2016年05月26日

メールは接客

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 仕事の電子メールをどう書くかなんて、まともに考えたことがなかった。
 日本語で要件を伝える。いってみればそれだけのことだ。日常会話も生活も仕事も、ふつうにできるネイティブなんだから、あたりまえだ。
 伝えようとすることを丁寧なことばで書けば、それで十分だと思っていた。

 でもメールって、お客さんとの接点なんだよな。

 飲食店だったら、厨房がいくら綺麗で美味しいものをつくったとしても、ホールの接客がマズければ、二度と行きたいと思わない。同じことが、メールでも起こるんじゃないか。
 ファミレスやハンバーガーショップで、マニュアル通りの接客をされたって、嬉しくもなんともない。同じことが、メールにも言えるんじゃないか。
 どこがどうってはっきり解らないけれど、スターバックスの接客って、いいなと思う。同じことを、メールでも出来るんじゃないか。

 そうだ、メールって接客だ。
 それに気づいてから、要件の並べかた、ことばの選びかた、感情の出しかた…、読み手のことを考えて、いろいろ工夫するようになった。

 伝えるべきことを伝える。
 自分でも驚いたのだけれど、ほんとうに伝えるべきことが、行間に埋もれがちなのだ。言いにくいことは特にだし、そうでなくても、読み手が実は何を知りたいのか、しっかり想像しなければスカタンになってしまう。

 読み手に負担をかけない。
 丁寧に書こうとすればするほど、ことば数が多くなる。おなじことを繰りかえし、押し付けがましく、クドくなる。文字がふえれば、それだけ読むのは面倒だ。片手間に斜めよみされることも多い。それで必要なことが伝わるよう、まず結論でスッキリさせる。

 気分よく読み終えてもらう。
 「お世話になります」「今後ともよろしく」。マニュアル接客みたいな慣用表現を避けるようになった。たとえ野暮ったくても、そのときの気持ちを率直なことばにする。「!」「♪」みたいな記号も、ときには顔文字だって使う。

 ざっと一読で理解でき、最後にちょっとほんわか。
 お客さんと接するのにホスピタリティーは大切だ。メールもおなじ。さすがプロだね〜なんて、誰もいってはくれないけれど。


  
Posted by moripat at 10:39

2016年03月29日

【ウナ電】

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 文脈でだいたい意味はわかったんだけど、調べてみた。
 『電』は「電報」だ。
 『ウナ』が凝っている。「至急」を意味する「urgent」の頭二文字「UR」をモールス信号に変換して、そのモースル信号をカナに変換すると『ウナ』になるそうだ。で、『ウナ電』=『至急電報』の意味になる。
 虫刺されの「ウナコーワ」もこの『ウナ』に由来するという。
 
 文字を電信で送り(手紙のように紙をそのまま送るんじゃないってこと)、受信地で出力したプリントを人が玄関口まで届ける。固定電話も普及していなかった時代には重宝したらしい。
 手もとのケータイから画像つきのメールをふつうに送れるいま、牧歌的すぎて信じられないくらいだ。
 
 そんなコトバが登場する『R62号の発明』は、人間がロボットに改造されるはなし。産業界を風刺したSFも、いまとなっては牧歌的だ。
 でもこの作品、昭和28年3月が初出なんだよね。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台より5年ほど遡る。どんな時代だったのか、想像しにくいんだけど、こんなロボットSFが産みだされる土壌はあったってことなんだろう。
 太宰治の『人間失格』から5年たっていない。それがおどろきだ。
 
 きょうも燃焼系♪

  
Posted by moripat at 07:15

2015年12月21日

袋井クラウンメロンマラソン 2015.12.13

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 子どもの頃おかんに「メロンだ」と言われて食ってたやつに、網目はなかった。
 メロンといえば、まんまるで不規則な模様がついた最上級くだもの、くらいのことは知っていたし、そんなものが我が家の食卓にやすやすと出てくるわけがないことも分かっていた。
 それはプリンスメロンという、マクワウリに近いものだった。
 
 メロンといえば夕張が有名だけど、静岡も全国有数の産地だ。静岡クラウンメロンという高級品をつくっている。
 
 クラウンもプリンスも、誕生から50数年になるそうだ。
 
 いまみると、『プリンスメロン』って、いいネーミングだと思う。おかん御用達の家庭用グレードなのに、マクワウリっぽさを感じさせず、高級品のクラウンと並べてみても見おとりしない。
 高いものじゃないのはわかってたけど、名前に納得感があって、食べてたんだろうなあ。
 
