July 19, 2010
サイト、引越します。
永らくこちらのサービスを利用させて頂いたのですが、今度から下記のサイトでいろいろと更新していきます。
またダジャレのような名前ですが、どうぞよろしくお願いします。
moshimotion
http://moshimotion.wordpress.com/
またダジャレのような名前ですが、どうぞよろしくお願いします。
moshimotion
http://moshimotion.wordpress.com/
June 05, 2010
【創造行脚】 239歩

「形にしないワークショップ」 (その2)
若者の防災意識啓発、防災力向上のためにできること
建築、デザイン、都市計画、社会学など異なる分野で活動する20代、30代の若者が防災意識の向上について考えてみる。A、B、Cとチーム別に分かれ、初回はメンバーと顔合わせと意見交換を行い、中2週間WEB上でやりとりをしながら公開プレゼンテーションの準備をするというかなり強引な企画。しかも勤務時間外に作業を行わなければならない。主催されたプラスアーツも、実験的な内容であるからどんな結果でるか楽しみだとういう。ひょんなご縁で、私も参加することになったのでした。
Aチームからプレゼンテーションがはじまる。「そもそも防災意識」って?という問題からはじまり、経験値、物質、知識といった総合的な要素で構成されているのが防災意識になっているのではないかという結論から、さまざまな提案へと移行していく。アウトドア、防災カプセル、四コマ、バレンタインや母の日の贈り物、脱出ゲーム、サバイバル、伝書鳩、身ひとつ、といったキーワードが散りばめられた画面から、可能性を模索するような発表だった。オブザーバーをはじめ、「身ひとつ」に対する賛同者も多かった。身体を道具として使う、防災モジュールというのもありかもしれない。


ワークショップの総括では、全チーム似通った提案を予測していたが見事に裏切られたことは、本当に驚きだったという。そして、防災意識を楽しみながら日常へとじんわりと浸透させる姿勢が共通していたという指摘があった。プロダクトをデザインすることが最終目的であるなら、結局そこからしか出発することができなかったであろう。今回のように問題そのものを捉えなおし形成されたアウトプットは、実にのびのびとしていることに気づく。あえて『形にしないワークショップ』としたことで発想自体がより自由なものになってくれたことは、主催者したプラス・アーツの永田さんはじめ多くの参加者にとっても新鮮な発見であり、今後も展開していきたいという。
私が参加したBチームは、誰が抜けてもプランが成立しなかったであろう絶妙なバランスがあった。短い期間だったけど、個性溢れるメンバーとのやりとりを思い出すだけで、今でもちょっと笑えてきたり。
May 30, 2010
【創造行脚】 238歩

「Life-日常から感じる世界とのつながり-」
命と深くかかわる衣食住からの視点からできることを考えてみる。ジャンルの異なる多彩なゲストを迎え日常をとらえなおしてみる。
ゲスト:
古屋典子(外務省・地球環境大使夫人)
池上清子(国連人口基金東京事務所所長)
北島大太朗(日本緑茶センター株式会社取締役)
生駒芳子(ファッション・ジャーナリスト)
古屋典子さんは、外務省・地球環境大使夫人として7カ国に滞在した経験の持ち主。南アフリカ大使夫人という肩書きに個人としての存在のなさに戸惑いながらも、できることを一生懸命してきた食卓でのおもてなしの心が好評を得て、新たな活路へと繋がった。報道とは裏腹の南アフリカの美しい自然、そして途上国の子供たちの健康向上のための「手を洗おう会」の活動などを丁寧に話される。ふっと感じるプラスの空気をキャッチすれば、人生をより豊かにしてくれる貴重な出会いが待っていると気づいたという。柔軟にそして色々な価値観を持つ人との出会いを大切にしてほしいという力強いメッセージを頂く。
国連での豊富な経験を踏まえながら、世界の人口問題を分かりやすく解説してくれた池上清子氏。社会問題とされる先進国での少子高齢化社会、途上国では人口爆発による森林伐採や飢饉などは、人口のバランスが大きく左右している。人口問題対策として一番重要視されるのが、増加、減少といった数量ではなく、「社会を構成する一人ひとりの人間が、どこでどのように暮らし、どう子供を産み育てるか」(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)を守り、自由と意思によって子育てができる環境を整えることが大切だという。そして、途上国において人口問題と直接関わる妊産婦の劣悪な状況は時代を経ても、医療環境、社会的地位、サポート体制などの改善がなかなか難しいという。家族計画、母子の健康が人口問題の解決策のひとつであれば、未来を牽引していく先進国が率先して政策にもっと目を向ける必要があるという。だからこそ、税金の使い方にもっと注意深くなってほしい、そして選挙へ参加することが実は世界と繋がっているという説得力のある決めの一言は見事でした。
北島大太朗さんは、緑茶、ハーブティーなどの嗜好品の事業を展開しながら、まだBOPという言葉取りただされる以前からモロッコでの女性自立のための対策として行っているアルガンオイルの活動の紹介をする。「美白」「メタボ対策」をしながら、社会的貢献や砂漠の緑化にも寄与している女心や男心をくすぐる優れた商品。何も特別なことをしなくとも、社会貢献はできるという。

