今夜は、自分でみそラーメンを作って食べました。にんにく、バター、もやし、生みそを使って、専門店の味に近づけようと試みました。75点です。
大阪では、みそラーメンの専門店を見かけません。心斎橋あたりにあった私の好きな「味の時計台」も閉店となりました。大阪で美味しいみそラーメンが食べられない理由が、今夜の『秘密のケンミンSHOW』を観て分かりました。「大阪府民は味噌を使わない⁉」からでした。
私は、みそラーメンに目がありません。もちろん大好きなのは青春の味「よし乃」のみそラーメンです。
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2019年10月
山際淳司さんのノンフィクション小説集『スローカーブを、もう一球』の中に、『江夏の21球』という作品が収められています。一昨年には、同名の新書が発刊されました。
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DVD『江夏の21球』は、1983年1月24日に「NHK特集」として放映された番組です。野球は心理戦ということが良く分かる内容となっています。

大阪へ来てから、だいたい月に1本のペースで映画を観ていたので、そう考えると今年は少ない方です。時間がないということもありますが、観たい作品が少ないということも理由として挙げられます。
やっと観たい映画が12/27に公開されます。『男はつらいよ50』です。大学生のとき、『男はつらいよ』シリーズを立て続けに観ていました。映画館で観たのは一度きりですが、過去の作品(ビデオテープ)を借りてきて、合宿所でチームメイトと鑑賞しながら、口上をそらんじたり、車寅次郎の真似をしたり、そんなことをしておりました。
「男のくせに」と言うのは、現代では何とかハラスメントになるらしいです。「男はつらいよ」は、セーフでしょうか。

先日、日仏合作の映画『真実』を鑑賞しました。
是枝裕和監督の最近の作品である『そして父になる』『海街diary』『海よりもまだ深く』『三度目の殺人』『万引き家族』は、すべて映画館で観ています。そして『真実』も。
上映時間の関係で、日本語吹替版を観たのですが、カトリーヌ・ドヌーヴの吹き替えをした宮本信子さんの声が良かったです。
真実とは、語れば語るほど真実から遠ざかっていくものなのかもしれません。
https://www.t-expo.jp/

「苦しい、楽しい。それがツアーコンダクターの真骨頂」。高校野球監督も同じです。

世界各国の観光PRブース。
クロアチア。

エジプト。

カンボジア。

日本の各都道府県の観光PRブース。
福井県。

宮崎県。

そして蟹取県。星取県とも呼ばれます。

けっきょく行きつく先はココでした(観光大使?)。

台湾のブースでは、記念撮影を行いました。画像は、QRコードを読み取ってスマホに送られるというシステムですが、ケータイのない私は、いったんN先生のスマホに送ってもらい、それから私のパソコンに送ってもらうという、手間のかかる作業をしていただくことになりました。N先生ありがとうございました。
大学院時代は、台湾留学生野球チームの外国人選手(助っ人)でした。

6年前には、こんな素敵な出来事がありました。
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テレビアニメ『サザエさん』の磯野波平さんと、ようやく同い年となりました。

インフルエンザには罹ったことがなかったので、ずっと予防接種など行っていませんでした。ところが、高校生を指導するようになってからは、3年連続で予防接種を行っています。高校野球監督は病に倒れたら負けだからです。
先週から、寒暖差アレルギーにより、少し体がだるくなっています。いよいよ体調管理に気をつけなければならない年齢のようです。
二死・三塁走者ありの局面で、遊撃手の前にゆるいゴロが放たれました、ふつうであれば片手捕りからジャンピングスローという流れです。ところがその遊撃手は、両手で捕球した後、スナップスローで打者走者をアウトにしたのでした。
片手捕りは楽なプレーです。横着なプレーです。一方、両手捕りには訓練が必要です。粘りが必要です。メジャーリーグの多くは両手捕り。それだけ技術が高いということなのでしょう。
ウチのチームでは、特別な場合を除いて両手で捕ることを徹底させています。両手で捕ることができる生徒は、丁寧に勉強に取り組んでいるでしょうし、将来は丁寧に仕事が行えるはずです。
http://blog.livedoor.jp/morning_west/archives/52293600.html
昨夕は本野球部を取材されました。

