2014年09月
9月30
9月29
9月28
9月27
9月26
秋季リーグ第7戦が行われました。
勝つチャンスがあるとしたら、終盤まで接戦に持ち込む展開しかないと思っていたのですが、中盤までは1-2と、食らいつけたものの、終盤に引き離されて敗戦となりました。
しかし、わが三年生投手が、打球を足首にまともに当てながら、「大丈夫です」といって、およそ3回を1失点で投げ切った「根性」は、見事でした。
試合を終えると、すぐにH・M中学校へ。息子の中学生活最後となる体育祭を見届けました。




大阪へ来たばかりの頃は、ひょろひょろしていた息子も、5年間大阪で鍛えられ、たくましくなったなあと感じました。

最後のクラス対抗リレーでは、首位を走る息子のクラスが好成績を上げれば、学年優勝という絶好の展開。
アスリートは、シャツはインです。

息子(白のTシャツ)が、1位でバトンを受け取り、1位をキープしたまま、アンカーのヒサイ君(オレンジ①)へバトンを渡しました。

他のクラス(青⑤)が猛追。

逃げろ、逃げろ。

そのまま1位でゴール。その瞬間、クラスの優勝が決まりました。ナイスラン。
ヒサイ君は、小学校のソフトボールチーム「アポロ」でコーチしていたときの選手です。
ヒサイ君のお父さん(ミスター・だんじり)、ヒサイ君は、しっかりとがんばっていましたよ。
ちなみに、息子の所属したクラスは、体育祭では、すべて優勝したそうです。

体育祭が終わると、大学に戻り、「秋卒業式」に出席。6人の学生が学び舎を巣立って行きました。
ウメダ君は、シンタケさんと同じく、野球部員ではありませんが、希望して野球部ゼミに所属していた学生です。高校時代は、野球部に所属しており、四番打者を務めておりました。高校は首席で卒業。
入学早々、事故により長期入院をしなければならず半期の休学。よって、卒業が半年遅れることになりました。消防士を目指して、さらに勉強をがんばっているところです。とても頭のよい学生ですから、目標は、必ずや達成することでしょう。

秋卒業式がすむと、「秋入学式」。
中国から来た7人の留学生たちと対面しました。中国では入学式は9月なのですね。
留学生は、高い目標をもって日本に来ているため、とても勉強熱心です。ひとり一人が、日本語で抱負を述べてくれました。「日本の学生と仲良くなって、一緒に海に行きたい」。目の奥が熱くなりました。
勝つチャンスがあるとしたら、終盤まで接戦に持ち込む展開しかないと思っていたのですが、中盤までは1-2と、食らいつけたものの、終盤に引き離されて敗戦となりました。
しかし、わが三年生投手が、打球を足首にまともに当てながら、「大丈夫です」といって、およそ3回を1失点で投げ切った「根性」は、見事でした。
試合を終えると、すぐにH・M中学校へ。息子の中学生活最後となる体育祭を見届けました。




大阪へ来たばかりの頃は、ひょろひょろしていた息子も、5年間大阪で鍛えられ、たくましくなったなあと感じました。

最後のクラス対抗リレーでは、首位を走る息子のクラスが好成績を上げれば、学年優勝という絶好の展開。

アスリートは、シャツはインです。

息子(白のTシャツ)が、1位でバトンを受け取り、1位をキープしたまま、アンカーのヒサイ君(オレンジ①)へバトンを渡しました。

他のクラス(青⑤)が猛追。

逃げろ、逃げろ。

そのまま1位でゴール。その瞬間、クラスの優勝が決まりました。ナイスラン。

ヒサイ君は、小学校のソフトボールチーム「アポロ」でコーチしていたときの選手です。
ヒサイ君のお父さん(ミスター・だんじり)、ヒサイ君は、しっかりとがんばっていましたよ。
ちなみに、息子の所属したクラスは、体育祭では、すべて優勝したそうです。

