2012年01月16日

◆加古川マラソン(第23回 2011.12.23)◆

加古川M


 幼稚園から高校卒業までの少年時代を加古川で過ごした。昭和で言えば41年から55年までの14年間だ。

 会社勤めをしていた両親が小さな一戸建てを建てて神戸のアパートから移り住んだ。弟がひとりいた。親子四人の核家族は、当時この国がいろいろな場面でモデルとして描いていた形態だったように思う。いわゆる普通のサラリーマン家庭で普通の子供時代を送ってきたと思っている。

 宅地は溜池を埋め立て造成して分譲していたものらしい。碁盤目のように整然と道が通され、各敷地は膝くらいの高さの簡素な柵で区切られていた。駅から歩くと20分以上かかり、バスは一時間に何本あったのか。売れ行きは良くなかったのだろう。引っ越してから何年も空き地が目立ち、おかげで遊び場所には困らなかった。

 小学校まで片道2キロを歩いて通学した。子供の足のことで40分くらいかかっていた。まわりは田んぼや農業用水路や溜池ばかり。道草にはもってこいだった。春はレンゲを踏み散らしながら歩き、夏はカエルを捕まえて悪さをし、秋はネコジャラシやススキを引きちぎっては振り回し、冬は束ねて積み上げられた藁山に秘密基地をつくった。今思うとろくなガキじゃなかったけれど、当時はみんなこんなものだった。

 中学になると自転車通学が許された。しんどいのが嫌で部活はしなかった。フォークソングが流行っていた。親にねだって安物のギターを買ってもらい、増築で与えられた自室で拓郎や陽水をジャカジャカやった。田舎の中学には似たようなヤツは沢山いたと思う。週に何度か学習塾に通い、成績はそこそこのレベルを維持していた。

 高校に上がって柔道部に入った。軟弱な理由で部活に縁を持たなかった中学時代を後悔したのだ。反対に勉強は全くしなくなった。成績はどんどん落ちたが、うるさく言われた覚えはないし、さほど気にもならなかった。受験のときになって焦った。エンジニアを目指して理系クラスに行ったはいいが、数学がちんぷんかんぷんだった。それから猛勉強した。大学には何とか滑り込んだ。

 ざざっと振り返ると、こんな14年だった。

 高校を卒業してからは各地を点々と流れ、そのうち両親も移り住んでしまった。帰る理由もなくなって久しい。最近は柔道部の連中と親交が再開し、地元での飲み会にときどき誘ってもらっている。

 マラソンを始めてあちこちの大会に出ているのだから、この町の大会に出ないわけにはいかないと、エントリーを決めたのだった。

     ***

 前月の神戸マラソンでは不本意な出来で本当に悔しい思いをした。再起を賭けたといえば大げさだけど、それなりにトレーニングを積んだうえでのスタートだった。河川敷のコースでは沿道応援もそれほど多くないことはわかっていたが、リベンジをココロに誓い、再び仮面ライダーのコスチュームに身を包んだ。

 それなりに目標めいたものを懐に抱えていた。
 まずは最後まで走り切ること。つまりコースを歩かないということだ。あたりまえといえばあたりまえだが、脚が持たなかった痛恨の記憶。そのリベンジはここから始まるのだ。
 つぎに、できれば4時間を切りたかった。市民ランナーとして『サブフォー』というのは、やはり大きなベンチマークなのだ。そのためには、トレーニングで走っている普段のペースで42キロを走り切らなければならない。
 さらに、レース運びだ。「始めちょろちょろ中我慢、終わりにパッパ」で行くのが理想だ。終盤にペースが落ちてきたランナーをひとりまたひとりとかわしていく。そういう走りを見せたい。最後がバテバテでは、ヒーローとして失格なのだ。
 いろいろとテーマの多いレースになってしまった。

 立ち上がりは慎重なペースになった。前回の二の舞いだけは避けたい。それに、思い返してみると、結果がよかったレースは、距離に対する不安、故障、体調などの理由で序盤は抑えざるをえなかったことに思い当たった。そういうマイナス要因がなくても、積極的にペース管理をすべきだと、ようやく気づいたのだ。

 コースは、加古川の左岸をスタートして上流に向かって走り、右岸に渡ってさらに上流で折り返し、下流の高砂で二度目の折り返しをしたのち、再び左岸に戻ってゴールを目指す。

 二度の折り返しで、蛍光グリーンのビブスを着けた4時間のペースランナーとすれ違う。彼らはだいぶ前を走っている。このままで4時間切りは果たせない。しかし、最後まで走り切るのが第一目標だ。焦ることなくペースを維持した。
 30キロを過ぎたらペースアップする予定だったが、27〜28キロあたりから我慢しきれず少しずつ速くなりはじめた。ペース管理がうまくいったのだろう、30キロでさらにピッチを上げていったが、無理なく身体がついてきた。ひとつ目の課題はクリアできそうだ。
 4時間のペースランナーには、37キロ地点でようやく追いついた。これでふたつ目の課題も達成だ。あとは流してもよかったけれど、三つ目の課題がある。できる限りの時間短縮を目指し、落ちてくるランナーをかわしていった。

 フィニッシュラインで思わずガッツポーズがでた。レース運び、タイムともに納得のいく結果だった。フルマラソンは六度目だったが、初完走よりも、過去におけるどの自己ベストよりも、今までで一番嬉しいゴールだった。恥ずかしいけど、ちょっと泣きそうになった。

 これでまたマラソンを続けられる。一時はどうなるかと思った。このあと、愛媛、京都、とくしまとエントリーが決まっている。はりきって連戦に挑もう。

 今回も、自分の脚で地元を走れたことが幸せだった。全ての関係者の皆さんに感謝します。


記録     3時間53分45秒
ネットタイム 3時間52分48秒

  
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2011年12月03日

◆神戸マラソン(第1回 2011.11.20)◆

神戸M

大会公式サイト http://www.kobe-marathon.net/

 昭和36年に神戸市の兵庫区で生まれた。その後転居して五歳まで東灘区で暮らした。幼稚園にも通い友達もできていたと思う。しかし神戸での生活を今はほとんど覚えていない。
 その後両親が同じ兵庫県の加古川に小さな家を建て、小中学校から高校を卒業するまでその町で過ごした。兵庫の田舎に住む少年にとって、神戸は憧れの都会だった。晴レの日の買い物といえば三宮や元町へと出かけた。
 
 この歳になっても神戸は永遠の憧れの街である。未だに神戸へお出かけということになるとテンションが上がるし、歩くだけでウキウキした気分になるのだ。
 そんな街で開催される大会に出場することが決まった。盛り上がった大阪マラソンには落選し、悔しい思いで皆が走るのを応援した。

 そして神戸、満を持しての出場だ。

 ランニングを始めて丸三年になる。フルマラソンの出場は五回目だ。これまで順調に記録を伸ばしてきた。今年二月の愛媛マラソンでは3時間36分台の自己ベストを記録した。
 夏の間はヒルクライムに専念していて本格的なマラソンは久しぶりだ。なので、ま〜4時間切れればいいかな、くらいに構えていた。

 最近の大会出場では、ウルトラマンのコスチュームが定番になっていた。今回は、意気込みも新たに、仮面ライダーのジャージを新調した。

 仮面ライダーといえば、変身ヒーローの代表格だ。放送当時は小学生高学年だった、バリバリのリアルタイム世代だ。本郷猛の野太い声による「変、身!!」という掛け声は、完全に刷り込まれていて、おそらくこの先一生頭から離れることはないだろう。
 当時のワタシはこまっしゃくれた一面があって、「あんなもんは子供が観るもんや」とカッコをつけて、実は放送をほとんど観ていない。ただ、スナック菓子についていたライダーカードを遣り取りする遊戯にだけはちゃっかり参加して、仲間はずれを免れていた。
 こんなだったので、1号と2号の違いも実のところよくわかっていない。どうやら今回のコスチュームは、1号(本郷猛)⇒2号(一文字隼人)ときて、そのあとに復帰した本郷猛の『新1号』ということらしい。

 ヒーローで走るからには、見るからにバテバテじゃあお話にならない。ゴールゲートをくぐるまで、それなりの走りを見せるつもりでスタートエリアに並んだのだ。


 結果は惨敗だった。


 立ち上がりの身体が温まるまでは比較的ゆっくり目で、あとは身体が動くのに任せた。少し早いなと思うこともあったが、それほどの負荷を感じなかったので、あえてペースダウンまではしなかった。

 沿道応援が熱かった。今まで出た大会のなかでも最高だった。時折かかる「ライダー」の声援に、右手を高く突き上げて応えた。

 しかし、そんな楽しい走りも長くは続かなかったのだ。

 ヒルクライムのシーズンを終え、ランニングのテンションになかなか切り替わらないままずるずると大会を迎えてしまっていた。ベストを出した頃に比べると明らかに走り込みは足りなかった。
 それでも、完走は問題ない、4時間くらいなら行けると思っていたのだ。それが過信だと気づいたのは34キロ過ぎだった。
 五度目のフルマラソンで、初めてコース上を歩いた。痙攣しかかっている筋肉の回復を図ろうと、何度もストレッチを繰り返した。黒いウェアに汗が結晶してまだら模様になった。脚の痛みに耐えながら歩いて走ってを繰り返した。

 今まで出たレースでは、後半に歩き出してしまう選手を見ると、「何をやってんねん」と内心思っていた。今回はそれがどんな状態なのか、身をもって知ることになった。この先、もうマラソンを続けることが出来ないかもしれない。そんなことも頭をよぎるなか、ボランティアの皆さんの熱い応援を受けた。本当に力になった。神戸大橋では、大げさでなく、ちょっと泣いてしまいそうになったくらいだ。今でも思い出すと目がジンとなる。

