エメラルドが好きになったのは、亡くなった祖母が好んで薬指にはめていた指輪に心を奪われた8歳の頃からだ。
今でも目を瞑るとシルバーの爪に掴まれた長方形の中石が脳裏に浮かび、湖の底みたいな緑青色の光がまぶたの裏を照らす。もう20歳を超えた現在の私の容姿は残念なことに地味で、その引け目からかエメラルドの宝飾品を身に付けることはないけれど、だからといって心の中からエメラルドの輝きが消えることはなかったし、実物をもたないゆえにだろうか、普通の人はきっと思い至らないだろうあることにも気づいた。
エメラルドは、「エメラルド」という文字も、光を放っている。
思うに、エメラルドとは、本体である鉱石と、後から与えられた「エメラルド」という名称との化合物ではないのだろうか。わたしは百貨店の宝飾品売り場に飾られたエメラルドを見るとき、エメラルド自体に重ねるように、エメラルドという5文字も見ている。身体的な眼ではない、認識の眼、とでも呼ぶほかないような視力で。エメラルドは、石だけではあれほどに光らない。名を与えられたときにはじめて、私を捉えた、比類ない輝きを放つようになるのだ。
そのことに気付いてから、本を読んでいてエメラルドという単語に行き当たると、文字から漏れた緑色の光が紙面に射していることに気付くようになった。以来、私 はその光を見たくて、エメラルドという単語が出てくる本を探し回ったのだが、もっともその単語が頻出したのはさして高名ではない宝石評論家の書いた文庫のアクセサリーガイドで、本自体の値打ちはさておき、230ページ中83カ所にエメラルドという名詞がちりばめられていて、古書店で見つけた時は思わず声を上げて初老の店主を驚かせた。
今も繰り返し読み続ける色褪せた文庫本は私の宝物で、なにより美しいのは、夜、部屋の灯りをつけずに本棚から取り出したとき、頁の隙間から漏れる光だ。漏れるというよりこぼれる、といった方が正確で、床の上にぽたぽたと落ちたそれはまるで蛍光塗料のしずくで、しばらく床に留まりぼうっと光り続けるが、時間の経過とともに、少しづつ少しずつ、小さな弱い光のしみとなり、やがて消えてゆく。
今でも目を瞑るとシルバーの爪に掴まれた長方形の中石が脳裏に浮かび、湖の底みたいな緑青色の光がまぶたの裏を照らす。もう20歳を超えた現在の私の容姿は残念なことに地味で、その引け目からかエメラルドの宝飾品を身に付けることはないけれど、だからといって心の中からエメラルドの輝きが消えることはなかったし、実物をもたないゆえにだろうか、普通の人はきっと思い至らないだろうあることにも気づいた。
エメラルドは、「エメラルド」という文字も、光を放っている。
思うに、エメラルドとは、本体である鉱石と、後から与えられた「エメラルド」という名称との化合物ではないのだろうか。わたしは百貨店の宝飾品売り場に飾られたエメラルドを見るとき、エメラルド自体に重ねるように、エメラルドという5文字も見ている。身体的な眼ではない、認識の眼、とでも呼ぶほかないような視力で。エメラルドは、石だけではあれほどに光らない。名を与えられたときにはじめて、私を捉えた、比類ない輝きを放つようになるのだ。
そのことに気付いてから、本を読んでいてエメラルドという単語に行き当たると、文字から漏れた緑色の光が紙面に射していることに気付くようになった。以来、私 はその光を見たくて、エメラルドという単語が出てくる本を探し回ったのだが、もっともその単語が頻出したのはさして高名ではない宝石評論家の書いた文庫のアクセサリーガイドで、本自体の値打ちはさておき、230ページ中83カ所にエメラルドという名詞がちりばめられていて、古書店で見つけた時は思わず声を上げて初老の店主を驚かせた。
今も繰り返し読み続ける色褪せた文庫本は私の宝物で、なにより美しいのは、夜、部屋の灯りをつけずに本棚から取り出したとき、頁の隙間から漏れる光だ。漏れるというよりこぼれる、といった方が正確で、床の上にぽたぽたと落ちたそれはまるで蛍光塗料のしずくで、しばらく床に留まりぼうっと光り続けるが、時間の経過とともに、少しづつ少しずつ、小さな弱い光のしみとなり、やがて消えてゆく。