同窓会・自分記録

2024年04月11日

71回目の誕生日に思うこと

 2024年4月10日が、71回目の誕生日でした。
これくらいの年齢になってくると、誕生日は特にめでたいものでは有りません。
誕生日だからと言って、子供たちからは何のお祝いも有りません・・・。
妻だけは、ちゃんとケーキを買って来てお祝いをしてくれました。
有難いものです・・・長い間苦楽を共にして来た同志ですからねぇ・・・。

でっ、71歳になった心境なのですが、まぁ何とも感じる物がありません。
気持ちは、意外と若いままなのです。
多分、僕の親も同じようなものだったのだと推測します。
ただ、肉体だけは去年よりも少し体力が低下して来た様に感じます。
それに、理由も無いのに体のあちこちに痛みを感じるようになって来ました。
その痛みというのは特段激しいもので無いので、医者に行く程の事も無いのです。
そして、暫くすると痛みは消えてしまっていて、別の場所が痛むのです。
歳をとるというのは、何か不思議なものです。

僕には、生まれて5歳位の頃からの記憶が残っていますが、今思い起こせば、
当時は苦しかったり悲しかったりした事も、時間が経てば全てが単なる思い出に
なってしまっているという事なのです・・・。
若い時の辛い・悲しい出来事は、当時は人生最大の艱難辛苦に思えたものですが、
過ぎ去って時が経てば、そんな事も色褪せてしまうものなのです・・・。
今の時代、若い人たちの自殺が増えています。
僕の子供の頃、昭和30年代は自殺する様な子供は殆ど居なかった。
今の時代は、生きて行くのがそれほど難しい時代になったのでしょう・・・。
そして、今の子供たちは、それだけ繊細で打たれ弱くなってきてるのでしょう?

そんな若い人達に言ってあげたい・・・・。
自分の人生は、自分だけのもの。
天上天下唯我独尊・・・誰よりも自分が一番大事。
天から与えられた命を粗末にしてはいけない。
歳を重ね時間が経てば、若い時には大層苦しいと思った事も、過ぎてしまえば
大した事が無かったと思えるようになる・・・という事・・。
辛い事や苦しい事に直面したら、その場をやり過ごす、その場を逃げる・・・
そして時間かせぎをすることが重要な事だと思うよ・・・と。

  第1065号 ©マサキチかわら版  商会 発行



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2024年02月29日

人生が二度あれば・・・どうするかな?



井上陽水さんが、この曲を作ったのは20代の頃・・・。
アルバム「断絶」の中に含まれる歌ですが、1972年にアルバムが発売されました。
73年に発売された第2弾のアルバム「氷の世界」が大ヒットしたと記憶しています。
ちょうど、僕が大学生になった頃の事で、その後に吉田拓郎さんたちとフォーク
ブームを牽引していくのですね・・・。

この歌詞は、陽水さん自身の親の事を歌にしたのだと思うのですが、年老いた親の
日常の断片を歌詞に切り取ったものだと思う・・・。
20代の若者にしては、この切り口はなかなかのものだと思われます・・・。
ただ僕は、この歌の歌詞については、どういう訳か? 特に感情移入が余りしない。
久々に、You Tubeで聴いてみたら、視聴者の方たち・・・どうも年配の人が多いが
感激したという様なコメントが多く目に付きます・・・。
昔からの陽水ファンの人達なのかも知れません・・・??

僕自身、還暦を過ぎて古稀を迎えている今、この歌詞を聴いてみて思うことは、
夫婦2人が頑張って子育てをして、そして年老いた今、「あんな事があったなぁ」
「あの時はああだったなぁ」と過去の出来事を話している情景に過ぎないと思う。
年老いた人達の日常・・・。
そして、やっぱり何度聴いても、余り感動する事は無いなぁ・・・。
自分自身が、今の歳で思う事は、「人生って本当に短い。そして、子育てのため
に、自分の人生の殆どを費やしてしまった・・・。」という事です・・・。

若い時は生きて行くことで精一杯で、家族を養うために仕事に頑張って来た・・・。
生活に少し余裕が出来てきたのは、50歳を過ぎてからだった・・・。
それまでは、貯金も殆ど無かったように思う・・・。
この歌の歌詞に、父親が『湯呑に映る自分の顔をじっと見ている』とあるけれど、
あれは、自分の映る顔を見ているのでは無くて、湯呑のお茶を眺めながら、過去の
思い出のとあるシーンを回想しているのです・・・。
湯呑の中の水面に顔が映る事は、無いと思いますねぇ・・・。
歳をとると、そんな場面は日常には時々はありますから・・・。