 それはさておきこの大会、静岡産クラウンメロンのおもてなしが売りのひとつだ。おかんのプリンスではない、網目模様も格調高い、結婚披露宴クラスの、まんまるなマスクメロンを食べられるのだ。
 
 頻繁なアップダウンがキツい42キロを走り終え、ようやくメロンにありついた。テーブルに紙コップがずらりと並び、ふた切れずつ入っている。お一人さま1カップとお願いされた。
 ま、高級品だしね。食べ放題ってわけにいかない事情は、よくわかる。
 
 きょうも燃焼系♪

  
Posted by moripat at 16:28

2015年11月16日

第1回 金沢マラソン 2015.11.15

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 降ったりやんだりで寒くて、ほとんど100均レインコートを着たまま走った。せっかくのコスチュームだったのにね。
 ま、ウルトラ警備隊なんて、知ってる人はもう少ないし。たまに声がかかったと思えば、「ガンダム、ですか?」だって。「ええ、まあ」と、にが笑い。
 
 加賀百万石の城下町だ。走っていても、地名に名残があったり、いかにも老舗な看板を見かけたり。そこかしこに残る日本的な情緒がうれしい。
 と思っていると、ここにも中華圏の人たちが。大阪では見なれた集団だけど、地方都市の、それもマラソン大会にまで、押し寄せている。
 
 しばらく行くと、コースは旧街道のまちなみゾーンへ。地元の生活道路らしい。大サービスじゃん! 『金沢をまるごと走る』と謳うだけのことはある。沿道の応援もとぎれない。
 
 半分くらい走ってお腹がすきはじめる。後半になると、補給食をおいたエイドがあるから困ることはないんだけど。バナナをむしゃむしゃやって持たせる。ただ、レース前の食べ方を失敗したってのが、ちょいと悔しい。
 
 最後の最後に脚が攣ってしまった。何度もコケそうになる。マラソンでこんなの初めてだ。雨が寒くて給水が少なくなって、それでも汗はかいてたんだろうな、たぶん。かけ足レベルまでペースを落としてなんとかゴールした。けっきょくは練習量なり、なんだろうけど。
 
 きょうも燃焼系♪


  
Posted by moripat at 14:02

2015年08月07日

インタビュー【エンドルさん】

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 ――走道家のエンドルさんにお話をうかがった。エンドルさんとは10年来の知人だ。マラソンつながりに見えるけど、最初に会ったのはビジネス系の交流会、お互いに走り始める前のことだった。
 
 ***

■伴走を通じて走ることを極めたい■

 視覚に障害をもつブラインドランナーを安全に走れるようエスコートする伴走。コースの状況を説明し、走路を確保し、ペースを保ち、給水を補助する。
 
 エンドルさんは、フリーランスの仕事をはじめたとき、働きつづける身体と気力を保つために走ることを決意した。練習拠点にした長居公園で活動するチームを探していて、視覚障害者マラソンの伴走練習会「長居わーわーず」と出会う。できあがったアスリートたちに混じるより気分的に楽なのでは、最初はそう思ったそうだ。
 
 伴走で味わうマラソンは、スタートからゴールまでの想い出や喜びを、二倍にして共有できた。ガイドした選手がゴールした瞬間の、素敵な顔が忘れられない。「その楽しさを、知ってしまったんですよ」と語る。
 
 伴走者とランナーは、輪に結んだロープを握って並走する。「登り段差」「右カーブ」「ペース速い」などを伝える。言葉もつかうが、一瞬のコミュニケーションはロープになる。サインに決まりはない。「がんばろう!」が伝わる人もいれば伝わらない人もいる。
 求められることも様々だ。マラソン初挑戦の選手は、最初に決めたペースを守り、折れそうになる心をゴールまで励まし続けた。ベテランになると「何キロ通過」さえ聞かない人もいる。聴覚にも障害がある盲ろう者は、ロープとハンドサインだけが命だ。
 こんな大変そうなことを、とても嬉しそうに話す。
 
 エンドルさんの伴走に同行したことがある。箕面から妙見山を越え亀岡へ抜け、さらに京都タワーまで。真夏の炎天下、60キロの道のりだ。自分のペースで走るだけでも精一杯だ。エンドルさんは、交通規制のない一般道で安全を確保しながら、ランナーに調子を合わせて並走する。そのうえ、コンビニ休憩、トイレ、昼食、ゴール後の入浴までサポートする。交代要員もなく務めたエンドルさんが、ひとり最後まで元気だった。
 
