朝西知徳のブログ

朝西野球をずっと応援してくれる方々に向けて、「日々の出来事」「思い出ばなし」「今の気持ち」などを綴っています(SINCE 2011/02/05)。

2021年08月

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飲水思源⇒ https://www.asahi.com/articles/ASP7H53CXP6XPTIL013.html
高校野球を通じた人間教育⇒ https://www.youtube.com/watch?v=gujEaqBPZyg

夏の終わり

今日で8月も終わりです。天気予報を聞くと、明日から少しずつ秋に向かっていくようです。

10年前の「夏の終わり」を調べてみました。まだ愛車「パジェロJ-TOP」が健在でした。今でもときどき愛車に乗っている夢を見ます。
夏の終りのハーモニー : 朝西知徳のブログ (livedoor.jp)
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「夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの いつかと同じ風吹き抜けるから」。

赤銅色の肌

今夏も日焼けをしました。顔も首も腕もすべて赤銅色(しゃくどういろ)に輝いています。

著書の中に「知らないということを知らない人」と題した文章があります。

 無死一塁から、強攻して併殺をとられたあとの打者が、ヒットを放つとする。「きっちりと送っておけば一点入ったのに」と嘆く人が必ずいる。そういう人には、気をつけたほうがいい。野球を知らない人である。

 走者がいないときと、二塁にいるときでは、配球も守備隊形も異なるために、同じようなヒットが生まれるはずもない。いくらそのことを指摘してあげても、野球を知らないということも知らないので、理解を得るのは難しい。手に負えなくなってくる。私は、そういった鈍感さをむき出しにする「知らないということを知らない人」に、今までに何度も出会ってきた。

 以前、無死一塁からの得点期待値を、「ヒッティング」「バント」「スチール」「ヒット・エンド・ラン」と攻撃別に分けて調べたことがあった。結果、統計学上の有意差は見られなかった。つまり、どの攻撃方法を用いても、得点期待値はあまり変わらなかったのである。「打ってだめなら、バントをしてもダメ」というのが、調査の結論であった。

 「バントをさせておけば点が入ったのに」。鈍感な人が、また歩み寄ってきた。「彼らはバントばかりをしたくて、この野球部に入ってきたのではありません」。キッパリと言った。野球を知らないということを知らない人は、目を白黒させていた。(2009年11月29日)


「知らないということを知らない人」は、指導経験がない、または指導経験の短い方の中に多く見られます。失敗の経験が少ないため、根拠のない自信を持っており、断定的なものの言い方をする癖があります。

「知らないということを知らない人」には、赤銅色に焼けた肌を見せるのが一番です。

勝負は社会に出てから

高校野球は、近畿勢が上位を独占しています。4強に入れなかった2校については、同じ近畿勢に敗れているため、近畿勢にとって他地区には無敗の夏となりました。新聞などで報道されている通り、雨続きによる「地の利」というのは、あったのかもしれません。

大阪には全国を代表するチームが複数あります。「みんなが大学に行ったときや社会に出たときに、〇〇高校や△△高校の選手たちに、人間として絶対に負けてはダメだ。そのための指導をしている」。きのう選手たちに伝えた言葉です。

昨夕、甲子園エースのご両親と電話でお話しました。
続・甲子園の旋風(かぜ) : 朝西知徳のブログ (livedoor.jp)

この時期になると「あの夏」を思い出すのは、監督も保護者も同じようです。「監督さんに根性を鍛えていただいたお陰で、社会で立派にがんばっています」。監督冥利に尽きる言葉です。
27個目のアウト

続・長嶋茂雄の美しさ

テレビに映る高校球児の着こなしが「乱れているな」と感じます。上はダブダブ、下はピチピチ。ベルトが見えない選手も数多く見受けられます。

長嶋茂雄のユニフォームの着こなしが、正しいユニフォームの着こなしです。
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長嶋茂雄の美しさは、まずはユニフォームの着こなしでしょう。
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私は背番号90番のときの耐え忍んでいた長嶋茂雄が大好きです。
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パンツの裾は内側に折り曲げ、折り曲げた先端を、ふくらはぎの最も太い位置に下ろす。カラーストッキングなど履かずに、白いソックスの上に必ずストッキングを履く。くだらない流行を尻目に、いかなるときも、ユニフォームの着こなしを崩すことはありませんでした。
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さよなら夏休み