 そうして少しずつ少しずつゴールを目指し、ようやくのフィニッシュ。ヒーローの面目なんてまるで立たないラストだった。


 終わってみると、今回のレースでは、後半に崩れる選手が多かったようだ。走っているときはあまり気にならなかったが、気温がかなり高かったことも影響しただろう。それでも、一番の敗因は走る脚が出来ていなかったこと。一から出直しだ。

 それでも、大会は出てなんぼ。苦しい思いも悔しい思いもしたけれど、生まれた街、憧れの街を、この脚で走れたことが幸せだった。全ての関係者の皆さんに感謝します。



地点    Split    (Net Time)  Lap       通過時間
10km    00:55:31 (0:54:02)    0:54:02   09:55:35
中間点  01:56:09 (1:54:40)    1:00:38   10:56:13
30km    02:49:11 (2:47:42)    0:53:02   11:49:15
40km    04:06:08 (4:04:39)    1:16:57   13:06:12
Finish  04:24:05 (4:22:36)    0:17:57   13:24:09

  
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2011年11月19日

◆和歌浦ベイマラソンwithジャズ(第11回 2011.10.23)◆

完走証0001



 自転車ヒルクライムのシリーズ参戦が終わると、少しずつマラソンにシフトする。

 今年は、大阪、神戸、京都の各都市でフルマラソンの大会が幕を開ける。昨今のマラソン人気はうなぎ登りで、それぞれ結構な倍率の抽選を通過しなければならない。大阪大会は早々と抽選に洩れたが、神戸に無事当選。11月の神戸大会が、今シーズンのフルマラソン第一戦目ということになった。

 そこで、フルの前に一度はハーフを走っておかねばならないだろうと、一ヶ月前に開催されるこの大会にエントリーしておいたのだ。

 箱根のヒルクライムが終わって3週間、まだほとんど走り込みは出来ていない。ほとんどぶっつけに近かったが、ハーフならまあ大丈夫と、甘く見た。

 早朝からのエネルギー充填は万全だ。スタート会場となった和歌山港は、かなり広々としていて、珍しくアップなんかしてしまった。スタート前にきっちり身体を温め、かなりいい感じで号砲を迎えた。

 走り出す。<このくらいでいける>というペース感覚は、しっかり残っている。それは連日のように走りこんでいたシーズン中のものだ。走ってない分の補正などはされていない。でも、自転車には乗っていたので身体は十分に使ってきたし、今日はそれほど距離も長くない。そんなことが頭にあったので、とくにセーブする必要などないと思った。

 序盤から快調にリズムを刻んでいた。そんななかで、マナーの悪い選手に遭遇してしまった。スタートしてそんなに経っていない団子状態で、横向きに唾を「ぺっ」。こっちのまん前だ。その行為にカチンときた。で、よせばいいのにそいつと張り合ってしまったのだ。<このくらいでいける>の範囲内だと思っていたが、超えたらしい。中間地点を待たずに心拍が上がりきった。それを戻すのにかなりの時間を要してしまった。ほんとバカだと思う。

 コースは、和歌山港を出て港湾地域を抜け、和歌浦湾を望む岬をまわり、ビーチサイドを走り抜けてマリーナシティを目指す。浪早崎を回る岬めぐりロードは、標高差50mのアップダウンだ。景色のよい山道にさしかかると、ヒルクライム気分になってちょっと嬉しくなってくる。こんなことを言ってるといつも変態扱いされるのだが、それもしかたがないのかもしれない。

 マリーナシティに続くシーサイドロードを走るころには、小さな疲労が積み重なるランニング特有のダメージで脚が言うことを聞かなくなってきた。ジョギングペースまで落ち込んで、ヒーヒー言いながらポルトヨーロッパの街中を抜け、ようやくゴールゲートにたどり着いた。

 記録的には帳尻を合わせた感じだけれど、かっこ悪いレースだった。

 ここに書いた以外にも反省点がてんこ盛りの大会になってしまった。でも、この時期に色々気づくことができてよかったと思う。いや〜、マラソンって奥が深いですね、と笑ってごまかす。

 今シーズンは、生まれた街『神戸』を皮切りに、少年時代を過ごした『加古川』、学生時代に住んだ『愛媛』と、所縁の地シリーズで参戦する予定だ。いま在住している『大阪』には残念ながら出られなかったけど、今回の反省をちゃんと教訓にして、それぞれの街をかっこ悪くならないように走りたい。


【結果です】
部門:ハーフ男子40〜59歳
記録:1時間50分54秒
部門順位:350位/1226人

  
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2011年11月07日

◆スーパーヒルクライム in TOYO TIRES ターンパイク(第2回 2011.10.2)◆

jitsugyodan start

【公式ホームページ】http://www.super-hc.jp/

 天下の嶮で六甲魂をぶちかます。昨年に続いて二度目の出場だ。

       *  *  *

 去年のこの大会がヒルクライムデビューだった。
 
 高校から大学にかけて、丸石のランドナー、自作スポルティフ、自作ロードと自転車を乗り継いだ。最初の一台を除く二台が自作マシンだったのだから、それなりにマニアの部類に入っていたと思う。

 昨年の春、27年ぶりにロードに乗り始めた。自転車自体の原形はさほど変わらないものの、世界はすっかり変わっていた。Wレバーしか知らないところにデュアルコントロールレバーは感動ものだった。ビンディングペダルはコワゴワの初体験である。かつてのマニアも、完全に初心者に戻っていた。

 ビギナーらしく、関西サイクリングマップなんかでコースを選び、休日の日帰りツーリングを楽しんでいた。それが、次第に峠越えの達成感がクセになり、それじゃあと、無謀にも大会への出場を決めてしまったのだ。自転車を再開してわずか四ヵ月だった。

 レースでは、小田原の早川料金所から大観山駐車場まで、箱根のターンパイクを一気に登る。距離13.8km、標高差969m、平均勾配は7.2%になる。終盤がフラットなので、スタートしてから10kmまで9〜10%の勾配が延々続く。ちょっとハードルが高いなとは思ったが、ほかに適当な大会も見つけられなかった。

 途中で足をつかずに登り切ることを目標にした。それでも、相当に練習しなければらないのは明らかだった。このとき、『いよいよ六甲だ』と思ったのだ。
 前出の関西サイクリングマップにおいて、『六甲』は、上級者コースのなかでも最上級に君臨していた。まだまだ自分が行くようなところじゃないと思っていた。
 しかし、逆瀬川から頂上を目指す登坂道は、距離、標高差、勾配ともに、仮想ターンパイクとして最適なものだった。逆の言い方をすれば、これくらいを登れなければ完走なんて覚束ないのだ。調子に乗ってエントリーしてしまったのだから行くしかない。
 
 初アタックは想像通り。キツイのキツクないの。でも、なんとか辛くも登り切り、ターンパイクへの足がかりを掴んだ。
 
 そこまではよかったのだが、このときの下山途中に、痛恨の転倒をしてしまう。
 車の後ろについて下っていて、減速帯があることに気づかずに凹凸に乗り上げ、突如激しい振動に見舞われたハンドルから両手が外れてしまったのだ。気づいたときには、救急隊員に囲まれていた。転倒というより事故といったほうが正しかったかもしれない。
 身体中と言っていいくらいの怪我をし、フレームにクラックが入ってマシンはお釈迦、大会本番までは二月を切っていた。

 それから一月。病院通いはもちろん、食って寝て、少しよくなってくるとトレーニングを再開した。何とか身体を完治させ、ショップに無理をいいながらマシンもリニューアル、どちらもレース日程に間に合わせた。さらに何度か六甲通いを重ね、ついにターンパイクを登ったのだ。

 その後、あちこちのヒルクイライムイベントに出場した。しかし、これだけ大騒動をしながら出場を果たしたこの大会は、初レースだったからというだけでなく、一際思い出深い。

       *  *  *

 それから一年、六甲にも繁く通い、2度目の出場だ。今回は去年の記録を5分縮めるつもりで挑んだ。が、2分短縮するのが精一杯だった。記憶以上にキツかった。知らないというのは、ある意味で素晴らしい。よくこんなのをデビューに選んだものだよと、自分で感心する。

タイム:1時間05分25秒928
平均時速:12.65km/h
クラス順位:61位/164人(ロード男子50歳以上)
ロード男子順位:504位/1238人
全体順位:542位/1329人

hakone goal

  
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2011年09月26日

◆まえばし赤城山ヒルクライム大会(第1回 2011.9.11)◆

まえばし新規画像1



 群馬県というところに初めて足を踏み入れた。そのくらいだから、赤城山といわれても「赤城の山も今宵限り」の超有名セリフ以上のことは何も知らない。
 群馬県庁のある前橋市の北東にそびえる火山で、日本百名山や日本百景の一つにも選ばれていた。市街地からもほど近く、関西で言えば六甲山や金剛山のように地元に親しまれた存在なのだろう。
 冬期の関東平野に吹く北風を、群馬や埼玉では「赤城おろし」と呼ぶそうだ。そんなことを聞くと、関西人はどうしても「六甲おろし」を引き合いにだしてしまうが、これらを比べることにあまり意味はない。
 ガリガリ君が全国区の赤城乳業はこの山を社名にしている。しかし、これがなぜか埼玉だ。

 と、どうでもよいことを書き並べてみたが、それくらい今回は所縁のない地まで遠征したということなのだ。


 ヒルクライムレースは交通不便な山岳地で開催されることが多く、自走すれば別だが、実質的には車がないと参加できないといった大会も少なからずある。
 今回が第一回目となるこの大会、交通の便がよく、コースは距離も標高差も十分に走り応えがありそうだったので、参加を決めたのだった。

 前橋合同庁舎前をスタートして赤城山の総合観光案内所前まで、距離20.8km、標高差1313m、平均勾配6.4%、最大勾配9.4%のヒルクライムだ。ね、走り応えがありそうでしょ♪ http://www.akg-hc.jp/course/index.html

