・・・その2 結婚編・・・

 

そうと決まれば早く結婚ししょうというわけで、形だけの結納もして(お金は無いので結納金も指輪も一切無し)結婚式の日取りも3月にということで話がまとまりました。結婚式なんてやらなけりゃやらないで一緒に暮らせばそれでいいとも思うのだが、とりあえず本家で農家の三代目長男ということになると形だけでもやらなければ方々が収まらないようで・・・めんどくさい・・・。

そこで普通は結婚式場に行ってということになるのだが、そもそも私達は立派な?貧乏で貯金などほとんどないので人並みの豪華な結婚式ができるはずもないし、したいとも思わない。結婚式といえば普通は親が出してくれるのが当たり前のようだが、二十歳を過ぎた人間が自分の勝手で結婚するのだから自分達のできる範囲内でやればいいじゃないか!とバカな私達は考えるわけである。結婚は金がかかるとかお金が無いから結婚できない、というようなことは全く考えない非常識人なのだ。

ごく当たり前の私の親には「金を出すから当たり前の結婚式をしてくれ」と泣かれるのだが、「自分の好きな道を選択する代わりに自分ですべての責任をとる」というのがあの日からの譲れない自分の生き方なんだからしょうがねえべ!無論広子さんもその辺の価値観は同じ。それに自分達の結婚に対して招待者にも負担をかけたくもないと思うし、ご祝儀に大金を出してもらいながら離婚することになったら詐欺だろう・・・。

というわけで私達は当時かろうじて生き残っていた「会費制」というスタイルをとることにした。必要最低限の費用だけを会費として負担していただき、準備や運営を山の友達にお願いするというもの。ちなみに会費は6000円で5000円に出来なかったのが大きな心残りだった・・・。

本来会費制の結婚式というのは普通結婚式場で行われる豪華な結婚式を簡略化して質素ながら手づくりの温かな内容にしていくもので、大まかな流れとしては似たようなものだ。しかし私はへそ曲がりなので、どうせやるのなら思い切り個性的なものをなどと考えるのだ。え、山でやるとか海でやるとか・・・それは場所が違うだけだろう!

そもそも結婚ということは・・・という追求から始まった私の結婚式の計画は、聞いた広子さんの顔が青ざめていくのがわかるようなそれはそれは恐ろしい計画だった。でも変わってるけど間違ってはいないし、ウエディングドレスなんて着たいとも思わない変った人だから無論共犯である。

通常は手伝ってくれる人と本人達が相談して決める内容に関して今回は私達だけで決め、手伝いの人たちには流れと作業を説明しただけで中身は当日まで秘密・・・いったい何が始まるのか?企画、制作、脚本、演出、音楽、文集作成までのすべてが二人の手による前代未聞の結婚式の準備は多忙を極め、数ヶ月前から当日の朝まで甘い恋人ムードなど感じている暇すらなかった。いや本当に!

無論、両親、親戚をはじめ友人たちからさえあまりに突飛なやりかたに非難や批判も数多く噴出し、その解決のため本来の準備以外に多くの時間とエネルギーを消耗させられた。わかってはいたつもりだが人と違うことをするというのは大変なことなのだ。

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当日の朝三時までかかって準備を終えたものの、広子さんは仮眠を取る暇もなく五時から美容院行き。どうしても花嫁衣裳を着せて写真を撮り三々九度をさせたい、という親の希望をしぶしぶ受け入れての予定外のスケジュールだ。

素顔のわからぬほど真っ白に化粧させられ、顔のよく見えない白無垢など着せられて「あらーきれいねー」なんて失礼だと思わないか?本人も、何でこんなもの着せられて見世物にならなくちゃいけないの!と文句をいうことしきり。

そもそもセレモニーとしての式などうさん臭くて気に入らない。今愛していることがすべてで愛せなくなったら別れる、というのが私達の結婚だから神の前で永遠の愛を誓うなどとんでもない。神を信じてもいないのに神に誓って、誓ったのに別れる人が多いなんて神をも恐れぬ・・・。

もともと私達は理由あっての無宗教だから教会でも神社でもない「家」でやるという変った決断をし、集まった親戚連中を前にしてピリピリして望んだのだが、不思議と穏やかな雰囲気が・・・何と私達は計らずも途絶えて久しい重要無形文化財的な山村の結婚式を復活させてしまったのだ。もともと集まった人達はほとんどがそういう結婚式をした世代。おそらくこれから先も二度と見ることはできないであろう風習を全員が興味深く楽しんだ、という感じかな?

