2012年02月

今シーズン初めての練習試合を行いました。
わが近畿学生野球連盟の昨秋の?部リーグ優勝校、奈良産業大学のグラウンドにおじゃましました。
今日のテーマは「全力疾走」。
投手力の差は歴然としていたものの、2時間未満のキビキビとしたゲームができました。スピーディーな試合展開については、合格点を与えてもよいでしょう。
野球というスポーツは、完全試合をしたとしても、完璧な試合などありません。多かれ少なかれ必ず課題が見つかるものです。その課題を克服していくことに、野球をすることの意義があるのでしょう。見つかった課題については、さっそく明日から取り組んでいこうと思います。
野手については、学年を問わず全員に、できるだけ均等な出場機会を与えています。恵まれていると言えるかもしれませんが、出場機会が与えられている分、結果を残さなければならず、厳しい状況にあるのだと考えられます。
日々の全体練習に精いっぱい取り組むことはもちろんのこと、そのあとの個人練習でどれだけ自分を高められるのかが重要だといえそうです。
上級生が中心となる「学生主導型の大学野球部」を目指して、今年もがんばりましょう。
経歴を聞いたら、みなさん度肝をぬかれるはずです。
高校時代は、夏の大阪府大会で4本塁打を放ち、上位に進出。野球専門誌『ホームラン』で特集されるほどの大阪を代表するスラッガーでした。
日本体育大学では、中軸打者で正捕手。山内泰幸投手(のちに広島カープで新人王)とバッテリーを組み、3年生の秋には、明治神宮野球大会で全国ベスト4。4年生の春にも、全日本大学野球選手権でベスト4に進出しています。
大学卒業後は、和歌山・初芝橋本高校でコーチ(体育科教員)。2001年夏には甲子園に導いております。その後、同校で監督を務めたのち、07年より本学の職員となりました。現在は入試センターの主任です。
年齢は、私より7つ年下。私の弟と同い年です。今回、コーチ就任を勧めたのは私です。輝かしい実績はもちろんのこと、社会人としての姿勢がとても立派だからです。
授業のある時期、私はだいたい8時くらいに出勤します。SHOIN時間を今でも継承しているのです。ところが伊丹コーチはもっと早く、7時すぎには出勤しているのでした。
9時から高師浜で練習を行うときにも、私は8時15分くらいに野球場へ着きます。すでに伊丹コーチは、キャプテンとグラウンド整備をはじめています。こういったことは、なかなかできることではありません。以前、練習時間に平気で遅れて来る若い教員に対して、幾度か指導したこともあったくらいですから。本学の選手たちも、伊丹コーチの姿勢を見習ってもらいたいものです。
前にも書きましたが、来年度から私は多忙な日々がつづきます。私が校務により練習に出られない日でも、伊丹コーチなら、安心して選手を任せることができそうです。
息子とふたりで、映画『日本列島 いきものたちの物語』を観ました。
私が中学1年生のとき、リトルリーグの仲間と東京・日比谷で、映画『キタキツネ物語』を観ました。とても感動しました。今でもストーリーを忘れてはいません。パンフレットも、サントラック版のLPレコードも買いましたし、大人になってからはサントラック版のCDも買いました。
『日本列島 いきものたちの物語』が上映されると知り、息子にもそんな心に残る動物映画を見せたいと、親子券(前売り)を買っていたのです。
ドキュメンタリーのため、『キタキツネ物語』ほどのストーリー性はなかったものの、息子は「動物たちがたくさん出てきて、生活の様子が分かって面白かった」と喜んでおりました。
私は映画が大好きです。高校野球部のミーティングの中で映画を見せたり、国語の授業の中でも、毎学期一本ずつ映画を見せたりしていました。大学の「スポーツ心理学」の授業でも、映画の主要な部分を20分くらい流して、スポーツの尊さを説くことがあります。
いつか「スポーツ映画学」なんて授業がもてたら最高ですね。

2000年夏の甲子園練習の風景です。
背後では、すでに甲子園練習を終えた愛媛県立丹原高校の選手が取材を受けています。
新入生に丹原高校出身の部員がおります。ストッキングを見ると、ネイビーにエンジのラインが1本入っていました。
「甲子園に出場してから、エンジのラインが一本入ったのか?」。ストッキングのラインの本数が、甲子園の出場回数や優勝回数を示すチームがいくつかあるからです。丹原高校は、今のところ甲子園出場が1回。「たぶんそうだと思います」。たしかに、はじめの写真を見ると、ストッキングは、ネイビー一色のようでもあります。はたして真相は?