 マラソンシーズンになると、毎週のように大会伴走の声がかかる。
 命を預けるブラインドランナーにしてみれば、まず信頼だ。それに加え、顔がひろくてコースでいろんな友達に遭遇するエンドルさんとは、一緒になってレースを楽しめるらしい。
 
 11月のさいたま国際マラソンは、久しぶりにソロでフルマラソンに出場する。ねらいは3時間切り、サブスリーだ。多くのランナーにとっての目標ラインも、伴走のためという。
 「名刺代わりです。ガイドランナーにも、持ちタイムってのが要りますから」と笑う。


■エンドルさんのブログ
 伴って走ることについて語るときに僕の語ること
   〜What I Talk About When I Talk About Running Accompany〜

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Posted by moripat at 10:08

2015年08月03日

坂バカたちの聖地

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 最後のヘアピンを抜けた。ペダルを踏む脚も心拍も、限界がちかい。あと250メートル。ラストの坂を、もがく。

 十三峠。
 「じゅうさん とうげ」と読む。頂上ちかくの十三塚という民俗史跡に由来する。何てことはない山道を、在阪のサイクリストたちは聖地と呼ぶ。高校野球なら甲子園、ラグビーなら花園、そんな場所だ。

 八尾から奈良へ、生駒山系を越える四キロメートルの峠道だ。ふもとの交差点をスタートして大阪経済法科大学のまえを通り、ヘアピンカーブをいくつか過ぎて、頂上の駐車場まで。標高差は375メートル、勾配は平均9.2パーセント、最大で14.7パーセントになる。箱根駅伝、五区の登りでおよそ6パーセント。それより5割り増しの登り坂がつづき、要所に激坂が待ちうける。

 サイクリストのなかには「坂好き」を公言するヤツらがいる。自らを「坂バカ」という。タフな十三峠は、彼らにとってこのうえないご馳走だ。
 週末になると、本格的なロードバイクに乗る坂バカたちが、続々とやってくる。ネットのランキングサイトでタイムを競う。トップクラスは13〜4分で登りきる。参加者の平均は20分40秒ほど。20分を切れば初心者レベルを脱したといわれる。

 ぼくも五年前にロードバイクに乗り始め、少しずつ坂の魅力にとり憑かれてきた。週末は十三峠で朝練だ。

 梅雨入り直後の雨あがり。曇り空。路面は湿っている。
 6時50分、ふもとの交差点をスタート。これから先ゴールまで、惰性で進むことはない。大学前まで来ると傾斜がだんだんキツくなる。ギヤを一段ずつ軽くする。あっというまに最後の一枚だ。あとは脚力だけが頼りだ。
 ひとつ目の左ヘアピン、1.2キロ。イン側の急勾配を攻める。まだ余力は十分だ。ここからレベル強の坂がつづく。
 ダンシングと呼ばれる立ち漕ぎでぐいぐい登る。ハンドルを握る両手とペダルに固定した両足で、マシンをあやつる。体重を使いながらペダルを踏み、逆の足を引きあげる。踏み込みにあわせて車体を左右に傾ける。そうやって全身の力を推進力に変換する。優雅なダンスにはほど遠く、いわば坂との格闘だ。
 2キロすぎ。流れる汗に羽虫がまとわりつく。吸い込みそうになるのを堪える。呼吸が苦しい。追いぬく軽トラックのエンジンも苦しそうだ。
 3キロすぎ、対向車がヘッドライトを点けて下りてくる。上はガスらしい。
 最後のヘアピン、残り250メートル。必死にもがいて、ようやく頂上へゴール。ドクドクがおさまらない。22分01秒。ぼくにしてはいいタイムだ。

 ご褒美になるはずの景色は、濃いガスで見えない。いつもは大阪平野を一望でき、空気が澄んでいると六甲の山々まで見とおせる。
 車で来たのとは段違いの値打ちだと思う。自分の脚と気力で登ってきた。強烈な達成感、これだ。
 登りになると燃える。もう立派な坂バカかもしれない。


