2014年01月

エメラルド(創作)

エメラルドが好きになったのは、亡くなった祖母が好んで薬指にはめていた指輪に心を奪われた8歳の頃からだ。
今でも目を瞑るとシルバーの爪に掴まれた長方形の中石が脳裏に浮かび、湖の底みたいな緑青色の光がまぶたの裏を照らす。もう20歳を超えた現在の私の容姿は残念なことに地味で、その引け目からかエメラルドの宝飾品を身に付けることはないけれど、だからといって心の中からエメラルドの輝きが消えることはなかったし、実物をもたないゆえにだろうか、普通の人はきっと思い至らないだろうあることにも気づいた。

エメラルドは、「エメラルド」という文字も、光を放っている。

思うに、エメラルドとは、本体である鉱石と、後から与えられた「エメラルド」という名称との化合物ではないのだろうか。わたしは百貨店の宝飾品売り場に飾られたエメラルドを見るとき、エメラルド自体に重ねるように、エメラルドという5文字も見ている。身体的な眼ではない、認識の眼、とでも呼ぶほかないような視力で。エメラルドは、石だけではあれほどに光らない。名を与えられたときにはじめて、私を捉えた、比類ない輝きを放つようになるのだ。
そのことに気付いてから、本を読んでいてエメラルドという単語に行き当たると、文字から漏れた緑色の光が紙面に射していることに気付くようになった。以来、私 はその光を見たくて、エメラルドという単語が出てくる本を探し回ったのだが、もっともその単語が頻出したのはさして高名ではない宝石評論家の書いた文庫のアクセサリーガイドで、本自体の値打ちはさておき、230ページ中83カ所にエメラルドという名詞がちりばめられていて、古書店で見つけた時は思わず声を上げて初老の店主を驚かせた。
今も繰り返し読み続ける色褪せた文庫本は私の宝物で、なにより美しいのは、夜、部屋の灯りをつけずに本棚から取り出したとき、頁の隙間から漏れる光だ。漏れるというよりこぼれる、といった方が正確で、床の上にぽたぽたと落ちたそれはまるで蛍光塗料のしずくで、しばらく床に留まりぼうっと光り続けるが、時間の経過とともに、少しづつ少しずつ、小さな弱い光のしみとなり、やがて消えてゆく。

‪『ゴーゴー幽霊船』米津玄師‬

今、日本でミュージシャンを名乗る人は何人くらいいるんだろうか。100%音楽で収入を得ている人、音楽収入だけでは食べてゆけず、副業やアルバイトで補っている人、正業があって、その合間にライブやってる人、学生だけど、趣味では済まないくらい本格的に歌ったり演奏したりしている人。そういう人たちをぜんぶ含めたら、相当な人数になると思う。でもその「相当な人数」の相当は、あらためて考えるとすごく曖昧で、どれくらいのケタなのかピンとこない。何千人?それとも何万人単位?「音楽では食えない」という話が定説化しているのに、音楽をやってる人はむしろ増えているイメージがある。ただ、これはあくまでも根拠の無い推測で、ミュージシャンが増えたんじゃなくて、ミュージシャンを知る機会が増えただけかもしれない。本当のところはよく分らない。

新しいミュージシャンやその音楽と出会う機会が増えたのは提供手段が広がったからで、その広がりを担っているのはもちろんネット環境の普及だ。自分の演奏や宅録した音源を動画サイトや音楽系のSNSサービスなんかに簡単にアップできる。リスナーも、気に入った曲があればダウンロードしたり保存したりすれば済む。提供する側もされる側も、敷居は両方から低くなってる。ということはやっぱり「ミュージシャンになろう」という人は増えてるんじゃないか?音楽を披露する方法だけでなく、制作手段も簡易化している。音源もPVも、手の届く機材で作ろうと思えば作れてしまうのだから。

