「森昇 陸上」で検索される機会が多くなったので書いておきます。
※2016年10月7日加筆修正



※コーチには過去は関係ないですが、「もりしょーってどんな人だ?」ってのを知ってもらうための物です。


森昇/Shou Mori(もり しょう)

岐阜県岐阜市生まれ岐阜在住



2016年4月より岐阜県や名古屋市を中心にして日本で唯一のスプリンター専門のマインドコーチとして個人向けのコーチング活動やセミナー・イベントを開催したりしています。


スプリント種目は100m200m専門です。特に指導者や実業団、プロスポーツ選手を中心に、速く走る事に対しての悩みの解決をサポートしてます。



怪我の解消から、筋肉のつけ方、走りかたやテクニック、メンタルの使い方等、スポーツ科学の側面と最新の脳科学と認知科学を使ったコーチング理論で解決の糸口を見つけ、現状を脱出するお手伝いをしています。



このブログでは、クライアントさんからの質問への返答をメインに、開発した技術やノウハウをできるだけ公開して行きたいと思っています。


スプリント種目はなかなか言葉だけで伝えるのは難しいですがマインドコーチングの復習やセミナーのための予習復習にも効果的ですので活用してください。



つぎからはどんな陸上人生を歩んできたのかについて書いています。

【森昇、陸上競技に出逢う】

中学生の時に、運動音痴にも関わらず陸上部に入りました。


運動音痴の僕が何で陸上部に入ったかというと、文科系はなんとなく嫌だったし、道具を使うスポーツは苦手だし、柔道等みたいに痛いのは嫌だったからです。

でも、帰宅部はなんか青春してない気がしてもっと嫌でした笑


そんなこんなで、消去法で考えていった結果、残ったの陸上部でした。

だけど、ぼくは足は遅かったけど走ること自体は好きでした。

マラソンは辛いから嫌いだったけど、短距離(100m、200m)は好きだったんです。

走っている時に自分の世界が変わるのが好きだったし、走っている時に頬に当たる風が気持ちよく感じるのも好きでした。


そして、当時入部した時に3つの夢を持つようになりました。


1、全国大会出場
2、100mで10秒台
3、200mで21秒台
 
この3つがぼくが初めて心からやってみたいけど、入部当時の自分では無理だと思えるようなでした。

コーチング的に言えば、現状を超えたゴールですね。 



なんでその夢を持ったかは詳しく覚えてないんですけど


理由の一つは、とにかくそれがかっこいいと思ったからです。

なんだかかっこよく、「自分がそれを達成したら。。。」って考えたら嬉しくなりました。

ぼくにとってはその3つが初めて持てた夢だったわけです。



でも実際、部活で練習をすると


  • 誰にも走りでついていけない、

  • 体力なさすぎて最後まで練習できない、

  • 運動音痴すぎてなかなか言われたように身体を動かせない。

  • 試合に出れば、最下位が当たり前。

という、全国大会出場とか100m10秒台で走りたいとか言う以前の、戦力にもならないレベルの選手でした。



先輩からは


「いても意味ないから辞めたら?」とか言われたり
「お前が全国大会とか絶対無理」とか言われたり
「100m10秒台や200m21秒台なんてなに夢見てんのw」


って言われたりもしました。



まぁ、当時のぼくからしたら戦力にもならないわけだし、なんせ現実とはかけ離れている夢だったから、そういわれるのも無理はないわけです。

ゴールを言えば、ドリームキラーが出てくるとはまさに教科書通りですね笑



だけどぼくはどんなに批判されても

夢を持っていない、自分がこころからやりたいことがなくてつまらない生活には戻りたくはないと思いました。

どんなに夢とかけ離れていても、夢を持てるというのは幸せなことで、それに突き進んでいける時ってのは人生を充実させてくれるというのをぼくは夢を持ったことで知ってしまいました。