ちなみに前任校は、春1回、夏2回、計3回甲子園に出場しています。ストッキングの3本ラインは、そういった意味ではないのですが・・・。
「そうか、2000年夏の甲子園か。懐かしいなあ」。
エンジのラインには、あのときの甲子園の面影が残っているのでした。
元阪神タイガースの竹之内総監督の発案です。
ロープを球道に見立て、結び目をインパクトの位置だと想定して振るのです。
インパクトの瞬間、バットと結び目がぶつかり、「ビシッ」と大きな音が鳴ります。
つかんだロープの位置を動かせば、さまざまなコースにも対応できます。
実際に振ってみると、フォロースルーが大きくなることにも、気がつきました。
最近、野球初心者の息子にもさせています。
「ボールを打っている感じ」。
ふつうの素振りよりも集中できて楽しいそうです。
高校球児のみなさん。素振りのときに、この方法はいかがですか。

新入生7名が、今日から練習に合流しました。
セレクションを経て、勝ち残った精鋭たちです。
「高校野球の延長だぞ。オレもそのつもりでやっている。自分たちの高校でやってきたことに誇りをもってがんばれ!」。
1年生は、今日から「2年生」と呼ばれます。
ほんとうに一年が経つのは早いものです。
これで、4年生6名、3年生8名、2年生11名、そして1年生7名、マネージャー3名。全部で35名の野球部となりました。35名の野球部員をグラウンドで3名の指導者(総監督、監督、コーチ)が見守ります。
38人が力を合わせて昇格を目指します。
攻守は昇格できるレベルです。要はバッテリーがどれだけがんばれるか。
今日みたいに、大声を出されているようでは、いけません。
「覇権は投手が握る」と言われるように、投手としての自覚がもっと必要です。
優勝決定戦で投壊し、敗れたときのことを、もういちど思い出してみましょう。
試合の予定は、こちらをご覧ください。
http://www2.odn.ne.jp/~cir70080/2012a.html


ソフトボールチーム「アポロ」「コスモ」「コンドル」が、羽衣学園高校のソフトボール部のグラウンドに、おじゃましました。
まずは、羽衣学園高校とN女子高校の練習試合を見学。どちらも、近ごろはインターハイに何度も出場しています。
テンポのよいゲーム。全国レベルの高校ソフトボールの試合を間近で観る機会に恵まれ、子供たちにとっては、よい勉強になったことでしょう。
試合が終わったあとで、羽衣学園高校の中野先生から、私たち指導者がピッチングについて、お話をうかがいました。
野球経験者が多い私たち指導者ですが、ソフトボールのピッチングについては、野球とは動きが異なるため、その指導は「分からないことばかり」。そういった声が多く、今回、中野先生にピッチングの指導をお願いすることにしたのです。
高校生のソフトボール部員も、子供たちにピッチングを指導。高校生からは、さかんに「かわいい」という声が上がっておりました。
高校生の熱心な指導によって、子供たちの投げ方に少しずつ変化がみられるようになりました。学年が下がるほど、変化は顕著であったように思われます。
じつは、羽衣学園高校と米子松蔭高校のソフトボール部は、数年前のインターハイで直接対決しております。これも何かの縁なのかもしれませんね。
子供たちからは、「楽しかった」「よくわかった」「また来たい」という明るい声。
羽衣学園高校ソフトボール部のみなさん。そして中野先生、お忙しいところ、ご指導ありがとうございました。

今日は、羽衣学園高校の卒業式。
高師浜での練習を終えて、大学にもどるとき、花束を抱えた高校生と、おめかしをしたお母さんが、たくさん羽衣駅に向かっているのを見て、そうだと分かりました。
2年前の羽衣学園高校の卒業式の日に、私は初めて羽衣国際大学を訪れました。