9年ぶりに私を見た第一声は「やせたね~。10キロどころじゃないでしょ」。

今日は午後から練習。午前中に「世界遺産・仁徳天皇陵古墳」と「さかい利昌の杜」をご案内しました。

四年生3名(ワタナベ投手、ヤマジ内野手、クワダマネージャー)が、秋までチームを支えてくれました。ワタナベ君は昨日は先発投手。ヤマジ君は今日スタメン出場(二塁手)を果たしました。クワダマネージャーは、記録員として後輩たちにエールを送りました。
昨日も今日も高校野球部の練習があるため、14時(五回裏)までしか観戦できませんでしたが、帰り道、四年生の大きな声が駐車場まで届いてきました。
いよいよ明日は、四年生3名の大学生活 最後の試合です。
「こんにちはー」。この声も秀逸でした。「〇〇大学に合格しました」「あー、よかったなー、おめでとう」「面接でも、そんな感じでやったのかー」「はい。グループ討議だったのですが、元気よく話しました」。
現役の選手たちには、0期生ふたりの挨拶はさらに精度が上がっていること、指導を振り返っても彼らは別格だということ、彼らの社会的技術は大人の世界でも評価されること、今このグラウンドで教えていることはグラウンド以外でも通用する内容であること、それらを伝えました。
0期生が初めての勝利を挙げました。
小学三年生のときに「キングスパイダース」という名のチームを創りました(今のように)。私は、そのチームの監督となりました(クラスでは「カントク」と呼ばれていました)。当時、南海ホークスの野村克也捕手が選手兼監督として活躍していたこともあり、それに倣って私は四番・捕手を務めました。
体育の日に小学校の校庭で、三年生8クラスが参加する野球大会(五回まで)が開かれました。一回戦、キングスパイダースは、初回の表に19点を取られ、その裏は三者凡退で無得点。次の瞬間、球審がコールドゲームを宣告しました。
私は監督として、「プリントには、コールドゲームは3回10点差と書いてあるじゃないか」と泣きながら抗議をしました。しかし、抗議は受け付けてもらえませんでした。2会場を使うとはいえ、一日に7試合を消化しなければならず、3つのアウトを取るのにで30分以上かかっているチームなど、相手にされなかったのでしょう。
私が記憶している初めての大きな挫折でした。「記憶できるものと記憶できないものの違いは、そのときに心が揺さぶられていたかどうかである」。そのときの出来事は、今でも鮮明に思い出すことができます。マスク越しに見た校庭の風景や、打たれても打たれても投げ続けたウチコシ君の横顔や、イケダ君がケーキの箱に入れて持ってきたお弁当のオムライスがとてもおいしそうだったことなど。
体育の日は、来年からスポーツの日と改められるようです。
監督の大きな責務は三つあります。
まずは「安全管理」。もしもに備えて、防球ネットを重ねて使ったり、ヘルメットやヘッドギアを必ず着用させたり、グラウンドを整備したり、そういったことを怠らないようにしています。
次に「人間教育」。目配り・気配り・心配りのできる人を育てていきたいと考えています。引退すれば野球技術は役に立たないのです。
最後に「競技成績」の向上。日頃の練習をどうやって勝利に結びつけられるのかを日々模索しています。春2勝以上、夏3勝以上できるようがんばります。
優先順位は、①安全管理、②人間教育、③競技成績。創部から約一年半。幸い大きな事故もなく活動が続けられております。
約10年前に先輩先生が励ましてくれた「負けるが勝ち」という言葉が、とても印象に残っています。
短期的に見れば負けていても、長期的に見れば勝っていることだと私は解釈しました。なぜかそのときよりも今の方が、その言葉を思い出す機会が多いのです。
0期生に初勝利を贈ることができなくて、はじめはとても悔やみましたが、最近になってその思いは少し形を変えてきました。
努力しても報われないときがある。そんな経験をしたことの方が、よっぽど健全で、その後の人生を粘り強く歩めるような気がします。
米子では秋季大会が終わると、すぐに冬のトレーニングを始めたのですが、堺は暖かい場所ですから、できるだけボールを使った練習をするようにしています。
今日は、学校行事の関係でウォーミング・アップしかできませんでしたが、明後日より技術練習を行う予定です。
早朝に堺市を発ち、阪神高速、中国道、鳥取道と乗り継いで、鳥取市にある私立高校へ向かいました。その途中に懐かしい球場の横を通り過ぎました。野球部の監督にU君が主将になったこと、彼ががんばっていることを伝えると、元の道を戻り、あの懐かしい球場に寄りました。この球場には、忘れられない思い出があったのです。
2005年春の県大会は、準決勝で敗れました。選手たちは、がっくりと肩を落としていました。なぜならば、優勝(中国大会出場)を目指してきたからです。翌日は、山陰大会出場を決める三位決定戦が残っていましたが、モチベーションを保ち続けるのは、容易ではありませんでした。
「明日の試合は、手を抜いて戦ってもいいし、全力で戦ってもいい。自分たちのプライドと相談して決めろ」。宿舎に戻ってから、選手たちにそう伝えました。朝がきました。バスに乗る選手たちの顔を見ると、全力で戦うことを決めた顔でした。
「勝っているときは、誰でもチヤホヤするもんだ。負けているときに応援してくれる人が、本当の味方なんだぞ。きょう三位決定戦にもかかわらず、決勝戦でもないにもかかわらず、球場に足を運んでくれる人は、本当にウチを応援してくれる人だ。その人たちのためにも全力で戦おう」。バスの中で静かに話しました。「はい」。
美保球場に着くと、観客席にはパープルの大きな波が押し寄せていました。三位決定戦に勝ち、美保球場をあとにしようとすると、とつぜん球場から朝西コールが沸き起こりました。保護者が数人で「ア・サ・ニ・シー、ア・サ・ニ・シー」と手を叩きながら、勝利のエールを送ってくれたのです(おかしかった。恥ずかしかった。でも、とてもうれしかった)。
「私も長く記者をやっていますが、監督の名前を叫ぶ保護者は初めて見ました。それから、あんなにも分かりやすく応援される監督も初めて見ました」。インタビューをしていた記者が目を丸くして、そう言いました。
優勝候補と言われながら、準決勝で敗れたとき、実は私もかなり落ち込んでいたのです。ですから、三位決定戦で大勝しても、心の中は快晴というわけではありませんでした。ところが、朝西コールが聞こえたとき、心の中の雲がすうっと消えていくのが分かりました。
「監督さん。準優勝より三位の方がいいですよね。だって最終日に勝って終われるわけですから」。私は、いつもこうして保護者の方々に助けられてきたのです。

