2013年01月
男子13名、女子25名、計38名の学生が受講することとなりました。
今回行う「スポーツ実習Ⅱ(スキー)」も、夏休みに長野県・菅平高原で行った集中講義「スポーツ実習Ⅰ(テニス)」も、今年度限定の授業です。
楽しい授業となるよう、盛り上げていきたいと思います。
私もテストづくりと採点に勤しんでおります。
私のテスト(ゼミをのぞく)は、自筆ノート持ち込み可です。それだけ、問題が難しいということです。 毎週おこなった授業内容から、1題ずつ出すようにしています。したがって、15週授業があれば、15題ということになります。つまり、休んだ週の問題は、全く解けなくなるのです。
ノート丸写しは、不正解となります。 ノートを参考にしながら、自分の考え、自分の言葉で書かなくてはなりません。
半期の間にすべてノートをとると膨大な量になります。パソコンやケータイが普及して、学生たちは、文字を書くという機会を奪われてきました。授業中に文字を書く、その文字を見ながら考えて、また答えを作りだす。そういった作業が、今の学生たちには、必要だと思うのですが。

文字を追っていると、大学生のときのひたむきな感情がよみがえってきます。
文中に「覇道」という文字を見つけました。大学時代に、この言葉と出会ったことを思い出しました。私が今でも好んで使う言葉です。辞書に書かれている意味ではなく、「がむしゃらに一生懸命に戦うこと」だと私は解釈するようにしています。
何年か前に、飲食店の店長となった教え子が、「覇道」という名の酒を創り上げました。
北海道日本ハムファイターズ・栗山英樹監督の講演を聴きました。
演題は『ことば』。約90分の好演でした。
学生野球もプロ野球も、監督として、選手たちへの人間教育が必要だということを学びました。
講演後、栗山監督に、高校野球を教えていたときに北海道遠征を行った際、栗山さんがプロデュースする栗山町の「栗の樹ファーム」を幾度か訪れたことをお話しました。
教員を経験したことのない者ほど、教員への不満を述べたがります。
高校野球についても同じことが言えるでしょう。高校野球を指導したことのない者ほど、指導者の批判をしてしまうのです。
教員として、学生野球の指導者として、20年の月日が経ちました。
世では教育論が飛び交っていますが、教員経験のない者や、スポーツ指導経験のない者の声は、たとえそれが正論であったとしても、私にはどこか空々しく聞こえてしまいます。
どちらも、少なくとも10年やってから偉そうなことを言いましょう。艱難辛苦を乗り越えていない者が、教育やスポーツについて語る資格などないのです。
この文庫本は、4年半前の高校野球・最後の北海道遠征のとき、行きのフェリーの中で買ったものでした。
往復約40時間の船旅で、のんびりと読もうと思っていたのです。
『氷点』で知られている三浦綾子さんは、旭川出身。旭川へ行ったときには、『三浦綾子記念文学館』によく足を運びます。

けっきょく『塩狩峠』は、フェリー中で読むことはなく、4年半の間ずっと本棚にかくれていました。
片づけをしながら、ふと読みはじめると、いつの間にか100ページを超えていました。『塩狩峠』は、460ページの長編小説です。姿勢を整えると、一気に読み終えました。気がつくと24時。久しぶりに小説に引き込まれていました。
あのころ、私はある卑怯な出来事に遭い、毎にち憤慨していました。あの夏、フェリーの中で読むことができていたのなら、私の憤りも優しさに変わっていたのかもしれません。そのことが少し悔やまれました。
旭川の冬は、とても厳しいものです。2年前の冬に写した『三浦綾子記念文学館』の外観です。私が行くときには、いつでも雪が積もっています。
大学時代に、宮本輝「蜥蜴(とかげ)」を読んで、ある決意をしました。
成熟しているチームには、選手の中に勇気ある「嫌われ役」がいます。しかし、未成熟なチームの「嫌われ役」は、監督が務めることになります。
それまでは、監督が「嫌われ役」を買ってくれていました。私には、そのことがよく分かっていたのです。しかし、どうすることもできませんでした。その後ろめたい気持ちが、しばらく私を苦しめていました。
しかし、「蜥蜴」を読んで、心の中に刺さっていた見えない錆びた釘を引き抜こうと決めたのでした。
山際淳司、宮本輝、伊集院静。
自身が大きく影響を受けた作家です。
大学時代に、山際淳司『スローカーブをもう一球』と出会い、読書が、そして野球というスポーツが好きになりました。合宿所の自室で、山際淳司の作品を次から次へと夢中になって読んだ記憶があります。今では、書店に行っても『スローカーブをもう一球』しか手に入らなくなっているのは、とても残念なことです。
宮本輝も大学時代に触れた作家です。『二十歳の火影』に収録されている「蜥蜴」には、度肝を抜かれました。と同時に、そのとき抱えていた心の問題を解決するきっかけとなりました。自動車学校に通いながら完読した長編小説『青が散る』にも、ぞくぞくするような感動を覚えました。
社会人となってから、伊集院静『受け月』と出会い、その後『あの子のカーネーション』に収められている「あの子のカーネーション」「夜半の蝉」「殴る、殴られる、殴りません」「T君の背番号」「薮入り」には、涙を流しました。今でもゼミの教材として扱う作品です。
彼らの本は、研究室の本棚にずらっと並べてあります。
雨が降っていたので、試しに車で出かけてみることにしました。自宅から「なんば」まで、たったの15km。およそ30分くらいで到着しました。

