2019年01月
本学では9冊目となる修了記念誌『光と影』の編集を行っています。現在は顧問という立場ですが、今後も制作を続けていきたいと思います。
この『光と影』に文章を載せるのは、毎年三、四年生と決めています。それぞれの学生の文章を校正しながら、彼らの内面を推し量ったり、彼らとの出来事を振り返ったり・・・。
そんな時間も有意義なものです。
平日3時間の練習は、とても短く感じます。
練習前にホワイトボードに、時刻と内容を記すのですが、こだわりをもって指導すると、どうしても計画どおり進まなくなります。一方、計画どおり進めようとすると、まあいいやという妥協が生まれてしまいます。そのバランスが、とても難しいのです。
体づくり、技づくり、心づくりと、この冬にやるべき事はたくさんあります。あれをやれば、これができなくなる。よって、2日かけてすべてをこなしているという現状です。2日に1回必要なメニューをこなせれば、それで良しとしているところです。
時間が短く感じるというのは、いま自分がやりたい事をしている証拠なのでしょう。
人の視線を浴び続けると、ストレスはたまっていきます。人気アイドルの「自由に生活してみたい」という言葉は、私には理解できます。そのアイドルとは舞台の高さや広さは違えど、私もそれに近い気持ちを味わったことがあるからです。
どこへ行っても、人の視線を感じて、のびのびできない。駅前の映画館では「練習は終わったのかよ」という小さな声に心を痛める。スシローで順番を待っていると丸刈りの子供がいる家族からジーっと見られる。オーシャンのサウナでくつろいでいると「カントク」と声をかけられる。
今は、アリオ鳳でシュークリームを買っていても、イトーヨーカドー津久野店でロッテリアのハンバーガーを食べていても、浜寺公園を走っていても、シネマズTOHO鳳でポップコーンを食べていても、南海電車に乗っていても、知り合いに会うことは、ほとんどありません。人の視線を感じないというのは、こんなにも楽なことなのかと改めて感じているところです。
選手は寒さに耐えながら、与えられた練習メニューを黙々とこなしました。創部の頃に見られた私語をする者は、もういません。
センバツのニュースは、まだ遠い世界の出来事です。しかし、忍耐・我慢・辛抱の積み重ねが、信じられない快事を生み出すのだと思っています。
翌1989(平成元)年、郵便局員となった私は、仕事帰りの電車の中で塾長と再会しました。「今年は米子東が甲子園に出て、うれしかった」と私に笑いかけてきました。そして「教員になるんじゃなかったのか」と私を叱りつけました。
米子東が、23年ぶりのセンバツ出場を決めましたが、23年前(1996年)の春、私(当時30歳)は大学院一年生から二年生になるときで、研究のために米子東の試合を録画しておりました。まさか、その一年後に米子へ行くとは、考えてもいませんでした。
知人が、練習グラウンドを見て、「恵まれた環境ではないからこそ、いろいろな発想が生まれてくるんじゃないですか」と話しました。
たしかに、限られた時間、限られた環境だからこそ、「今日は何をしようか」と毎日が新鮮な思いでグラウンドに行くことができます。だから以前のようなプレッシャーとは無縁の高校野球監督生活を送っています。
高校野球部を創るという経験は、めったにできることではありません。これから、どんな未来が待っているのか。今からとても楽しみです。
5km走や10km走を中心に、生涯100レース出場を目指して、のんびり走っていこうと考えていました。結果として、フルマラソンを完走できる力は残っていました。
ハーフマラソンを走り続けることに決めた理由は、本業に差し支えが出てくるフルマラソンは困難でも、長距離ランナーとしての誇りは持ち続けたいと考えたからです。
今夕、11日後に出場する「大阪ハーフマラソン」の選手証(ナンバーカード引換券)が届きました。25日後には、昨年フルを完走した「KIX泉州国際マラソン」において、今年から種目となったハーフマラソンに挑戦します。
大学院のときの同窓であったジャンボ鶴田さんは、著書の中で「テレビは時間を吸う吸血鬼」だと述べていました。
実は私も、大学野球部の合宿所(平和荘)に入ったとき、自室にテレビは置きませんでした。やはり、トレーニングや読書の時間が生まれて、よかったと思っています。
最近、新しい吸血鬼が現れたようです。吸血鬼の名前は「スマホ」。私は一度も話したことはありませんが・・・。
今年は7枚も当たりました。7枚は過去2回。最多タイです。
これで、昭和45(1970)年から平成31(2019)年まで、50種類の切手シートが、すべて揃いました。