小学・中学・高校時代は、教室にエアコンなど備え付けられていなかったので、夏休みは7/21から8/31までの42日間と決まっていました。暑い教室で勉強などできないからです。

大学時代に観た映画『思えば遠くへ来たもんだ』の中で、秋田の高校教員を演じる武田鉄矢さんが、のんびりと夏休みを過ごす姿を見て、教員という仕事に憧れました。

お世話になった高校の先生方も夏休みはエンジョイしていたという記憶があります。ところが、平成の半ばから教室にエアコンが設置されるようになり、二学期の始まりが早められました。涼しい教室で授業ができるからでしょう。

高校は明日が始業式。夏休みは今日で終わりです。二学期の始業式は9月1日と刷り込まれている私からすると、生徒たちにもう少しのんびりさせてあげたいなぁと思ってしまうのでした。

一方で大学は、ひと月も夏休みが残っています。大学に移って良かったなと感じるのは、夏休みと春休みに、たっぷりと自分の時間がもてるときです。

夏20回

高校野球の夏の大会を約20回(部長として1回、監督として19回、コーチとして1回)も経験しました。

勝った負けたは関係ありません。それぞれの夏に深い思い入れがあります。揺るぎないのは、「その後の人生につながる指導」です。

保護者の方が撮影してくれました。監督生活の記念となります。ありがとうございました。
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やっと晴れ間が

昨日から降り続いた雨が、やっと止みました。

しかし、グラウンドには水が溜まっています。

久しぶりに大学の構内で練習を行いました。
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タカラジェンヌの瞳

『あいつ今何してる?』というテレビ番組をいつも楽しみにしています。学生時代の友人の大切さを改めて感じる瞬間です。
あいつ今何してる?|テレビ朝日 (tv-asahi.co.jp)

菊池桃子さん(元ラ・ムーのボーカル)が、短大時代の友人と学生生活を振り返る場面が強く印象に残っています。芸能人でありながら、普通の学生生活を送ろうとしていた様子が、とても新鮮でした。菊池さんの誠実な人柄がよく伝わってきました。

先週の『あいつ今何してる?』では、ゲストである元タカラジェンヌの大地真央さんの希望に応えようと、後輩タカラジェンヌの黒木瞳さんが、宝塚音楽学校へ取材に出かけるというコーナーがありました。

宝塚音楽学校の一年生(予科生)が、二年生(本科生)と出会うたびに大きな声で正しく挨拶をしていました(ウチの野球部員のように)。二年生が自主練習をしている朝の教室に、一年生が「失礼します」と礼儀正しく入り、静かに清掃をしていました。現代では失われつつある厳しい上下関係が、今も残っていたのです。彼女たちの姿は、私にはとても美しく見えました。

講堂では、先生による厳しいレッスンが続きます。生徒たちは、気をつけの姿勢で先生の叱責を受け止めています(ウチの野球部員のように)。それを見たレポーターの黒木さんが厳しくなければ先生じゃない」とコメントするのです。目の奥が熱くなりました。

時代が変われど、宝塚音楽学校は変わらない。その姿を見た大地さんの瞳には涙が浮かんでいました。

終戦の日

終戦の日です。

私が生まれたのは、終戦からたったの20年後です。子供のころは、戦争は大昔の出来事のように感じていましたが、大人になると、戦争は最近の出来事だったということが分かりました。

私にとっての終戦の日は、7月31日だと考えています。激しい戦いに終止符を打った日です。
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早くも12年が経ちました。まさに最近の出来事です。
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保護者会についての考察【下】

羽衣学園高校野球部に保護者会はありません。「時代」を考えて、創部前から決めていたことです。保護者の方とは、あえて距離を置いています。選手たちに不公平感と不平等感を抱かせないためです。