いつものように道頓堀まで歩いて、食事をして…。

大阪球場跡地・なんばパークスの9階にある「南海ホークス・メモリアルギャラリー」を訪ねました。

功労者である杉浦監督のユニフォームや門田選手のバットなどが展示されておりました。

ところが、三冠王・野村選手の足跡だけが、どこをさがしても見つからないのです。写真もなく、偉大な記録でさえも記されておりませんでした。野村さんが監督を務めていた時期の「監督欄」を見ても、そこだけが空欄となっているではありませんか。私は何か不穏なものを感じてしまいました。
冬休みの最終日です。
大阪に戻ってきてからは、マラソン大会の日をのぞいて、午前中は研究室で仕事。午後からは好きなことをして楽しみました。
今日は、午後からランニングを再開。そのあとで、「mont-bell(モンベル)」へ2月上旬に行う「スポーツ実習(スキー)」で着るウェアを買いに行きました。
鳥取県・大山ホワイトリゾートで滑っていたときは、ローリングスのベンチ・ウォーマーとアシックスの防寒ズボンを着用していただけでした。つまり、練習の時の格好でそのまま滑っていたのです。吹雪のときには、雪が染み込んできて、とても冷たかった記憶があります。そこで集中講義を機に、ウェアを新調することにしたのです。
堺市・大泉緑地にて開催された「第29回大阪新春マラソン大会」。ハーフ男子40歳代の部に3年連続のエントリーです。過去2回は、「スポーツ実習(はごろもマラソン)」のテストを兼ねておりましたので、学生と一緒に走りました。今年度の「スポーツ実習」は、テニスとスキー(いずれも集中講義)となりましたので、今回のハーフマラソンは、個人的にエントリーしてみたのです。
ところが、帰省を終えてから、疲労のためか、息子が体調不良でダウン。それを看病していた妻にも病気が移り、ダウン。しまいに私にも伝染するという始末。したがって、昨夜の時点では、大会出場を見送ることにしていました。
今朝、起きると吐き気はするものの、熱もなく、走ってみようと慌てて出場の準備に取りかかりました。「脱水症状になって、救急車で運ばれても知らないから」。妻の言葉を背中に受けながら、目覚めてから、およそ30分で車に乗り大泉緑地に向けてゴー。大泉緑地公園まで、9km弱。車で20分以内の距離にあることも幸いしました。
無事に受付を済ませてスタート。約3kmの周回コースを7周するレース。3~4周目までは、いつものペース。5周目からは、体調不良が響き、失速。しかし、最低目標であった2時間未満での完走は果たすことができました。
3年前におみくじを引いたら「大吉」。すぐそのあとに大阪への異動が決まりました。
「勝負の神様」から、今年はどんなご褒美をいただけるのでしょうか。

昨年の参拝の様子は、コチラから↓。
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/51807319.html
初日の出を浴びながら、10kmランニングで新年をスタート。
おせち料理を食べたあと、私の家族と妹家族の7人で、実家から2kmはなれた「ららぽーと横浜」へ徒歩で買い物に行きました。
「2時間後に入り口脇の『無印良品』に集合」。そして7人が一斉に自由行動。「ららぽーと」は、福袋を抱えた買い物客で賑わっていました。私は買い物を済ませ、『無印良品』でみんなを待っていると、奇跡的な出会いがありました。先日の同窓会で会ったばかりのKさんと再会したのです。「すごい偶然だよね」。32年ぶりの再会から、わずかひと月でまた会うことができました。
夕方には、20年近く会えずにいた親戚の家へみんなで遊びに行きました。私は酒を飲まないので、みんなの運転手を兼ねてです。妹夫婦は、運転手がいるのをいいことに、安心して酒を浴びていました。





















