1975(昭和50)年の秋のことです。私は小学4年生でした。休み時間にクラスメイトと4人で、後楽園で行われる巨人戦を見に行く計画を立てました。親たちから、子供だけでのナイターは危ないと言われていたので、土曜のデーゲームを選んで行くことに決めました。
休日に4人で前売り券を買いに行きましたが、すでにジャンボスタンド(2階の内野自由席)の券しか残っていませんでした。それほど当時の巨人の人気はすさまじかったのです。1975年はというと、長島茂雄(現在は長嶋)が巨人の監督に就任したばかりのシーズンであり、巨人が史上初の最下位に沈んだ年です。
土曜日の4時間目が終わると、4人は家にランドセルを投げ、私鉄を乗り継ぎ、後楽園球場に走りました。試合はすでに5回まで進み、1−0で広島カープがリード。広島のエース外木場が、巨人打線を完璧に抑えていました。巨人ファンの私たちは、それでも最下位・巨人の意地に期待して、必死に声援を送りつづけました。しかし、広島のホプキンスの3ランによって、すべては終わったのです。
柴田がレフトフライに倒れたあと、古葉監督の胴上げがはじまりました。私たちはなぜか、バックネット裏の席へ移動することに成功しており、その胴上げを間近で見ることができました。広島カープ初優勝の歴史的瞬間に立ち会えたという興奮から、私たちはいつの間にか巨人ファンだということも忘れ、紙吹雪の中、肩を叩き合いながら歓喜しておりました。
この試合のチケットは、今でも私の宝物です。少年時代の大切な思い出がこめられています。「広島戦」と記してある文字は、当時の私の肉筆です。
2011年04月
昭和50年代前半に、タカラから「プロ野球ゲーム」が発売されたのをご存知ですか。2つのサイコロを使って、確率を計算しながら、本物の野球のように試合を進めていくことのできる画期的なゲームです。
一人ひとりの選手のカードがあり、表にはプロフィール、写真、選手としてのランク(たとえば投手ランクAとか、守備ランクBとか)が記されています。裏には、二つのサイコロを振って出た目によってホームランとか、ショートゴロなどの打撃結果が、前年のデータをもとに記されています。
はじめは、巨人と阪神のカードしかありませんでしたが、このゲームの人気が高まるにつれて、全12球団のカードが発売されました。
http://jumbow.main.jp/taiyo/takara/index.html
私がこのゲームに最も熱中したのは、中学2年生から3年生の時期です。自分で打順を組み、投手交代まで行える。プロ野球チームの監督になったような気分に浸れることが、このゲームの最大の魅力でした。
クラスの仲間と、それぞれの担当チームを決めて、ペナントレースを行ったり、スコアブックをつけることによって個人成績まで出したり、ゲームへ本格的にのめりこんでいたのです。部活動が休みの日には、いつもわが家に集まって、みんなで遊んでおりました。
当時、本物のプロ野球は、広島カープの黄金期。したがって、前年のデータをもとに作られているプロ野球ゲームですから、ゲームの方でも広島カープが圧倒的に強かったのです。
中学校の卒業文集というのは、修学旅行の思い出とか、体育祭など学校行事の出来事などを記すのが普通ですが、私が書いた作文の題目は「プロ野球ゲームのおもしろさ」。そのゲームにどれほど熱中していたのかが、お分かりいただけるでしょう。
プロ野球ゲームを極めることによって、数学の確率の問題は得意になりましたし、スコアブックのつけ方や個人成績の算出の仕方を覚えることができました。そして、選手起用についてのシミュレーションを重ねたことにより、その後の監督業にもプラスに働くこととなったのです。 
息子は、中日ドラゴンズのファンです。理由は「強いから」だそうです。
今年から、ファンクラブにも入りました。
住んでいる地域のほとんどの子供たちが、阪神タイガースのファンだというのに、中日ファンというのは、渋すぎる選択です。
私も個人的に中日ドラゴンズの落合監督が好きです。権威に迎合しないところ、公約をしっかりと果たすところが、男らしいなと感じます。
昨年、一昨年のクライマックスシリーズにおける読売ジャイアンツとの戦いでは、重要な局面になると、かつて読売に所属していた河原純一投手を登板させるなど、粋な采配も落合監督の魅力の一つです。
