2015年03月
昨日の話の続きです。
組織経営またはチームづくりにおいて、「短期的な結果にとらわれて、長期的に見れば間違った判断をしてしまう」ことが、よくあるそうです。
ジャングルに道を創った前任者の功労を忘れてしまい、「それ以上を求めて、それ以下にしかならない」ケースの何と多いことか。それは、とても、とても悲しいことです。
「どがい理屈が通っとっても、人情のかけらもないもんは、正義じゃないけえ」。
これは、宮本輝の小説が原作となった映画、『草原の椅子』に登場する人物の台詞です。
「骨肉の争い」という言葉を、最近のニュースで耳にしましたが、冒頭の台詞をふと思い出しました。
功労者や前任者をないがしろにする組織を、私は好きになることができません。
どんなに理屈が通っていても、人情のかけらもないものは、やはり正義とは言えないのです。
高校野球の監督を務めていたときは、練習試合もベストメンバーで、全力で戦っていました。「全力で戦うことが、我々の調整法だ」と豪語していました。したがって、勝率が7割を超すことも、しばしばありました。
http://www.sakai.zaq.ne.jp/duswd404/nendokibetsu.html
大学では、練習試合の相手がすべて有力校であり、勝率が5割を超すことは、ほとんどありません。「まずは教育だ、教育だ」と心の中で言い聞かせ、負けず嫌いを表現することは控えています。
しかし、練習試合だとはいえ、今日のサヨナラ負けは、久しぶりに悔しかったです。
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/52139096.html
当時は学生として読みましたが、今度は教員の立場で読んでみたいと思います。
練習試合があるため、9時過ぎに自宅を出た私は、夕方5時まで合否の確認が取れずにいました。
ケータイを持っていないためです。公衆電話も見かけませんでした。
「無理だろう」と思われた高校にチャレンジし、前期で不合格となったものの、「どうしてもそこに行きたい」ということで、後期にもう一度チャレンジしたのです。
夕べは、お祝いとして、久しぶりに家族で外食をしました。

卒業生VS在校生です。

思い出のたくさん詰まったグラウンドで。






はつらつとプレーしました。

ついに中学野球生活に終止符。

大阪へ引っ越してきた小学五年生からソフトボールは始めたものの、本格的に野球を始めたのは中学校へ入ってから。
よき先生、よき仲間に恵まれて、素晴らしい中学野球生活を送ることができました。
浜寺南中学校野球部に感謝です。
生涯忘れることのない思い出が、たくさんできました。
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/52012311.html
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/52046651.html
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/52050111.html
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/52066224.html
引退試合のあとは、図書室にて「卒部式」が行われました。

先生の手作りのスライドショーを観て。

それぞれが高校生活への決意を述べ、後輩たちから激励の言葉をもらい、最後に主将と副将が先生に感謝の花束を贈りました。先生の「教え」を人生に活かしていくことが、最高の恩返しですよ。
練習試合がありました。
ダブルヘッダーです。
ほとんどの選手に出場の機会を与えました。普段の練習の成果を確認するためです。
2015年度の部員名簿をつくりました。
http://www.sakai.zaq.ne.jp/duswd404/hagoromo-member.html
野球部からは、10名の若人が巣立っていきました。