  
Posted by moripat at 08:33

2015年07月22日

目からウロコの歴史本

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 理工系に進むって決めたのは中学のときだ。だから社会の勉強には力が入らなかった。
 それでも中学まではどの教科も、そこそこレベルを保っていたと思う。美術と体育は論外だったけど。
 高校で勉強せず、成績は落ちた。後ろから数えたほうが、というより最後尾がすぐうしろだった。
 あたりまえのように受験はした。共通一次の初期で、五教科七科目が必要だった。
 社会は日本史を選択した。どういうわけか、だ。付け焼刃でどうなるもんじゃない。すこしは勉強らしいこともしたけど、圧倒的に手が回らなかった。
 だから今でも、歴史には苦手意識がある。

 『中国化する日本』なんて、「え?」と思うタイトルだけど、これは日本史の本だ。北海道のいわた書店でやってる一万円選書サービスで、ぼくへのオススメを選んでもらったなかの一冊だ。そうじゃなければ、手にも取らなかったろう。

 予備知識として高校レベルの常識的な日本史を知ってれば充分なんて、序文に書いてある。それが心もとないんだよなぁと、思いながら読みはじめる。
 「西洋化」「近代化」「民主化」という枠で理解されていた歴史を、「中国化」「江戸時代化」という軸で捉えなおしたものだ。
 目からウロコがボロッボロと音をたてて落ちてゆく。漠然とだけど「こんな感じ」と思ってたストーリーが、あれよと姿を変える。シニカルな筆致に、何度もニヤリとさせられる。
 歴史がこんなにもクリエイティブなものだったなんて、驚きだ。

 きょうも燃焼系♪


  
Posted by moripat at 08:48

2015年07月21日

ツール・ド・美ヶ原高原自転車レース大会2015

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 激坂が売りの大会だ。三年ぶり二度目の参戦だった。

 記憶というのはあてにならない。

 前に走ったときの印象は、「確かにキツイけど、何とかなった」だった。後段の「何とかなった」の部分を、かなり過大にして覚えていたらしい。「最初の激坂区間を過ぎるとあとは普通」と思っていたのが、まったくの誤認だった。

 目測だけど、最初の激坂が17〜18%ぐらい、それを過ぎても12〜13%ほどの登りが続く。そんな前半で脚を使い切ってしまった。

 上のほうは森林限界に近いらしく、立木が少なくなってレンゲツツジが群生している。

 下りを含む緩斜面、ここぞとばかりみんなスパートする。ぼくはというと、必死で漕いでも脚は回らない。景色を楽しむ余裕もなく、ボロ抜かれした。

 ゴール前でスパートできずにモタモタしてたら、「変身しろ!」だってよ。

 きょうも燃焼系♪




  
Posted by moripat at 08:25

2015年06月29日

みやじま国際パワートライアスロン大会2015 (2015.6.14)

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 最後のエイドまでたどり着けば残り1.6キロ、あと少しだ。そろそろ前後を走る選手が気になりだす。適度な距離がいるからだ。

 前と詰まりそうだったら一気に抜くし、抜けそうになければあえて距離を縮めない。後ろが抜いてくるなら、そのまま行ってもらう。

 ここまできて順位のひとつやふたつ、どうでもいい。自分でテープを切ってフィニッシュしたい。ゴールが撮影ポイントになるのは、わかっているのだから。

 去年は5メートル前に人がいた。残り100メートルを猛ダッシュして抜きさり、テープを切った。できた写真には、ぼくの影にその選手が。おとな気ないことをしたなという、後ろめたさが写っていた。

 今年はそんなことをしなくてすんだ。すっきり笑っている、何分の一かはそういう理由だ。

 きょうも燃焼系♪


  
Posted by moripat at 19:14

2015年06月02日

【映画レビュー】 『ドーバーばばぁ 織姫たちの挑戦』

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 監督・中島久枝 出演・チーム織姫ほか(2011)
 
 
 挑戦、それはドMな楽しみ。
 
 ばばぁがドーバー海峡を泳いで横断する。若くて54歳、最年長は67歳。6人のおばさんたちが、遠泳界のエベレストとよばれる難関に挑む。その姿を追うドキュメンタリーだ。
 
 イギリスとフランスを隔てるドーバー海峡。
 北緯は51度。宗谷岬のはるか北、樺太の半ばにあたり、夏でも水温は15度くらいだ。34キロメートルという直線距離は本州から佐渡に等しく、うねりが大きく潮流も速い。
 6人のメンバーが一時間ずつ泳いでリレーする。身に着けることが許されるのは、肩と腿がでた水着とキャップ・ゴーグルのみ。それが公認ルールだ。
 