高校野球部の監督の座を、甲子園に出場したときのキャプテンに譲り、次の道を模索していたときに、ちょうど本学教員の全国公募がありました。その日は、第一次試験(書類審査)に通過したあとの、第二次試験(面接と模擬授業)の日だったのです。
試験の2時間以上も前に大学に到着した私は、もういちど羽衣駅にもどり、喫茶店でコーヒーを飲んで試験の時を待っていました。その日も、今日と同じように、太陽の光がたくさん降りそそぐ明るい午後でした。ふたたび大学へ向かうときに、卒業式の列とすれ違いました。そのとき、太陽のせいなのかどうか分かりませんが、とても温かい学園に感じたのです。「この大学の教員になりたい」としみじみ思いました。
あれからちょうど2年。あのときの気持ちを思い返すと、今はとても幸せに感じます。久しぶりに、羽衣駅の横にある、あの喫茶店にでも行ってみようかな。

高師浜野球場は、2日間の雨により、コンディション不良。
大学までもどり、久々に大学のグラウンドでの練習となりました。
今日は、途中で大学行事に参加する選手などがいて、ウチの野球部としては珍しい4時間練習(9時〜13時)。
やはり最後の方は、集中力を欠き、選手たちは総監督から「気持ちを入れて練習しろ」と、監督の私からは「練習中の私語はやめろ」と叱責されました。
集中力のある練習を行うために、バウンス・ヒット法を取り入れています。
たとえば、ランニング・キャッチボールのときに、リリースとキャッチの瞬間に「1」「2」と数字を言わせてみたり・・・。
集中力を高めるために、ピッチングやトスバッティングやダッシュのときに、大きな声で数をかぞえよう。そう指導しました。

雨が降り続いています。
午前中は、野球部の指導をしたあと、販売士検定を受けた卒業生の指導(学科の仕事)。
午後からは、教職員研修会に参加しました。研修会では、「全国的にみて近年、引きこもりの生徒・学生の割合が増えてきている。しかし、彼らがボランティアには熱心に参加している」と聞きました。
私は、心理学でいう「補償」によるものではないかと感じました。「補償」とは、「身体的・精神的な原因によって劣等感をもつとき、それを補おうとする心の働き」(大辞林より)です。心的問題を抱えている生徒・学生が、「役立ち感」を得ることによって、心のバランスを保とうとしているように思えたのです。
研修会では、エアコンが入っているのに、教室はずっと寒いまま。研修会を終えてから、換気扇がまわっていたことを発見しました。暖かい空気を換気扇が吸い込み、教室の温度をバランスよく(?)保っていたのでした。
雨のときは、いつものように、早朝からスポーツホールにて、基礎練習。
「スローイングのしっかりとできるチーム」を目指す。
2~5分ごとに、さまざまなキャッチボールを繰り返しました。
「あぐらで」「自由足を後に下げる」「自由足を横に動かす」「足を固定して膝を使って」「足を動かして」「両腕を3回まわしてから」「テニスボールを使ってワンバウンド」「仰向けになりスナップ」など。
次に、野手も含めてシャドーピッチング。ラインの上を歩いたり、跳んだり・・・。または、歩きながらスイング、8の字を描くなどの補助スイング。これらを指導。
野球場での練習が続くと、動きが大雑把になってしまうことがあり、雨の日に、こうして動きを一つひとつ丁寧に確認することは、とても有意義な時間となります。
今日は、バレンタインデー。
3人のマネージャー(『タッチ』の浅倉南を凌ぐ)から、手作りのお菓子をいただきました。
第5回浜寺杯(ソフトボール大会)が、本拠地である元町グラウンドにて行われました。
「ドリーム」解散後、再び「アポロ」「コスモ」「コンドル」に分かれて初めての大会でした(チームの並びはいつも五十音順にしています)。
8チームが出場したこの大会。浜寺小学校「アポロ」「コスモ」「コンドル」の3チームすべてが、ベスト4へ進出。準決勝では、「コスモ」と「コンドル」が対決。決勝では、「アポロ」と「コンドル」が対決しました。