そして今、この曲を聴いて自分自身考えてみた。
「もし、人生が二度あれば、どうするか?」・・・多分、もう結婚はしないと思う。
自分の結婚が失敗だったとは思わないけど、結婚して子育てに追われる人生は一度
切りでいい・・・という事かな・・・??
二度目の人生は、自分自身のために使い切りたいという思いですかねぇ・・・。
自由気ままに生きて行く・・・という事でしょうか・・・。

多分、とうに亡くなってしまった僕の父母も多分同じことを考えるだろう・・・と
思います。
並の生活レベルしか維持出来ない能力の人間にとって、結婚して子供をもうけたら
生きて行くのに精一杯で、大変でしかない・・・。
僕の親も大変だったろうと思う。親孝行らしい事は、何一つも出来なかったし・・。
そんな事を考えると、現在の少子化問題・・・結婚しない若者が増えているのは、
当然というか、今の若い人達は賢明なのかも知れないなぁ・・・と思います。

 第1063号 ©マサキチかわら版  商会 発行





morita_kachisato at 16:37|PermalinkComments(2)

2024年02月19日

今週の映画・・・次郎物語(NHKBSプレミアム)

次郎物語

今日、NHKBSで、映画「次郎物語」を放送していたので観ました。
この映画は、1987年に公開された映画版のNHKテレビ放送でした。
この映画は、次郎が体調のすぐれない母親に代わって、乳母になるお浜(泉ピンコ)
に預けられる頃から、小学校を出て中学校へ入学する迄を描いていました。

お浜に育ててもらって後、母親お民(高橋惠子)も元気になり、実家に戻るのですが
祖母のおことが、長男と三男を可愛がるものの次郎には、酷く冷たく当り差別的な
対応を取り続けます。
次郎には、優しかった祖父と父親ですが、祖父が亡くなり父親が誰かの保証人に
なったために家屋敷を手放す羽目になります。
そして、母親は結核から入院する事になります。
父親とその他家族は、町に引っ越し小さい酒屋を営むことになり、次郎だけは母方の
実家に引き取られます。そして入院していた母親も母方の実家での療養に引き取られ
て来て、次郎は母親の看病を手伝う事になります。
そして、母も亡くなり、やがて次郎は中学へ入学する事になる所で映画は終わり。
まぁ、とにかく祖母のおことが次郎に対して、とにかく酷い差別待遇を行うので、
観ている方は、「このクソババア」という思いに駆られるという映画でした。

次郎物語は、僕が小学校高学年の頃、NHKのテレビで連続放送していたのを見続けて
いたのを記憶しています。
その時は、とにかく次郎が可哀そうという記憶しか残っていませんが、その時の
主題歌は今でも覚えています。
「ひとりぼっちの次郎が登る、ゆらゆらゆらゆら陽炎の丘・・・」と物悲しい歌と
次郎役の池田秀一だけは、はっきりと覚えていて、次郎物語と言えばNHKのテレビ
放送・・・ですので、今回の映画版は感動が薄くて、薄っぺらく感じてしまいました。
でっ、NHKの連続テレビ版の事を調べたら、1964年~1965年で午後6時から101回
放送されていたようですので、たかだか2時間程度の今回の映画版とでは、その物語
の内容に違いが有るのは仕方ないというものでしょうね・・・。

NHKテレビ版で、次郎物語の次郎を演じた池田秀一さんは、今は声優ですからねぇ。
次郎よりもガンダムのシャア・アズナブールの声優さんとしての方が良く知られて
いるのではないのでしょうか・・・。

  第1062号 ©マサキチかわら版  商会 発行



morita_kachisato at 18:52|PermalinkComments(0)

令和5年分の確定申告おわりました


2月16日から始まった確定申告を本日終える事ができました。
令和5年は、夫婦共々に通院する機会が増えたり、僕自身の入院があったりと医療費
の負担が多くありました。

僕は令和5年に70歳になったので、その翌月から国民健康保険での高額療養費の枠が
大幅減額になり、通院時は月額18,000円が上限となったので、それ以上の医療費
負担分は還付される様になりました。
これは、年金生活者にとっては非常にありがたい事です。
しかし、それ以前は57,600円や44,400円が上限枠だったので大きな病気をするのなら
70歳以上になってからと言う事を痛感した次第です。65歳定年以降、医療受診の頻度
が高かったこともあり、今回も医療費控除申請額が結構ありました。

更に、令和5年度分で個人の株取引で特定口座取引で利益が出ていたので、源泉徴収
税額がそれなりにありました。
その株取引での源泉徴収税額分と年金収入に伴う徴収分をまとめて確定申告したので
、今回での還付額は僕の小遣いの2ケ月分強程度ありました。