5月の下旬に大阪・京セラドームで、オリックス−中日のゲームが行われます。息子はその試合を観に行くことを、今から楽しみにしているようです。その夢を叶えてあげられるように、たまには、父親としての責務を果たしたいなと考えております。

1991年4月から4年間、鹿島学園高校で勤務しました。
25歳のときから29歳のときまでです。生きているだけで楽しい20代の時期でした。
赴任すると1年生の担任となり、すぐに野球部の顧問となりました。
そのとき野球部員であった彼らが、最も年の近い教え子だと言えます。
彼らと出会ってから、もう20年にもなりますが、付き合いは今でもつづいています。今年の正月にも、彼らと一緒に食事をしました。
「先生、自分たちのこと忘れているんじゃないかと・・・」。彼らは、私が米子商業・米子松蔭高校の教え子たちの方に、思い入れが強いのではないかと感じていたようでした。
そんなことはありません。教員として、監督として、初めて体当たりで指導をした教え子のことを忘れるわけがないのです。
地区予選を勝ち進んで初めて県大会に出場したことも、グラウンドをサッカー部に取り上げられて鹿島ハイツで歯をくいしばりながら練習したことも、マラソン大会で真剣勝負をしたことも、何もかも心に焼きついて消えません。
米子商業高校が甲子園に出場したときには、みんなで応援にかけつけてくれましたね。
鹿島学園監督時代は、感動的な出来事がいっぱいありました。
わたしたちは、あのころ、たしかにキラキラと輝いていました。
そして、硬式野球部の部長と監督を兼任しています。部長と監督を兼任している大学は、近畿学生野球連盟18大学の中では、ウチだけです。兼任しているのは、それだけではありません。
なんと、体操競技部の監督も務めているのです。とはいっても、名前だけです。
スポーツライフコースの2年生に、前回のオリンピックに出場した体操選手がおり、現在は私のゼミ生です。1年生の中にも彼女と同じ体操クラブに所属する学生が2人います。彼女たち3人が、来年のオリンピック出場を目指して、競技と学業に励んでいます。
監督としての仕事は、書類の内容を確かめて判を押すこと、インカレなどの大会の監督会議に出席すること、スタンドから競技を見守ることです。
応援には行けませんでしたが、先日の全日本体操競技選手権大会では、3人が上位に残りました。
5月下旬に山口県で行われる西日本学生体操選手権大会(西日本インカレ)には、応援に行くつもりです。ちなみに、昨年の覇者は、2年生の彼女です。
羽衣国際大学の3人の選手に、ぜひご注目を。
http://www.hagoromo.ac.jp/hgnews/news_description.php?no=406
といっても野球ではありません。
じつは相撲なんです。
昨年の5月に堺市・高石市の「わんぱく相撲大会」に出場させました。
たんなる思い出づくりのためです。私が相撲が好きというだけで、息子は相撲など、ほとんどとったことがないのですから。
ところがなぜか、ど素人力士の息子が、5年生の部で決勝まで進んでしまったのです。
途中、きちんと稽古を積んでいる相撲クラブの子との対戦もあったのですが、捨て身で放った左からの下手投げが豪快に決まり、番狂わせが起こってしまったのです。
堺市だけでも、鳥取県よりも人口が多い地区なのですが、そんななか、堺市・高石市の「大関」という称号が与えられました。
横綱と大関は、6月に行われる大阪府大会に出場できます。
まぐれで進出した府大会だったので、勝つことはないであろうと高をくくっておりました。
ところが府大会でも、土俵際で放つトリッキーな(栃赤城のような)左からの下手投げ(写真手前が息子)が炸裂。2勝を挙げて16強入りとなりました。
あと2つ勝てば甲子園、いやいや両国国技館で行われる全国大会に出場というところまでこぎつけましたが、結局はそこまで。
今年もやってきました「わんぱく相撲大会」。
去年のように上手くいくほど相撲は甘くないでしょう。相撲クラブの子供たちは、あれから一年間、さらに稽古に励んできたわけですから。今年はどんな展開になるのか、とても楽しみです。

きのうは、米子商業高校監督時代の教え子の結婚式に出席してきました。
甲子園に出場したときの選手会長・遠藤真司くんの結婚式です。
甲子園メンバーが勢ぞろいです。みなさん、誰が誰だかわかりますか?「高校時代は、ベンチの中からフィールドに立つ彼を見守っていました。これからは、遠く大阪・羽衣の地から、社会という名のフィールドで活躍する彼の姿を見守っていきたいと思います」。