「実は、子育てが一番の社会貢献なのよ」
とチャーミングな笑顔とともにグッとくるメッセージが心に響く。
異なる分野のゲストの方々だが、生活を営むという視点では見事に響き合うものあった。社会貢献と肩に力を入れなくとも、意識を少し遠くまで広げ、人との関わりを大切にし、一日一日を丁寧に暮らすことが自然と未来を創っていくという、当たり前でおろそかにしがちなことを再認識するのでした。
May 29, 2010
【創造行脚】 237歩

「現地の生活環境に配慮したデザイン開発」
東京造形大学でサスティナブルプロジェクト専攻領域で教鞭をとる益田教授によるワークショップ。興味と意欲さえあれば実際に渡印視察も可能だとか。




May 23, 2010
【創造行脚】 236歩

「形にしないワークショップ」 (その1)
若者の防災意識啓発、防災力向上のためにできること
地震EXPOやEXIT TO SAFETY展でお世話になったプラス・アーツによるワークショップ。参加者が各ジャンルから招待される形式になっているので、参加したくとも自分が参加できるとは思わなかった。しかし、みかんぐみの曽我部さんから「こういうワークショップがあってさ、興味あるなら参加してみない?」と連絡を頂く。すぐさま参加のご返事をする。人生のご縁やタイミングとは、なんとも不思議なものですね。
今回のワークショップでは、あえて「形にしない」ということを前提にしている。デザイナーが集い何かの成果としてアウトプットする企画にしてもらいたいと要望があったが、もうすでにプロダクトデザイナーの深澤直人氏、グラフィックデザイナーの佐藤卓氏などそうそうたるメンバーが審査員を務めた『防災グッズコンペ』、各ジャンルのデザイナーが防災に関するプロダクトを提案した『EXIT TO SAFTY』(アクシスギャラリー)などを手掛けている経験があるからである。時間的制約などを考え、内容の薄い結果になるだけであれば、発想の枠を取り払い自由な対話を行う方が面白いし実験的だ、ということに至った経緯がある。
20代、30代のアート、建築、デザイン、都市計画、社会学、経済学といった分野から3~5名が選ばれ、3チームに分かれ議論を進めていく。2回に渡る全体会議が設けられているが、実質初回に顔合わせ、2週間遠隔でのやりとりをし、次の回でプレゼンテーションをするという、かなり無理のある内容。ですが、このような制約が逆に面白いのかもしれない。震災についての現状データやこれまでの活動内容を把握しておくために、事前にプラス・アーツ側から資料が送られている。イザ!カエルキャラバンや寄藤文平さんの地震イツモノートなど。
私はBチームに所属し、メンバーの方と議論をしていく。といっても固苦しくなく、フラットでおしゃべりのようなやり取りの中にアイデアが幾つも飛び出してきた。とても良い感触のする方々とのやりとりは、一体どこへ向かうのか楽しみです。