「アポロ」は、1回戦、試合に負けて勝負には勝った形です。得点は3−1。3得点のすべてが野手の悪送球によるもの。まさに「不思議の勝ち」でした。
2回戦は、0−2と劣勢。「三者凡退にしたら、点が取れるぞ」。三者凡退に仕留めた直後に1点差に。ところが、すぐにツーランホームランを浴び、再び1−4と引き離されました。
最終回の攻撃。「満塁にしよう。必ずひっくり返る」。二死満塁で、勝負強いキャプテンが打席に。内野ゴロが悪送球を誘い1点差に詰め寄りました。全力疾走が相手のミスを呼び込んだのです。なおも二死二、三塁。すかさず、次打者が右中間へ劇的な逆転サヨナラ打。「アポロ」が九死に一生を得ました。
言ったことや思ったことが、そのとおりになる確率を高める。スポーツ心理学でいう「補強の原則」を証明するような試合となりました。
決勝は、「コンドル」に0−22(?)と大敗。スポーツには、勝ち負けという名の戦いもありますが、態度という名の戦いもあるのです。絶対にあきらめたらいけません。途中で敗れたチームにも失礼になりますし、相手チームにも失礼にあたるのです。たとえ、0−100になっても、最後の最後まであきらめずに全力プレーを行うことが大切なのです。
今日の「アポロ」に足りなかったもの。それは、リードされたあと、ユニフォームを真っ黒にしながらプレーできなかったこと。捕れない打球でも飛び込もうとする必死さがあれば、展開もまた変わっていたと思います。
ハーフマラソンを終えて、3日間は筋肉疲労が残っていたため、ランニングは控えておりましたが、今日からランニングを再開しました。
野球部の練習を終えた午後、自宅から750m離れている浜寺公園へ行き、公園を1周して自宅へもどるという6kmのコースを走りました。最近では、このコースを走ることがほとんどです。
以前は、2/11になると、高校野球部員と「出雲くにびきマラソン」を走っていました。
今は2度のハーフマラソンを走って、体がつくれている状態なので、今年も申し込んでおけばよかったと後悔しています。
野球のシーズンがはじまるため、しばらくは大会に出場する予定はありませんが、今の体力レベルを維持していきたいと思います。
午後は、研究室にもどり、成績表の作成と、本学では2冊目となる年度修了記念誌『光と影』の編集に勤しみました。高校野球監督時代は、編集と印刷はすべて自分で行い、製本だけを業者に頼んでいましたが、本学に来てからは、印刷と製本は業者に頼んでいるので、だいぶ楽になりました。高校野球監督時代は、印刷だけでまる2日はかかりましたからね。
いま印刷を頼んでいる業者は、大学野球部のときの同級生。その印刷店の社長を務められる同級生のお父様は、私が文章のつづり方を学んだ師でもあります。
通算19冊目となる『光と影』。すなわち、その冊数が私の指導年数でもあるのです。『光と影』は、卒業式までに完成する予定です。

きょうも雨が降っていました。
8:30からスポーツホールにてはじめた練習ですが、9:30にとつぜん電気が消えました。それを合図のようにして、作業服を着た方々が来られました。
明日から2日間にわたってスポーツホールにて行われる合同企業説明会の準備をするのだと言います。
すぐに準備をするということで、全体練習ができなくなりました。「あとは各自で補強トレーニングをしておくように」。
しばらくすると雨の当たらないところを使って、素振りをする光景が。ピッチャー陣も、雨のなか食事に、いやいや、ランニング? に行くところでした。
「監督のブログいつも見ています」「そうか、それじゃぁ、今日のブログに載せてあげるよ」。
その愛読者は、この中では、いちばん野球に関係ないことをしている3年生のSくんです。
集中講義で欠ける部員もおりますが、朝から練習に精を出すことができます。