三年生の夏の大会を終えてから、保護者の方と初めて(?)話をしました。「監督さんも一緒に撮りましょう」「いいんですか」「もちろんです」。

三年生は、昨夏の北海道遠征が中止。鳥取には結局いちども行くことはできませんでした。彼らを一年生の夏に宗谷岬に連れて行けたことだけが救いです。
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「今年は卒部式をしましょう(昨年度は中止)。よかったら保護者の方も参加してください」
「楽しみにしています」
「彼らは野球部の遠征も学校の修学旅行も中止となり、とてもかわいそうでした。そうだ野球部の修学旅行をしませんか。保護者の方も一緒に行きましょう」

親と監督という立場は違っても、厳しさという名の愛で、子供を強く育てようという思いは同じでした。
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保護者会についての考察【中】

高校野球 保護者は脇役(日本海新聞『散歩道』2011/05/29)
※大学野球監督(当時)として書いた文章です。

高校野球部は、他の運動部と比べても、保護者との関わりが大きい。ほとんどの学校に、チームを後援することを目的とした保護者会(または父母会)という組織が存在する。

ただし、その目的とは異なる形にゆがんでしまい、監督を精神的に追い詰めているケースもあると聞く。

下級生の保護者であれば、監督との適切な距離を保てるのであるが、上級生の保護者となり、甲子園というものを意識し始めると、その距離が測れなくなることがあるようだ。

甲子園は、高校野球の一側面である。グラウンドで繰り広げられる毎日の出来事こそが、高校野球のハイライトである。つまり、日々、監督から指導を仰げることに、もっと感謝するべきである。

にもかかわらず、選手のことを最もよく見ている監督が振る采配を批判したり、敗戦の責任を監督に求めたり、さらには、自らの子供が試合に出られないからと不平不満をまき散らしたりすることは、保護者のとるべき態度としては間違っている。

敗戦によってしか得られないものがある。ベンチを温めている選手にしか味わうことのできない経験がある。保護者が、監督との距離を見誤ってしまうと、そういった大切なことにも気づけなくなってしまうのかもしれない。

高校野球の主役は選手である。保護者が、主役に躍り出ようとした瞬間に、高校野球という名の青春映画は崩壊する。

保護者と監督は、ともに子供を「育てる」立場にある。そのことを正しく理解している保護者は、主役を「見守る」、監督に「任せる」という姿勢を貫いている。

そんな保護者の集まりであれば、選手も監督も、安心して野球に打ち込むことができるであろう。当然チームも強くなる。

保護者は最高の脇役でなければならない。

保護者会についての考察【上】

野球部の保護者会に感謝(日本海新聞『散歩道』2009/12/06)

秋のはじめに、野球部卒業生の保護者が中心となり、今夏で監督を退いた私を労(ねぎら)う宴を開いてくれた。卒業生とその保護者、およそ100人の懐かしい姿に感激した。

5年前の夏、優勝候補となった我がチームは、初戦で敗れた。学校にもどり、当時の校長に進退を伺おうとすると、それを見た保護者が一斉に校長室へ走ってきた。「監督が辞めたら、うちの子は学校も辞めてしまいます」。

次の春、上位進出を果たすと、とつぜん「朝西コール」がわき起こった。保護者の優しい声であった。恥ずかしかったが、とてもうれしかった。このような声援に支えられて、今までがんばることができたのだと思う。

今夏の試合を終えると、三年生の保護者から、一冊のアルバムを手わたされた。私が三年生8人それぞれの家族と笑っている写真があり、すべてに保護者による自筆の手紙が添えられていた。

「子供を共に育てていただいたこと、感謝しています」「大きな声で怒鳴る監督が大好きです」「いつまでも子供たちにとって、鬼監督であり、最強の応援団長でいてください」。親と教員と立場は違っても、厳しさという名の愛で、子供を強く育てようという思いは同じであった。

「三年生は、監督のもとで野球がしたくて来た子供たちばかりです」。最後の一年間は、その気持ちに応ようとして、精一杯グラウンドで叫びつづけた。残念ながら、夏は準決勝で敗れ、夢は叶わなかったが、選手、監督、保護者が一体となって戦い抜いた「青春の日々」を誇りに思う。

ブルースは12小節で終わる。私がグラウンドで奏でたブルースも、12年で終えることとなった。保護者会に恵まれ、とても幸せな監督生活を送ることができた。子供(ご子息)が卒業した後でも、朝西野球への熱烈なる応援を止まなかった曽根現慎氏をはじめ、すべての保護者の方々に感謝の気持ちでいっぱいである。

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ブルースは12小節で終わる?