人が一番面白いのかもしれない。
May 22, 2010
【創造行脚】 235歩

「南北問題を考え、世界の構造を体感してみるワークショップ」
ワークショップ前半、世界の貿易構造を鋭くついた「貿易ゲーム」を参加者全員で体験する。ゲームとはいえ、よく考えられた内容に目からウロコが落ちる。後半は、活動するNGO団体の方々によるプレゼンテーション。展覧会場でもプロダクトを展示しているプラン・ジャパン、ジュレーラダックや、シャンティ国際ボランティア会の活動など、実際に行っているだけあり説得力のあるものだった。

変動するマーケットや紙資源を持っているチーム、分度器やハサミなどの道具をたくさん保有しているチームがあることが分かる。いくつかのチームが同盟を組んだり、マーケットから情報がよく流れているチームなど、みんな夢中になるほどに情報やコネクションを保守するようになる。ゲーム時間終了後、チーム内にある現金を計算し発表する。驚いたことに、一番多くのお金を保有しているチームは、マーケットから価格変動する前に情報を得ていたり、取引も他のチームよりも優遇されたことが発覚した。
配られた封筒、情報や仕組みなどに世界市場を反映させた事柄がぎっしりと詰まっている。参加者の多くがゲームに取り込まれてしまい、お金に我を見失ってしまったことなど、気づかされたことがあまりにも多くみな驚きを隠せない様子でした。お金を稼ぐことが全てなのか、ゲームの前に大領領が話し合うことは可能だったのか、一体、本当の問題はどこにあるのかなど、話題は尽きないのでした。

May 18, 2010
【創造行脚】 234歩

Practical design to Reduce Poverty
デザイン思考が生み出すイノベーションとは?
カンファレンスでもスピーカーを務めた、Ilona de Jongh 氏によるワークショップ。
↑廃タイヤを使用した教育プログラム「Learning Landscape」
前半は、彼女がこれまで取り組んできたプロジェクトや、その中で培われた考えを紹介する。デザイナーが素材を選び、生産プロセスに関わることで大きく世界の構造を変えることができる。問題は、ごく身近なところでも、見つけることができる。ホームレスはNYにも東京にもいるし、肥満予防もデザインを通じて伝えることができる。綿密なリサーチ、技術、発想、教育、アート、食、いろいろな事柄を組み合わせプロジェクトにしてしまう力は、本当に圧巻です。
後半は、実践篇。今回のワークショップ用にアレンジされた「Learning Landscape」は、等間隔に並べられた椅子の座面に世界各地の首都が書かれた紙が置いてあるものだった。二つのチームに分かれて、椅子取りゲームのように一人づつ対戦型で争奪戦が開始される。「エジプト!」と叫ばれ、いちもくさんに「カイロ」と書かれた紙の椅子に突進する。我を忘れてみな興奮してしまう。参加者全員が和むのにさして時間はかからなかった。

「デザインは力強い可能性を秘めている」
と信じる彼女の取り組みの意味が見えてくるのかもしれない。「今回の体験を経験だけで終わらせないで、実行に移してほしい」という宿題が与えられる。
以前から、さまざまな分野の人がゆるやかに繋がり、お互いに強みとする智恵や経験、ネットワークを活かしながら未来を創っていくプロジェクトの形を思い描いていた。そんなこんなで、提案してみました。
個々に繋がるのも大切だけれど、この向上心溢れる繋がりを断ち切らないように、今回ワークショップに参加した人たちのコニュミュニティーを創るというのはどうだろうか?ひとりじゃ何もできないけれど、たくさんの人が協力すればきっと未来を創る力になる。ここだけで閉じるようなコミュニティーではなく、どんどん広げていきたいと考えております。みなさんは、どうでしょうか?
意外と口に出すと、「待ってました」というたくさんの賛同者の声に驚く。
小さくて、大きな一歩を踏み出せたのかもしれない。
デザインは、形を操作するだけのような狭い意味ではなく、
心や生活を豊かにする未来を創り出す可能性だということですね。
ご興味のある方はこちらまで↓
designchangetheworld@gmail.com
May 17, 2010
【創造行脚】 233歩