米子を離れて早くも10年目となりましたが、このたびも前任校の先生方が温かく迎えてくれて、とてもうれしかったです。
DARAZ FMを聴きました。約9年前に出演させていただいた『GENSHINのBO-ZU CAFE』、懐かしかったです。
http://asanishi.sensyuuraku.com/bo-zu%20cafe.html
以前住んでいたマンションの近くのビジネスホテルより。この日の朝も、昔と同じように皆生海岸を走りました。

「学園」という響きが大好きです。
20代のころ監督を務めていた鹿島学園は、地元の伝統校である鹿島と区別するために「学園」と呼ばれていました。近くの進学校S学園にも学園の文字はあるのですが、「学園」といえば、鹿島学園のことを指したのです。
前任校の米子商業が、普通科を設置するときに校名が変更されることになりました。教職員それぞれが新校名を提案し、その中からいくつかの候補に絞り、投票によって現在の米子松蔭と決まりました。
新校名を投票で決めるなんて、教育県・鳥取らしい民主的な方法ですよね。米子松蔭を提案したのは、当時、吹奏楽部の顧問を務めていた年配の男性の先生でした。
実は私は「米子学園」を提案していたのです。しかし、残念ながら早々と候補から外されました。これぞ私学のような校名は、鳥取ではどうも敬遠されるようです。
羽衣学園のことを、みんなは「羽衣」と呼びますが、私はきちんと「羽衣学園」または「学園」と言います。
http://www.hagoromogakuen.ed.jp/index.html




































