山で風のように暮らすには不純な動機が大切です その3 脱サラ編

 新婚生活も楽しいのは1ヶ月くらい、あとはつまらぬ日常が待っている・・・というのが普通なのだが、そうはいかない困った二人である。

 少なくとも恋愛結婚は一緒にいたくてするはずなのにどうして別の会社に行って仕事をしなければならないのか?などという疑問を本気で考え込んでしまったりするのである。

 そりゃ一緒に仕事できればそれに越したことはないけど、世の中そんなに甘くないし現実的ではない・・・と常識のある人は考えるのだが、もともとそんなことは欠けっぱなしの二人、24時間一緒にいるためには・・・と良からぬ計画を立て始めたのだった。

 だからといって特にあてがあるわけでなく素人にもできそうなもの、というわけで喫茶店でもということで話がまとまった。

こうしてやがて森の工房につながる脱サラ人生が、けして高尚な理由でなくて極めて不純な動機で頼りなく始まったのだ。

  

一緒にいたいと思うのは最初のうちだけ・・・そのうち空気のような存在になって「うちの旦那はまったく・・・」とか「うちの愚妻が・・・」とか愚痴をこぼすようになるんだから・・・経済的な安定が結婚生活の前提なんだから・・・などと常識的な考えをお持ちの方には、二人でいっしょにいたいがために不安を抱えながら職業まで変えてしまうという考え方は奇異なことに映るだろう。でもそれならなぜそんな相手と結婚するのだろう?人生はけして長くない。愛する人にめぐり合えたら可能な限り1分でも一緒にいたい。貧乏であろうが何であろうかまわないと私たちは思うのだ。愛は地球を救うのである??いや、ただ無謀で無計画なだけか・・・。

ただの喫茶ではなく「木工品」も販売するウッディな店にしたい・・・いいですか!ここで私達の人生で始めて「木工品」という言葉が出てくるのである。もっともこの段階では自分で作ろうなどということは夢にも思っていなかったのだが・・・。

 何を隠そう私は「多くの人生を変えた自然主義人間のバイブル?」とまで言われた雑誌「ウッディライフ」の創刊号からの読者の一人であって、木と自然にまつわるライフスタイルに一方ならぬ興味を抱いていたのでる。

 例によって自営業など職業ではない、ましてや水商売などとんでもないと考える母親は猛反対。やめさせようとまた裏工作を始めるのだが、今回は私達の行動が素早かったのでおろおろと様子を見ているしかなくなってしまったようだ・・・。

そんなわけで会社を辞め、100万ほどの貯金と銀行からの借入100万の資金で貸し店舗を見つけ改装工事に着手したが・・・。

とりあえずは大工さんにお願いしたのだが、予算の都合上例外に漏れず自ら改装工事を手伝う私に広子さんから突然の帰宅呼び出し電話が入った。いぶかりながら帰宅した私を待ち受けていたのは、全く予想もしない事件だった。この事件により虎の子の貯金がすべて持っていかれてしまった。詳しいことは支障のある方がいるので書くことははばかれるが、私たちの全く責任のないところで詐欺にあったようなものと思っていただければ。

いくら私達でもさすがに自己資金がなくなってしまっては計画を続けることもできず、風人舎(ふうじんしゃ)と名付けられるはずだった店は完成を待たずに取り壊されたのだ。


はっきり言って今になって思えば成功するはずなどまずあり得ない計画である。20年前とはいえ200万では喫茶店などできるはずなどありえない。あまりにも無知で無謀で素人すぎた。たとえ始められたとしてもひと月と持たず閉店となっていたことは間違いない。

しかしたとえ結果は同じでも、やってみてつぶれてしまったこととつぶされてしまったことは180度も違うことなのである。母親などはこれ幸い、またサラリーマンに戻ってくれるものとほくそえんだことだろうが、不完全燃焼のまま夢が絶たれてしまった私達はどの会社を面接してもそう簡単に入社する気にはなれなかった。

無職、そして米と野菜はあるからとりあえず腹は減らずに済んだけれど本当に一文無し。

悪いことは重なるもので私の不始末から以前の女性問題が泥沼化して面倒なことになってしまい、解決するまで広子さんにも随分悲しい思いをさせてしまった。

どこから考えても人生最悪の時間がしばらく続いたある日、友人からふいに舞い込んだのが沖縄への出稼ぎ話。思い切りとんでもないその話を「渡りに船」とばかりに後先のことを全く考えもしないで飛び乗ってしまったのはやっぱり普通ではない・・・。

とはいえ財布は空っぽで旅費すらない!こんな理由で誰からもお金は借りられるはずもない。仕方なくこんな時のためにと買いためた(そんなはずはないのだが)私の唯一の財産の本を売り払い、6万円(わかるだろうか?6万円で売る本がいくらで買ったものか・・・)の行きだけの旅費をつくって沖縄行きのフェリーに(飛行機代などありませんので2泊3日のフェリーなのです)乗り込んだ。

さて沖縄。正確には沖縄から石垣島、石垣島からさらに船を乗り継ぎ、行くだけで1週間もかかってしまう後に「Drコト―」の舞台にもなった日本最西端の与那国島が出稼ぎ先である。

熱帯植物が生い茂りエメラルドグリーンの珊瑚礁が美しいこの島での仕事は、1年に1ヶ月だけ稼動するサトウキビ製糖工場の作業員。サトウキビの収穫期にあわせた季節労働は労働力の確保が難しく、日本の経済構造が肌の合わない?旅人や冬の間仕事がない北海道からの出稼ぎ者で支えられているのだ。

ともかく島の民宿に落ち着いた私達は、ボロボロの送迎車に揺られてニ交代12時間(シフト交代日は18時間!)肉体労働の作業員となったのだ。

サトウキビを搾り黒砂糖を作る工程のラインに入り、おまけ程度の休みを挟みながら約1ヶ月半続いたこの仕事は、柔な体にはかなりきついものだったが、精神的には島人と美しい海に癒された時間だった。

泡盛や沖縄料理が口に合わず閉口していた広子さん。そして毎日出てくる刺身にうんざりしていた私だったが、観光では決して味わえない島の文化や暮らし、そしておおらかな島人や個性豊かな旅人(こんなありふれた言葉ではとても表現できないのだが・・・)とふれ合ったこの体験は大きなカルチャーショックとなり、その後の生き方に少なからぬ影響を与えることになるのだ。

 でもとりあえず帰ってからどうしよう・・・思いあぐねる次回はいよいよ「木工入門編」。(まだ続きます・・・)

※沖縄の写真はすべて焼失し一枚も残っていません、ご了承ください。