2025年10月
「高校野球監督よりも高校野球監督らしい大学野球部長を目指す」と初日に宣言しました。
復活! 背番号90 : 朝西知徳のブログ
2023秋 優勝争い
2024春 優勝決定戦進出
2024秋 優勝争い
2025春 優勝
2025秋 優勝・昇格
60歳までユニフォームを着ることができました。チーム成績も向上しています。高校野球部の監督を退いた甲斐がありました。
硬式野球部 入替戦を制してⅡ部に復帰 | 羽衣国際大学


翌日、高校時代の友人と「還暦同窓会」について打ち合わせをしました。湯呑みを贈ってくれた友人です。また、朝西紙相撲連盟の第4代横綱「龍馬伝」(優勝6回)を育てた水乃神親方でもあります。
友情 : 朝西知徳のブログ

帰りに高校時代の同学年の方が営む溝の口の「カメハチベーカリー」で、新幹線の中で食べるクロワッサンを買いました。とてもおいしかったです。

とりあえず「還暦同窓会」の会場は「ハトヤに決めた」。

調査のため、毎年「野球殿堂博物館(東京ドーム)」を訪れています。

館内の図書館には、自著『甲子園に至るまでの心の研究』が収められています。

長嶋茂雄さんの展示物です。


天覧試合でサヨナラ本塁打を放ったバットも飾られていました。


横浜へ足を延ばして、「スポーツ心理学」を受講する学生が出場する大会を観戦しました。写真撮影は禁止でしたので、会場の前で。
スポーツコースの信濃明梨選手 全日本学生テコンドー選手権で初優勝 | 羽衣国際大学

「正しい野球」「厳しい野球」の対極にあるのが、あのエンジョイベースボールをきっかけに多数派となった「楽しい野球」「自由な野球」です。ところが、「楽しい野球」「自由な野球」は、短期的に見れば良いのかもしれませんが、長期的に見ると誤った方向へ進んでしまうのでした。
系列高校の監督をしていたときに、世の中の空気に流されて、騙されて、迎合して、「楽しい野球」「自由な野球」を促す動きがありました。しかし、私は魂を売ることはせず、「正しい野球」「厳しい野球」を貫きました。そして、今でも少数派となった「正しい野球」「厳しい野球」を続けています。
怒りが原動力になりました。今回の昇格は、「楽しい野球」「自由な野球」への挑戦状です。

(試合前)「勝敗のカギを握るのは、昇格したいという全員の強い思いと、厳しい野球をしているという自覚だ。」
(試合後)「悔しいな。あえてこう言う。男なら明日の試合を絶対に取りに行け。悔しかったら明日の試合を絶対に勝ちに行け。」
【第2戦】
(試合前)「前から言っていただろ。入替戦は逆王手をかけた方が圧倒的に有利になるって。昨日のことは忘れて、明日のことは考えずに、今日の試合に集中しろ。」
(試合後)「よくがんばったな。正しい野球、厳しい野球を貫けば、負けるはずがない。明日は四年生のためにがんばるぞ。」

【第3戦】
(試合前)「正しい野球、厳しい野球を貫こう。信じて疑わずだ。四年生2名が大学野球を気持ちよく完走できるよう、今日は四年生のためにがんばろう。」
(試合後)「ココがゴールではなく、今がスタートだ。春の目標はⅡ部残留ではなく、Ⅱ部優勝だ。話したこと、書いたこと、考えたことは、そうなる確率を高める。春は優勝するぞ。学校生活・授業態度をもう一度見直すこと。」

「正しい野球、厳しい野球を貫こう。信じて疑わずだ。四年生2名が大学野球を気持ちよく完走できるよう、今日は四年生のためにがんばろう」。昨日の井畑監督の言葉を確認してから、プレイボール。

いきなり先頭打者に本塁打を浴びましたが、かえって1点を取られたことで、みんなの力みが消えたようです。
序盤は、相手投手に完全に抑え込まれました。しかし、2巡目に攻略法を伝えるとすぐに逆転。中押し、ダメ押しが決まり、9年ぶりの昇格を遂げました。「9年間よく我慢したな」。伊丹監督の忍耐力に拍手です。
四年生2名が走る沿道から、同学年の就活組3名が声援を送りました。四年生2名は「大学野球という名のフルマラソン」をみごと完走。ウイニングボールは、野球の神様が初めからそう決めていたように四年生(前主将)のグラブに収まりました。
試合後、前副将(四年生)から「朝西先生、お誕生日おめでとうございます」。今日は60回目の誕生日でした。「60歳なめんなよ(笑)」。選手たちから「昇格」という最高の贈り物をいただきました。