今朝、息子がいつもと同じ服装をしているので、理由を訊くと「いつもと同じ感じでいきたいから」と答えました。
一年間の学習の成果が問われる2日間の「大試合」。昨年は、力を抜いていけという意味で「こんにゃく大作戦」を授けました。
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/52263209.html
今年は「こんにゃく」ではなく「なし」。特に作戦はなしという意味で「なし大作戦」といったところでしょうか。
http://www.hagoromogakuen.com/blog/?p=25475
息子も出陣。高校野球部の同級生4名(選手2名、マネージャー2名)が、自宅まで激励に訪れてくれました。当然4名とも、すでに大学生です。
チームメイトの声援を受けて、力を発揮してくれることでしょう。
観客は、私より年上の方がほとんどでしたが、10名くらいの中学生グルーブもおりました。
この映画は、3年前に公開された『クリード:チャンプを継ぐ男』の続編でもあり、『ロッキー4:炎の友情』の続編でもあります。『ロッキー』シリーズ6作品をすべて観なくとも、『ロッキー4:炎の友情』だけは観てから、映画館に行った方がよいでしょう。途中、中学生たちが、トイレのためなのか、スマホのためなのか、よくわかりませんが、出たり入ったりしていたので、とくにそう感じました。
一方、年上の方たちは、ロッキーとドラゴが、34年の歳月を経て、同じリングに立っていることに、熱いものを感じたはずです。私は、ドラゴの元妻役を演じる女優(実際はロッキーを演じたシルベースター・スタローンの元妻)が、あの頃の雰囲気のまま、リング下にいたことに心を揺さぶられました。
『ロッキー』『クリード』それぞれのシリーズは、ボクサーの熱き闘いが物語の「幹」となりますが、実は親子愛というテーマが「根」に広がっています。『クリード:炎の宿敵』は、それを強く感じさせる作品でした。『ロッキー4:炎の友情』では、冷血人間のように描かれていたドラゴが、本作品では血の通った父親として描かれていることに、とても感銘を受けました。

巨人の上原投手の背番号が、11から19に戻りました。上原投手は、高校を卒業してから浪人生活を送っています。19歳のときの苦悩が、自身を支えていると聞いたことがあります。そのときの気持ちを忘れないために、19という数字を大切にしているようです。
大学入試センター試験が迫ってきました。高校三年生の夏に背番号19を背負った息子は、いま浪人生活を送っています。私は、どこで学ぶかよりも、何を学ぶかが大切だと分かっているので、どこの大学に進学しても同じだと考えますが、はたして本人は?
息子も上原投手と同じように、19歳の瞬間(とき)が、のちに貴重な時間だったと気づくのかもしれません。
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/52250675.html
まもなく大相撲の初場所が始まります。本場所が近づくと、いつも2ヵ月という月日の経つ早さに驚かされます。
最近、横綱の休場が目立ちすぎます。昭和51~52年の輪湖時代のように、千秋楽の結びで横綱同士が雌雄を決するというような緊張感が、しだいに失われています。
千代の富士が横綱に昇進する際、当時の九重親方(現・北の富士さん)は、「辞めるときは、スパッといこうな」と、横綱の引き際について、まず指導したと聞きました。
おそらく、今の横綱たちは、昭和の時代であれば、すでに引退していたことでしょう。昨年に他界した輪島関は、14回目の優勝を飾った翌々場所に引退を決めました。横綱としての引き際の美学というものが、まだ残っていた時代でした。
昨日から高校の授業が始まり、夕方の寒い時間帯での練習となりました。寒冷地に住む人々が、なぜ粘り強い性格となっていくのか、寒いグラウンドに立っていると分かるような気がします。
暑い夏の練習も大変ですが、寒い冬の練習も同じくらい大変です。寒い冬を乗り越えてこそ、夏の勝利が待っていると信じ、本野球部はじめての冬を充実したものにしたいと考えます。
体幹トレーニングを始めてから、体重は逆に増えましたが、体幹を強くすると、長短距離を問わず、走るスピードの上がることが証明できました。
30代の頃のタイムに近づき始めて、ランニングの楽しさを改めて感じているところです。5km走で、ひょっとしたら再び20分未満も出せるのではないかと、そんな期待を抱いてしまうような最近の好調ぶりでした。
大泉緑地公園にて開かれた「第35回大阪新春マラソン大会」に出場しました。
選手と顧問が同じ土俵で勝負しました。
私は、通算75回目のレース。「大阪新春」は9年連続の出場です(ハーフは3回、5kmは6回)。
「大阪新春」5kmの過去の記録です。
2014年 22分44秒
2015年 21分52秒
2016年 22分14秒
2017年 23分00秒
2018年 22分20秒
今日は、21分05秒(男子50歳代・第6位)。「大阪新春5km」では最高のタイムが出ました(マネージャー撮影)。
選手19名と顧問3名が出場しました(選手1名は故障のため欠場)。
途中、誘導員が指示を誤り、選手たちがコースを間違えるハプニングがありました。ただいま記録を整理している途中です。選手たちのがんばりについては、後日お伝えいたします。
昨年に引き続いて、京都・北野天満宮へ合格祈願に行ってまいりました。
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/52262734.html
昨年よりも暖かく、昨年よりも大勢の人々が参拝に訪れていました。

昭和の23年間は、我慢の期間でした。昭和から平成へ移ったとき、実は就職浪人をしておりました。平成に移った瞬間、私は会津のスキー場に隣接する温泉宿で、熱を出して寝込んでいました。精神的にも肉体的にも、身動きのとれない状態だったのです。
平成元(1989)年の春にやっと就職し、途中2年間は学生に戻った期間はあったものの、何とか今日まで走ってきました。走り続けた平成の30年間は、振り返れば飛躍の期間だったと思われます。
いよいよ改元です。人生の通知表は、すでに50歳のときに配られていると聞きました。新たな時代は、きっと総括の期間となるでしょう。自らの信念・哲学にしたがって、正しく行動していきたいと思います。



