 スタートは数百名ずつのグループに別れ、5分間隔でゲートを出ていく。スタートグループの分け方は大会によってさまざまで、Mt.富士では申告タイム順、乗鞍では性別年齢のカテゴリ順だった。この赤城大会では、性別も年齢もタイムも関係なく、当日朝の先着順というシンプルな方法をとっていた。スタートが離れ離れにならないのでグループや家族で参加するにはよいだろう。

 嬉しかったのは沿道応援だ。ヒルクライム大会ではスタートからゴールまでずっと山の中で、ほとんど周りには人がいないというのが普通だ。赤城では、スタートからしばらくのあいだ市街地の一般道を走り、大勢の人たちが沿道に出て声援を送ってくれた。マラソン大会では慣れているが、ヒルクライムで受ける声援にはまた違った喜びがある。下山のときまで残ってくれた人たちに、「おかえりなさぁ〜い」「お疲れさまぁ〜」と声を掛けてもらったのには、正直ちょっと感激して鳥肌が立ってしまった。

 せっかくの暖かい声援に黙って通り過ぎるのは申し訳ないので、走りながらできる限りの返答をさせてもらった。


 結果です。

タイム:1時間30分58秒

クラス順位:51位/271人(一般男子50〜59歳)
一般男子順位:623位/1940人
総合順位:724位/2147人

 50代になったので、今回はクラス順位がちょっと上のほうだ。一般男子全体のなかで上から3分の1くらいっていうのは、多分過去最高だと思う。
 それにしても、目標にしていた1時間30分には、またしても1分弱、及ばなかった。ま〜、これが今シーズンの実力ということだろう。


 第一回大会ということだったが、運営は非常にスムーズで、走り応えのあるコースに暖かい沿道応援と、思った以上にすばらしい大会だった。すべての関係者の皆様に心から感謝です。
 今後、「赤城」と呼ばれて歴史を刻んでいってくれることを切に願う。また出たい。


 おまけ
 上毛新聞が動画ニュースをまとめていた。百聞より一見で、レースの様子がよくわかると思う。3分少々の映像だが、最後に、走り切ってへろへろのワタシが映ってます{^^;}。


まえばし新規画像2

  
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2011年09月08日

◆全日本マウンテンサイクリングin乗鞍(第26回 2011.8.28)◆

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 乗鞍には昔、家族旅行で訪れたことがある。両親とひとつ下の弟との四人家族だった。中学二年と三年の夏に、揃って信州に来ている。中三は確かアルペンルートだったから、乗鞍は中二だったと思う。多分その頃、母が信州という土地にご執心だったのだろう。こういうときに、父よりも母の意見が通る家だった。

 高校生になると家族旅行などしなくなってしまった。こちらが嫌がったのか、親の方でそうとわかって言い出さなかったのか。今思うと、多分に後者だったような気がする。そうすると、両親にしてみれば、この二回の信州旅行は、自分達がつくった家族で行く最後の旅行だと思っていたのかもしれない。

 ダンボール箱にしまいこんでいた旅行写真を、十何年ぶりに引っ張り出してみた。中古で買ったオリンパスのハーフサイズカメラで撮った写真は、今となっては何を撮ろうとしていたのかもよくわからない。画面が全体に薄暗くぼんやりしていて、そこに写る家族の表情も弾けた明るさからは遠いものに見えた。



 それから三十六年。写真の中の両親よりも歳を重ね、ちょっとアホで元気なおっさんになって、再び乗鞍を訪れた。こんどは家族のいない気楽な単身。自転車レースに出場するためにやってきたのだ。



 この大会は、今年で26回目を数える歴史あるヒルクライム大会だ。自転車乗りの間で単に『乗鞍』といえば、この大会を指すことになるらしい。それだけに、一度は出てみたい念願の大会のひとつだった。



 前日に現地入りする。スタート地点でもある大会会場は、乗鞍高原観光センターだ。松本から梓川に沿って西へ。奈川渡ダムを過ぎた分岐を直進すれば上高地だが、乗鞍岳に向かって左折する。そこからしばらく行った乗鞍高原温泉スキー場の手前にある。

 JR松本を経由して松本電鉄の新島々までは輪行である。そこからは輪行袋に詰めた自転車ともども路線バスを利用することができた。松本電鉄や路線バスには、家族旅行でも乗ったはずなのだが、当時のことは全く思い出せない。

 自転車をバスに乗せてもらえると思ってなかったので、このバスルートは自走するつもりだった。この路線は、30kmあまりで標高700mほど登ることになる。それだけでなく、大型バスや自家用車が列をなして行き交い、幅の狭いトンネルが何箇所も連続する。自走していれば、かなりの危険を伴うことになっただろう。

 ひとりなので、宿泊は大部屋にほうり込まれる。街中とちがってビジネスホテルのようなものはないから仕方がない。しかし、同室は全員が出場選手なので困ることもなく、かえって心強くもあった。

 大阪では裸同然で扇風機を回しっぱなしにしていても寝苦しいが、八月とはいえ高地の夜は冷え込む。家族旅行のときは、真夏の高原で冷たい空気や水に触れる初めての体験に、大はしゃぎした覚えがある。今は体調を崩さないことを考えるだけだ。短パンとポロの上に浴衣を重ねて靴下まで履き、冬布団にくるまった。



 レースのコースは、観光センター前をスタートしてエコーラインを経由、ゴール地点の鶴ケ池まで。全長20.5km、標高差1260m、平均勾配6.15%、最大勾配15%のヒルクライムだ。六月に出場した「Mt.富士」に比べて少々キツそうだ。

 エントリー区分は、ロード男子E(41歳〜50歳)。このクラスだけで1000名を超える登録者数で、スタートブロックも四つに分けられていた。待機エリアにローラー台を持ち込んで直前までアップしている選手もいる。車だと何でも持ってこられていいよね、とそれを横目で見ながらストレッチで時間を潰した。

 いよいよスタート、250台以上のマシンが一斉に走り出す。まず最初に、本気モードの選手達がサーッと追い抜いて走り去ってしまった。こっちは、はじめから最初の20分はウォームアップのつもりだ。無理をしてまで付いてはいかない。といっても、当たり前だがいきなり登坂が始まっている。脚へはそれなりの負荷がかかる。筋肉にピリピリとした小さな痛みを覚えながらの滑り出しとなった。

 Mt.富士ではスタンディングとシッティングを交互に使って登ったが、やや傾斜のキツイ今回のコース、その大半をシッティングで登っていくことができた。スタンディングでがんばると、心肺がキツくなる。富士五合目で酸欠になった苦い経験が記憶に新しく、今日のゴールはさらに400mほど高地になる。トレーニングの成果はそれなりにあったのだろうけど、スタンディングをセーブしたのが、よかったのか悪かったのか。

 ゴールまであと2kmまで登ってくると、高山気候のためだろう、まわりに高い木がなくなって山が丸見えになる。青空をバックにくっきり鮮やかな緑のドーム。手のとどきそうなところにはっきりと山頂が見える。それは三十六年前に目にした風景と何も変わるところがなかった。ただし今日は、頂までうねうね蛇行する坂道に、カラフルウェアの選手達が連なっている様子まではっきり見える。体力もかなり消耗し、薄い空気でひた登るなか、まだまだ続く登りがモロ見えするのは、さすがにちょっと辛かった。



 結果です。

タイム  :1時間32分09秒
クラス順位: 545位/1190人
男子順位 :1706位/3569人
総合順位 :1739位/3753人

 かろうじて、半分よりは、ちょっと上。ま、こんなもんです{^o^}。



 念願の『乗鞍』だったが、少年時代の家族旅行が時々フラッシュバックしてしまって、なんか変な感じになってしまった。

 父はもう亡くなってずいぶんになるし、まだまだ口だけは達者らしい母と、母の近所に住まう弟には、こちらの不義理が続いていて長らく会っていない。普段は思い出すことも少なくなっている家族だが、たまには、ちょっとアホで元気なところを見せに行ってみようか。



nori_ultra

  
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2011年08月01日

◆小布施見にマラソン(第9回 2011.7.17)◆

Obuse Goal

 三度目の参加となった。

 気温の低いシーズン中ならイザ知らず、真夏のクソ暑い時期にハーフマラソンである。レースは暑さとの戦いになり、時期的に走りこみも足りないから、記録なんて望めない。へたをすれば熱中症になってしまう危険すらある。それでもこの大会には、多くの人を惹きつけてやまない魅力があるのだ。
 長野県の片田舎にある小さな町に、今年も8000人を超すランナーたちが集まった。

 前二回は前日まで大雨だったが、梅雨明けが早かった今年は、すでにギンギンの真夏日が続いている。大会当日も当然のように猛暑日の予報だ。

 一昨年はレース開始早々救急車が出動していたし、昨年はゴールエリアを担架で運ばれる選手を見かけた。

 とにかく無事にゴールにたどり着く。それを最優先に考えて、タイムは気にせずファンランに徹し、無理をしないで楽しむと、割り切ることにした。


 やはり『楽しむ』ことに徹するランナーが多い証拠だろう。どの大会にも一定の率でいるコスプレイヤーが、ここ小布施にはひときわ目立つ。

 今まで出走した大会でも、たくさんのコスプレランナーに出会った。愛媛ではピンクのミニスカートで女装したゴツイ系と、岐阜では一反木綿を背負った鬼太郎と、たまたま足並みが揃って併走することになった。そんなときは必ず、コスプレばかりに「がんばれー」の声が集中する。

 「こっちも同じようにがんばっているんですけどね!」

 そういいたくなるのだ。「コスプレには絶対負けない!」と、発奮材料にもなっていたほどだ。

 そんな風に常々ジェラシーを感じていたので、こんどは自分が声援をかっさらってやろう、そう思った。


 で、ウルトラマンになってみた。


 ウルトラマンといえば、日本を代表する特撮ヒーローだ。最初の放映は1966〜1967年だから、今年五十になるワタシで当時五歳。毎週の放送を楽しみにしていた、ギリギリのリアルタイム世代だと思う。しかし、今の記憶の大部分は、その後の再放送や雑誌記事などによって形作られたものだろう。

