2010年12月

ヤマアラシのジレンマ

ヤマアラシのジレンマ、と呼ばれる寓話がある。

ヤマアラシの群れが、冬の厳しい寒さから身を守るために、
お互いを温めようと、身を寄せあう。
しかしぴったり寄り添うと、外皮のトゲが刺さって痛い。
そこで寄り添うのを止めて離れるのだが、単独でいると、再び凍えるように寒い。
そこでまたヤマアラシ同志近付き…また離れ…
を繰り返しているうちに、ちょうどよい距離を見つけるに至った。
というお話。

これはドイツの哲学者ショーペンハウエルの考えた寓話で、
フロイトがそこに心理学的な解釈を施した、らしい。
らしい、というのは、俺はネットで調べるまで
ショーペンハウエルやフロイトの関わりはもちろん、
最後にヤマアラシが「ちょうどよい距離を見つける」というオチも知らなかったのだ。

俺は、ヤマアラシは、永遠にこのジレンマに苦しみながら生きていく、と思っていた。
つまりこの例え話は、人間の相互理解の不可能性を現していると勝手に解釈していた。

俺の頭の中では、ヤマアラシは、身を寄せあった時に、二重に傷付く。
一つは、彼等が外皮にまとう刺=エゴによって。
過度に押し付け合った相互のエゴは、確かにお互いを苦しめるだろう。
しかしこれは、ショーペンハウエルの寓話のオチのように、
適度な距離をとることで解消できる。
問題は、もう一つ苦しみがある、ということだ。
ヤマアラシは、相手に思いを寄せるあまり身をぴったりくっつけ、
そして知らなくてもよかったことを、知ってしまう。
それは、相手が、自分とは何かが微妙に、しかし決定的に異なるヤマアラシだ、ということだ。

こんなに近付きたいのに、身をよせればエゴの針で君を刺し、君を苦しめ、
僕は僕で君の中に僕とは絶望的に異なる部分を見つけてしまい、苦しむ。
かといって、完全に離れることもできず…お互いに永遠に苦しみ続ける。

というような救いのないイメージを描いておりました(笑)

フロイトが本当はどんなことを言ってたか分からないからアレだけど、
コミュニケーションについていろいろ示唆に富んだ寓話だと思う。

仕事納め

12月28日は、勤務先の、一応の仕事納めだった。
朝から京橋の得意先に行って打ち合わせ&ロケハン。
戻ってお昼食べて普通に作業。
午後からは仕事を切り上げ大掃除、なのだが中掃除くらいしかできなかった。
特に自分の机周りはほとんど手付かずでタイムオーバー。
6時から親会社で納会。しかし仕事の手が離せなくてブッチした。

南堀江の敏腕デザイナーi氏の会社の納会の日でもあったのだが、
結局今年も参加できず。
2010年はi氏にはほんとにお世話になりっぱなしの一年だった。
この場を借りて御礼を言います。来年もよろしくお願いします。

8:00から、南森町のA師匠と、ささやかに忘年会。
かっぱ横丁で飲んだ。この界隈に来ると学生援護会で働いてた頃を思い出す。
A師匠は待合せの時点ですでに顔が赤かった。
ビールで乾杯して、近況報告とか、いろいろ。
いっぱい笑わせてもらった。いや今思うと笑い事じゃなかったかもしれない。
ま、いいか。師匠は大人だから許してくれるだろう(笑)

とりあえず、公式戦は終わったが、個人的には30日まで延長戦。
もうひと頑張りします。

MARUZEN&ジュンク堂

日曜出勤の帰り、ウワサのMARUZEN&ジュンク堂に
ちょこっと立ち寄ってきました。

場所は茶屋町ロフトの隣。
アクセスを事前に調べず、ヤマカンでとりあえずロフトに行ったら、
いきなり隣に「ズンッ」と出現したのでびっくりした。

むき出しコンクリートの骨組みにガラスをめいっぱい嵌め込んだ超かっこいいビルは、
夕方だったので、ガラス窓から光が外に漏れ、さながら
「本の宇宙要塞や〜!」
なんとなく安藤忠雄っぽいな、と思ったら、実際そうだった。
阪急電車側から見上げると迫力満点で、
これで左ななめ上に、ほっかほっか亭の電飾看板がみえなければ完璧なのに、と思った。
(即刻撤去)
ついでに手前に建設中のタワーマンションもいらない。
(即刻建設中止)

本の所蔵数は200万冊で、これは日本一らしいです。
この巨大なタテモノの中が、本で埋め尽されているのか、と思うと
ちょ、ちょっと興奮しませんか。ハァハァ…。

エスカレーターを上がる時に、
「階数が多くて大変」とか言ってる学生がいたが、アホか、と。
嫌なら BOOK1st行けよ、と。
欲しい本がアマゾンでワンクリックで手に入るこのご時世に、
こんな巨大書店、実用性度外視の無駄に決まってるやん。
その無駄をわざわざ作った、現代のバベルの塔みたいな贅沢な暴挙を楽しめない奴は、
来る必要なし!