だからぼくは夢を諦めることができなかったから、ひたすら練習をしました。
 
そう、すべては夢を叶える為だったんです。。。



【大怪我。「夢を諦める必要がある」と宣告される】

そしてぼくは中学1年の秋に、今までのハードな練習の疲労が蓄積され、腰椎分離症という怪我をしてします。

腰椎分離症ってのは、骨盤の近くに腰椎があるんですけど、その部分が剥がれる怪我です。

歩くのはまだ大丈夫だったんですけど、走ることが痛すぎでできませんでした。

医者に相談したところ、「このまま治らないと一生痛みが消えないから、陸上を辞めた方がいい」と言われてしまいました。

その言葉を聞いた瞬間、ぼくの目の前が真っ暗になりました。

なぜなら、心からやりたいと思える夢を手放せと宣告されたからです。



【絶望のふちにいたぼくを救った一言。】


その夜、母親に相談しました。 

「医者に怪我のこと相談したら辞めろって言われた。だけど自分はやりたいけど、どうしたらいいかわからない」

そしたら母親がこう言いました。

「この先、辞めて後悔しなければ辞めればいいけど、少しでも後悔すると思ったら辞めない方がいいよ」

この言葉を聞いた瞬間、身体に電気が走りました。

ぼくは「走ることを辞めたくない。夢を叶えたい」ことに気が付きました。



ここでぼくは自分の気持ちに気が付き、全国大会出場と100m10秒台、200m21秒台で走るという夢に向かって突き進んでいくことを決心します。


つまりは


「ゴール(目標)側の自分から見て、【今この瞬間】どういう行動をするべきか」


ということを考えるってことです。


ぼくはゴール側から見たらここで陸上を辞めるというのは自分らしくないと思ったし

辞めた方がこれから待っている過酷な運命に進んでいかなくても済むけれど

辞めた場合の事をイメージしたら陸上を辞めるということは自分のWant toな気持ちに「嘘」をつくことになる。



そして「嘘」は未来の自分を蝕み

この先自分の人生が思ったようにいかなかったら

「あの時陸上を辞めなければもっと違った人生を進んでたのかなぁ」

って自分を否定し、傷つけることになると思いました。



ぼくたちは、「幸せになる」と覚悟して決断して始めて人生が変わっていくということを実感しました。



「走ることを辞めたくない。夢を叶えたい」と覚悟して決断したその瞬間

僕の陸上競技に対する考え方、ぼく自身の人生は大きく変化します。



決心したその日から

「腰椎分離症を治しながら、夢を叶える」

この相反する2つを同時に叶えるためにいろいろな方法を模索していきます。



医者にコルセットをつくってもらい、寝る時とお風呂入る時、水泳の時以外身体に巻いて腰椎への負荷をなくしたり

毎日世界で活躍している選手の走り方をビデオで見たり

寝る前に自分が速く走れている姿をイメージしたり

自分で陸上関係の資料を取り寄せてトレーニングについて独自に研究したり


今までの自分では考え付かないような方法をいろいろやりました。




【夢まであと一歩】


その結果、中学2年から徐々に記録が伸び始め、中学3年になると腰椎分離症は治り、東海大会に出場するまでの選手になりました。


高校では順調に記録を伸ばし県の強化指定選手に選ばれることもあり

100mでは11秒03、200mでは22秒12まで記録を伸ばすことができました。


大学ではこのままいけば、余裕で10秒台が出せるし全国大会も出場できると思っていました。

ですが大学では、陸上人生で一番つらい経験をすることになります。



【初めてのスランプ。居場所がない3年間】


大学では環境の変化や慣れない体育会系の上下関係、怪我などでストレスが溜まったり、心身のバランスがくるってしまい、スランプに陥ります。

そして大学の短距離ブロックでは一番走るのが遅かったため、部にいてもいなくてもどっちでもいい存在でした。 

今まで順調にタイムを伸ばしたり結果を出せていたけれど、大学に入ってまったく通用せず、まったく走ることができなかったので、自分の居場所がどこにもなかった状態でした。

これが本当に辛くて、部活を適当にサボったり、夏休みや春休みの長期休暇は逃げるように岐阜へ帰ってきたこともありました。

大好きだった陸上を、いつも辞めたいと思ってました。

【もう一度、夢に挑戦してみよう】


だけど、ぼくは辞めることができませんでした。


なぜなら、どんなに辞めようと思っても、辛いなぁと思っても、落ち込んでも、走ることが好きになっていたからです。

だけど、悩んでも何も解決することはありません。


なので、大学3年の時に、高校以来決勝にいけなくなっていた岐阜県選手権の200mで入賞(3位まで)できなければ、陸上を辞めようと思いました。

そしてぼくは、試合当日に「もっと走りたい!ここで終わるわけにはいかないんだ!」ってなぜかキモチにスイッチが入り、200mで3位入賞という奇跡を起こしてしまいます笑