 ウルトラマンは、ウルトラセブン等と併せてウルトラシリーズの第一世代を築きあげた。しばらく時を経て、帰ってきたウルトラマンやウルトラマンエースから第二世代がシリーズ化され、よくはわからないが第三世代というのもあるらしい。
 しかし、歴代ウルトラマンのなかでも『初代』の存在はひと際大きい。今の子供たちにも十分通じる、世代を超越したヒーローといって過言でない。


 そのコスチュームだが、上半身は、自転車雑誌に載っていたウルトラマンサイクルジャージを買ったものだ。もちろん、円谷プロが監修していて、そこいらのパチモンとはわけが違い(笑)、細部のディテールまで本物の雰囲気が漂っている。
 シルバーとレッドの色目、カラータイマーの輝きなど、見事に再現されている。筋肉質風の起伏を見せる陰影処理まで施された芸の細かさだ。
 下半身を何とかしなければ格好がつかないので、それに合わせて赤のショートタイツを楽天で探し出した。アンダーにほかの色が透けてしまうのもどうかと思い、ボクサーパンツも赤いのを購入した。
 マスクは入手が大変そうだし、走るのに支障も出そうなので、サングラスでいくことにした。東梅田の眼鏡屋の店先で気に入り、買って帰ったものの色が濃過ぎて、あまり使うことがなかったものだ。こいつのレンズがちょうどウルトラマンっぽいカタチで、ここにきて俄かに存在価値が増してきた。
 頭は、散髪したてのソフトモヒカンを硬めのワックスでツンツンに立ててやった。


 思っていた以上の仕上がりだ。


 これだけ出来ていても、大人たちからは、拍子抜けするほど反応がない。もっと声をかけてほしいんですけどね(笑)。自分から「どうです?」なんていうのもおかしいし。
 その点、子供は素直だ。「あ、ウルトラマンだ!」と声を張りあげてくれる。声のするほうにビシッと視線を合わせ、「シャー」と叫んで右手を突き上げる。子供達はおお喜びだ♪ 給水ボランティアの中高生達もキャッキャ盛り上がってくれる。


 狙いどおりに、沿道声援を独り占めにしてやった。文字通り、してやったりだった。


 最初はそれで満足していたのだが、走るうちに、自分の中で違う気持ちが生まれてきた。


 子供たちが喜ぶと、それまで反応のなかったお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんたち、家族が一緒になって喜んでくれていることに気がついた。

 思えば、いつもいつも、熱い声援に背中を押してもらってばかりだった。こんどは、沿道の皆さんに少しでも楽しんでもらおう。それがほんのちょっとでも恩返しになれば♪

 そう思うようになった。

 スタート時点で既に炎天30℃オーバーのコンディション。走り始めの軽い足取りも中間点までしか続かず、そこから徐々にペースは落ちて、終盤はほとんどジョギングペースだった。後半にペースアップして、落ちてくるランナーを一人また一人と抜いていく、いつもの走りの真反対だ。こんどはこっちが、周りのランナーを発奮させているのだから、まぁ、それも仕方がないけれど。

 レース運びは情けないものになってしまったが、それでも、ゴールゲートをくぐるまで、沿道からの声援に応え、力強く「シャー!」と叫び、右手を高々と突き上げた。ヒーローが、見るからにバテバテではお話にならないのだ。

 少しはお返しになったかな?
 
 いや結局のところ、初めてのコスプレラン、お返しよりも何よりも、クセになってしまいそうなくらい、自分が一番楽しんでしまっていたのだけれど(笑)。


 
ナンバー:2472
氏名:森本直之
種目:4部 男子
記録:1:51:50
種目順位:171位
総合順位:482位

 


  
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2011年07月08日

◆赤目四十八滝◆

<フォトクラブ自然の美 撮影会 2011年6月5日(日)>

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 赤目四十八滝といえば、小説『赤目四十八瀧心中未遂』の舞台となり、寺島しのぶ主演で映画化もされている。映画も小説も未見なのだが、この渓谷でどのような物語が語られたのか、興味深いところである。

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 路線バスを終点で降りると、昭和な雰囲気の土産物屋が建ち並び、その向かいには、これまた昭和な温泉旅館がでんと門を構えている。それらの間を進むと、「へこきまんじゅう」と記された大きな幟が、いやでも目に入るように店先に立ててある。どんなまんじゅうなのか興味津々ではあったが、見に行くと買わされてしまいそうだし、朝から荷物も増やしたくない。ここは幟をカメラに収めるだけで素通りすることにした。


medal_0031

 その奥にある日本サンショウウオセンターが、入山口を兼ねている。

 サンショウウオセンターというからには山椒魚を展示してあるんだろうけど、いきなりそんなものがあっても、予備知識なしではさして興味はそそられない。それよりも、センターに入ったところに鎮座していた、記念メダルの自動販売機と刻印機に目が釘付けになった。メダル300円、キーホルダー/ペンダント用のリング枠200円、ダイヤル式の刻印が20円。う〜ん、これまた昭和の遺物だ。よくこんなものが残っていたものだ。しかも現役で。サンショウウオそっちのけで嬉々としてそれらをカメラに収めた。


0200_kawasokonoishi

 前置きが長くなったが、いよいよ滝の渓谷を巡ることになる。昼食は弁当持参ということになっていたので、待ち合わせ場所を決めて各々歩き始めた。

 渓流沿いのハイキングコースは片道4km。今日は歩くと聞いていたので、靴箱で何年も埃をかぶっていた安物のトレッキングシューズを引っ張り出して履いてきた。ところが、川沿いを行く道は十分整備されている。これなら普通のスニーカーでよかったくらいだ。

 今年は梅雨らしい日が続いて雨量が多いところ、撮影日は本格的な降雨から少し日がたっていた。そうやって繰り延べた日程がベストコンディションになり、渓流には透明度の高い水が豊富に流れている。目に鮮やかな新緑とひんやりした山の空気に包まれて、絶好の撮影日和となった。

 梢に若さが宿る木々、その間をうねるせせらぎ、時折激しく落ちる滝。そんな景色を堪能しながら、上流へと歩いていく。行者滝、不動滝、乙女滝、見事な景観が続いている。昼の待ち合わせは百畳岩だ。そろそろ腹も空いてきているのに、イラストマップを見ると、まだまだ歩かなければならない。
 千手滝を過ぎて布曳滝までやってきた。先を急ごう。山道が本格的に険しくなっている。やはりトレッキングシューズにしておいてよかった。

 ふと、歩くたびに足元でパカパカ音がするのに気がついた。何かと思ってよく見ると、靴底が見事に剥がれかかっているのだ。爪先だけが、かろうじて接着を保っている。それが歩くたびに揺れてカスタネットのように鳴っていたのだ。普段しないことをするとこういうことになる。何年も使っていなかった靴を履いてきてしまった今朝の自分を恨むしかない。

 しかし、これはまずい。剥がれてしまうと歩けなくなるし、滑って怪我でもしたら大変だ。同行の氏に多大な迷惑をかけることになるうえ、一週間後に自転車レースも控えている。それだけは避けなければならず、これ以上奥に進むことを断念せざるをえない。が、こんなときに限って鞄に携帯電話を入れ忘れ、連絡がとれない。まあ、一本道の往復なんだから、どこかで合流できるだろう。

 そうと決まったら、さっそく弁当を広げることにした。布曳滝を見上げる大岩に腰をかけ、マイナスイオンを浴びながらゆっくり食べることにした。なにしろ時間はたっぷりあるのだ。

 それにしても、じっとしているとかなり肌寒い。Tシャツ一枚で過ごせる大阪市内の感覚のまま、軽装の半袖で来てしまった。ここでも自分の読みの甘さを思い知らされる。

 靴底をパカパカいわせないように、片足を引きずりながらそろりそろりと引き返す。

 往路では主にワイドズームを使ったが、復路は標準レンズに付け替えた。今日持参したのはこの二本だけだ。
 ワイドズームは24ミリ(35mm判換算)以下の超広角を使ってみたくて入手したものだ。15〜36ミリの画角を得ることができる。使ってみると面白いのだが、思い切りのいい明確な撮影意図がないと、ただの煩雑な絵になってしまいがちだ。その点、スタンダードはナチュラルで使いやすい。画角を変えられない単焦点の潔さも、自分には合っている。広角も結局は単焦点に乗り換えるかもしれない。

 たっぷりした時間をゆっくりと、撮影を楽しみながらサンショウウオセンターまで戻ってきた。特にそうしたかったわけではないが、こんどは展示物をすべて見てまわることができた。

 バス停まで戻ったところで、同行の先輩方と無事合流し、それほど美味にも見えない漬物を買って予定のバスに乗り込んだ。

 紅葉シーズンが最も賑わうらしいが、既にかなりムシ暑い都会を離れた避暑地として、穴場的にいい時期だったと思う。

 歩くたびに気になって仕方がない靴底は、爪先部分の1センチが、かろうじて自宅まで持ちこたえてくれた。

 旅にアクシデントはつきものだが、笑い話で済むことが何よりだ。





  
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2011年06月16日

◆富士の国やまなし Mt.富士ヒルクライム(第8回2011.6.12)◆

start


 この国に生まれ育ち五十年近く生きてきた、齢四十九にしての初富士だった。

 日本人にとって富士山は特別な存在だ。
 ♪富〜士〜は〜日本一の山〜♪ 誰しも幼いころから教えられてきた。この刷り込みから逃れられる人はまずいないだろう。
 北斎は三十六景を描き、太宰は小説に書いた。JRのポスターも新型新幹線のバックは必ず富士だ。この山をモチーフにした作品を、いちいち数え上げたらきりがない。
 外国人にとっても、フジヤマといえば「日本的」をイメージするものの代表格に違いない。
 世界自然遺産としての登録はかなわなかったが、今、世界文化遺産としての登録を目指しているという。むしろ文化遺産の方がしっくりくるように思う。

