、住んでた西宮から三宮まで、よく自転車で出かけました。
日曜日のサイクリング。3時間くらいかけて、西へ西へとペダルを漕ぐ。右手には六甲山系。あか抜けた住宅が並ぶルート。夙川、芦屋、岡本、六甲、灘。三宮が近付いて、住宅街から都市へ視界が開ける瞬間がクライマックスです。

三宮に到着したら、センター街の古本屋か輸入レコードショップをうろうろ。たまにジョイントで服を買う時もあったような。地階のある新刊書店は駸々堂、ジュンク堂のどっちだっけ。元町にあった本屋は海文堂?
ああもう記憶がすっかり曖昧だ。

三宮では、ごはんも良く食べてました。今でも時々行きたくなるのが丸玉食堂。高架下の台湾料理のお店で、腸詰めが絶品です。あと豚まんなら一貫楼と大平閣。一貫楼は具が甘くて皮もやわらかめ。大平閣のは確か皮がしっかりしてて、551に近いような味でした。中華街でいつも行列ができてる老祥記の豚マンは、私の口には合わなかった。
そういえば、貝の壷焼きってのが屋台であったような。でっかいサザエみたいな巻貝の中にいろんな貝の切り身を入れて、だしで煮込んだの。三宮界隈じゃなかったっけ?貝の出汁が、すっごく美味だったのです。
あ、生ツバ出てきた。

誤認

先日のブログ、宇多田ヒカル「Beautiful World」の発売日間違えてました(いや発売日は合ってる)
明日じゃなくて今日だ!(現時点では昨日だ!)
最近、日程の勘違いが多いなあ。
仕事で出なけりゃいいんだけど。

宇多田ヒカル「Beautiful World」

明日(29日)発売。
シングルのリリースがちょっと楽しみ、だなんて何年ぶりでしょうか。
FMでは既に何度もオンエアされています。歌詞は聞き取れないけど、曲がイイ!
デビューから比べて、メロディーが、どんどん複雑に、そして内省的になっていく。
つまり、私好みになっていく。

印象は「Passon」に近い気がします。
目の前にあるものの、その「向こう側」に焦点を合わせているような。
遠いまなざし。でも地に足が着いていないわけじゃない。むしろ恐いくらいにリアル。そして焦燥感。

切実な歌は、心に届く。

メーテル化する女性のまつ毛

街を歩く女性が、なんだか昔に比べて、ずいぶんきれいになったな、と思うのです(ああ、オヤジの物言いだ!)美貌の平均値が上がったような。
特に目元。目力っていうんでしょうか。みなさん軒並み、クッキリ、パッチリ。大きさが従来比、1.5倍くらいにボリュームアップしている印象。がんばってるなあ。
で、そのがんばり具合が、なんだか気になるわけです。
それはどの程度、後天的な努力の結果なのか。つまり素顔をゼロとして、マスカラとかアイラインとかとかが、どれくらい足し算(あるいはかけ算?)されているのか。
もうね、ほんとに余計なお世話だと思うんです。詮索してどうするんだ、と。
でも、気になるんですよね。

高校の頃、演劇部員でした。
舞台に上がることもままあって、素顔では遠目に表情が分かりませんから、メイクを施します。
ドーランを塗って、目を描いて。
私のようにのっぺりしたメリハリの無い顔は、メイクが栄えるのです。クッキリハッキリ。ほとんど別人。こんなに変わるものか、と自分でも驚きました。
もちろん舞台メイクと日常のメイクは違うのですが、「顔は作れる」ってことをなんとなく体験として知っているので、あの人は天然か人工か、ビフォーアフターが凄く知りたくなるのです。
よく考えたら(考えなくても)悪趣味な好奇心ですよね。
でも気になる!

最近癒されたもの三題

「ミエル」のドーナツ
阪急三番街地下のカフェの店頭で、前から気になってたので購入。わ、当たり。ほんのりあったかくてふわふわ。甘いけど甘ったるくはない。食べたのはプレーンですがシナモン、きなこなどバリエーションあり。サイトを見たら、揚げてるんじゃなくて焼いてるとのこと。だからあっさりしてるんだ。今度まとめ買い決定。

ザ・スミス「アイ・ノウ・イッツ・オーヴァー」
ここんとこずっとヘビーローテーション。優しくて悲しくて繊細で、でも激しいものを秘めたスローバラード。歌詞はよくわかんなくても魂が切ないってことはよくわかる。涙出そう。なのに癒される。なぜ?私の中ではゴー・ビトウィーンズの「バチェラー・キッシーズ」と双璧。

日曜日の8時台にやってた番組のワンコーナー
氷川きよしとヨネスケが、水郷のある街(潮来?)をレポート。町中に水路が行き渡っていて、そこを渡し船かなにかで巡っていくんだけど、町の構造や風景や住人の方々が、とにかく優しい。行きたい。あとレンコンの名産地なんですが、新鮮な若いレンコンは生で食べられるってことにびっくり。フルーツみたいなんだって。