「あれ?おれ出来るやん。もう一回やってみようかな」

って大学に入ってからは過去の事ばかり見ていましたが、初めて前を向くことが出来ました。

それから冬期練習に入り、練習をしていきますが、なかなか自分の部内でのポジションが変わりません。

「このままではマズイ」

そう思ったぼくは気分転換がてら書店へマンガを買いにいきました。

そしてその時、僕はある1冊の本と運命的な出逢いをします。


【1冊の本で、人生が変わる】


マンガを買った後に、スポーツ関係の本が置いてあるエリアをぶらぶらしていました。

そこでぼくは「速く走るコツ マンガで見るスポーツ科学 小田伸午著」に出逢います。

小田伸午さんの本には高校の時に参考にさせてもらっていて、その当時は「スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと」って本でしたが

「速く走るコツ マンガで見るスポーツ科学」は、ぼくが今まで参考にしていた部分をそのまま超分かりやすくピックアップしたものでした。

「こ、、、このマンガ!オレが探し求めてたものが全て書いてある!」

ぱらぱらとページをめくり、読んで衝撃を受けたぼくは、次の日からそこに書いてある技術を体得するための練習をします。

当時は大学3年生だったし、別にいてもいなくても変わらないレベルの選手だったので少しくらい変な練習をしたり、別行動をしていても怒られませんでした笑



「ここに書いてあることが出来れば、間違いなくおれは速く走ることができる!」


本を読んで、根拠のない確信がぼくの中に出てきたんです。


僕がいたポジションは今までだと絶望しかなかったけど、逆にチャンスに変わった瞬間でもありました。


そして社会人になって再び読書に救われることになりますが、1冊の本が人生を変えるきっかけになることは間違いないです。


【ゴールは常に更新し続けることはとても重要】


実は大学3年までの目標は、中学の時立てた目標と何一つ変化していませんでした。


だけど高校3年の時に、全国大会出場も100m10秒台も200m21秒台も全て射程圏内のゴールとなってしまいました。

人間はゴールがなくなると物理空間に存在意義を無くしてしまうので、約1年半くらいの寿命しかなくなってしまいます。


だけど本能的にはいつまでも生きていたいわけで、そうなるとゴールに近づくのはOKなんだけど、達成されるのはまずいわけです。

だからゴールが射程圏内に来たときには、無意識がゴールを達成させないためにありとあらゆる手段を使ってゴール達成を阻止します。


ぼくが大学3年までに陥っていた状況ってのは、まさに無意識がゴールを達成させないように、ありとあらゆる手段を使ってタイムを出させないようにしていたわけです。

だけど大学3年の終わりになり、大学4年生という部活動の集大成となるとゴールを達成しようがしまいが強制的に終了してしまいます。


「何もしなくてもこのままいけば陸上人生が終わる」

引退とはすなわち選手として「死ぬ」ということなので、ある時強烈に引退の二文字が頭の中に浮かび上がり


「どうせ来年までなんだからでっかいことをやろう」と決心しました。



つまりは知らず知らずのうちにゴールを更新していたわけです。



ゴールが更新され、それを達成している自分に臨場感をもてるようになるとゴールを達成するための方法が自然と見えてきますし、エネルギーもわいてきます。


まさに「速く走るコツマンガで見るスポーツ科学」に出会ったのはゴールを更新した時でした。

【スランプを脱出して、夢を叶える】


そしてぼくがその本と出逢って約3か月くらい、徹底的にそこに書いてある技術を体得した結果


今までスランプだったのが嘘みたいに調子が良くなりあっさりと自己ベストを出すことが出来ました。


そして100m10秒89、20m21秒81まで自己ベストを更新して、リレーで全国大会に出場することができました。



こうしてぼくは10年かかったけど

全国大会出場
100m10秒台
200m21秒台


という3つの夢を叶えることができました。

そして僕の陸上選手人生は、一旦幕をおろします。



【読書に目覚める】


ここからは社会に出た時の話です。


ぼくは現在独立していますが、最初は普通に会社員でした。



ぼくは2012年に新卒として東証1部上場企業に入りました。


そこの社長と会社がかなり変わっていて、「読書をしろ」と何度も何度も言っていました。


何度も何度も「本を読め!」って言うので、「ふーん。読書って大事なんだ」って思い、自分なりに本を読んでみることにしました。