甲子園のベンチに入った旧姓・松本マネージャー(右)らも駆けつけてくれました。
ちなみに、松本さんは、高校野球指導生活の中で、最も叱った愛すべきマネージャーです。
結婚式・披露宴の詳しい内容については、後日こちらのページで紹介いたします。
http://www2.odn.ne.jp/~cir70080/yonagoshoin.html
野球部員が、立ち止まって挨拶をしてくれて、礼儀の正しさに感激したということでした。
女性の先生からも、野球部員の挨拶が、とても良くなっているということを言われました。
男性の先生からは、野球部員がとても明るくなったと言われました。
私としては、前任校の高校野球部のビシッとしたイメージが、まだ基準としてあるので、挨拶に関しては、まだまだだなと感じているのですが、一年前に赴任したばかりの部長時代に、野球部員に対する苦情が絶えなかったことを思えば、部員の人間としての成長がうかがえる先生方のお言葉でした。
挨拶については、することの意味をじっくりと説明し、「しなければならないもの」ではなくて、「しようと思うもの」だと説いてきたことは、けっして無駄ではなかったようです。
「徐々にでいいですから」と先輩の先生にはアドバイスを受けているので、チームが少しずつ前進していけるように、これからもじっくりと人間教育をつづけていきたいと思います。
5,000回以上もエンジンをかけてきたのだから、しかたがないのでしょう。修理費が高額であれば、手放すことも考えなければなりませんでした。そのことを話すと、ディーラーの計らいにより、なんとか低額で済みました。
29歳の誕生日から、45歳と半年となる今日まで、一緒に道を歩んできたパジェロJ−TOP。横浜ナンバーから、鳥取ナンバーとなり、半年後の車検で、いよいよ堺ナンバーとなります。エンジンとタイヤは2年前に、バッテリーは昨年末に新調済み。まだまだ現役で活躍できそうです。
写真は、8年前に米子「百万ボルト」の駐車場で写したもの。助手席に座ることが大好きだった幼稚園に入園したばかりの息子も、小学6年生となりました。
個人的に応援しているプロ野球選手が2人います。
まずは、中日ドラゴンズの河原純一投手です。
河原投手は、弟の高校時代のチームメイトです。大学では、アマチュア日本一となり、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。東京ドームにおけるデビュー戦は、さっそうとした投球をライブで見ていました。やがては、ストッパーとして日本一に貢献。
http://www.youtube.com/watch?v=qydBtN1aCQg&feature=related
故障のあと、西武へ移籍し、その後に退団。1年間の蛍雪時代を経て、中日ドラゴンズでよみがえり、昨年の日本シリーズでも大事な局面での登板を果たしました。
そしてもう一人は、読売ジャイアンツの金刃憲人投手です。
金刃投手は、お父様が前任校(米子商業高校)のOBという縁もあり、中学生のときから、そのピッチングに注目しておりました。第1志望ではなかったようですが、私の前任校を受験。その日は挨拶にも訪れてくれました。もし仮に入学してくれていれば、3年連続の甲子園も可能だったと思われます。
希望入団枠(ドラフト1位に相当)で読売ジャイアンツに入団。ルーキーイヤーから、ローテーション入りし、7勝を挙げる活躍をしました。
両投手に共通している点。それは、高校のとき、夏の県大会の準決勝で惜敗し、悔し涙を飲んだこと。そして、それを力に変えて、大学でその才能を開花させたこと。プロで鮮烈なデビューを果たし、そのあと、たくさんの苦労を重ねたこと。
そのことを知っているだけに、応援する私の手にも、つい力が入ってしまうのです。
今日、応援している両投手が、テレビ画面の中で、元気な姿を見せていました。
「河原くんが投げてるよ」「金刃くんが投げてるよ」。
息子が走りながら、私に教えてくれました。
私には、7つ年の離れた弟がいます。
弟は、神奈川県立川崎北高校のキャプテンとして、最後の夏は、202校が参加した日本一の激戦区・神奈川大会で、ベスト4まで勝ち進みました。
にもかかわらず、首都圏の大学に進むという道を選ばずに、私とおなじ道を歩んだのです。