パイプオルガンの生演奏あり。

式前の様子。右下に野球部員たちの顔が見えます。

野球部初の「学長特別表彰」。主将が野球部代表として受け取りました。

卒業スライドショーの一場面です。

式終了後、思い出の部室前にて、後輩たちが先輩の旅立ちを祝います。

四年間で彼らが変えてくれたもの。取り組む姿勢、学業成績、競技成績、そして周囲の眼差し。

学部・学科ごと教室に分かれて、卒業証書が担当教員から手渡されました。

マネージャーは、野球部ゼミではなかったので、終わりに改めて卒業証書を渡しました。「野球部のマネージャーの課程を修了する」。

卒業生たちは、最後にグラウンドを訪れました。

ひと言ずつ後輩たちへ思いを残します。

総監督から贈る言葉。

名残惜しそうにグラウンドを去る卒業生たち。

四年間ありがとう。これからは、自分の足で真っ直ぐと歩いていくのです。どこまでも、どこまでも。
練習会場は、改修された千里ヶ丘野球場です。
強いチームとなるために、まずは良いチームをつくります。
しばらくブログはお休みします。
新入生が、それぞれの高校に戻り、卒業式を終えて、12名中9名がグラウンドに帰ってきました。
コーチがキャッチボールの指導。私は「ボールまわし」を指導したあと、内野のポジションにつかせて10球ずつノック。
明日は12名すべてが揃う予定です。
新四年生が7名、新三年生が14名、新二年生が15名、新入生が12名、計48名。
ベンチ入りは25名、レギュラーは10名。競争ができる環境が次第に整ってきました。
いつものように、ランニングをして、風呂を洗って、朝食を摂って。そして、床屋に行って。「眉毛は絶対にいじらないでください」。これを固く言っておかないと、いつのまにか細くされたり、梳かれたりしてしまう時代なのです。
休日の午後には、ユーミン(松任谷由実)の曲が似合います。大学三年生のオフに、ユーミンのコンサートのアルバイトをして、楽屋係となり、本物のユーミンと会話をして、コンサートに圧倒されてから、約30年間、ユーミンの歌は、心の処方箋となっています。
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/51920489.html
それぞれのアルバムから、さまざまな記憶が甦り、まるで写真の貼られたアルバムを開いているようです。旭川の思い出、小淵沢の思い出、鹿島の思い出、筑波の思い出。雨の休日に聴くと、とくに米子の出来事が甦ります。
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/51879024.html
大学時代、野球部の合宿所(平和荘)に、黒猫が棲みついたことがあります。片目に怪我を負っており、しばらくは、ぐったりと動かずにいました。私たちは、その猫を「山田」と名づけ、ミルクを与えたり、寝床をつくったりして、とても可愛がりました。
ひと月くらいすると傷も癒え、山田は元気に動き回るようになりました。動くようになると、みんな山田の世話をしなくなりました。いつの間にか、山田の世話をするのは、私の仕事みたいな感じになってしまいました。エサ代はかかるし、臭いし、とても大変でした。
そのうち、山田は私の部屋の中で、5匹の子供を産みました。メスだったのです。黒猫は5匹のうち1匹でした。アーノルド、チヨノフジ、ライト、ハリス、リサ。5匹の子供に囲まれて、山田はとても幸せそうでした。
しかし、幸せは長くは続きませんでした。ある日、練習から帰ると、別の猫が私の部屋に侵入しており、2匹の子猫を殺してしまったのです。山田に一番似ていた唯一の黒猫も帰らぬ「人」となりました。
その後、残った3匹の子猫は、それぞれ別の人に引き取られ、幸せな「人生」を送りました。私と山田だけが、ぽつんと残されました。いずれ、私と山田の別れ日もやってくるのです。
今回のマグカップには、黒猫の姿が描かれています。山田のことを懐かしく思い出し、どうしても手に入れたくなりました。
https://uraraneko.stores.jp/#!/
練習試合がありました。
2試合を行いましたが、それぞれ2失点。投手陣は、年々層が厚くなってきているので、打線の奮起が今年の躍進のカギとなるでしょう。
現四年生(まもなく卒業)のヤマモトくんが応援にかけつけてくれました。ヤマモトくんの弟は、対戦相手の四番打者のヤマモトくんでした。
本学の新四年生の副将ヤマモトくんは、第1試合に4安打と活躍。
実は、「ヤマモト」くんは、本学野球部には、合わせて4人いたのです。
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/52146138.html

雨の降り続く中での激走。目標タイム(3時間未満)には、少し及びませんでしたが、3時間02分21秒(21位/166チーム中)で上位進出を遂げました。

ゴール直前の選手たち。はしゃぐ、はしゃぐ、はしゃぎまくる。

詳しくはコチラから↓。
http://www.hagoromo.ac.jp/hgtoday/news_description_today.php?no=1170



























