 この歳になっていまさら感は拭えないが、ようやく日本文化の核心的な地に足を踏み入れたのだ。


 Mt.富士ヒルクライム。http://www.fujihc.jp/
 日本文化の象徴ともいえる富士山で、自転車のレースイベントが行われている。今年で8回目を数える。
 「坂バカ」と呼ばれる自転車乗りが全国から集結する。参加選手は約5000人、エントリーは3時間でソールドアウトしてしまう。
 富士スバルラインを借り切って、料金所から五合目までを一気に駆け登る。全長24km、標高差1255m、平均勾配5.2%、最大勾配7.8%のコース。
 日本最大級のヒルクライムイベントのひとつだ。


 季節はすっかり梅雨に入っている。日程を見ればわかりきっているのに、エントリーのときにはまるで思い至らなかった。
 前日に大阪から現地入りし、レースは日曜の早朝に開始される。土日の天気が気になってしかたがない。週間天気予報を何度も何度もチェックした。
 金曜夕方の時点で、富士吉田の降水確率は、土曜日が90%、日曜日は70%だった。

 雨になるとどうなるのか。ヒルクライム自体濡れながら走ることになるわけで、それだけ体力を奪われるだろう。それ以上に、6月上旬の平年気温が6℃という五合目から、雨の中を下山しなければならない。寒さはもちろんだが、スリップによる転倒や巻き添え落車のリスクがグンとアップする。行き帰りの輪行も雨水処理が面倒だし、宿と会場の往復も何とかしなければならない。
 ・・・考え出すとまぁ大変で、さすがにDNS(棄権)も脳裏をちらつきはじめた。

 刻々と変わる予報ではあったが、土曜午後から日曜午前にかけて「雨」マークはついておらず、「曇り」マークが連続していた。エントリーの競争率は高く、来年出られる保証はない。手配済みの列車や宿をキャンセルするのはもったいない。数日間考えた寒さと雨の対策に、ある程度の目処もたってきた。・・・そして決断、思い切って出場することにしたのだ。


 富士吉田に着くと雨は止んでいた。梅雨らしい曇り空ではあるが、ちょっと拍子抜けするくらいの空模様だ。
 駅前で自転車を組み立てる。ほんのり薄日が射してきた。雲の切れ間にほんの少し青空も見えている。自然と顔がにやけてくる。宿から会場まで自転車を走らせ、前日の受付を済ませた。

 いよいよ当日の朝を迎えた。雨は降っていない。どうやら下山が終わるまでは持ってくれそうな様子だ。「けっこう晴れ男なんだ、オレ」と、口に出して言ってみたりする。



 自転車雑誌などによると、この大会で1時間30分を切れば、脱初心者レベルといえるそうだ。自分の実力がどの程度かは計りかねたが、とりあえずの目標を1時間30分でいくことにした。コースは24kmだから、平均時速16km/hで登らなければならない。距離が長いだけに、前半を抑えぎみに後半余力を残すペース配分も必要になりそうだ。それを頭に入れてレースに臨んだ。

 いよいよスタートだ。数百台のブロックごとにゲートを出て行く。危険回避のため、計測開始地点までしばらくは、タイムに含まないパレード走行が行われる。

 足首につけたチップが「ピッ」と電子音を鳴らした。タイムトライアルが始まった。時速16km/h・・・と思いながら走るのだが、せいぜい12km/hくらいしか出てこない。開始早々「こりゃ無理だ」と半ば観念しながら登り始める。それでも20分ほど経つと身体が温まってマシンの推進力も上がってきた。
 普段の練習コースにしている六甲山の東側斜面に比べ、勾配はそれほどキツくない。
 傾斜が緩く変化する手前をダンシングでスピードアップし、勢いに乗ったままシッティングに切り換えて緩斜面を高速で走りぬける。これを繰り返す走り方が自然に出来上がってきた。ダンシングを多用し、脚力よりむしろ心肺能力でいくタイプのワタシには登りやすいコースだ。

 二合目、三合目とひた登る。照りつける日差しがなく、気温は高すぎず、適度に湿度もある。汗もそれほど流れない。

 はぁはぁという息遣い、タイヤが路面を駆る音、変速のチェーン音、ガスに包まれた早朝の山道には、坂バカ達がたてるそんな音しか聞こえない。そうやって、名前も知らない仲間達と山を登っていると、なんだか妙に楽しくなってきた。こんなに楽しいのに、なんでみんなもっとおしゃべりしながら走らないんだろう、そう思った。でも、さすがにひとりでぺちゃぺちゃしゃべりだすのはヒンシュクをかいそうなので、それはやめておいた。

 平均時速を意識しながら、キツくなってしまわない程度に中間地点までを走り終えた。
 余力は残っている。疲労の蓄積と残りの距離を天秤にかけ、ペースアップするタイミングを計りながらさらに走る。
 残り7kmでスパートをかけた。マラソンで培った余力の見積もりに従ったものだ。空気が薄いと聞いていたが、まったく問題はなかった。
 スピードアップした分身体はキツくなる。写真の撮影ポイントを通り過ぎる。多分情けない顔になっているだろう。雨だと思ってサングラスを持ってこなかったことを後悔した。

 四合目を過ぎ、残り2000mになると平坦路に近くなる。フロントギヤをアウターに戻して目一杯踏み続けた。スピードメーターは時速34km/hを示している。あと1000m、腕時計を見るとタイムは1時間28分を指している。目標達成だ! 脱!! 初心者!!!!
 最後の登り500m! よっしゃ〜っ!! …と、ここにきてガクンとペダルを廻せなくなった。まったく身体が言うことを聞かない。おまけに立ち眩みのような眩暈に何度も襲われる。倒れそうになるのでダンシングもできない。

 その直前まで何の問題もなく走れていたのに、突然の大失速だ。五合目の標高は約2300m、酸素濃度は平地の73%程度だという。ラストスパートで体内の酸素を使い切ってしまったのだろうか。空気が薄いとこうなるのだというのを、まざまざと思い知らされた。
 最後の傾斜をよたよた登り、ゆるゆるとフィニッシュラインを通過した。次々に選手がゴールしてくるので立ち止まってはいけないのだが、それさえできない状態だった。なのに、ここゴール地点もしっかり撮影ポイントだったのだ。・・・サングラス。


【結果】
    タイム:1時間31分00秒。
    種目別順位(ロード45〜49歳):248位/760人
    総合順位:1741位/4617人

 結局、脱初心者には1分及ばなかった。


 この日の五合目は暖かく、寒さ対策・雨対策を整えた装備に不足はなく、おまけに路面はほぼドライ。快適かつ安全に下山することができた。
 あれだけ心配した天候だったが、結局、暑くもなく寒くもない絶好のレースコンディションになった。目標には届かなかったけれど、富士デビューはいい感じで終えることができた。

 最後の失速と「1分」が悔やまれる。来年かな? 是非リベンジを果たしたい。



goal

  
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2011年05月19日

◆高橋尚子杯 ぎふ清流マラソン(ハーフ)◆(第1回 2011.5.15)

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 申告タイムをどう書いたのかは忘れたけれど、スタートブロックが「A」、つまり一番前だった。

 7月にハーフを走る予定があるので、それまでに一本ハーフを走っておきたいと、適当だったこの大会にエントリーしたのだった。

 高橋尚子さんが大会長を務め、参加ランナーはなんと1万人だ! 内外の招待選手もたくさん招かれ、ケニアのキャサリン・ヌデレバ選手や東京マラソン三位の川内優輝選手も走るのだ。

 そんななかでAブロックスタートというのは気分がいい。今まではCとかDとか、後方スタートばかり。「今日は後ろじゃない♪」というちょっとした感慨に浸りながら、開会式の時間を過ごしていた。

 いざ走り出してみると、さすがにみんな速い! ぎゅうぎゅうの集団走行のなか、どんどん追い抜かれる。接触・転倒だけはなんとしても避けなければならない。神経を使いながらの滑り出しになった。

 いつものことだが、軽くストレッチをした程度でアップらしいアップもしていない。走り始めはゆっくりのつもりだった。でもAブロックは、そんなことを言っていられなかったのだ。キツイなーと思いながら周りに引っ張られた入りの1kmは5分40秒だった。

 走るうちに少しずつ身体もほぐれ温まってくる。その間、そろそろ2km、そろそろ3km・・・と距離表示を探すのだが一向に見当たらない。5kmごとにしか表示がないことに現場で初めて気がついた。
 そうなると1km毎のラップがわからない。いつもそれでペースを確認しながら走っているのに、今日は調子で判断するしかないのだ。

 5kmのラップは25分ジャストだった。平均5分フラットになるから、4分40〜50秒までペースアップしている計算だ。

 2月の愛媛マラソンを終えてからは、「シーズン終了!」と、時々のスロージョグしかしてこなかった。今回も、「シーズンオフだし、ファンランできれば」と思っていたのに。つもりに反するハイペースで進んでしまった。

 そんなだから、意識した調整もほとんどしなかった。レース前日は疲れを溜め込むほど動かなかったことと、当日の朝食をスタートに合わせて2回摂ったことくらいだ。ただ、これを失敗すると、いきなり身体が重いとか、あとあとエネルギーが切れるといったことになる。
 身体は動いている。調子はいい。
 どこまでいけるかわからないが、そのまま行くことにした。

 5kmを過ぎてからは快調にリズムを刻み、ペースの落ちてきたランナーを一人、また一人と追い抜いていった。
 初夏といってよい季節、汗の量も半端なものではなく、意識してしっかり給水しなければならない。しかし、そこはAブロック、立ち止まってゆっくり飲むような空気ではない。スポーツドリンクで顔をべちょべちょにしながら給水した。

