2005年06月09日

酒屋道楽 商売は早いもの勝ち

ずいぶん昔のはなしだが、僕の大学3年のころだった。日本のあちこちでセルフサービスの店ができ、中でもスーパーダイエーが神戸を中心にものすごい勢いで売上をのばしていた。すーと出来てぱーと消えるのがスーパーだと父はいっていた。何の商売もアメリカのやり方を真似れば儲かる時代だったのかも知れない。僕は本場アメリカのスーパーマーケットを見てみたい、その勉強をしてみたいと思った。NCRさんのお世話で、デイトン、オハイオ州のModern Merchandising of Mehtodというなセミナーに参加することになった。アメリカのスーパーを見て回り、世界各地の流通業者と意見をかわす勉強会だった。周りは有名な先生や一流会社のオーナーの方々中に23才の酒屋の若息子が、一人まじっていた。
 飛行機でサンフランシスコについた。バスに乗る、スピードが速い、前に乗っていると荒い運転だなぁと思った。空には大きな広告物のついた気球が二つ、三つ飛んでいた。海岸べりを走った。砂場を走っていた乗用車がいきなり、海の上を走るモーターボートに変わり、海の上に浮かんでいるではないか、驚いた。夜は興奮していたのか眠れなかった。夜と昼が逆で、アメリカと日本の時間差があったのだ。町へ出た。ドーナツ屋、ハンバーグの店、アイスクリームの店、日本よりも、種類が多い、どれも食べたくなる。うまかった。今にして思えばそれが、ミスタードーナツ、マクドナルド、ハーヴァードジョンソンだったのかもしれない。海岸沿いのレストラン、フィッシャマン ワーフで食事をした。大きな塩でむした蟹を一匹かった。2ドルだった。うまかったが、食べきれるものではなかった。こんな店が日本にあったらおもしろいな、そのまままねをしたら流行るだろうな、マネをすれば、早いもの勝ちだなぁと思った。
 アメリカでは、はなやかなもの、ばかでかいものばかりが目についた。空港での荷捌き、車や高速道路、巨大な橋や摩天楼の建物・・。でも、その裏にはコンピュターでしかけられた物流や情報のシステムなど優れた技術が動いていたのである。
アメリカは大きかった。広かった。バスで行けども行けども続く田園風景。トウモロコシ畑、一面の草原、馬や牛の群れ、こんもりした森林、小麦畑だった。人々も大変親切だった。何でも見てやろう、物めずらしさのあまり、僕はそのまま一年ほど、居残ることになった。誰一人知り合いのない異国で生活することはチト勇気がいった。若かったので、無理をしてずいぶん怖い橋を渡った。恐ろしいこともままあった。楽しかった。
シカゴの黒人街、ニュヨークのアポロという黒人劇場のすさまじい深夜まで続く踊り、親切でチャーミングなアメリカのガールフレンドとのドライブ、夕日の沈むアカプルコでのホテル王のお嬢さんと船上ダンスを楽しんだこと、メキシコシティーの市長さん宅へ招かれたこと、パトカーにのったポリスマンに道をきき、パトカーにのせてもらい大統領官邸やシケイロスの壁画を見に行ったこと、いろいろな国の留学生と出会い、夜おそくまで遊んだこと等、楽しかった記憶がよみがえってくる。
 あっという間に一年は過ぎ、帰国した。決まっていた会社も三ケ月しかもたなかった。父の商売を手伝う決意をした。酒屋の道楽の道を選んだ。アメリカ帰りのボンボンが、酒屋の前掛けが僕に似合うまで時間がかかった。
 しばらくして西宮にあったダイエー本部を見学させてもらった。なんとアメリカで見た物流システムがあるではないか。無線でコントロールした無人の荷物トロッコが走っているではないか。コンピューターも導入されているではないか。社長の中内氏はすごい、僕の学校の先輩でもある。ますます崇拝するようになった。その後、日本一を誇ったダイエーも今は勢いがない。商売も大きくなると怖い。僕はSmall is Beautifulの道を選びたい。酒屋の道楽は楽しい。
 http://www.morimoto.co.jp/                  

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オハイオ州オハイオ州 (Ohio OH)は、アメリカ合衆国|米国北東部にある州。州の北はミシガン州とエリー湖に接し、東側はペンシルバニア州、南はケンタッキー州とウェストバージニア州に、西はインディアナ州に接している。州都および2000年度の調査での最大都市はコロンバス|
オハイオ州【】at 2005年06月12日 00:46