2017年09月13日

「淡谷のり子と私・1」 〜とし〜

 昔、青森市寺町にダイゴ(大の真ん中に五の字が入っていた屋号)という大きな呉服屋がありました。そこの惣領息子は商売が嫌い、酒と女は大好きという時代劇にでも出てくるような息子だったそうです。親類が集まって、嫁でももらったら落ち着くかもしれないということになり、そこで白羽の矢が立ったのが私の母の姉すなわち叔母だったのです。本人の気持ちなどまったく無視され、年端もゆかないまま嫁ぎ、それでもしばらくして女の子が二人生まれました。上の娘はのり子、下の娘はとし子です。のり子が青森の女学校に入って間もない頃、とうとう叔母は二人の娘を連れて淡谷の家を出て上京し、親子三人で生きる道を選んだのでした。その頃は嫁が子どもを連れて家を出て生活をするということはとんでもないことで、世間に家の恥をさらすことになり、青森での暮らしはとても出来ない時代でした。その頃、私の父は市内の新聞社に勤めており、少ない給料の中から、ボーナスの時は少し色をつけて毎月送金していたとのことでした。大正12年に私が生まれ、その年の9月にあの関東大地震でいた。父は背中に背折れるだけの米と油紙に包んだ味噌を背おい上京し、焼けだされた親子をみつけたのでした。あとあとまで、叔母は本当に助かったといくどもいくども云っておりました。やがて、のり子は東洋音楽学校へ進み、卒業の際にはすぐにお金になるように勧めてくれた人もありコロンビアにはいることになったのです。DSC_2817_edited-1


morinonakade at 09:30│Comments(0)

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