 岐阜メモリアルセンターの競技場を出たあと、JR岐阜駅前で大通りを折り返し、岐阜城のふもと川原町の古い町並みを通り抜け、屋形船が浮かぶ長良川に沿ってその左岸右岸を疾走する。
 駅前大通りではトップ集団の有名選手とすれ違う。といっても、中央分離帯の向こうなのでイマイチ実感がないまま終わってしまった。
 第1回大会でもあり、応援・観戦の人出は多い。上流の田舎道になってもそれが途絶えることはない。旅館やホテルが立ち並ぶ観光エリアでは、女将さんやスタッフさんも沿道から声援を投げてくれる。

 10kmまでの5キロは23分40秒台だった。走りながら1キロラップへの換算はできなかった。かなり速いのだけは確かだ。15kmまでいってもそのスピードを保っていた。
 距離表示が5km毎だったからペースを維持できたのだろう。これで1kmのラップを見ていたら、自らスピード調節してしまったに違いない。

 ここまでくるとあと6kmだ。
 いつも練習で走っている周回コースの2周分だ。先が見えてきた。
 このまま行けそうだ、行ってしまえ。

 キロ5分として、5分×3km=1周15分、15分×2周=ゴールまであと30分になる。時計は1時間13分を指している。
 それだと、記録は1時間43分くらいか。。。

 ハーフのベストは1時間46〜7分だったから、それを更新するのは間違いないだろう。でも調子よく走れている今、少しでも記録を伸ばしておきたいという欲が出てきてしまった。

 …と走るうち、あと3kmの表示。18kmと100mきた。残りあと1周分だ。
 毎度のことだが、ここからが長いしキツイ。がんばらないと前に進まない。応援に応えるのに、声も出せなくなってくる。

 ヒーヒーいいながら、やっとのことで競技場にたどり着くと、走り終えた大会長が待っていてくれた。そこで笑顔のナマQちゃんとハイタッチ!! !!
 「うわっ、華奢! ほっそ! 小さ! カワイイ〜!」と、21km蓄積された疲れも吹っ飛んで、そのままフィニッシュラインを越えることができた。

 正式記録:1時間40分37秒
 ネットタイム:1時間40分12秒
 総合順位:702位/1万人くらい

 自己ベストです♪

 ハーフ1時間40分は、それとなく目標だったりしたので、達成できて満足です。ペースの上がり難い季節だけに、まだ少しは伸びしろがあるのかも。

 気分よく走り終え、居並ぶ屋台をハシゴしながら、鮎の塩焼きに始まって、焼き鳥、五平餅、いも餅にたこ焼き…と食べ続け、最後は宇治抹茶味のカキ氷で〆た。1万人規模の大会は、屋台も充実していてついつい食べ過ぎてしまう。ま、走ったあとだし、いいっか(苦笑)。

 預けていた手荷物を受け取りにいくと、ボランティアの皆さんが、口々に「おかえりなさ〜い」「おつかれさまぁ〜」といいながら拍手パチパチで迎えてくれるのだ。それを受けながら体育館の端から端まで歩くのは、かなり照れくさかった。あれやこれやにカキ氷まで食ったあとだ。汗もすっかり引いている。せめてゴールしてすぐに来ればよかったと後悔した。けど、素直に嬉しかったです。

 今回も、いい大会に出られて幸せでした。全ての関係者の皆さまに感謝です。

高橋尚子杯 ぎふ清流マラソン
http://www.gifu-marathon.jp/

 スプリット ラップ
Start 00:00:25  
5km 00:25:03  0:24:38
10km 00:48:47  0:23:44
15km 01:12:36  0:23:49
20km 01:35:42  0:23:06
Finish 01:40:37  0:04:55

  
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2011年03月15日

◆大震災◆


 このたびの東日本大地震による被災者の方々、被災地で奮闘しておられる方々には、心よりお見舞い申し上げます。


 淀川越しにではあるが、神戸の震災を間近に見てきたので、少々のことでは驚かないはずだった。

 3月11日金曜日、事務所で執務中に揺れを感じた。ビルの9階で感じるそれは、ゆらゆらと数分間も続くもので、その時間の長さだけでも薄気味の悪いものだった。

 ネットニュースを確認すると、震源地は<宮城沖>と報じられている。宮城? それが東京を過ぎて名古屋も越えてこれだけの揺れか…。相当なものであろうことは、容易に推察できた。

 この段階での発表は、確か<震度6弱>だった。かなりの被害が予想される。でも「神戸ほどじゃないだろ」という根拠のない思い込みがあった。それは「オレは神戸を見てきたぞ」という薄っぺらな己惚れに過ぎなかったのだ。

 翌土曜日にテレビをつけて、初めて事の深刻さを認識した。報道映像のあまりの凄惨なさまに、息が詰まる思いだった。とても正視に堪えるものではない。神戸に津波はなかった。


 被災地のいまを思うと心が痛む。これから長い長い復興への道が待っている。


 関西にいて幸い元気に日常を送れている自分には、はたして何ができるだろう。

 まず、良民・常民として節度ある態度でいようと思う。混乱する情報に振り回されず、軽率な批判やその類への過剰反応もしたくない。

 そして、いま自分がすべきこと、できることを着実に精一杯やっていこう。それが、この国の今と将来を支え、被災地の復興に繋がるのだと信じている。

 がんばろうTOHOKU! がんばろうNIPPON! がんばろうORE!



  
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2011年02月13日

◆愛媛マラソン◆(第49回 2011.2.6)

Ehime

 無事に完走した。
   ネットタイム  3時間36分27秒
   公式記録    3時間37分31秒
   順位(一般男子)355位/3454人

 十二月に出した奈良マラソンのタイムを少しでも縮めたくて、年明けからほぼ連日10km以上のランニングを消化してきた。それがオーバーワークになってしまったのか、本番の一週間前になって左足首に違和感を覚え、それがスッキリしないまま大会に突入することになった。マラソンの調整は難しいと実感し、半分以上記録はあきらめていた。

 自己診断とこれまでの故障経験から、スタートは問題ないものの、10キロで少し痛み出し、20キロでかなり痛くなり、30キロでは相当痛く、40キロは限界、ゴール後に足を引きずり、その後治すのに一ヶ月、という予想だった(苦笑)。

 それでも、今シーズン最後の大会だし、今回は最後の調整でカーボローディングを試してみる予定もあったので、出走を取りやめるという選択肢はなく、それなりに楽しめればと、出場を敢行したのだった。


 愛媛松山といえば、学生時代を過ごした街だ。道後温泉に松山城、坊ちゃんに坂の上の雲、生活の場としていたときはほとんど意識したことがなかったが、バリバリの観光地だったんだ。観光資源もすっかり整備され、昔に比べてずいぶんアップグレードした感じだ。

 シンボリックに街の中央に在る城山。その周囲をオレンジのストライプが入った年代物のチンチン電車が走っている。そんな街のたたずまいは昔のままだった。
 この歳になって青春時代を過ごした街を訪れる楽しさは、もはや半分以上を疎外感が占めてしまった懐かしさに、ちょっぴり照れくささも混って、少々複雑なものだった。


 レースのコンディションというのは、走り始めてみないとわからない。

 ホテルの朝食バイキングを食べ過ぎてしまい、はっきりと胃の中にものがあるとわかる状態でスタートすることになってしまった。奈良の時はもっと軽く動けたよな〜と、自分を責めながら重い身体を前へと運びはじめた。

 沿道応援の観客が途切れない。地元テレビ局の南海放送では、このレースをなんと6時間生放送しているのだ。地域の企業や店舗から多くの選手が出場し、また観客も彼らを応援する。やはりテレビの力は大きくて、地元の大会を盛り上げるのに一役も二役も買っているのだろう。外からの参加者としては、ちょっと羨ましくあった。秋の大阪マラソンでもこんな風に『地元』としての大阪を盛り上げて欲しいものだ。

 心配していた左足首だが、とりあえず10キロまでは状態を維持してくれていた。

 28キロ地点の少し手前だった。沿道から「あれっ?」と私を呼ぶ声が聞こえた。学生時代の友人が応援に来てくれたのだった。当時の女子大生も今はすっかりマダムだけど、女子2名の応援は嬉しくて、両手を大きく振りながらピョンと跳ね上がって応えた。ただ、ちょっと急いでいたので、奇跡の再会もほんの一瞬のことで終わってしまった。実は、足首の状態が思いのほか良く、記録をあきらめられなくなったのだ。

 その後は、キツイながらもペースを何とか維持した。だんだん市街地が近づいてくる。入学したとき一番最初に住んだ下宿屋の前の交差点を通過。周りの景色はすっかり様変わりしている。ほんとにここなのか?と思いながら、もちろん確かめている暇などない。

 城山が近づいてからの「あと少し」がとてつもなく長く感じた。応援に応える余裕もない必死のラストスパート。そして、奈良の記録を10分短縮するタイムでゴールすることができた。左足首は結局大きなトラブルにならずに済んだ。


 今シーズン最後の大会は、懐かしい街を走り、旧友の応援も受け、出来すぎの結果も手にすることができて、これ以上ないものとなった。思わず、南海放送制作の大会DVDを注文してしまった。全選手のゴールシーンが収録されるらしい。ま、自分のそれを見ると、感動というよりゲンナリしちゃうんだろうけど(苦笑)。


point  スプリット  ラップ
Start   00:01:04  
 5km    00:27:37   0:26:33
10km    00:52:14   0:24:37
15km    01:17:14   0:25:00
20km    01:42:45   0:25:31
中間    01:48:19   0:05:34
25km    02:07:51   0:19:32
30km    02:35:27   0:27:36
35km    03:01:07   0:25:40
40km    03:26:48   0:25:41
Finish  03:37:31   0:10:43

  
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2011年01月01日

◆元旦の朝◆

hatsumoude

 あけましておめでとうございます。


 元旦の朝は、初詣五社参りジョギングで一年をスタートさせた。
 今宮戎→住吉大社→阿倍王子神社→安倍清明神社→五條宮と巡った。コンビニに寄ったりお参りしたりしながら、身体が冷えないペースでゆっくりジョギング。走行は約15km。
 住吉さんへは一年前も初詣ランを敢行したが、そのときはフルマラソンに初挑戦する少し前、それなりのトレーニングモードで走っていたような気がする。今年はそんな気負いもなく、ずいぶん楽に走れている。こんな調子でもう少し距離を延ばしてみるのも、いいかもしれない。