まあ年金生活者でも、医療費が年間10万以上支払ったり、国民健康保険料や生命保険
料を支払っている人や株取引等の別途収入がある人は、確定申告は絶対やるべきだと
思います。必ずいくらかの還付金を受け取る事ができると思います。
そして年金の源泉徴収票を見ていつも思うのは、介護保険料の高さです。
夫婦二人分の介護保険料合計額は、結構大きな額になります。
夫婦共まだ介護保険の世話になっていないので、余計に高額に感じてしまいます。
これに、国民健康保険料や税金徴収額を合わせると、年金受給の手取り額はかなり
少ないものに感じてしまいます・・・。

なら、定年以降も働けば良いではないかと言われても、高齢者の仕事は警備員とか
清掃員とか、今までの自身のキャリアを生かせる様な職種は殆どありません。
サラリーマンを定年までやったので、現行制度での僕の年金額で家賃を支払わなくて
良い住む家さえあれば、年金だけで生活できない事はありません。
そうは言っても、年々年金は僅かですが減額になっていったりしているので、今世間
を騒がしている国会議員のキックバック金とかの使途不明金をウヤムヤにされて
しまっては、国民全体が納得出来ないと思いますね・・・。

人口減の激しい日本国では、今の若者が年金を受け取る年齢になった時に、まともな
額の年金はとても受給できない状況になっているのではないかと思います。
今のろくでもない国会議員達なら、定数を大幅減らして、それに伴って浮く税金分を
子育て支援等に活用して、人口増に繋げてもらいたいと思います。
政党交付金も無くせば、今の様に雨後の竹の子状態の野党乱立も減らせると思います。
保守の2大政党政治を実現して、真の独立国家として自立する日本を作らないと、日本
はいずれ消滅してしまう怖さがあります。
もう一度日本国を洗濯してくれる坂本龍馬の様な党首が、現れて欲しいものです。

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morita_kachisato at 16:14|PermalinkComments(0)

2024年02月14日

あれから5年

現役時代に、色々な活動を共にした友のハセドンが亡くなって5回目の2月・・・。
今日、5年ぶりにグループラインを読み返してみた。
このグループラインは、亡くなった友ハセドンと僕とケイタロウさんの三人で
やり取りをしていたものでした。
久々に読み返してみると、三人共にガンに罹患していた事での話題と株価の話題と
そして釣りの話題と競馬の話題・・・・でした。

僕は腎臓ガン、ケイタロウさんは前立腺ガン、とガンの先輩でした。
体調不良で精密検査をした結果、大腸ガンが見つかったハセドンとの話題のやり取り
が、数日に1度はガンでの話題になっていました。
そのラインが2019年2月中旬で終わってしまいました。
精密検査で大腸ガンが発覚したのが2018年3月・・・この時点では病巣が大きくて
即手術とは行かず、病巣を小さくするために抗がん剤と放射線治療で治療を続けて
いたのですが、2019年2月に亡くなってしまいました。

ガンに罹ると、医師からは5年生存率〇〇%と告知されます。
末期ガンの場合は、余命〇〇年という告知が有るようです。
僕の腎臓ガンの場合は、5年生存率85~90%程度と言われました。
医師は、「まぁ大丈夫でしょう・・・」とは言うのですが、僕は「100人の内10人位
は5年で亡くなるんやから、大丈夫とは限らんわなぁ・・」とネガティブに感じて
しまいました。
ハセドンの場合は、余命宣告〇〇だったと聞いていたので、精神的な辛さはとても
僕には想像できないものだったと思います。
僕が彼から聞いていた余命とは異なり、早くに亡くなってしまったので、多分想像する
に、抗がん剤が体力を奪って死期を早めてしまったのだろうと思います。

そして、もうあれから5年も経ってしまいました。
もっと、もっと、色々な話題を共有したかったと残念でなりません。
2018年の夏、ハセドンが検査の結果で、ガンが3割ほど小さくなっていたと知らせて
くれた日のラインに、僕は「ガン検査終わりて盛夏の空青し」と返答していました。
あの時は、良い知らせと僕も喜んだのですが・・・。

僕は、ガン手術から10年・・・まだ定期検査は続いてるけれど、何とか生きている。
返す返すも、彼が亡くなってしまったのは残念でなりません。
いい漢だったもんなぁ・・・。一生付き合っていきたい漢だったもんなぁ・・・。
もう5年かぁ・・・今でも思い出すと辛いなぁ・・・。

 第1060号 ©マサキチかわら版  商会 発行
 








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