 15度という水温の低さが最大のネックだ。
 ぼくは実際に、21〜2度の海に出たことがある。トライアスロンで、袖なしのウエットスーツを着用した。それでも両腕から体温を奪われ、一時間後には下半身まで動かなくなった。
 サウナの水風呂で17〜8度だ。
 現地の海はもっと冷たい。
 
 低温に慣れる練習を繰りかえす。真冬は熱海の海で、夏は奥多摩の川で、ほとんど正気の沙汰ではない。身体が冷えきり、足はつる、持病の発作はでる、まともに歩けない、震えがとまらない。もうボロボロだ。誰か一人でも持ち時間を泳ぎ切れなければ、リレーは失敗に終わる。
 
 ふだんの彼女たちは、仕事を持ち、家庭を切りもりし、家族の世話をし、年老いた親を介護する。それぞれに何か抱えた、身体にガタも見えはじめた、ふつうのお母さんだ。
 二週間以上も家をあけて遠征する。とまどう家族を説得し、そのうえでなお、彼らに心配も負担もかけなければならない。
 
 そこまでするばばぁたち。ひとつ間違えば、命にだってかかわりかねないのに。
 
 介護や家事に忙しい主婦が、日常を忘れ、冒険を乗りこえる。少しレベルアップした自分になることで、またいつもの役割を続けていける。
 この映画は、そんな女性たちを応援しているのだと思う。
 
 でも、トライアスロンやウルトラマラソンに挑戦しているぼくの目には、すこし違った姿が映る。
 チャレンジが「いけそうだ!」と思うとき、人は一番がんばれるし実力もぐんぐん伸びる。つらくもないし苦でもない。それは果てしなくドMな、極上の楽しみにほかならない。主婦してるとか介護してるとか、そんなことには関係なく。
 
 6人のばばぁたちがイギリスに旅立つところからこの映画は始まる。冷たくうねるドーバーに、いよいよ戦いを挑むのだ。その姿を見とどけよう。
  
 
きょうも燃焼系♪ 
 

  
Posted by moripat at 06:37

2015年05月04日

『ガ』に気をつけろ。

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 飛んで火に入る虫ではなくて、コトバの話。

 ふだん何気なくつかってる日本語だけど、知らないあいだに意外なつかい方をしているものだ。「○○○だが、△△△だ」というときの『が』、接続助詞だけど、これもそのひとつだ。

 一般には逆接と思われているだろう。ぼくもそういう認識だった。「まだ雨は降っていないが、傘を持って出よう」とかいうときの『が』。「しかし」の意味だ。

 ところが、いつのまにか順接にも使っているのだ。え? と思われるかもしれない。手もとの辞書でも、逆接のほかに2パターンの接続が説明されている。

 〜庵屬をしたり補足説明したりする。例:「見積もりの件ですが、明日じゅうに返事をおねがいします」
 △佞燭弔了柄をならべたり、時間的な前後をあらわしたりする。例:「あわてて乗りこんだが、女性車両だった」

 一説には、逆接でも順接でもない無色透明の接続にも使うとある。もう、わけがわからない。

 結局いろんな接続パターンを『が』ですませることができるのだ。言いかえれば、『が』でつなぐと、文章の論理構造が、助詞という「形式」じゃなくて、前後の「関係」で決まるってことになる。

 だから特許文書には『が』を使わない。論理を文脈に依存させるべきではないからだ。仕事で書くメールやレターなんかも、『が』が出そうになると、ほかの言いかたを探すことにしている。

 きょうも燃焼系♪

【参考文献】『論文の書き方』 清水幾太郎 岩波新書(1959)
【写真素材】足成

  
Posted by moripat at 15:31

2015年04月21日

デジタル教科書、検討へ 来年度中に結論 文科省



 教科書のデジタル化が検討されるらしい。そんなとこまでタブレットが押しよせるんだな。
 
 算数では、立体をスパッと切って断面を見せる。理科では、天体の運行や生き物の生長を見せる。動画なら一目瞭然だ。

 確かに感覚的にスッと頭に入るだろう。でもね、その分コトバで分かるということが、なおざりにされやしないか心配だ。

 言葉を論理的に使うことは、算数や理科を通して学ぶのだ。国語ではない。その場面で、直観的に「分かった」で終わっちゃって、言語化されたレベルで理解するところまでいかないのではないか。