旭川大学でもキャプテンを務め、リーグ優勝1回、二塁手としてベストナイン3回、首位打者1回、北海道学生選抜に2回。このように大きな足跡を残しました。
その後、東京のノンプロチームで活躍したのち、旭川にもどり、そして今でも、旭川に住んでおります。
旭川は、自然に恵まれ、ラーメンのとてもおいしい街です。
「もう他のところには住めないかも」と話すように、旭川に永住する覚悟のようです。
大学時代の冬、体育館での全体練習を終えると、体育館の入り口付近にあるトレーニング室で、独りウエイト・トレーニングを行なっていました。テキストは、今でも研究室の本棚に並べてあるチャック・ウィルソンの『トレーニング・バイブル』です。67kgの体重が75kgになるまで、体を鍛え続けました。
「それが朝西の財産になる」。大学時代に教わった体育学の?先生からそう言われ、今でもトレーニング・ノートを書き続けています。
1ヵ月でおよそ1ページ進んでいくトレーニングノート。あのころから書き始めたトレーニング・ノートは、まもなく6冊目が終わろうとしています。
久しぶりに体育館を訪れてみました。
トレーニング室には、新しい学生たちの声が響きわたっておりました。
大学野球部の後輩たちを前にして、次のことを話しました。
●プロフィール
●大学時代のこと
○本田監督のこと
○辛かったこと
○多くの感動体験
●大学卒業後の道のり
●目標を達成するために
○自己宣言と公的関与
○脳はイメージと実体験の区別がつかない
●大切なこと
○どこで野球を、どんな環境で、どんな練習を、だれに教えてもらったのか、ではなく、どんな気持ちで野球をしてきたのかが大切です。
○300人以上ものOBの汗がしみこんだグラウンドを大切に使いましょう。整備は一生懸命おこないましょう。挨拶はしっかりと行ないましょう。
○努力すれば必ず誰かが見てくれています。誰も見ていなくても天が見ています。
○真面目に生きることを恐れてはいけません(嘲笑→沈黙→賞賛)。
○「甲子園」「神宮」という名のパスポートは、狭い世界でしか通用しません。
○野球も一生懸命に、勉強も一生懸命に行ないましょう。
○全力を尽くすのは習慣です。
後輩たちは、じっと私の話に耳を傾けてくれました。話を聞く態度が非常によかったです。
旭川大学は、2003年、2004年、2007年に全日本大学野球選手権に出場しております。こんな真面目な後輩たちだからこそ、必ずや今春、4度目の出場を果たしてくれることでしょう。
旭川大学で講演を行ないました。演題は「大学野球を通して自己を磨き人生を切り拓く」。
対象は、北海道学生野球連盟Ⅰ部リーグに所属する旭川大学の野球部員55人。
全盲の闘将・本田修平監督についても触れました。
母校の教壇に立つ。夢が叶った瞬間でした。
はじめに、ダブルプレー、トリプルプレー、オブストラクション、インターフェア、ピッチ、スローなどの野球専門用語を漢字に直させました。正解は順に、併殺、三重殺、走塁妨害、守備妨害もしくは打撃妨害、投球、送球です。
つぎに動植物を表す漢字の読みを答えさせました。土竜、土筆、海豚、馴鹿、家鴨など。正解は順に、もぐら、つくし、いるか、となかい、あひるです。
つづいて地名。上海、香港、桑港など。正解は、シャンハイ、ホンコン、桑港はちょっと難しいですが、サンフランシスコ。
いよいよ最後の問いです。
「南に京と書いてナンキン(南京)と読む。北に京と書いてペキン(北京)だ。これは、カントン(広東)。さあ、ここで問題です。東に京と書いて、何て読むんだ?」「そのまま、読めばいいんですよね」「そうだ」「じゃぁ、トンキン?」「もう一回」「トンキンです」「とうきょう(東京)だよ」。
ゼミ室が笑い声に包まれたのは、言うまでもありません。
「番組的にはOKだぞっ。とうきょう、なんて答えられたら、盛り上がりに欠けてしまうもんな」。
窓の外では、笑い声とともに、桜の花びらが宙に舞っておりました。
社会人受講生の中には、オリンピックを目指していた現役スイマーの方もおられて、身の引き締まる思いでマイクを握っておりました。
授業の中で、「才能」について話す場面がありました。
「才能とは、反復練習を黙々と長時間にわたって持続させることのできる能力である」。
スポーツ心理学者である児玉光雄さんの著した『イチロー思考』の言葉を引用させていただきました。
