2017年04月

2017年04月28日

「はじめての体験」

 先日、むつ市「回転すし店」に連れていってもらいました。半分「寝たきり老人」の私はこのようなお店には久しくご無沙汰していたので、店の中に入ると何でも珍しく、あたりをキョロキョロ。店の中は広く、明るく座席もゆったりしていて、隣の仕切りも適当に高くまわりを気にすることのないように造られて昔と何か違っているように感じました。りょうが手慣れた手つきでお茶をいれてくれ、隆幸さんは少し高い所にあるボードのようなものを指で押しているのです。聞いたらこれで注文出来るのだとのこと。皿がツ、ツ、ツ、と流れてきます。それも早くもなく、おそくもなく、いい案配で流れます。所々にケーキとか果物とかおしるこまで出てくるのも驚きでした。そのうち、注文した皿がやってきました。ちゃんと目の前でストップ。なんと利口なこと。どうして間違いなく届くのでしょう。どれもおいしく頂ました。
 そのうち、私たちの席の横にパタパタと音がして四歳くらいの男の子がきて、目ではこっちを見ながら「ママ、おしっこ」と叫びました。何年ぶりかで男の子の声を聞きました。それもテレビで聞く子どものイントネーションそのままで、今は普通の家でもいわゆる東京弁で会話をしているのでしょうか。何年か前まで、ここでも「アヤァー(母さん)、ションベェー」の生活でした。だんだん方言も少なくなりました。そういえば、昔九州の方では、領内に間者(スパイ)が入っても言葉で分かるように方言を大切にしていたとのこと。今テレビの時代劇を観ると、どこの殿様も同じ言葉ですが、昔は津軽や南部の殿様はどんな言葉を使っていたのでしょう。考えると楽しくなります。方言は早い速度で消えていきますが、津軽弁で「モチョガセバ、モチョグチャグナル」という言葉があります。「くすぐれば、くすぐったくなる」のことです。方言も昔を知っている私たちの時代で終わって、この子どもたちが今の私ぐらいの年のころは、世界共通語になっているかもしれませんが、少しさびしくなります。やっぱり寿司は美味しかった。ありがとう。 〜とし〜
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2017年04月18日

「ふるさと」

 母を連れて昔の家跡を見てきました。行こうヨと誘うのですが、なかなかうんと言わなかった母ですが、今は行ってよかったとつくづく感じています。何が邪魔をしていたのか分かってきました。やはりトイレでした。安全パンツをはいていても昔の人です。殿方の前でトイレに行きたいということを口に出すのが、はばかられるようでした。手提げにはストッパー(下痢止め)も入れ、心の準備です。ダンナが「おかあちゃん、トイレは大丈夫?」と声をかけるのですが、「大丈夫」と答えます。「俺、トイレにいきたいから」そういってコンビニで降り、みんなでトイレを利用。本当にダンナ様々でした。母はこれがコンビニか!と、コーフン。あんなに品数が多いとは思わなかったと帰ってからも喋ります。ここでは立派なスーパーマーケットです。我が家の跡はこんなに小さかったのか! 道路もこんなに狭かったのか! ショックです。子どもの目線からはでっかく見えていたのですねー。母に又いこうねといいました。「わ、認知症になったら、どすべのー」。大丈夫、なっている人はもうなっているから・・。 〜りょう〜DSC_0328_edited-1


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2017年04月07日

「なつかしなあ」

 珍しく暖かい日、隆幸さんの車で、りょうと三人昔私が生まれ育った所、そしてりょうの姉、のり子とりょうが生まれ育った青森市の旧線路通りに連れて行ってもらいました。そこは、私の小さい頃は、自動車など通ることのない、子どもの良い遊び場の道路でした。今はすっかり街になっている大野、荒川あたりのオド(父)、アニ(兄)たちが、毎日市内の会社や大きな商店の荷物を運ぶため朝早く、何台もの荷馬車がゾロゾロと列をつくって通るのです。春はつばめが飛び交い、夏の夜にはホタルが家の中まで入って来て、カヤの外で光っているし、秋にはコオロギが縁側で一晩中鳴いていたし、赤とんぼが素手で払えるほど飛んでいました。どこの家にも子どもがゴチャゴチャいて、かくれんぼ、おにごっこ、陣取りにマリつき、真っ黒になって走り回っていたものです。夕方、どこかの家から「○○子、ママ(ごはん)だぞー」の母親の声を聞くと、まるで蜘蛛の子を散らすように家に帰ります。日が落ちる頃、朝出かけていた荷馬車の列がゾロゾロ帰ってきます。中には良い声で「津軽じょんがら」を歌って通ったりしました。
 やがて世の中は不気味な方へと進み、とうとうオドやアニたちも兵隊となって満州(中国)に送られ、馬は軍馬となって全部取られてしまったのです。終戦の15日前、青森市の空襲でほとんどの家が焼け、私の父も職場で焼死。そして終戦。生き残ったオドやアニはヨレヨレになってふるさとに帰って来、食う物もろくに無い生活が始まりました。その頃から旧線路道路はまた子どもの遊び場になり、のり子、りょう子の時代に入ることになります。
 昭和41年、私たちはユースホステル開設のためここ脇野沢に移りました。脇野沢は高橋の生まれ育った土地なので、親類も友人もいっぱい居て、皆のお世話になりながらふるさとを思い出す暇もないほどバタバタの生活。旅人たちと過ごして50年が過ぎました。私も93歳となり、ふと生まれたあたりはどうなっているんだろうと思うようになりました。今回、我が家のあった所に連れて行ってもらい、広いと思っていた道路はふるぼけた狭い道となり、家の跡はコンクリートでびっしり固めた駐車場になっていました。りょうと「ここが玄関」「ここが台所」と言っていたら、「やあ、やあ」と声を掛けてくれた白髪のおじいさんがいました。なんと昔、隣の家でサッカーをやっていた青年です。話を聞くと、やはり近所のほとんどの方は亡くなっておりました。
 次の日、隆幸さんが写真を見せてくれました。赤い車いすに乗せてもらい、小さくかたまって、風が吹いたらひっくり返りそうな小さなババア、それが私でした。もうすぐ94歳。そろそろ、お父ちゃん迎えに来てもいいよ。 〜とし〜
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2017年04月02日

「母のブログ」

 母は93歳です。九時に就寝、五時過ぎに起床の毎日で、床の中ではイヤーホンでラジオを聴いています。食事だけは、昼と夜ごはんを母のもとへ持っていきます。そのたびにお礼と「わんつか(わずか)でいいよ」というのですが、ついつい多めになってしまうのはゴメン、反省しています。朝は自分でパンを焼き、ジャムをのせてテレビを観ながら優雅にやっています。まっ、シャワー使用も含め自信をもって言えます。母は自立です。この間、朝食でパンをかじっていたダンナが突然「おかあちゃん、ブログやらないかな。」と言い出したのです。彼の横には「90歳。何がめでたい」佐藤愛子の本があります。ハハーッこれか! 納得です。すぐ母のもとへ。「ワ、カゲルベガ(書けるだろうか?)」声がオーケーしていました。毎日、テレビでは、森友学園の問題がとりあげられ、園児が教育勅語を読み上げるのを母が案じていました。何か感じたのでしょう。?・・忘れていました。例の本、母が先に読んでいました。やはり愛子か! 〜りょう〜
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