…でもいっぱい来ないと潰れるから、ごめんなさいやっぱり来て下さい。

(乗ったことないけど)巨大ロボットに乗り込むように、胸高鳴らせフェードインし、
とりあえず全階をくまなく…見て回りたかったが帰宅時間のこともあり、
主要な階をさらっとに留めました。
本は…さっとみただけでも多いです。新書が充実じてるのはもちろん、
選書もいっぱいある。これ見ただけで、やる気をヒシヒシ感じるなぁ。
棚は規則正しく整然と並べてあるし、フロアの構造もシンプル。
階は多いけど、欲しい本はわりと簡単に見つかるんじゃないだろうか。
個人的には、本のラビリンスを目指すなら(目指してないかもそれないが)
もっと入り組んでてもいいくらい。

そして地階はコミックコーナーなのだが、
な、なんと!立ち読みできる!!!
全部の漫画じゃないが、かなりの割合で、立ち読み防止カバー無し。
これは思いきったなぁ。
でも、立ち読みする人のマナーが悪いと、すぐカバーされるな…。
そこで皆さんにお話があります。
いつまでも「立ち読みOK」を継続してもらうために、
漫画は綺麗に読みましょう。
読み終えたら元の棚へ。
そして立ち読みばっかじゃなくて、時々購入しましょう。

MARUZEN&ジュンク堂(と俺)からのお願いです。

その出来事が、本当にあったことか、
それとも妄想みたいなものだったのか、よくわからない…
そんな記憶が、いくつかある。

そのなかの一つ。
小学校に入るか入らないかの頃、雨の中で若い女の人に道を聞かれた。
その女の人を、俺はその場所まで連れて行った。
女の人は、わざわざ案内してくれて、本当にありがとう、
みたいなことをとをいって、そして、小さい俺をぎゅっと抱き締めた。
女の人の顔だけが、傘で隠れて分からない。

昔は、これは絶対に本当のことだと信じていて、そのつもりで人に話していたけれど、
最近、もしかしたら妄想だったんじゃないか、と思うようになった。

それはそうと近ごろは、20年以上前のことは、
もう全部、幻なんじゃないか、と思えてしまって、
もちろんそんなはずはないんだけど、
なんだかもう幻でかまわないような、現実でも幻覚でもどっちでもいいような、
そんな気もして、もっというと、過去どころか今現在でさえ、
現実感が希薄になることが時々あって、何か、時空が歪んでるとか、
そういうSF的な事態なのか、それとも俺がボケてきているのか、
なんだか分からないが、あんまりいいことじゃないんだろうなぁ、という気だけはする。

メリークリスマス

赤ワインをグラスに2杯飲んだだけで3時間ほど眠ってしまって、
さっき目が覚めて時計を見たら11時を過ぎていた。
ワインのアルコール度数も11°だった。
もうすぐクリスマスが終わる。

今日はクリスマス寒波とかで急激に寒かった。初雪を見た。
今夜降れば、積もるかもしれないし、晴れていたら星が奇麗な夜だろう。
ちょっとベランダへ、と思ったけどただでさえ寒い上に
寝起きのせいで体温も下がっているのでやっぱりやめた。

高橋幸宏&スティーブ・ジャンセンの「BETSU-NI」を
ひさしぶりに聴きたくなって、聴いた。
スティーブが「ユキヒロ、日本語の“別に”ってどういう意味?」
と尋ねたことから生まれた曲、らしい。
歌詞は英詞。日本語訳を読むと
「そして僕は覚えていくんだ。知らなくてもよいことを」とか、
胸に迫るフレーズが多い。
曲のクライマックスの「IN MY MIND〜」のところの、
祈るようなメロディーとハーモニーは、何回聴いてもグッとくる。
クリスマスと関係ない曲なのに、
どうも25日に聴くと、クリスマスの曲っぽく聴こえる。

嘘をついて生き続けるのは苦しそうだし、
本当のことだけつらぬいて生きるのも苦しそうだし、
どっちも苦しいなぁ、とか考える。
大人になって分かったことは、嘘と本当の境界線は、
子供の頃に考えていたほどはっきりしていない、ということだ。
生きていると、嘘とか本当とか、単純にはいえないことばかりで、
だから苦しむ。

今日は無印の季節のお買得品で買ったグレーのショートコートをはじめて着た。
それから、ようやく髪を切りに行けた。よかった。年内に切れて。
今朝、家で少し仕事をしたけど、とても終わらないので、
続きは明日、がっつり会社で本格的に働く。

ブログを書いてる間に、クリスマスが終わった。

イブなのにまだ会社

今週の日曜日。仕事。
年末。たぶん30日まで、仕事。(公式の仕事納めは28日)
年始。たぶん4日から、仕事。(公式の仕事初めは5日)
大晦日と三が日はなんとか死守したいが…

さらに、年明けの重なり具合(重い案件が四重奏なんです)を考えると…

おそろしい…
乗り切れるかしら…

ちなみに今年は予算が捻出できなかったとかで、
会社の忘年会が無くなりましたとさ。

大丈夫か俺、および俺の会社?