私が高校野球を教えるというハードな仕事を続けていたため、息子と接する時間があまりなく、息子に野球を教えるという機会を逸してしまいました。
息子は大阪へ来て5年生になってから、本格的にバットを握ることとなりました。ですから、同級生と比べても、技術的に劣ることは否めません。
したがって、毎朝100回の素振りを続けて、みんなに追いつこうと努力しています。100回は少ないように感じられますが、毎日継続することのできる数としては適当だといえるでしょう。
数を多めに設定して、継続できなければ何の意味もありません。どれだけ継続できるかが重要なのです。
まずは、私が大学時代に使っていた重い木製バットを使って高低別に10本×3。つぎに自身の軽い金属バットを使って高低別に20本×3。最後にまた木製バットを使って逆スイングを10本。これで計100本となります。こういった内容を毎日コツコツと続けています。
眠っていた才能は、花開くのでありましょうか。
ですが、私は「新入生履修ガイダンス」に出席。
教員としての仕事があり、大学に来ています。
昨日とはうって変わって、今日は暖かい陽気となりました。
ガイダンスを終え、昼休みになると、新入生の明るい笑い声が、中庭のベンチから聞こえてきました。
明日から、授業がはじまります。
今年度の前期は、月曜日の3限目に「スポーツ実習」というマラソンを教える授業。火曜日の2限目に「スポーツ心理学」。木曜日の2限目に「基礎ゼミナール」といって、野球部の1年生に授業。その4限目に「専門ゼミナール」といって、スポーツライフコースの2年生に授業を行ないます。
私は、野球部の監督として、本学にやってきたわけではなく、あくまでも研究者(教員)として赴任したわけですから、まずは、授業を真剣に行なっていきたいと思います。

今日は入学式。
しかし、私はリーグ戦があるため、兵庫県立大学のグラウンドへ。
高校野球の監督をしていたときには、野球部専用のマイクロバスを自らが運転して試合会場へ行くのが常でした。
大学では、専用のバスを持たないため、紀泉交通のバスで遠征を行っております。
とはいっても、私がバスを運転することはありません。紀泉交通の運転手さんがハンドルを握ります。私は、バスの後ろから、自家用車で後を追いかけています。
秋に優勝したメンバーのうち、投手2人、捕手、三塁手、中堅手が抜け、チームの戦力はダウンしています。
ところが、その危機感から、チームワークは逆に強固なものとなっているような気がします。
このリーグ戦のテーマは「挑戦」。謙虚な気持ちで戦いに臨む一方で、「?部昇格」という強い思いも忘れずにいたいと思います。
春の開会式は、Ⅰ部からⅢ部まで合同で行います。
会場となった南港中央野球場は、全面が人工芝。Ⅰ部リーグに所属するチームしか、ここで試合をすることはできません。高層マンション、高速道路が隣接しており、まさに都会の野球場といった感じです。
わがⅢ部リーグでは、すでにそれぞれのチームが3試合を消化。今ごろ開会式というのも、少しおかしな気もしますが、試合日程の関係で、しかたがないのでしょう。
私は部長として、スーツを着て開会式に参加。グラウンドの中から、18チームの様子をうかかがっておりました。
しっかりとした姿勢で、開会式に臨むチーム。試合で勝つことだけがすべてだと言わんばかりに、なめた態度で参加するチーム。さまざまでした。
野球だけを教えられているチーム。野球を通じて人間教育を受けているチーム。どちらが、学生野球としての本来の姿だと思われますか。
4月1日は、結婚記念日です。14年前の今日、米子商業高校の教員となった日に、米子市役所に婚姻届を提出しました。
結婚した日に、3つの目標を紙に書きました。
一つは甲子園に行くこと。一つは本を出すこと。そしてもう一つは、50歳のときに研究者(大学教員)になっていることでした。
みんなに秘密にしていた最後の目標は、達成が少し早くなってしまいましたが、家族の支えがあってこそ、すべての目標が達成できたのだと思っています。
著書の表紙は、3つの目標が達成されたことを象徴しているようでもあります。
研究者となった一年前の今日、新たに目標を2つ立てました。
それらの目標を達成する瞬間をイメージしながら、毎日を送っています。
妻によると、結婚は15年契約ということらしいので、契約を延長してもらえるように、今年度も仕事と家庭の両立を図りながら、がんばります(笑)。