 それぞれ、来年も変わることなくお参りできるよう、この一年の無事をお祈りしてきた。住吉さんでは、毎年そうするように、前年のお守りをお返して新しいのを授かってきた。

 出かけるときは、今宮戎→住吉大社→五條宮の三社参りにするつもりだったが、途中で見かけた阿倍王子神社につい立ち寄ってしまい、数字が悪くなるので近所の安倍清明神社も加えて五社参りにしておいた。
 小銭がたくさん要った(笑)。

 そんな感じでゆる〜くスタートした2011年。いよいよ何度目かの大台に乗る年だが、ここでも時々言っているように、ますます年甲斐もなく生きて行こうと思っている。

 こんなヤツですが、今年も変わらず、何卒よろしくお願い致します。


  
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2010年12月31日

◆漢字で今年をふり返る◆

2moji

 年末恒例の「今年の漢字」は『暑』だった。そういえばいつまでも暑かったね。でも、のど元なんてとうの昔に行き過ぎちゃって、ここ何日かはさっぶいさっぶいので、ちょっとピンとこないかも(笑)。


 十大ニュースじゃないけれど、ここ一年の超個人的トピックを十個、それぞれ漢字一文字にして今年をふり返ってみた。いろいろあり過ぎて、とても一つにまとめ切れなかったのよ(笑)。


『名』 ベンリィという名を授かった。以来、「ベンリィもりもと」を名乗っている。名付け親のチャッピーさん、ありがとう!

『登』 ロードバイクに乗り始めて走るうち、なんちゃってヒルクライマーに。天気の好い日曜日には六甲に登った。身の程知らずに、レースも体験。

『走』 フルマラソンを完走した。42.195kmなんて、テレビの中だけの世界だったのに! まさかこの人生でねぇ。オドロキだよ。

『傷』 擦り傷が絶えなかった。自転車やランニングのせいだ。夏にはタンクトップで転んで、ちょっと凄いことに。今じゃすっかり笑い話だけど(苦笑)。

『囀』 ツイッターを始めた。そんなにマメなほうじゃないけれど、毎朝のツイートは日課になった。あまり更新できていないブログは開設して5年たった。とりあえず継続は力なりと。

『食』 よく食べた。まわりからは「痩せの大食い」とまで言われる始末(苦笑)。食べることもスポーツなのだ。ま、基本凝り性なので、「アスリートの勝負食」みたいのを実践したりしてるのよ(笑)。

『読』 よく本を読んだ。読書は面白い。なんか得した気もする(笑)。テレビは、ボクシング中継以外ほとんど見なくなってしまった。というかその時間がない。

『報』 新聞の購読を止めて、ネット閲覧オンリーに切り換えてみた。興味のあるニュースは読み比べてみたり。ま、記事はほとんど横並びだけどね。

『髪』 めったと変えたことがない髪型を変えてみた。短く刈り上げたソフトモヒカンをWAXでツンツンに。一度やってみたかったのさ(笑)。自分じゃ気に入ってるんだけど、さて評判は??

『禁』 アルコールを止めて3年経った。飲み会・宴会は相変わらずだけど(苦笑)。さすがに二次会に流れることはなくなったし、身体は楽だね〜。


 ほかにも『携』『鍛』『拳』『撮』『装』など、、、とても十個じゃ足りない勢い(笑)。

 ま、どれをとっても大した事じゃないけれど、こうして並べて見ると、なんやかんやと充実した一年を過ごせたような、気にはなる。


 この一年、こんなヤツに多少なりともご縁をいただいた、すべての方々に、そしてすべての事に、心から感謝する次第です。一年間、本当にありがとうございました。

 明日から始まる新しい年でも、よろしくお願いしますね♪


※画像はイメージです。写真素材足成さんより。


  
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2010年12月06日

◆奈良マラソン、無事完走しました。◆

Qchan

  ネットタイム:3時間46分34秒
  記 録   :3時間51分32秒


 人生3度目のフルマラソン、直前に精密検査などはあったものの、目だった故障もなく、コンディション調整はうまくいったと思う。

 コースのことは気にしておらず、事前情報の確認もあまりせずに、「道なりに走ればいいか」くらいの気持ちでレースに挑んだ。いざ走ってみると、アップダウンの激しいハードコース。それは「古都奈良」の落ち着いたイメージとはかけ離れたものだった。「シロート相手にちょっとキツイんとちゃうん?」と思えたくらいだ(笑)。


 集団の流れがばらけはじめてから、予定していたペースより少し速くなってしまった。でも無理にペースダウンすることはせず、いつもの早朝に比べてすっかり覚醒している身体が動くのにまかせることにした。それでも、半分くらいまでは、ポーチに忍ばせたデジカメで、せんとくんやサンタなどの着ぐるみで走るコスプレイヤーを撮影する余裕もあった。

 折り返してから30キロ手前には高低差100mの急坂がある。そのうえ、往路では気づかなかったが、どうやら復路は全体に登り基調なのだ。さすがに34キロあたりから脚が思うように動かなくなってきた。おまけに、奈良公園まで戻ってくるとまたアップダウンがあり、競技場の手前、最後の最後にまたキツイ登りが。朝出たときは何の気なしに走っていたが、そういえばここは坂だった(苦笑)。

 今回は第1回大会だし、関西初の都市型フルマラソンということもあるのだろう、沿道応援がすごかった。コース上のいたるところで熱い声援を受け、それに背中をあと押しされた。

 せっかく応援してくれるのに、そのまま通り過ぎるのは申し訳ないので、できるだけの返答をさせていただいた。大人数の派手な応援には両手を大きく振って応え、ハイタッチにはハイタッチを、声を出せるときには声で、声も出ないときは小さなガッツポーズで応えた。

 「がんばれ〜!」
 「ハイよぅ!」

 これでグンと走りに弾みがつくのだ。


 目標だったサブフォーもめでたく達成し、思っていた以上の好タイムで走り終えることができた。4月の四万十川が4時間10分で一杯一杯だったことを思うと、すごい伸びだね(自画自賛;笑)。

 つぎは来年2月に愛媛マラソンが控えている。ネット3時間40分を狙っちゃおうかな♪


 冒頭の写真は、スタートを見送る高橋尚子さん。往路と復路で、ハイタッチ応援をいただきました♪


  
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2010年12月02日

◆なかなか見られないものを◆

kusuri


 先だっての生活習慣病予防健診の結果が届いた。普段から栄養にも運動にも気をつけて「イキイキ健康体♪」でいるものとしては、わくわく気分で封書をあけた。
 ところが『要精密検査』判定がなんと2つも。紹介状が2通同封されていた。
 が〜〜〜ん! ショック!
 ①肝機能障害疑、②便潜血陽性、とのことだった。

 肝機能は、以前γ−GTPが跳ね上がって、アルコールを止めるきっかけになったのだが、今回はまた別の数値が少し高めに出ていた。便潜血が陽性になったのは初めてのことだった。

 『精密検査』という文字を目にすると、身体の中で何か大それたことが起こっているようで、気が気ではない。とりあえず大きな病院で検査を受けることにした。

 ①肝機能は、エコーで問題なし。血液検査をさらに2回行い、数値も収まる傾向にあるということで、とりあえず大丈夫でしょうということになった。
 生活習慣病健診のときは前日に筋トレをした。今回の2回の血液検査も、奈良マラソンに向けて連日走り込む中で採血したものだ。食生活をかなり高たんぱくにシフトしていて、「かなり」の度合いは医者に驚かれた。ここらが数値に影響したのかもしれない。

 ②便潜血には、大腸の内視鏡検査をすることにした。生まれて初めて身体の中にカメラを入れた。
 準備から結構大変で、数日前から消化のよいものを摂り、前日の夕食後に下剤を、当日朝から腸内洗浄剤を飲まなければならない。
 下剤といってもコーラックのようなかわいい錠剤ではない。片手で軽く一杯掬うくらいの粉末を溶かして飲む。コップの水がとろとろになった。腸内洗浄剤も粉を溶かして2リットルに調整したものを2時間かけて飲む。何度もトイレに行って、腸の中をからっぽにする。もちろん朝から何も食べられない。
 自宅でそこまで済ませてから病院に行き、検査着に着替える。なるほど、検査用の紙パンツはお尻に穴があいている。担当はカッチリ化粧した若いおねえちゃんだった。ま、そんなことはどうでもいいけれど。
 お尻をめくって検査台に横になる。「はじめま〜す、だいじょうぶですか〜、痛かったら言ってくださいね〜」なんてのんびりしたものでは全然なく、「はい始めますね」と言い終わらないうちに、
 ポン。
 心の準備をする間もなく始まり、あとはされるがままだった。

 結果、きれいなもので特に問題になるような箇所はありませんとのことだった。撮影した画像も見せてもらった。大腸の最も奥(小腸側)から徐々に手前に移動する連続写真は、自分の肛門を裏から見る画で終わった。なかなか見られるものではない。潜血の原因は軽い「ぢ」だったようだ。