 感覚的に分かっても言葉で理解できていなければ、それをつぎの思考に活かせない。言語能力がまさしく思考能力なのだ。

 日本で生まれ育てば誰でも日本語で生きていけるようになる。だから日本語なんて何とでもなるって、思われてるような気がする。英語教育に対する熱の入れように比べると、そんな感じを抱かずにいられない。日本語で生活できることと、日本語についてしっかりした言語能力を持つこととは、次元が違うのだ。

 そのあたりを十分わかって検討してほしいものだ。教育は国の未来なんだから。

 きょうも燃焼系♪

  
Posted by moripat at 14:34

2015年04月03日

象は鼻が長い

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――象は鼻が長い。
 日本語を勉強してるとよく目にする、「象鼻文」って呼ばれる有名な例文だ。
 要は、どれが主語かって、ことなんだけど。
 「長い」っていう述語にかかるのは「鼻」だ。決して「象」じゃない。だから主語は「鼻」だと、考えるのが妥当と思う。

――Elephant has a long nose.
 でも英語にするときは、「象」を主語に立てるのが自然なのだろう。

――象は鼻が長い。耳も大きい。
 こうなるとどうだ?
 「〜は」って助詞は、主題を示すもので、その主題はセンテンスを超えて影響する、という説がある。
 この例文の場合、「象について言えば」という主題が、第2文に影響している。第2文の主語はどれだろう? 述語「大きい」にかかる「耳」なのか。

――Elephant has a long nose. Ears are also large.
 逐語訳だとなんか変。
――Elephant has a long nose. He has large ears also.
 第2文を英語にするとき、和文になかった主語「He」を立てる必要がありそうだ。

 このあたりで悩ましくなってくる。
 日本語だと、「〜は」で提示された主題が、そのあと文字として現れないまま第2文以降に影響することが、普通に起こる。それを英訳するときに、原文に主語が書いてない、ってことになりそうなのだ。

 国内で完結する文書なら、それほど問題にもならないのだろう。でも特許の場合、英訳が想定されることがあるからね。少なくとも、「〜は」って助詞には気をつけて、仕事しなくちゃならないのかなと。

 きょうも燃焼系♪

【参考文献】
 『日本語に主語はいらない』 金谷武洋 講談社選書メチエ(2002)
 『日本人のための日本語文法入門』 原沢伊都夫 講談社現代新書(2012)
 『英語を通して学ぶ日本語のツボ』 菅井三実 開拓社(2012)
 その他いろいろ

【写真素材】
 フリーフォトボックス


  
Posted by moripat at 09:36

2015年04月01日

子供返り

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 魚の皮を剥くようになった。

 ほっけや鮭みたいに厚めのやつも、食べてたんだけどね。最近は、秋刀魚や鯖みたいに薄いのまで外して除けている。

 子供の頃は、びろびろした感じが嫌だった。焼き魚はまだしも、煮魚は特にだめだった。

 いい大人になってくると、そういうのもだんだん恥ずかしくなってくるし、骨だけ残してキレイに食べて、「猫またぎだね」なんて、言われることはないにしても内心ちょいと、鼻を高くしていたのだ。

 でも、びろびろを嫌うというのは、とても感覚的で、個人にとって本来的ともいえ、大人の理性で薄まることはあっても、完全に消え去るものではなかったらしい。

 だから最近になってまた、皮を外すようになったのだ。もともとの自分に正直でいいじゃないかと、そういうことだ。別に食べられないわけではないし、面倒な作業が増えるだけ、なんだけど。

 もしかしたら、こういうのを子供返りというのかもしれない。いつまでもガキという自覚はあったけど、これから先ますますガキに、なっていくのだろうか。

 きょうも燃焼系♪

  
Posted by moripat at 13:56

2015年02月27日

ヒーローも風には勝てない

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 マラソンは、フルとハーフを合わせて30本くらい走っている。
 
 岐阜のハーフマラソンでのことだ。一反木綿を背負った鬼太郎と並走することになった。「キタローがんばれ」「キタロー」。沿道の声援が鬼太郎に集中する。ぼくだって、同じように頑張っているんだけどね。ジェラシーを感じた。

 それをきっかけに、コスプレに挑戦することにしたのだ。仮面ライダーのウエアを買った。ヒーロージャージの効果は絶大だった。やみつきになった。

 今月の8日、愛媛マラソンに出場した。こんどのコスチュームはウルトラマンだ。ふつうのウエアを着た選手たちのなかで、ひときわ目立つ。「ウルトラマンがんばれ!」。沿道の子供たち、給水ボランティアの高校生たち、みんなぼくを見ている。してやったりだ。