2日間、福井・若狭より球場に足を運んでいただいた桂田先生、ありがとうございました。

桂田先生には、高校野球部に続いて、現在は大学野球部を指導していただいております。
桂田先生 を含む記事 : 朝西知徳のブログ




そして、井畑監督。


早朝6時に米子を発ったそうです。9時半から始まった0回の攻防(シートノック)から、ゲームセットまで見守っていただきました。私は見守られているという安心感から、いつもより元気にベンチから声を出すことができました。

試合後は、井畑監督より「正しい野球、厳しい野球」について、大いなる勇気を授かりました。
寄稿 井畑浩次監督から学んだこと | 日本海新聞 NetNihonkai

入替戦は、1勝1敗。明日は、四年生2名のために戦います。
悔しい悔しい悔しい逆転負けを喫しました。やはり入替戦は、難しいものです。
徳俵に足はかかりましたが、今日も無失策と自分たちの野球は続いていますので、明日の選手の奮起に期待したいと思います。

大阪へ来てからは、3度目の「城崎にて」です。

町中を歩いていたら「朝西先生」と呼び止められました。約14年ぶりの再会でした。
教育の成果 : 朝西知徳のブログ
「高校時代は、とても怖かった」と伝えられました。本当に偶然の出会いでした。

約1年前、母校(大学)野球部のOB会長を務めるKさんから大学に電話が入りました。Kさんは4学年上の先輩で、私が大学一年生のときは助監督として、監督を支えていました。
全盲の闘将 : 朝西知徳のブログ
「朝西、旭川ハーフマラソンに出たんだって」「はい」「こっち(帯広)でもハーフマラソンやってるからさ。朝西、出るんだべ?」。
2024旭川ハーフマラソン : 朝西知徳のブログ
かって、大学四年生(21歳)、大学院一年生(29歳)のとき、同じくKさんに勧められて「豊頃町サーモンマラソン(フル)」に出場しました。宿泊と食事はKさんの実家にて。さらに温泉やバーベキューの「おもてなし」もありました。
先輩のこと : 朝西知徳のブログ
「出るんだべ?」というのは、「出場しますか、それとも出場しませんか」と尋ねられているのではなく、「必ず出ろよ」という意味だと理解しました(笑)。
「もちろん来年 走ります」「そうか、待っているよ」。約30年ぶりに「十勝」を走ることになりました。

予約していたアルバム(CD)『Seiko Diamond:Karuho Kureta Works』が届きました。すべての曲が呉田軽穂の作曲です。そして、収録14曲のうち13曲が松本 隆の作詞です(残り1曲は松任谷由実)。
高校・大学時代に聴いた曲ばかりです。
Seiko Diamond -Karuho Kureda Works- | 松田聖子 | ソニーミュージックオフィシャルサイト
前任校の監督時代、12年間マイクロバスのハンドルを握りました。車中でいちばん多く流した曲は、松田聖子の歌でした。

入替戦の難しさを何度も伝えています。「妥協するな」。小さな怠慢を見逃さずに厳しく指導しています。
勝敗の責任を負う立場ではありませんが、今のメンバーには上位リーグでの戦いを経験してもらいたいと考え、「絶対に昇格するぞ」と繰り返し叫んでいます。
正選手の一年生6名には、控えの上級生の立場を考えるよう叱りました。「試合に出ている一年生がきちんとしないと、チームがガタガタになるぞ」。
井畑監督の教えを伝えています。「信じて疑わず」「野球は人間が得点となる。だから人間を鍛えなければならない」。
大声で叫びました。「ゆるい世の中に負けるんじゃねぇぞ。もっと厳しくやれ。自分たちが信じた野球をやり通せ」。
一年生のゼミにて伝えました。「大学の部長だけど、中身は高校野球の監督だ」。
大人をなめるな! : 朝西知徳のブログ
57歳の誕生日 : 朝西知徳のブログ
指導者のチームワークがよいチームは、選手のチームワークもよいものです。選手たちは、指導者の関係性をよく見ています。選手にチームワークの大切さを教えるためには、まずは指導者がチームワークをよくしていく必要があるでしょう。
竹之内総監督、伊丹監督、私は、それぞれ歩んできた道のりや年齢は全く異なりますが、互いの立場・役割を理解・尊重しているため、16年間 一度たりともチームワークを乱したことはありません。