30歳まで走ろう。あっ、まだ走れる。ならば40歳まで走ろう。もうやめた。それから約3年間は、本当に走ることをやめていました。

2009年7月31日は、12年間も務めた米子商業高校(米子松蔭高校)の監督を退いた日でした(当時43歳)。その日から皆生海岸を走り始めました。その後、ホームグラウンドは浜寺公園に。

50歳まで走ろう。えっ、30代の頃とタイムが変わらない。とりあえず、55歳まで走ろう。あの日から12年間、月間100kmを目標としたランニングは続いています。

12回目のフルマラソン完走に向けて、準備は整いました。
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西瓜をいただきました

大阪は38℃。燃えるような暑さです。

今夜から北海道遠征・・・のはずでしたが、2年連続の中止に。大学三年生にとっては残念な結果となりました。いちども宗谷岬に連れて行ってあげることができずに無念です(一昨年は高校のみ稚内へ行ったのです)。
2019北海道遠征① : 朝西知徳のブログ (livedoor.jp)
2019北海道遠征② : 朝西知徳のブログ (livedoor.jp)
2019北海道遠征③ : 朝西知徳のブログ (livedoor.jp)
2019北海道遠征④ : 朝西知徳のブログ (livedoor.jp)
2019北海道遠征⑤ : 朝西知徳のブログ (livedoor.jp)

大学は、今日でテストが終わりました。明日から全体練習が始まるようです。高校は、夏の敗戦の翌々日から新チームとして動き出しています。

高校は9名で活動しています。熱中症にならないよう全体練習は3時間と決めています。給水は何回も何回も行っています。故障者が出ては、練習試合もできないからです。

隣のグラウンドから、西瓜(スイカ)をいただきました。
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柔道について

大学時代、体育実技(二年生)の「柔道」は必修科目でした。

「柔道」を担当していたのは、柔道部監督のイトウ先生(無差別級?)。イトウ先生は、私に「トレーニング・ノート」を書き続けることの重要性を教えてくれた方です。
大きな財産 : 朝西知徳のブログ (livedoor.jp)

「柔道」の終盤に、学生全員によるトーナメント大会が行われることは知っていたので、優勝を目指して授業を真剣に受けていました。優勝者には「初段」の推薦が与えられるからです。ところが、トーナメント大会では、高校時代に柔道部に所属していた友人に負けてしまったのです。

ふだんは物静かな友人(大学では運動部には入っていません)に、野球部で日々鍛えている私が負けたことは、かなりのショックでした。振り返れば、柔道の知らない私が彼に負けたことは、ごく当たり前のことなのですが、当時はそのことが分からず、悔しさがノートに綴られています。

私の気持ちを察したのか、イトウ先生から「オフシーズンに柔道部の練習に出てみろよ。鍛えてやるから」と誘われました。野球部がオフに入ると、約1ヵ月間、柔道部の練習に参加しました。そして、「初段」の推薦をいただきました。

翌冬のオフシーズン(三年生)にも、トレーニングの一環として柔道部の練習に参加しました。イトウ先生に「今度は二段の試験を受けてみたいです」と伝えると、イトウ先生は「受けるだけ受けてみろよ」と笑いました。

試験は、陸上自衛隊旭川駐屯地にて開かれました。全敗でした。イトウ先生の考えていたとおり、そう甘くはなかったのです。「負けた罰だ」とバスにも乗らずに、雪の降る8kmの道のりを歩いて帰ったことが懐かしく思い出されます。

今回のオリンピックで注目したのは、やはり「柔道」でした。「柔道」は、礼に始まり礼に終わる。その昔、ある大会で選手がガッツポーズをして勝利を取り消されたこともあったようです。他国の選手たちの姿を見ていると、「柔道」ではなく「JUDO」。イトウ先生に教わった「柔道」とは違うようにも見えました。

ウチのグラウンドには、「柔道」の精神が宿っています。
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