朝からご立腹

朝から、たった一本の電話でめちゃくちゃ腹が立ってるわけですよ。電話に出た担当者の対応がそもそも私の感情を逆なでするような物言いで、しかも相手が100%間違ってくれていたら、それはそれで一方的に、ある意味爽快にムカつけるんだけれども、そのやり取りの中に私自身の「非」も紛れてしまっていたもんだから、自分自身のつまんないプライドとかが介入して、相手への怒りと自分への怒りがビミョーなバランスで混ざりあって、何とも後味の悪いご立腹加減なわけです。
それだけならまだしも、その憤まんやる方なさをなだめてフォローしてくれたのが、普段私が快く思っていない方だったりするから、感情ははさらに複雑な様相を呈していて。
そのフォローの言葉に、私もかなり慰撫されてしまったりしたもんだから、じゃそれまでのその方に対する嫌悪感は何処に行けばいいのか、と。これを機にその方へのわだかまりを捨てて、ってのが筋かも知れないしそうできればむしろ楽なんだけれども、そんな単純なもんじゃないよね人間の感情って。
いや私が歪んでいるだけなのか。

そういえば、同一人物に対しての印象が、どうも私は普段から揺らぎ過ぎるきらいがある。
いい人だな、と思っていたのに、あるきっかけで嫌悪感を抱いてしまったり。あるいはその逆。極端なんだよな振れ幅が。
たぶん先入観が強すぎるからそうなるわけで。できるだけ相手のことをニュートラルに捉えないと。

あ、あとチョコ断ちしてるのも、イライラの一因かもしれない。

ご立腹ついでに、今もっとも私の神経を(悪い意味で)刺激するミュージシャンが「湘南乃風」。なんかビデオクリップを見て(悪い意味で)鳥肌が立ったのひさしぶりです。悪意を感じるほどヒドいセンスだ。しかしこの感触、なんか覚えがあるぞ。そうだ二年くらい前に城東区の会社のラジカセの802から流れてた、めちゃくちゃ嫌いだったあの曲に、と思ってたら、その曲は、つい最近湘南乃風のメンバーの一人と結婚したMINMIという人が歌ってた曲だったことが判明しました。ものすごく納得です。

考えても考えても答が出ない時はどうするか。

一度机を離れてみる。
缶コーヒーを買いに外へ出る。
近くの公園を何周か歩いてみる。

それでも、答が出ない時はどうするか。

思いきってその日は帰ってしまう。

それでも,
答が出ない時はどうするか。

とにかく日数と時間が許す限り考え続ける。
ぎりぎりまで。最低限の作業時間だけは残して。

昨夜の稲妻のように、前触れも無く、唐突に、答が閃くことを信じて。

iMacがやってきた。ヤァ!ヤァ!ヤァ!

職場に、新しいMacがやって来ました。
デザイナーの方々はMacPro、私はiMac。
アルミフレームの方ではありませんでしたが、それでも、今使ってるG4と比べて桁違いのスペックです。ワオ!
継続中の仕事や外部ブレーンさんとのからみもあって、いきなり移行はできません。なので旧環境も残したまま。ただでさえ狭い机が、さらに圧迫感を増してしまった。

試しにちょっと触ってみましたが、インターフェースが変わってしまうと勝手が違って思うように操作ができない。
共通項が多い、というのが、むしろやっかいなのです。完全に別物になれば、また一から、ということで割り切れるのに。
どちらかに完全移行するまでは、指が混乱するんだろうなあ。

更新完了

運転免許証の更新に行って来ました。
ペーパードライバーなので、違反も減点もありません。よって優良ドライバーとしてつつがなく更新完了、となるはずですが、一つだけ、危惧があったのです。

それは「視力」。

前回更新の5年前から、明らかに落ちています。
眼鏡をかけていても、右目はたぶん0.4(以前の会社の健康診断で視力検査を受け、判明)。
視力表を盗み見て覚えよう、とかセコいことを本気で考えていましたが、スコープ式の検査だったため、あえなく断念。
観念して双眼鏡みたいな機械を覗いたら(眼鏡のままだとこれが実に合わせにくい!)、案の定、合格ラインの輪っかの切れ目が見えない。
「ううう」とあせってたら、担当のおっちゃんが何もかも心得た表情で、「見にくい? じゃあっちへ廻って」と私をスコープの向こう側に促します。
そこには、私のよく知ってるオーソドックスな検査ボードがあありました。
スコープ式は見づらい、という人が案外多いのかもしれません。
ともかく、仕切り直し。こっちも結構ぼやけて見えて、駄目かも、と思ったのですが、担当のおっちゃんは、視力の合否を判断するよりも、人の流れをできるだけ滞りなく進めることが大事みたいで、判定が滅茶苦茶甘いのです。
いや、甘いというより、見えてくれなくちゃ困る、見えてるよね、ね、ね、と後押しされる感じ。
というわけで、辛くも視力検査クリア。
なんというか、運転免許センターの、いかにもお役所的いいかげんさに、この日ばかりは感謝です。
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ジュンク堂とタワーレコードのおかげでかろうじて生きてる40age下流層コピーライター。脱モラトリアムはとっくに断念。水森亜土が目標です。








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