 ま、これでひと安心。数日後には奈良マラソン。思う存分走れるぜ♪


  
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2010年11月15日

◆ちゃりツウ◆

Chari


 「飲んで横になってテレビ」の毎日だった頃、市内移動は地下鉄とタクシーばかり、電車で少し立っているだけでだるくなるほど足腰は弱りきっていた。

 少しでも運動不足を解消しようと、5年前にちゃりんこ通勤を始めることにした。とりあえず安いものでいいやと、中古のママちゃりを7000円くらいで買った覚えがある。

 最初、片道3.5km、およそ15分の道をずいぶん遠く感じたし、身体のためとはいえ、「ちょっとしんどいことをしてるかな」という意識がどこかあったかもしれない。

 初代は盗難に遭ってしまったが、2代目には2万数千円を投じて変速機構のついた新品を購入した。かなりガタがきてる今も、かろうじて現役でがんばっている。

 不思議とイヤになることはなく、片道5〜6kmまでのお出かけには自転車を使うようになり、気づくと腿の筋肉もほんの少しだけ発達していた。

 ジム通いを始めて本格的に身体を動かすようになると、地下鉄がかえってわずらわしく、タクシーはばからしくなっていた。

 今年になってロードバイクに乗り始めたのきっかけに、通勤もクロスバイクに変えた。完成車が約8万5千円、カスタマイズには4万円以上もかけてしまった。

 雨さえ降らなければ、バイクを走らせて出勤する。

 ロードの練習がてら、基本フォームを意識して走る。腹筋と背筋を使って上体をアーチ状に吊り上げ、足首を固定してペダリングする。やってみるとこれがなかなか難しい。
 以前はできるだけ平らな道を選んでいたが、わざわざ上町台地の起伏があるルートを通るようになった。

 片道3.5kmは、あっという間に終わってしまう。ちょっと遠くであった会合などから帰宅する、7〜8kmがちょうどいい。


  
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2010年11月11日

◆大予言◆

kokkai


 工学部の学生だった80年代、通っていた大学の教授が言っていたことだ。

> 50〜60年代、優秀な学生はこぞって工学部に進んだものだ。それから20〜30年たった今(80年代)日本の工業は世界のトップレベルになってきた。
> 今(80年代)、優秀な学生は医学部に集まっている。20〜30年後の将来、日本の医学は世界トップレベルになるだろう。

 どこまでがホントのことだったかはわからない。しかし、それから20何年か経った現在、日本の医療技術水準は、世界のトップレベルに達しようとしている。予言は当たったのだ。

 一方、ノーベル賞。今年も化学賞の受賞者が2名。

 さっきの教授の予言に当てはめて考えると、昨今の受賞は、50〜60年代に日本の頭脳が集結した分野での受賞ということになりそうだ。そうすると、20年後の将来、日本人のノーベル賞は生理学・医学賞の受賞者が増えてくることが予想される。
 ま、そんなにうまくはいかないかもしれないけどね。
 

 今の優秀な学生さんたち、日本の頭脳や才能とも言うべき若者たちは、どの分野に集まっているのだろうか。これだけ理系離れが叫ばれているのだから、少なくとも理系じゃないことだけは確かだろうね。ま、発明者が減るってことだし、工業国でもなくなっていくってことだから、特許業界も危機なんだけど、その話はおいておこう。

 じゃあ文系として、どの分野なのか? 経済、金融、芸術、教育、政治、行政・・・。学部じゃなくて職種でもいいけど、一体どの方面が人気なんだろう。

 人気といえばキーワードは、やはり「将来安泰」なのかな? 大昔や今がどうかはわからないけど、80年代に医学部が人気で難関だったのも、医者の社会的地位や収入を含めた「将来安泰」感が、学生やその親達の人気を集めたからという側面はあったように思う。

 あと、収入格差は無視できないだろうな。今の理系離れはまさしくそれだと思う。同じように大学を出て就職しても、メーカーでエンジニアをするのと、金融機関に行くのとじゃ、生涯賃金で家1軒分くらい違うらしい。これを何とかしなきゃ理系離れは止まらないだろう。そういう意味では、青色発光ダイオードの中村裁判は、こういった事態に警笛を鳴らすものだったわけだ。


 この国も、いままで工業国でやってきたからといって、これからずっとそうでなきゃならない理由はないだろう。だんだん生産国ではなくなってきていて、そうあり続けようとすることに無理が生じつつあるようにも思う。
 もし子供がいたら、理系はやめとけって、言うかもしれない。


 いま、日本の才能がどの分野に集まっているのかはわからないけれど、優秀な若者こそ政治や官僚の世界に入ってもらって、20〜30年後の将来、この国の政治や行政を世界トップレベルまで引き上げて欲しいとも思うのだけれど。

 若者達よいずこへ。

 って、だいぶ話があっちこっちいっちゃったな(笑)。


※画像は写真素材足成さんより。


  
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2010年11月08日

◆丹波で狐、奈良で鹿。◆

fox-3

 先の日曜日、「兵庫丹波もみじの里ハーフマラソン」、去年に引き続き2度目の出場を果たした。天候にも恵まれ、今年も気持ちよくレースを楽しめた。
  http://edu.city.tamba.hyogo.jp/momiji/top.html


 JR福知山線を篠山口で乗り換え、さらに普通列車に25分揺られて柏原駅で降りる。そこから送迎バスでさらに30分近く行って、やっと会場の青垣運動公園にたどり着く。

 圧倒的に田舎の大会がいい。
 景色も空気も懐かしい。平らに広がる田んぼのむこうに、こんもりと山が盛り上がる。その麓には、石造りの鳥居とまばらに実をつけた柿の木が立ち、少し離れたところに、黒い瓦屋根の民家がどっしりと建っている。田舎育ちの都会暮らしにはノスタルジーにあふれた風景が続き、これが日本の田舎だと、拍手を送りたくなるほどである。
 地元の沿道声援もあたたかい。遠阪川の左岸に沿ったマラソンコース、川向こうからも大声で応援してくれる。思わず大きく手を振って応えた。目一杯両手を振るなんて、普段の生活ではありえないことにも、自然に身体が動いてしまう。
 ラストスパートまで、ひとりニヤニヤしながら走っていた。


 記録は、手元の時計で1時間47分27秒だった。2時間は切ろうと思っていたけれど、1時間50分を切るとは、まさかの展開だ。昨年は2時間10分弱だったので、22分も短縮できたことになる。
 すげ〜、これがスポーツ心臓ってやつの威力か(笑)。
 このくらいだと、フルでサブフォー(フルマラソンで4時間切り)も現実味を帯びてくる。うほっ♪


 写真で頭にあるのは、「キツネバイザー」。知人のかぶりもの作家 チャッピー岡本氏の作品だ。
 すごいコスチュームの選手もいるので、現場じゃ目立つほどではないけれど、小心者にはこのくらいが丁度いいのだ。恥ずかし過ぎて困ることもなく、走るテンションを少しだけあげてくれる。これが好記録につながったのかも。

 来月は奈良マラソン。同じくチャッピー氏の作品、シカバイザーで参戦する。
  http://kaburimono.shop-pro.jp/?pid=24057827


  
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2010年11月01日

◆秋の恒例◆

hart


 今年も生活習慣病予防健診の受診を済ませた。運動会じゃないけれど、涼しくなったこの時期にと、秋に受診する人は多いらしい。

 血液検査などの詳細は後日になるが、主だったところはこんな状態だった。
   身長   165.5cm
   体重   54.5kg
   体脂肪率 10.9%
   腹囲   72cm
   視力   0.5/0.5
   血圧   90/60
   心拍数  45
   聴力   異常なし
   胸部X線 異常なし

 いい機会なので、今までの検査結果を引っ張り出してみた。何年かブランクはあるものの、経過を眺めるとおもしろい。

 体重の増減が激しく、2003年には70.1kg、2008年には48.6kgを記録している。2007年から計測が始まった腹囲は、体重60.8kgだった2007年が85cmで、体重48.6kgだった2008年が64cmだった。肥ったり痩せたりと、我ながら忙しい。

 視力がまた少し落ちている。そうとうに勘を働かせながら、がんばった結果でこれだった(笑)。1999年には左右それぞれ1.5見えていたので、それを思うとちょっと寂しくなる数字だ。デスクのモニタ画面や書類を、何年もにらみ続けた結果なのだろう。

 血圧は数年前から低めに出る。それまでは110/70くらいだったし、今でも普段の日中に計ると120/80くらいなのだが。検査のために朝から飲まず食わず、腹が減ってるからだと言われている。起きたときから昼ごはんが待ち遠しい、ああ昼ごはん昼ごはん…、これじゃ無理もないか。

 赤血球が少なく出ることがあるので、それを訊ねると、生まれつきかもしれない、だって。食生活で改善するものでもないらしい。心配するほどでもないようだ。

 2007年には、肝機能で「要精密検査」と判定された。このとき、精密検査のために1ヶ月間アルコールをやめた。数値的にはそれで問題なくなったが、結局、そのまま今も飲まない生活を続けている。

 胃のX線検査は、毎年大変なのだ。
 発泡剤とバリウムを飲み、げっぷをがまんしながら、頭に血が昇る傾斜台の上でぐるぐる回る。こらえきれずにガスを吐いてしまい、追加の発泡剤を飲んでまたぐるぐる・・・。とどめにお腹をぐりぐり押され、終わるといつも涙目だ。
 覚悟の受診だったが、今回はあっけないくらいスムーズで、涙目にもならずに終えることができた。そのあと身体からバリウムを出すのに苦労したのは、例年どおりだったけれど。

 心拍数が低い。昨年から出始めた徴候である。Wikipediaによると、「標準的には男性で60〜70程度」らしい。「持久力の鍛えられたスポーツ選手は心拍数が少ない傾向にあり、1分間に40〜50回という人もいる」という記載も発見した。こりゃいよいよスポーツ心臓ってやつになってきたのか。単に腹が減ってるだけかもしれんが。
 ま、いろいろごちゃごちゃ書いたけど、今回はこれを書きたかったのね(笑)。


 我が身の歴史、といえばオーバーだけど、並べて見るとちょっとした感慨がある。

 リミット超えがいくつか、必ずあった以前にくらべると、食事も運動も改善している。あちこち故障するのは別にして、内科的な体調のよさは実感できている。
 自分でも振れ幅が大きかったと思うけど、最近はなかなかいい感じ♪でボディデザインできつつあると、自画自賛しておこう。


※画像は写真素材足成さんより。


  
Posted by moripat at 08:22この記事をクリップ!