いやいや感心している場合ではない。めんどうなものはさっさと脱いでスーツとパーティドレスに着替えて会場へ。招待状にも平服でおいでくださいと書いているし、広子さんは元が美しいので?お色直しなどもちろんない。

古い洋風建築味わいのある建物である郡山市公会堂が会場だ。入口には「メッセージ・・ありがとうをあなたへ・・」という変わったタイトルの看板がかかっている。それは結婚式という概念をひっくり返そうというとんでもない計画の象徴だった。

 まず主催者は○○家ではなく二人。結婚するのは二人であって家に嫁に行くわけでももらうわけでもないというところが出発点だ。したがって招待状の差出人も二人の名前。あとはすべて招待者でもちろん両親も客人扱いだ。なぜならばこの披露宴はタイトルが示すとおりこれまで二人を育んでくれた方々へ「ありがとう」を言おうというのが趣旨で、一番ありがとうを言わなければならない両親は最前席というわけ。どうですこの非常識さ、もう目が点になってる?まだまだこれからである!

 入場した私達はいきなりこの披露宴の趣旨、そして招待者への感謝の言葉を読み上げ始めたのだ。自分達が一つ一つ言葉を選び、形式的なあいさつではなく本当に心の底からあふれ出る感謝の思いを綴った作文・・・広子さんの部分など「小学生の作文じゃない、心からの言葉で綴るんだ!」と幾度となく、そう今朝の三時までかかって書き直させられた、二人にとって一世一代の大演説である。

 めぐり会えた喜び。愛することの大切さ。自分たちが今こうしてあることへの心からの感謝の思い。自立を望み、自らの責任で生きていこうという姿勢。形よりも大切な心。何が大切なことなのかを極めていったこの日の形の意味・・・気恥ずかしくてこんな時でなければ言えないような言葉を並べたこと並べたこと・・・。

 二人合わせて40分に及んだこの演説がこの披露宴のすべてといってもいいもの。この間会場は水を打ったような静けさに包まれていた。残念ながら記録したビデオテープ、カセットテープ、原稿もすべて焼失してしまった今となっては内容を確認することはできないが・・・。

終えて席に着いた時には、ほっとした安堵感ととんでもないことをしたかもしれないという複雑な思いがぐるぐる回っていた。どんなに間違ったことをしてはいないつもりでもどれだけのプレッシャーだったか・・・。それから自作のスライドストーリーがあったり、お祝いの言葉があったりと進行していったがこれは付録のようなもの。二人にとって無理解、非難、妨害と戦いながら準備してきた数ヶ月はすべて終わった。幾人かの人が素敵だった、素晴らしかった、感動した、と声をかけてくれたが両親や親戚をはじめ他の招待者にどう写ったのか不安は消えなかった。

 すべてが終わって二人になり「終わったね」「終わったね」とお互いに繰り返した。どう受け止めてもらったかはまだわからないけれど二人がすべての力を出し切った非常識この上ない、だけど何も間違ってはいないはず・・・の一大イベントは終わった。

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新婚旅行は早春というよりはまだ冬の北海道、列車とバスを乗り継いで、リュックを背負い安宿を泊まり歩く行き当たりばったりの旅。

とある温泉宿で広子さんの実家に電話を入れると酔っ払ったお父さんが電話口で「すばらしい結婚式だった・・・」とのたまっているではないか。わかってもらえていた。張り詰めていた気持ちが一気に崩れ落ち二人とも涙でぼろぼろに・・・そこへタイミング良く宿の女将が挨拶に来たからたいへん。「・・・どうかなさったんで?」「・・・あ、家に電話してたもので・・・」「・・・え・あ・・・し・新婚さんで・・・あらまあ・・・」というコメディーに・・・。

旅行から帰ると意外にも多くの人から「素敵な結婚式をありがとう」「結婚も悪くないと思えるようになった」というような手紙やはがきをもらい、親戚や年をとった方たちにも理解してくれた方が多かったことも知った。間違ってはいなかった・・・とほっと胸をなでおろした。

もちろん理解していただけない方もいたわけで、その代表が残念ながら私の母親だった。このことはその後の私達に暗い影を落とすことになる・・・・。

この後こんなすばらしい結婚式を自分たちもと真似をする人が続出!・・・するわけはない。


まあ、それなりにドラマティックなのは普通は結婚まで。あとは退屈な毎日が続くわけだ、そうはいかない。これほど変わった結婚式をした人達の面白い人生はこれからである。結婚は単なるスタート地点にしかすぎないだ。


                                           しつこくつづく
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結婚式で演説