現在は、福岡に勤務しています。

一年生の春から四年生の春まで、主将として、正二塁手または正遊撃手として、ずっとチームを支えてきました。HAGOROMOユニフォームが似合う男でした。
サンドウ先生 : 朝西知徳のブログ
また、2018年度の高校野球部の創設に最も尽力した学生でもありました。
2018北海道遠征⓪ : 朝西知徳のブログ
甲子園の匂いを感じて : 朝西知徳のブログ
秋空の下で : 朝西知徳のブログ

「野球部活動を通じた高大連携の試み」が終了したことを伝えると無念の様子でした。彼らの誠意がなければ、高校野球部の創設はありえなかったのですから。そのことをどれほどの人が覚えているでしょうか。
今シーズン最初のレースです(通算115レース目)。また、50代最後のレースでもありました。2時間未満という目標を立てて挑みましたが、最大の敵は暑さでした(ゴール時の気温は26℃超)。
給水を小まめに行い、1時間57分28秒(スタート地点までのロスタイム約20秒を含む)で無事に完走。シャツや短パンだけでなく、靴下やシューズまで、びしょ濡れでした。

「練習は嘘をつかない」。夏休みに粘り強く練習をした成果が出ました。「2024おきなわマラソン」にて、25℃の暑さと戦いながらフルマラソンを完走した経験も活きました。
この大会は、ニックネームをつけて走ります。私は、「日本海新聞」の記者から贈られたニックネームを大切にしています。ホームページのタイトルも「生涯熱血貫」のままです。
生涯熱血貫 : 朝西知徳のブログ

客観的に見ると、どちらも負け試合です。その負け試合を勝ち試合に結びつけられたことが、チームとしての大きな成長だと感じています。
最終戦は、勝っても負けても順位には影響がありませんでした。「このリーグ戦で最も大切なのは、この試合だ。この試合を全力で戦おう」。
最終戦は、意図的に厳しい言葉をかけ続けました。「勝つ気があるのか」「自分がやってきたことに誇りを持て」「そんな野球で昇格できるのか」。
令和の時代だからこそ、根性は必要です。

「優勝」に関して、大学HPにて紹介しました。
硬式野球部 2025秋季Ⅲ部リーグ戦「優勝」 | 羽衣国際大学
序盤(3回まで)は、3-3と苦しい展開。「優勝が決まっているからといって、気を抜いて戦ったら許さんぞ」。中盤に一挙5得点、終盤に3得点。中盤以降は無失点に抑えて、11-3でゲームセット。7勝1敗(計5失策)でリーグ戦を終えました。
高校野球より高校野球らしい大学野球を貫いて、2季連続の優勝(10度目)。組織力・徹底力・精神力の勝利だと私は理解しています。攻守交代の全力疾走の順位も楽しみです。