今では月100~300冊読んでいますが、それまでは月に1冊も読まない人だったんですよ笑



最初は1冊の本を読むのに数週間とか1月くらいかかってましたが、だんだん「本って面白いなぁ」と思うようになり、どんどん読める冊数が増えていきました。


【苫米地理論に出会い、衝撃を受ける】

2012年くらいに読書を初めてしばらくたった時に

ぼくは苫米地英人さんの本に出会います。

なんの本だったか忘れましたが、その本を読んでぼくは衝撃を受けます。


何が衝撃だったかというと、自分が陸上競技で夢を叶えた過程でやっていたことが、そのままの通り書いてあったんです。

ゴール設定
アファメーション
セルフトーク
などなど


ぼくは陸上競技にささげた10年間を苫米地さんの本に書いてある通りに実践をして結果を出し、書いてある通りに失敗をしていたんです。

だからぼくは苫米地さんの本を読んだ時に

「この本、オレの陸上人生のこと書いてあるやんけ!」

ってびっくりしました笑 



そこからいろいろ自分なりに苫米地理論を実践していく過程で


「本当に効果があるのかなあ」とか「本に書いてあることがいまいちよくわからない」って思うことが増えてきました。

【森昇、コーチングを本格的に習う】


本格的にコーチング理論を使えるようになり、人生に活かしたかったので、最新の認知科学や脳科学と取り入れた苫米地理論、タイス理論(TPIE)を駆使したコーチングを習うことにして、2016年4月に独立をします。




【「日本人はスプリント種目で世界に通用しない」をぶっ壊したい】



「スプリント種目では日本人は世界で戦うことが出来ない」と言われていますが、ぼくはそんなことはないと確信しています。


なぜなら、2016年のリオ五輪で男子400mRが銀メダルを獲得したからです。しかも世界歴代3位の記録を出すことができました。


「日本人のバトンパスが世界との差を縮めた」と言われています。確かに一つの要因ではありますが、本質ではありません。なぜなら、いくらバトンパスが完璧でも、走力がなければ意味をなさないからです。


彼らが世界と勝負できた理由は、「リレーなら世界で頂点に立つことが出来る」という圧倒的な確信があったからです。


自分たちの中に確信があり、本来持っている力を発揮することが出来たからです。


そして、確信とは、自分が何を信じるのかによって変わってきまり、この根底は私たちのマインド(脳と心)の使い方にあります。


パブロ・ピカソやレオナルド・ダ・ヴィンチは画材という道具を使い、モーツァルトやベートーヴェンは楽譜や楽器という道具を使い、アインシュタインやニュートンは数式という道具を使い一つの芸術作品を世に生み出しました。

スプリント種目も芸術作品であり、マイケル・ジョンソン、モーリス・グリーン、末續慎吾、伊東浩司、ウェイド・バンニーキルク、ウサイン・ボルト等、超一流と呼ばれるスプリンターの走りは人間の200本の骨と500個の筋肉という身体道具を使った作品です。

芸術作品とは、最初に頭の中から始まります。そして道具を正しく使いイメージを具現化していくことで作品として世の中に現れます。つまりマインド(脳と心)の使い方あってこその道具なのです。



ですが、現代の日本陸上界において、トレーニング論やフォーム論は語られますが、鍛えた体を動かすマインド(脳)の使い方を提唱している人は皆無です。



だからこそ実際にマインドを扱うプロのコーチであり、元スプリンターでもある森昇が



認知科学、脳機能科学をベースとした苫米地理論、TPIE理論をはじめ、高岡理論、小野理論など、短距離における最先端の理論を採用して「100m」、「200m」の0.01秒先の世界を極め、そして指導者自身のレベルアップを徹底的にサポート致します。



森昇のコーチングが選ばれる7つの理由

1、クライアントさんの過去の実績や現在の状況で判断することは絶対にありません。

2、少数精鋭なので、クライアントさん一人一人の人生と真剣に向き合うことが出来ます。

3、森昇がゴールを押し付けたり、クライアントさんのゴールを否定することはありません。

4、コーチングの知識がなくても、全く問題はありません。

5、森昇は100%クライアントさんの味方です。

6、セッション中も常にサポートします。

7、セッションが終了しても、1年間フォローします。





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