あいにく、今日は朝から雨が降り、高師浜での練習は、スポーツホールに場所を移すこととなりました。スポーツホールというのは、一般にいう体育館のことです。事務室のある4号館の4階にあります。
北海道の大学野球部での経験を活かして、室内における効率のよい練習を指導しています。
きょうから、本学職員の伊丹副部長に、コーチとして現場に出ていただくことになりました。来年度から、私の授業数が増加するため、グラウンドに行く時間が減ることを想定して、大学側にお願いしたのです。高校の練習は、授業を終えてから行いますが、大学では練習と授業が併行しているためです。
総監督とともに、3人で協力して、学生指導にあたっていきたいと思います。
和歌山県にて行われた『第17回adidas紀州口熊野マラソン(ハーフ21.0975km)』に出場してきました。
過日行われた「スポーツ実習(はごろもマラソン)」の実技試験(第28回大阪新春マラソン)を、成人式により欠場した4名の学生の追試験でもありました(1名はインフルエンザで欠場)。
女子学生のうちの一人は、高校時代は「全国高校駅伝(都大路)」に2年連続出場したことのある健脚の持ち主です。来月には、フルマラソンを走るようです。
私と彼女の真剣勝負が始まりました。折り返し地点までは、私が2分リード。ところが、残り5km付近で逆転されました。しかし、今度は残り3kmで私が追いつき、10分間ほど並走。
手を抜いて戦ったら、教員失格です。最後は、レース経験を活かして、私がなんとか振り切りましたが、彼女のおかげで、ひと月前のタイムを3分以上も短縮することができました。
http://www2.odn.ne.jp/~cir70080/marathon.htm
先月100km走り込んだことも大きかったように思います。やはり、練習は嘘をつきませんね。
adidasの冠大会だけあって、参加賞(3,800円相当のTシャツ)と、完走賞(梅シロップ)がとても豪華でした。
テストも終わり、全体練習が再開されました。
これからの4ヵ月間は、勝負の時間となります。
3シーズン続けて、「あと一歩」という結果。
悔しさの時間は、昇格のための準備の時間でもあります。
負けることによって、力を蓄えていることもあるのです。
「より遠くへ飛ぼうとする者は、それだけ助走距離を長くする」。
詩人・むのたけじの言葉です。
3年生は、だいぶしっかりとしてきました。どこへ出しても恥ずかしくない者たちです。危うかった2年生も、成人式を終えて、しだいに顔つきが変わってきました。幼かった1年生も、まもなく後輩ができるということで、行動面に変化が見られます。
監督が、あれこれ言わなくても、よい雰囲気で、練習がまわっています。
よいチームになってきました。
奥野さん(ソフトボール・コスモ)からいただいた写真です。冬はこんな姿で練習に臨んでいます。
ローリングスのネックウォーマーは、前任校の最後の教え子たちからの誕生日プレゼント。ジームスの手袋は、岩垣先生から別れのときに贈られたものです。大切に使っていますよ。
とても、うれしかったです。
昨年に続いて、今年も仕事があり、出席することができません。来年度も、山陰地方から本学に入学者があります。来年は、前任校から本学に入学する生徒が現れたら、無理をしてでも出席したいと思います。
前任校の野球部の卒業生は、わずか4ヵ月という短い間でしたが、監督として接した生徒です。新しい監督が苦労をしないようにと、また、お互いに情が移らないようにと、意図的に距離を置いて、指導を控えてきました。結果として、もっともっと関わっていくべきだったと、今になって思います。
高校では、卒業式は一年間の中で最も大きなイベントです。その大きなイベントに関われないことを、ちょっぴり淋しく思います。
http://www2.odn.ne.jp/~cir70080/sotsugyo.html









