キャップが増えてきました。
まずは、NEW ERA製。60~80年代のプロ野球チームのキャップです。左から、ロッテオリオンズ(川崎)、西鉄ライオンズ(福岡)、南海ホークス(大阪)。
次にミズノ製。70~80年代のプロ野球チームのキャップです。両端がそれぞれ阪急ブレーブス、中央が日本ハムファイターズ。
左から、95年に千葉マリンスタジアムで買った千葉ロッテマリーンズのキャップ、甲子園90周年を記念したグリーン×イエローの阪神タイガースのキャップ、そして実際にプロ野球選手が使用していたヤクルトスワローズのキャップです。
両端がシカゴカブスのキャップ、中央がソネ投手から贈られた香川オリーブガイナーズのキャップです。
左から、92年のアメリカ修学旅行で訪れたカテラハイスクールのベースボールクラブのキャップ、03年に母校が全日本大学野球選手権大会へ初出場を果たしたときに神宮球場で記念に買ったキャップ、映画『フォレスト・ガンプ』で主人公が被っていたものと同じキャップ(映画館で購入)です。
特注のベースボール・キャップ。
高石市スポーツ推進委員として働くときのキャップです。
2017年06月

楽屋には、高価なロケ弁が置いてありました。

収録は無事に終わりました。放映は、7/17(月)。ただし、愛知・岐阜・三重のみの放映です。
http://hicbc.com/tv/newton/
収録の記念に、担当ディレクターさんに撮っていただきました。

少し遅くなりましたが、本学野球部の父でもある総監督に、感謝の気持ちを込めて、顧問・選手から「父の日」の贈り物をしました。
http://www.hagoromo.ac.jp/hgtoday/news_description_today.php?no=1623
総監督が最も愛着のあるチームだと話す「西鉄ライオンズ」のNEW ARA製のキャップです。
ちなみに、私が息子から贈られたものは・・・。
ユニフォームを着たときに、自分が痩せていることを実感しました。今はOサイズを着ていますが、次はLサイズにしようと思いました。ベルトも約1cm切りました。新人戦のときより、体重が3-4kg落ちているのでした。
痩せた原因は、フルマラソン完走を目標にトレーニング量が増えたからだと初めは考えました。しかし、そうではなさそうです。炭酸水(糖なし)を飲むよう心がけているからかもしれません。
6/28(水)収録、7/17(月)放映です。
http://hicbc.com/tv/newton/
背景が白なので、白い服はNGです。ゲストは、収録後にホームページで発表されます。
大阪大会も組み合わせが決まり、それぞれの高校野球部は、一年のうちで最も集中して練習する時期なのかもしれません。
「リーグ戦と同じように本気でやろう」。私たちも集中して、全力で練習試合に挑むことにします。
高校野球部との練習試合は、本学は一、二年生のみで戦います。一年生にとっては、入学してから初めて出場する試合でもあります。
「高校より感動できる大学野球部」が、高校生を相手にどんな試合をしてくれるのか楽しみです。
「スポーツ指導方法論」にて、ゲスト講話を実施しました。
NHKスペシャル『延長17回:横浜vsPL学園 闘いの果てに』を学生たちに見せたあと、「このVTRに登場していた方に、今日は来てもらいました」とう流れで、ゲストの方に入室してもらいました。
その様子が大学ホームページで紹介されました。
http://www.hagoromo.ac.jp/hgnews/news_description.php?no=1609
http://www.hagoromo.ac.jp/hgnews/news_description.php?no=1615
一年生9名と私と一緒に(本学広報撮影)。「あのポーズでいきましょう」とキノ君に頼まれました。


初めて中国大会に出場したとき、ここで広島の高校と戦ったのです。1999年の秋のことでした。

湊山球場のライトポールの上方には、米子城跡があります。


土・日曜日、私が野球に出かけているときに、妻と幼少の息子は、いつも城山に登り、お弁当を食べていたそうです。「家族はどんなところで過ごしていたのだろう」。
13年間も米子に住んでいたというのに、私は城山に一度も登ったことがなかったのです。「よし登ってみよう」。



汗だくのまま頂上に立ちました(セイフタイマーを使っています)。

小さいと思っていた米子は、実は大きかったのだと眼下の街並みを見て分かりました。


「あのころ家族は、この景色を見ながら、弁当を食べていたんだなぁ」。



城山を降りると、まず尊敬する監督にご挨拶をしようと、車を走らせました。やはり、選手より早くグラウンドに来て、グラウンド整備を始めておりました。当時の私にもそういった姿勢が身についていれば、結果は違っていたのかもしれません。
今日(6/17)、草刈り機を使って、2時間ほど、グラウンドの草刈りを行いました。
顧問、四年生、新スタッフが、少しずつ話をしました。

私は、まず引退した四年生に対して、「勝った負けたという目に見える部分よりも、自分の心と体で感じた目に見えない部分を大切にして欲しい。しかし、負けた原因を探ろうとせず放っておかないで、卒業までに考えることを宿題としたい」と伝えました。
三年生以下に対しては、「次のリーグ戦で優勝することは容易ではない。周囲に威圧感や不快感を与えるようなものではなく、周囲に勇気を与えるような闘志をもって、より一層がんばって欲しい」と伝えました。
「走ることについて語る」「米子へ」は、まだまだ続編がありますので、またの機会に。

昼食には、「グリコ」近くの大阪松竹座・地下一階「矢場とん」のみそかつをいただきました。

「矢場とん」は名古屋に本店があり、東京駅には出店されていたことは知っていたものの、大阪では食べられないものだとあきらめていたので、ラッキーでした。ちなみに大阪に初出店されたのは、昨年の6月だそうです(まったく知らなかった)。
テンションが上がっていたためか、店内で売られていたマグカップを、これまたノリで買ってしまいました。
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/51808209.htmlhttp://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/51831154.html
来週、学生募集で米子に帰ることになりました。
大阪には「戻る」、米子には「帰る」、そして横浜にも「帰る」、そう表現してきましたが、「帰る」のは米子だけとなりました。
2月に横浜の実家を売却し、一人で暮らしていた父親が、私の自宅から200m離れたマンションに引っ越してきたからです。母親は、旭川に住む弟の営むリハビリ施設で療養中です。
横浜の故郷がなくなったのです。もう横浜ナンバーをつけることもないでしょう。
米子に帰るのは、6月の学生募集(前任校の進学説明会を含む)と、冬の前任校での授業と、年に2回です。教え子の結婚式があれば、それに加えて帰る回数も増えるのですが・・・。6回も米子に帰った年もあります。
前任校の先生方、野球関係者と再会できるのは、望外の喜びですね。







