というわけで僕もネットで「あ、これはいい!」という人やグループを見つけることが多くなった。米津玄師という人もそのひとり。なんの予備知識もなくて、YOUTUBEで知ってるミュージシャンのPVを辿ってるうちにそこから逸れていって偶然出会った。作詞作曲演奏ボーカルはもちろんイラストもご本人。たぶんPVの制作も。作られ方も出会い方も、あー、“今”だなーって思いました。僕は基本的には才能のある人は、提供手段や視聴手段に左右されることなくクオリティーの高いものを創るだろう、と思っているのだけど、もしかすると、手段から生まれる才能というのもあるかもしれない。例えばこの米津玄師という人が、あと10年早く生まれてたら、果たしてミュージシャンになっていただろうか?

20歳

赤く色褪せたプリントの中の僕はいまよりずっと若く、今よりもっとくらい目をしている。スーツを着ているのは成人式に向かう前に記念に撮った写真だからだ。生まれてはじめて着たスーツ。当時は背広と言っていたかもしれない。左肩が下がるクセは今も変わらない。地面に垂直に立つことのできない自分を見ると、当時の生きづらさまで透けて見えるようで痛々しい。横に映る白い壁は僕の実家で、成人式から7年後、阪神淡路大震災のとき倒壊し更地になり売却され、今は福祉施設が建っている。

成人式は市役所の横にある公営のホールで行われた。建物は古くコンクリートは黒ずんでいた。式典の内容は憶えていない。式の後、全員に紙袋が配られた。中の一つは正方形の箱で、薄皮の下の生地がぱさぱさした漉し餡入りの饅頭が収まっていた。他の物は式典同様忘れてしまった。久しぶりにあう友達と話しながら、目は高校の時に好きだった女の子を探したが見つからなかった。

当日は「成人式なんてカッタルイ」そんな斜に構えた気持ちで臨むものだという義務をみんなが了解し共有していて誰もが忠実にそれを守った。思えば僕たちは誰もかれも真面目だったのだ。そして今の20歳も僕らの頃と変わらずに真面目なんだな、とわざわざ傍若無人な新成人を選んで映すニュースを見ながら思う。

2014年

最近は月日が「流れる」なんて生やさしいものじゃなく、垂直に落下する感じです。何かの底が抜けたのかな。
大晦日〜三が日も、ゆめまぼろしのように過ぎました。

31日。今年の年越しそばは、そばとおつゆを別にしたつけそばスタイルで。おつゆは温いの、炒めた鶏肉とねぎを入れて。目先が変わったし、なによりとてもおいしかった。
めずらしく紅白もがっつり視聴しました。昔に返ったみたいに。演歌はやっぱり好きになれないなぁ。歌謡曲をもっと混ぜて欲しい。

1日は実家へ行っておせち。根菜類がおいしくてたくさん食べました。子供がきらいだという茶色くて地味なものがますます好きになってゆく。でもまだから揚げやウインナーや玉子焼きも食べます。実家の玉子焼きは砂糖をたっぷり入れるから甘い。子供の味。でも70歳になっても好きだと思う。

2日めに清荒神と中山寺にお参り。巡礼街道というルートがあって、ひとつづきで歩いて回れます(ほんとは清荒神と中山寺の間に売布神社がある)。中山寺は本殿のほかにも境内に小さなお寺や神社がたくさん祀られていて、思わず「御利益のデパート」とつぶやいて、あ、バチが当たる、と心の中で誰だかに謝りました。信心が浅いから、バチはよけいに強く当たりそうで恐い。

3日めはダラダラして終わり。こんなにダラダラしたのは久しぶりだ。その晩、夢を見ました。たぶん初夢です。内容があまりに支離滅裂なので、それが何を意味しているのか、解釈のしようがありません。したがって割愛。

休みも残り2日間になりました。そろそろ出社日が見えてきて憂鬱ですが、がんばって社会復帰したいと思います。

最後になりましたが明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
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ジュンク堂とタワーレコードのおかげでかろうじて生きてる40age下流層コピーライター。脱モラトリアムはとっくに断念。水森亜土が目標です。








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