体育祭が終わると、大学に戻り、「秋卒業式」に出席。6人の学生が学び舎を巣立って行きました。
ウメダ君は、シンタケさんと同じく、野球部員ではありませんが、希望して野球部ゼミに所属していた学生です。高校時代は、野球部に所属しており、四番打者を務めておりました。高校は首席で卒業。
入学早々、事故により長期入院をしなければならず半期の休学。よって、卒業が半年遅れることになりました。消防士を目指して、さらに勉強をがんばっているところです。とても頭のよい学生ですから、目標は、必ずや達成することでしょう。

秋卒業式がすむと、「秋入学式」。
中国から来た7人の留学生たちと対面しました。中国では入学式は9月なのですね。
留学生は、高い目標をもって日本に来ているため、とても勉強熱心です。ひとり一人が、日本語で抱負を述べてくれました。「日本の学生と仲良くなって、一緒に海に行きたい」。目の奥が熱くなりました。
9月25
9月24
9月23
O高校のY監督が、グラウンドに来られました。
Y監督は、普通の生徒が集まる公立高校を率いて、センバツ初出場初優勝を遂げた名将です。
17年前に練習試合でお会いしたとき、とても緊張したことを覚えています。当時、右打者が、左投手の変化球を打つには、どうすればよいのかを教えていただきました。
今日は、33年間の高校野球指導経験から、勝利への執念を教わりました。「絶対に勝つんだという気持ち」。その言葉が、深く胸に突き刺さりました。
9月22
9月20
奈良・畿央大学にて開かれている、スポーツメンタルトレーニング指導士会の研修会に参加しています。

スポーツメンタルトレーニング指導士は、全国で122名です
私は、高校教員時代から、この資格を取得しようと、学会発表・研修会参加・現場実習などを積み重ねてきました。
そして、やっと2012年4月にスポーツメンタルトレーニング指導士として認定していただきました。鳥取にいる間に取得していれば、「山陰初」となったのに残念です。
この資格は、5年ごとに見直しがあります。その間に研鑽を怠ると更新することができなくなります。
研修会は、今日と明日の2日間、終日おこなわれます。練習は、総監督にお任せしています。


スポーツメンタルトレーニング指導士は、全国で122名です
私は、高校教員時代から、この資格を取得しようと、学会発表・研修会参加・現場実習などを積み重ねてきました。
そして、やっと2012年4月にスポーツメンタルトレーニング指導士として認定していただきました。鳥取にいる間に取得していれば、「山陰初」となったのに残念です。
この資格は、5年ごとに見直しがあります。その間に研鑽を怠ると更新することができなくなります。
研修会は、今日と明日の2日間、終日おこなわれます。練習は、総監督にお任せしています。

9月19
夏休みの最終日、野球部もオフなので、久しぶりに映画館へ行ってきました。
今年7本目の映画です。いつもは邦画ばかりですが、今日は洋画。封切られたばかりの『猿の惑星:新世紀(ライジング)』を観ました。3年前に公開された『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』と連動していたので、とても楽しめました。
後期に担当する「スポーツ指導方法論」の教材研究にもなりました。抜群のリーダシップを発揮する主人公のシーザーは、やはり格好良かったです。
明日から、後期の授業が始まります。
今年7本目の映画です。いつもは邦画ばかりですが、今日は洋画。封切られたばかりの『猿の惑星:新世紀(ライジング)』を観ました。3年前に公開された『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』と連動していたので、とても楽しめました。
後期に担当する「スポーツ指導方法論」の教材研究にもなりました。抜群のリーダシップを発揮する主人公のシーザーは、やはり格好良かったです。
明日から、後期の授業が始まります。
9月18
9月17
9月16
9月15
9月14
9月13
9月12
9月11
9月10
9月9
9月8
9月7
9月6
9月5
大阪優勝大会をもって実質的に引退をした息子ですが、先日おこなわれた堺市総体をもって完全に引退となりました。
小学五年生のときに、大阪へ移り、それを機にソフトボールを始めた息子が、本格的に野球を始めたのは、中学生になってからでした。
運動能力の高い子供たちは、硬式野球(ボーイズやリトルシニアなど)を選ぶことの多い野球王国・大阪の風潮ですが、息子にとっては、学校スポーツである軟式野球を選択して大正解でした。

