木工 独立編

 いい気になって商品をつくって出荷したものの数ヵ月後にはすべてが不良品として返品という始末。「木」というものをあまりに知らない素人の仕事なんて所詮そんなものなのだ。

 生活費を稼ぐどころか材料費を支払う分の売上にもならない現実に、とにかくまともなものを作れる技術と道具が必要なのだと思い知らされた。だからといって始まったものはやめられないし、三年かかっていたのでは間に合わないのだ・・・。

 それから必死になって理論と技術を学びながらの仕事である。毎日真夜中までやって人が三年かかるところを一年に縮め、商工会を通じて国民金融公庫から500万ほど借りて中古の機械ばかりではあったが設備を充実。ようやく木工の工房らしい体裁を構えることが出来た。もちろんこの間生活がどれほど苦しかったのかは言うまでもない。よい子の皆さんはけして真似しないでください。

学ばなければならないのは木工の技術だけではない。自営業というのは何でも自分でやらなければならないから自営業というわけで?営業はもちろん、経理、銀行との折衝、仕入、商品開発・・・何から何まで初めてのことばかり。学校を出てからこれほど勉強したことがあるだろうかというほど覚えなければならないことが山積みである。自営業は人の2倍仕事をして収入は半分といわれる意味を納得せざるを得なかった。

 

 そうこうしているうちにそれなりに仕事は入るようになり広子さんもパートをやめて専業になり、やっと目指した24時間一緒の生活にたどり着いた。サリーマンを辞めて3年近くの回り道だった。

 この頃の主力商品は糸鋸を使ったパズル。以前に比べてプロっぽい?ものになり、鳥や動物、日本地図など種類も増えました。おもちゃやインテリアなど他の商品も少しずつ試作の段階にあった。

 そんなこんなで数年が過ぎていくのだが、この間初めてテレビや雑誌の取材を受けたり、大手玩具メーカーとの提携の話に振り回されたり、忙しくて初めてアルバイトを頼んだり、といろんなことがあった。

 しかしながら忙しいほど仕事は入ってきても相変わらず生活はやっとという自転車操業からはなかなか脱出できなかった。もうからない理由は1.問屋さんからの単価の低い発注がほとんどだということ2.問屋さん向けに売れる商品ばかりで自分が本当に作りたいものを作っていないこと3.作りたいものを作っても売る店がないこと、の3点だったので、それを解消するためには「自分で作って自分で売るというスタイルが不可欠である」という結論に達したのだ。

 果たしてそんなもの売れるものだろうか?試しにやって見ようか、土地や建物を買うまでの予算はないから貸店舗を探してみよう。売るとすれば町か観光地か?町は家賃が高すぎて競争が激しいだろうし、観光地は何となく雰囲気は合いそうだけれど借りる物件が少ない・・・うむ。そんな時に知り合いの知り合いからあそこが空いているらしいと紹介されたのが猪苗代湖畔のレストラン別棟のログハウス。湖畔のログハウスなんて条件が良すぎるではないか!というわけで早速交渉して借りることになったのが'90年4月のこと。ゴールデンウィークに間に合わせる形で、数件の工房や問屋さんから商品を仕入れ、オリジナルの商品をあわせて販売。「クラフトハウス」という店の始まりだった。

 広子さんが片道50分かけて毎日通い、国道沿いの条件は悪くないところで素人っぽい店ではあったがそれなりのお客様が入り、年間売上が始めて1000万円を超えた記念すべき年になった。もしかしたらこれはいけるかもしれないなどと悪魔がささやくのだった。

 もともとそう長くは貸せないという条件だったので秋のシーズンが終わると同時にとりあえず撤退。今度は着実に営業できる場所を探そう、という段階に入った。


続く


クラフトハウス
猪苗代で営業したクラフトハウス

風人舎
風人舎当時の写真で唯一消失を免れたもの