 折り返し地点を過ぎた後半、強烈な向かい風になやまされる。ダメージも蓄積されて足も痛い。結局、ペースの合うランナーの後ろにへばりついて風よけにするという、およそヒーローらしからぬ走りに終始することになった。

 それでもウルトラマンは目立ってしまい、あいかわらずぼくへの声援はとぎれない。

 ヒーローも天候には勝てない。そのあとの道のりを、気恥ずかしさに恐縮しながらゴールまで走った。

  
Posted by moripat at 05:42

2015年01月30日

文脈

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『卵を使用した設備で製造しております』
 コンビニで買ったアイスクリームのカップに印刷されていた文だ。

 最近の加工食品にはアレルギー表示がされている。原材料にアレルギー物質が含まれていれば、そのことが書いてある。
 その製品にアレルギー物質を使っていなくても、アレルゲンを含む製品と同じ製造設備を兼用していれば、それを表示することもある。

 冒頭の文をするする読めてしまうのは、こういった文脈を、前提として理解しているからだ。つまり、文脈への依存度が高いといえる。
 文言をそのまま読めば、『卵を使用した設備』がいきなり解らない。一体どんな設備だというのか。意地の悪い読み方をすれば、そんな言い方もできてしまうのだ。

 ぼくらが書く特許の文章は、文脈に依存させる度合いをできるだけ少なくしなければならない。とにかく意地の悪い読み方をされるのですわ、いろんな局面で。その観点で冒頭の文を見なおせば、『この製品は、原材料として卵を含む製品を製造した設備と、同じ設備で製造しております』と、例えばこんな風になる。

 アレルギー表示の場合、商品パッケージという限られたスペースに限られた文字数で書かなければならない。だから思いきり文脈に依存させて大胆な表現を採用するのも、それはそれでワザなのだろう。とは思うけどね。

 きょうも燃焼系♪

  
Posted by moripat at 08:13

2014年10月17日

わかったぁ?

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 ぼくたち日本語ネイティブが日本語の文章を読んで、ふつうに『わかった』とおもう状態、実は『わかったつもり』であることが多い。

 『わかったつもり』は、本人的には『わかった』なのだ。一種の安定状態といえる。何かきっかけがないと、自分から突き崩すのは難しいんじゃないかな。

 そう考えると、いろんな分野のいろんなシチュエーションで、『わかったつもり』で終わっているケースがほとんどなのでは、とさえ思えてくる。


 この本では『わかったつもり』が起こるメカニズムを詳細に分析している。あくまで『読み方』の解説だ。が、このカラクリは間違いなく、『どう書くか』に応用できる。

 まず読み手に『わかったつもり』を起こさせない、『ホワイトライティング』を考えるべきだ。たとえFBの投稿でも、書き手として「そんなつもりじゃなかった」と思いたくない。仕事のうえで読み手から、「そんなつもりじゃなかった」といわれてしまうのは最悪だ。

 逆に、あえて読み手を『わかったつもり』にさせてしまう、『ブラックライティング』ってのも成立しそうで、怖い。あえてかどうかは別にして、世の中にそんな文章がうようよ出まわっているというのも、現実だろう。

 きょうも燃焼系♪

  
Posted by moripat at 09:41

2014年10月08日

渡る世間はなんじゃらほい

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 日本って、法治国家のふりをしてるけど、どうも違うらしい。法じゃない何か、漠然としたものが支配してるよなぁと思っていたら、それは『世間』だった。

 山本七平はこれを『納得治国家』といった(「派閥」の研究:文春文庫)。要約すると、国民が納得しなければ無理やり立件してでも処罰するし、国民が納得してしまえば違法なことも大目にみるってことだ。

 ここで『国民』を『世間』に読みかえるとしっくりくる。

 日本人が集団になったときに発生する、一定の強い意思がある。ひとりひとりの意思かというと、そうじゃないかもしれない。これが世間のパワーであって、法律や人権にも勝ってしまうことが、実は少なくないのだ。

 マスコミとネットがシンクロして、ちょっとビックリするようなことになったりするのも、世間の力学だと考えれば腑におちる。

 自分じゃわりと浮世離れしてるほうだと思ってるけど、しっかり世間に浸かっているし、そこから逃れて生きることはできない。空気みたいなもんだからね。

 たぶん、否定的な側面ばかりではないと思う。世間がなければ、個人がたったひとりの個人として、社会と向き合うことになるだろう。それができるだけの強い個人というのが、はたして日本に成立するのか。そんなことを思いながらも、世間のどこを肯定できるか、明確には見えてこないのだ。