とくに、浜寺南中学校野球部の選手として中学校生活を送ることができて、幸せだったと思います。監督の秋本先生は、勝利主義と教育主義の両立を図ることのできる数少ない指導者の一人です。
指導者の中には、技術指導に偏り、大切な人間教育を軽んじる方を多く見かけます。また、野球を通じて教育をしているベテランの指導者を、真っ向から否定するような若い指導者の卑しい言動も、たびたび目にしてきました。たいへん残念な傾向です。
その点、秋本先生は、勝つことも大切にしますが、どうやって勝つのかも、同じくらい大切にする指導者です。結果と過程を同じくらい重きを置いている。わかりやすく言えば、学校スポーツにおける「教育」を決して忘れてはいないのです。
息子が、大阪へやってきたばかりの頃は、友達から「話し方が変や」と言われ、しばらくは学校から帰ると家に閉じこもっていましたが、ソフトボールを始めてから素晴らしい仲間もでき、さらに中学校の野球部に入り、野球部の活動を通じて、大きな自信が芽生えたように感じられます。
体は大きいものの、私の目から見れば、同級生たちよりも野球技術は劣る息子ですが、最上級生となった後半から、四番を任されるた経験は、これからの人生を大きく支えていくことでしょう。
優勝大会が終わったあとも、総体が終わったあとも、受験勉強の合い間に、毎日ランニングと素振りを続けています。これが、浜寺南中学校野球部で、秋本先生・田中先生から教わったことの答えなのかもしれません。
小学五年生のときに、大阪へ移り、それを機にソフトボールを始めた息子が、本格的に野球を始めたのは、中学生になってからでした。
運動能力の高い子供たちは、硬式野球(ボーイズやリトルシニアなど)を選ぶことの多い野球王国・大阪の風潮ですが、息子にとっては、学校スポーツである軟式野球を選択して大正解でした。

とくに、浜寺南中学校野球部の選手として中学校生活を送ることができて、幸せだったと思います。監督の秋本先生は、勝利主義と教育主義の両立を図ることのできる数少ない指導者の一人です。
指導者の中には、技術指導に偏り、大切な人間教育を軽んじる方を多く見かけます。また、野球を通じて教育をしているベテランの指導者を、真っ向から否定するような若い指導者の卑しい言動も、たびたび目にしてきました。たいへん残念な傾向です。
その点、秋本先生は、勝つことも大切にしますが、どうやって勝つのかも、同じくらい大切にする指導者です。結果と過程を同じくらい重きを置いている。わかりやすく言えば、学校スポーツにおける「教育」を決して忘れてはいないのです。
息子が、大阪へやってきたばかりの頃は、友達から「話し方が変や」と言われ、しばらくは学校から帰ると家に閉じこもっていましたが、ソフトボールを始めてから素晴らしい仲間もでき、さらに中学校の野球部に入り、野球部の活動を通じて、大きな自信が芽生えたように感じられます。
体は大きいものの、私の目から見れば、同級生たちよりも野球技術は劣る息子ですが、最上級生となった後半から、四番を任されるた経験は、これからの人生を大きく支えていくことでしょう。
優勝大会が終わったあとも、総体が終わったあとも、受験勉強の合い間に、毎日ランニングと素振りを続けています。これが、浜寺南中学校野球部で、秋本先生・田中先生から教わったことの答えなのかもしれません。
9月4
9月3
9月2
9月1
記事検索
月別アーカイブ












































