山で風のように暮らすには不純な動機が大切です 森の工房オープン編2

初めてのお客さんは通りかかった写真屋さん。売れたのは忘れもしない8000円のフクロウの温湿度計。平日ということもあり初日は数人が寄っただけ。まあ休みの日はもう少し来てもらえるんじゃないかとかすかな望みは持っていた。

ところが・・・である。

翌日からのゴールデンウィークには8坪の狭い店に人がひしめき、後半を待たずしてあらかたの商品が無くなってしまうという異常な事態が発生したのだ。一番驚いたのは誰でもない私達自身だった。

 今から考えてみれば温泉街を除けば他に大した店がないという逆の意味で目立つ立地条件、温泉からの適度な距離、自然を背景にした環境、木の良さが見直されてきた社会環境などが総合的に影響し、どんな専門家も予想し得なかった結果になったのではないだろうかと思う。

 あわてて子供を預ける保育所を探し、初めて従業員というものを二人採用。夏休みを前に給排水も開通して風呂も完成、予算が無くて作れなかった塗装室も増築、殺風景な外回りに植木を植えたりと急ピッチで設備も充実していくのだった。


そんな何となく見通しが明るくなってきた矢先、花梨ちゃんが風邪をこじらせて熱を出したのだ。

二本松市内の小児科に通うのだがいつまでたっても熱が下がらず、悪化する一方の病状に郡山市内の有名な小児科を紹介されて入院。いやがって動くので体を縛り付けて点滴する姿に目がうるみ、いつまでも続くもうろうとした状態に一時はもしかしたら直らないんじゃないかと恐怖に怯える毎日だった。もちろん広子さんはつきっきりで私は夏休みで休むわけにもいかない森の工房と病院の往復だ。

いろいろと検査するものの原因がわからぬままさらに総合病院に転院。ようやく髄膜炎という病名が判明、後遺症が残る可能性があるという医師の話に少々ぎくりとしながらも回復して退院したのは一ヶ月後。熱が出始めてから何と2ヶ月、冷夏であったことなど気付く余裕も無く夏休みが終わろうとしていた。回復した喜びとともに何年か分のエネルギーを使い果たしたような疲労感が残り、子供を持つということはとてつもない恐怖を併せ持つ事なのだと思い知らされた。子供を持っただけで親になるのではなくさまざまな出来事をくぐりぬけて初めて親になっていくのだとつくづく感じた。


秋に入っても売上の方は順調で、冬を前に住宅部分に断熱材を入れたり、工房を有効に使うため棚をつけたり、店の入り口に風除室を作ったりと工事が続く。長崎から面接に来た変り種の従業員も一人増え狭い工房はフル回転だ。

初めての高原の冬。

冬という季節はけしてきらいではない。ピンと張り詰めた空気はなかなか良いものだし雪の美しさは降ってよし、積もってよしである。けれどうわさに聞いていた安達太良おろしはすさまじいものだった。トタン板の壁面が今にも壊れそうなバタバタというすさまじい音をたて、建物全体がギシギシと鳴って揺れ、隙間風のうなる様は恐怖以外のものではなく、一睡もできない夜がいく晩もあるのだ。翌朝には隙間から入り込んだ雪が室内に積もっていたりするのだからなかなかのものである。

どんなに防寒対策をしても所詮プレハブ。とにかく寒いし、暖房すれば結露でびっしょり。三春との標高300メートルの差は大きかった。もっとも、風の穏やかな月の夜に一面白くなった雪野原を長靴をはいて駆け回って喜んでいる人もいたのだから楽しみが無いわけでもなかったが・・・。

ここは積雪自体はそう多いわけではなく積もっても3、40センチくらいだ。ただ寒さは厳しく坂道ばかりの道路はずっと凍ったままなので車の運転は実に怖い。ここに来てから冬と風がすっかり嫌いになってしまったのは仕方の無い結果だろう。


恐怖の冬が終わり、翌年春に開催した「手づくりフェスタ」という手づくり品の展示即売のイベントがまずまず成功。マスコミにも取り上げられ、「森の工房は飛ぶ鳥を落とす勢い?」というようなうわさが出たとか出ないとかいう話まで飛び交うようになった。この頃には何と相手にもしてくれなかったはずの銀行が向こうから頭を下げてくるようになったではないか。

いくら何でもいいことばかりが続くことは良くない。「慢心」というものが全く無かったといえばうそになる。そんな心の隙を突くように大変な試練が待ち受けていたのだ。


オーナー 橋本和吉