 きょうも燃焼系♪

  
Posted by moripat at 09:02

2014年08月14日

国語恨み節

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 大の国語ギライだった。
 
 「この話を読んでどう感じたかなぁ? 班のみんなで話しあってみよう」。そんな局面で、もっともらしい顔で発言する女子がいる。こう言ってれば先生に褒められるよね、というキレイ事だ。その内容は教科書ガイドの解釈と寸分違わなかったりする。一体どんな神経をしているのか。かといって、面白くもないし特になんも感じへんし、と本音をぶっちゃけるだけの度胸はない。何を話せばいいかわからないで、時間が過ぎるのを待つのだ。
 
 夏休みの読書感想文も困りものだ。原稿用紙に5枚も、さほど経験値の高くない子供に書かせるのだ。ふつうに考えて無理だろう。この投稿でやっと1000字ですよ。2000字の感想文なんて、いまでも書けへんわ。本だって、ぼくが読みたくなるのは推理小説しかなかったし。で、シャーロック・ホームズで書いたら、先生からイヤミ言われるし。
 
 作文や絵日記も頭が痛かった。だいたい作文なんて、書き方を教えてもらった記憶がない。思ったことを書きなさいと、それだけ言われるのだ。しかたなく、「何処々々へ何々しに行きました」と書きはじめ、「あれを見て、これをして」と書きすすみ、「楽しかったです」で締めくくる。あたりさわりなく済ませるメソッドだ。こいつの呪縛は強烈だった。そのパターンから抜けだせたのは最近だ。雀百までとはよう言うた。
 
 結局、小学校の高学年から中学ぐらいまで、国語ってずいぶん感覚的で、どう考えればよいのかわからなかったんだ。論理性なんて、カケラもなかったんじゃないかな。この時期に、言葉は感覚という、そんな意識が植えつけられてしまった。
 
 高校にあがって大学受験になると、現代国語はよくできた。つまり点がとれた。選択問題なんて、バンバン当てた。出題者がどれを選ばせたいのか、感づくようになったのだ。そこでは、あるていど論理的に考えて解を導き出していたと思う。でも、言葉自体を論理的に使うってのとは、違ったんだよな。
 
 言葉を論理的に使いましょう。そんな大切なことを、国語は教えてくれなかった。大人の世界でやっていくなかで、見よう見まねで身につけてきたようなもんだ。技術や法律という、論理の世界にどっぷり浸かりながら、「言葉は感覚」がなかなか抜けずにいた。ま、もっと早く気づけよって、話だけど。いくら雀百までってもさ。
 
 ぼくの日本語力のベースが国語だったのは間違いない。でも、国語で十分だったかというと、疑問だな。ふだん使えてしまうだけに意識は向きにくいんだけど、ぼくは、“できる”日本語の使い手になりたいと、思ってます。
 
 きょうも燃焼系♪


  
Posted by moripat at 08:52

2014年07月15日

伝えるために


 ――記述的商標は、識別力がないとして拒絶されます。

 業界表現だと、句読点をいれても23文字で終わる。でも一般のひとには、まぁ何のことだか、ワケわかんないですよね。
 お客さんには普段、↓こんな風に↓、説明します。

 ――商標登録しようとしたとき、そのコトバが持つ意味によっては、審査をハネられることがあります。
 つまり、商標というのは営業の表示です。権利化したいコトバと、表示の対象にする業務とがセットで登録されます。このとき、業務の中身をそのまま表すコトバは、あくまで『業務内容の表示』であって『ブランド』ではない、と判断されるのです。
 たとえば、「ジュース」の商品名を「マンゴー&レモン」にするとしましょう。この「マンゴー&レモン」が、「ジュース」の『原材料表示』だと取られます。こんな表示を一企業に独占させると業界に混乱がおこる、という考えかたです。

 このくらい書いてようやく、一般のひとに伝わるレベルかなと思う。260字を超えている。10倍以上だ。
 専門用語をやめて普段づかいの言葉を駆使する。これでもかこれでもかと丁寧に、噛んで含める。
 伝わらない言葉をいくら発したところで、相手に届かず霧散してしまう。結局なにも言ってないのと同じだ。だからこういうことを面倒がっちゃあ、イカンのですね。


  
Posted by moripat at 16:37