10/22(水)~24(金)入替戦に出場します。チームとしては15度目。春は、一年生が多いこともあり、「第5節(リーグ戦の延長)のつもりで気楽に戦え」と助言しましたが、今度は別の言葉を授けました(それは秘密です)。
逆転優勝 : 朝西知徳のブログ
硬式野球部 冬の鳥取合宿2023 | 羽衣国際大学
たしかに「重要な5つのアウト」を一発で取ることを意識すると、接戦に強くなるという変化が生まれました。
明日は、秋季リーグ最終戦。入替戦に優位となるような試合展開を期待しています。
野球の競技人口は減っているのに、観る人は増えているのです。若さが持続できるという「推し活」も影響しているのでしょうか。
少年時代には、後楽園球場、川崎球場、神宮球場をよく訪れましたが、観客のほとんどがサラリーマンであり、その光景を思い出すときにはビールと煙草の匂いと野次の記憶がついてまわります。
先日、エスコンフィールドHOKKAIDOへ行ったときには、ボールパークがライブ会場のようでもあり、テーマパークのようにも思えました。女性や子供の姿が多く、昭和の頃の野球場とは別の場所に来ているようでした。
観客は、野球のプレーや勝敗を見に来ているというよりも、雰囲気を楽しんでいるようにも見えました。いつもの癖で、内野の守備隊系がどうだとか、何で全力で走らないんだと考える私には、ボールパークよりも野球場が相応しいのかもしれません。
南海本線・なんば駅の目の前に、南海ホークスの本拠地であり、「江夏の21球」の舞台となった大阪球場がありました。その野球場に一度も足を運べなかったことを今とても悔やんでいます。
エスコンフィールドHOKKAIDO : 朝西知徳のブログ

もちろん「持ってません」です。きっと、面倒くさいから嘘を言っていると思われていることでしょう。「本当に持ってません」。
持ってません : 朝西知徳のブログ
嘘だと思われないよう、最近ではそういった視線を浴びると、早足に立ち去るようにしています。
大学では教育懇談会(保護者会のようなもの)が行われており、急遽そちらに加わりました。野球部の保護者の方と面談を行いました。
「今年の夏は特別に暑かったです。しかし彼は、一度も休むことなく、一度も倒れることなく、この暑い夏を乗り越えました。それだけで大したものです」
いろいろな理由を見つけて練習を休もうとする学生がいることは事実ですが、その中で皆勤を続けるのは決して容易なことではありません。
かつて父親が毎年 受講していた講座です。今回のテーマは「Reborn リボーン:昭和100年、未来への共創」。9月下旬から12月上旬にかけて、6名の講師が担当します。
私は、11/29(土)に「高校野球という名の青春映画:昭和、平成、令和を通じた人間教育」という演題で、9年ぶり(3回目)に登壇することになりました。
一般公開講座 : 朝西知徳のブログ
パンフレットに掲載された講座紹介文です。
昭和から平成、そして令和の時代になっても、高校野球は注目を集めています。春と夏に開かれる甲子園大会では、国営放送がすべての試合を中継し、大手新聞社は詳細な結果を伝えます。
甲子園出場こそが、高校野球監督としての成功であると考えていた時期があります。「甲子園に行きたい」。ただそれだけの思いで、大学を卒業してからの人生をしばらくは歩んでいました。幸いにも、監督として「野球留学生ゼロ」で夏の甲子園出場を果たしましたが、同時に何ともいえない喪失感や虚無感を抱くことにもなりました。甲子園は高校野球の一側面にすぎなかったからです。
マスコミは、甲子園に多く出場した監督を取り上げ、その指導力が優れているような伝え方をします。しかし、グラウンドに立つことよりもスカウト活動に力を注ぎ、野球留学生を集めて強くしている監督も少なくありません。こういった姿勢は、「高校野球は教育の一環である」という理念から逸脱しています。
学校経営のために、監督の名声を高めるために、高校野球を利用する卑しいやり方は、やはり教育とはいえません。苦し紛れに「教育」を掲げても、「看板に偽りあり」というケースが目立ちます。高校野球監督は、経営者や技術指導者ではなく、あくまで教育者であるべきです。
甲子園に出場できなくても、選手と真剣に向き合い、野球留学生もとらず、ごく普通の選手の力を伸ばしている素晴らしい監督と数多く出会いました。自らのメンツのためではなく、純粋に選手の成長を願う監督こそ評価するべきでしょう。高校野球監督としての成功の基準は、甲子園に出場できたかどうかではなく、選手を人間として成長させることができたかどうかです。この大切なことを甲子園に出場して初めて知りました。
昭和63(1988)年3月に大学を卒業してから、およそ高校または大学野球部の監督を務めてきました。現在は、本学野球部の部長として、高校野球を経験した学生を預かる立場から、静かに高校野球を見ています。
高校野球監督は「高校野球という名の青春映画」を創る映画監督です。本講座では、高校野球監督として経験した心温まる出来事(選手の成長)をいくつか紹介し、高校野球を通じた人間教育の重要性について述べたいと思います。