ほんとに年の瀬?

忙しいのに年末感が乏しい。
それはたぶん、忙しさの原因が「仕事」だからだ。
年賀状とかおせちの準備とか挨拶まわりとか、
季節感のある忙しさがせんぜん無い。
仕事でいっぱいいっぱいで、そっちへ手が回らないのだ。
今、日本中がそんな感じなんじゃないかなぁ。
あとクリスマスせいもある。
クリスマスは年々前倒しで始まるようになり、
しかも25日までずーっと日本を覆っている感じがする。
そのせいで、日本特有の年の瀬感が霞むのだ。
やっぱりクリスマスはお金が動くからだろうか?
なんにしても、貧しい話だな、と思う。

ものを書く人

うちの母親は本をよく読む人で、
小さい頃から本を読め読めと、俺もことあるごとに勧められた。
家には子供向けの名作全集も一そろえあり、それなりには読んだけれど、
全巻読破するような本の虫ではなかった。
母ほどの読書家にも、母が望むほどの読書家にも、俺はならなかった。

そういえば母とは、本の好みについて、きちんと話をしたことがない。

誰かと、好きな本、好きな音楽の話をすることは、
とても楽しいし大好きなのだが、同時に、どういうわけか気恥ずかしくもある。
これは俺だけかもしれないが、誰かと好みがぴたり合ったりした時に、
もちろん嬉しさが勝るけれど、実は恥ずかしさ、というか照れも、ほぼ同量感じているのだ。
肉親ならなおさらで、だから、あまり面と向かって好みの話をする気になれなかった。

それでも母親が何を読むかは気になっていて、中学生の頃、
カバーを外した母の文庫本の背を盗み見、というのも変だが、
こっそり(なぜか罪悪感が伴ったのだ)見たことがある。
円地文子とか瀬戸内晴美なんかの作品が多かった。
なんとなく、女の業とか、そういうイメージの作家だったので、
意外なようでもあり、納得できるようでもあり、
でもまあ、母も母親だけやってるわけじゃなくて独立した大人の女性でもあるのだなあ、と、
その時はこんなふうに言語化はできなかかったが、
そういったようなことを、母が少し他人に思えるような、少し遠ざかったような、
そういう漠然とした感慨として抱いていた。

円地文子や瀬戸内晴美について母自身から何か聞かされたことはないが、
その代わり「風と共に去りぬ」については、
原作も映画も度を越えて好きだということを、母は普段から公言していた。
あまりに好きで好きが高じ過ぎて、彼女はなんと「風と共に去りぬ」の続編を書き上げてしまった!
正統な続編「スカーレット」が出版されるよりも前のことだ。
四百字詰め原稿用紙に手書きで。もちろん日本語で、だ(笑)

いや「(笑)」をつけて書いたけれど、笑い事じゃない。
この時、俺は心底母を「すごい」と思ったし、書きたい、という衝動は、
ここまで人を突き動かすのか、と感動したし、
こんなふうに突き動かされる人だけが、ものを書けるし書くべきなんだな、と思った。
人に見せるとか見せないとか、評価されるとかされないとか、
そんなことは関係ない。書かざるをえない必然性のようなものを持っている人が書くんだ、
と納得した時に、同時に、俺はものを書く人じゃないな、
ということもはっきりした気がした。

とかいいながらブログ書いてますが(笑)これは日記みたいなものなんで。

布団叩きって意味ないの?

布団を干した後、バンバン叩くのは、
無意味であるばかりか逆効果!だそうです…
これが本当なら、ちょっとショックだ。

http://news.livedoor.com/article/detail/5218454/?utm_source=m_news&utm_medium=rd


ホコリが出るたびに、あーキレイになったースッキリしたー
と喜んでた俺の今までの家事手伝い人生は、全くの徒労だったのか?
そして「叩けば埃が出る身」という慣用表現はどうなってしまうのか?

関係ないけど、高層マンションの上階の住人は、
布団を干したいとき、どうするんだろう?

気ぜわしい

プレゼン通った!やった〜!!!
でも時間が無い〜いろいろ重なっているし〜
そして年末年始を考えると〜

…どよ〜ん

考えただけで、パニクってます。
落ち着け落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせる心の声に、
すでに落ち着きが無いという。
あああ…

気ぜわしいの、苦手なんですよね。
誰だってそうでしょうけど、俺は特に。しかも年々苦手意識がひどくなるなぁ。
うー、テンパりすぎてしんどい。
まだ何も始まってないのに。

あ、弱気になると、ですます調になる。
Archives
Profile

マツ

Recent Comments

マツ

ジュンク堂とタワーレコードのおかげでかろうじて生きてる40age下流層コピーライター。脱モラトリアムはとっくに断念。水森亜土が目標です。








Recent Comments
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