山で風のように暮らすには不純な動機が大切です10
災難編

 その朝、私たちは激しく窓を叩く音で起こされた。

 何かのいたずら?覚めぬ頭に「・・・火事だ起きろ!・・・」という声が響いてくるではないか。

「えっ?火事・・・どこが・・・まさか?」

昨夜は山の友人たちが集まってヒマラヤに行くメンバーの壮行会を駐車場の隅でやっていた。

バーベキューを囲んで楽しく過ごし、広子さんなどはついさっき布団に入ったばかりなのだから何が何だかわかりようがない。

半分寝ぼけながらあわててズボンをはき外に出ると、顔をひきつらせた数人の友人が「火事だ、早く子供を外に!」と叫んでいる。

ふと工房の方を見ると何とオレンジ色に揺らめく炎が見えるではないか。

「・・・うそだろう・・・」悪夢なのか現実なのかすぐに自分の中で理解することなど全く不可能だった。

「・・・火事だ、工房が燃えている!すぐに花梨ちゃんを連れて逃げろ!」

うろたえる広子さんを残し炎の見える方に走ると積み上げた材料が火に包まれている。

「水は!」

「出ない、電線がやられた」

「だめだもう消せない、早く119番に!」

「少しでも持ち出せるものを持ち出そう」

「店に回れ!」

10人近いテントを張って泊まっていた友人たちが慌てふためきながら走り回っている。

どうしたらいいのか、何をすればいいのか、何を持ち出せばいいのか・・・冷静になどなれるはずがあるはずもない。頭の中は真っ白だった。

「・・・燃えてしまう・・・私達のすべてが燃えてしまう・・・私達のすべてが・・・」

ただあっという間に燃え広がっていく炎の色が目に焼きついていくだけだった。

今から考えれば消火器もあったし、風呂に水もあったはず。持ち出すものだって写真や現金など優先するものがあったはずなのに・・・。

焚き木のような材料とシンナー類の危険物、ベニヤ板だけの建物・・・全焼するまでそれほどの時間はかからなかった。

田舎に暮らすことを目指す多くの人がまず出会う災難が火事で、そんな話を本で読んだり、聞いたりはしていましたがまさか自分たちがそんな目にあうなんて・・・。

後の祭りではあるけれど私は火の元に関しては結構細かい方で、「失火」以外の原因が考えられないとはいえ夕べだって建物からの距離は十分とってあったし小雨も降っていて、誰がどう考えたって火事になるなんて考えられないはずなのだが・・・。

ともかくわずか2時間足らずですべては灰となって崩れ落ちた。

くすぶって煙のあがる焼け跡に冷たい雨の中で震えながら呆然とする私達がいた。消防団は片付けを始め、隣組の女の人たちが手際良く消防団の人達に炊き出しをし、男の人たちは後片付けの手配を始めている。聞きつけた観光協会の人達や親戚、知人たちが駆けつけてくれる。そのすべてがまるで無声映画のようで私達二人を取り残したまま時間が過ぎていくようだった。

それから数日の間に親戚や知人が次々に見舞いに訪ねてくれ、服一枚すら持ち出すことが出来なかった私たちに多くの家財道具と多額の見舞いを届けてくれた。何もかも失った私たちにはただただありがたく涙が乾く間がなかった。

このありがたさは本当にこういう目にあって見なければわからないものだろう。どんなに助けられ、力づけられたことだろうか。別に誰の世話にならなくても生きていける・・・そんな風にどこかで思っていた私達にとって大きな変革を迫られる事件でもあった。



悲しみばかりに浸っているわけにはいかない。やらなければならないことが山ほどある。

近くに空き家を借りていた従業員のところに転がり込んで、まずは残骸の後片付けはもちろん、それをお願いする隣組の人たちへのお礼、犯罪者を調べるような警察の調書作成、お世話になった人たちへの挨拶、迷惑をかけた方へのお詫びなどめったにできない経験をした。もちろんしないに越したことのない経験だが・・・。

さらに翌日に予定していた取引先への支払い延長のお願い、銀行や市役所への通帳や書類の再発行手続き、火災保険の手続き、再建へ向けた取り組み・・・と足を棒のようにして走り回らなければなかった。

服を買う時間などあるはずもなく、上から下までいただきもののサイズの合わない服や靴を身に着けて、あちこちと走り回る自分の惨めさに悔し涙が所かまわずあふれてしまう。こぶしを握り締め、肩を震わせて、歯を食いしばって歩く姿は随分異様に見えたことだろう。

何よりも再建に向けて急いで事を進めなければならない。従業員を解雇するわけにも行かないし夏休みが目の前なのだ。よく再建したねー!火事になんてあったらとてもそんな気になれないよ・・・とよく言われた。確かにそうなのかもしれない。これは経験したものでなければわからないがその喪失感はあまりにも大きく、すぐに再建しようなんて気力は無いほうが当たり前だとも思う。

私たちの場合、従業員がいたことが再建への大きな力となった。二人だけだったらその時点でやめていた可能性だってあったと思う。従業員を路頭に迷わせるわけには行かない!その思いだけでただ夢中で走り回ったように思う。

火災保険にはもちろん入っていた。でも本当に火災にあうことを想定して保険に入っている人はそういない。それなりの保険金は入っては来たが休業中の売上の減少分や、どうせ作るならと前よりも広くと思ってしまう分までは考えているはずも無い。ここで無理をしてしまったことが後でたたってしまうのだ・・・。とりあえずわずか一月半後の8月には再オープンさせるという周囲の人も驚くほどのスピード再建だった。もっとも住宅を建てるだけのお金は足りず、当面アパートを借りることにはなってしまったが。

この一件でたくさんの人のお世話になり、助けていただいた。その恩は一生忘れることはできないと思っている。

新店舗
復興後の店舗




つづく