「Practical design to Reduce Poverty
社会・経済・環境に相互利益を生み出すデザインとは」
カンファレンスのスピ−カーでもあったデルフト工科大学のJan氏らによるワークショップに参加。通常3日間かけて行われるものを5時間まで短縮し、1つのプランまで落とし込むという挑戦的なものだった。チーム内には、起業家、リサーチャー、エンジニア、NGOの方など、今までお会いしたことのないタイプの方々ばかり。はじめての共同作業は楽しく、絶え間ないやりとりに興奮すら覚えていた。
【 概要 】
本ワークショップでは、以下の2つの事例を通じ、顧客のニーズ、新しい価値の創出、コンセプション、事業モデルと市場定義の策定を通じて、統合的な商品開発イノベーションプロセスの紹介します。
・インドにおけるヘルスケアの事例
・カンボジアにおける再生可能エネルギーの事例
途上国の課題を理解し、先進国で使われている技術・機能・素材をいかに途上国の課題解決やサステナブルデザインに転用できるのでしょうか?
現地でリサーチをしていないため、与えられた情報でプランを組み立てなければならないのだが、このシュミレーションを行うことで、何を気をつけなければ行かないのか、どこが重要なポイントになってくるのかがおのずと見えてくる。メンバーの発言や提案は、結局はその人の経験と人となりと重なる。こうした気づきも、このワークショップの醍醐味なのかもしれない。人とは、実に興味深いものです。
May 16, 2010
【創造行脚】 232歩

Design Innovation
〜世界を変えているデザイナーたち〜
Philip社、オランダのデルフト工科大学の意欲的な活動、そしてパワフルかつ茶目っ気たっぷりのIlona氏に魅せられしまう。若干25歳だとは思えないほど、明晰な思考と行動力をもった女性だ。当事者から実際に話を聞けるのは、日本発ではないだろうか。現場を踏まえた上で提案される様々なプロジェクトは、思考のボトルネックを取り払いアイデアをより自由な領域へ誘ってくれる刺激的な魅力に溢れていた。
■■■■■■■■■01■■■■■■■■■
「Lighting the World ─インハウスデザイナーが創出するニューマーケット」
スピーカー:Frank Altena氏(Sustainability Director, Philips Lighting)
【概要】
Philipsは、2000年代より発展途上国をターゲットとした製品開発に取り組んできた。エネルギー効率の高い「光」のプロダクトを開発することで、生活改善、環境配慮、企業価値の創造を実現。フランク・オルタナ氏が、企業内デザイナーだからこそできる、デザインプロセスを語る。
■■■■■■■■■02■■■■■■■■■
「エマージング・マーケットにおけるデザインの可能性」
スピーカー:Jan Carel Diehl氏(デルフト工科大学
D4S(Design for Sustainability)プログラム助教授)
【概要】
発展途上国の人々と協働し、エンパワーすることで生まれるデザイン。カンボジアで活躍するkamworks(カムワークス)やアフリカの現場での事例を交えながら、エマージング・マーケットにおいて必要な「デザイン」の最前線を紹介する。
■■■■■■■■■03■■■■■■■■■
「デザイナーができること ─DESIGN CAN CHANGE THE WORLD」
スピーカー:Ilona de Jongh氏(Sprout Design)
【概要】
「デザイナーには世界を変える力がある。デザイナーが素材を選び、設計することで生産プロセスが変わるのだから」と語るプロジェクトデザイナーのイローナ氏。彼女が全世界で、さまざまなプロジェクトを推進するなかで、感じたことを語る。
May 15, 2010
【創造行脚】 231歩

UNDERSTANDING ''EMERGING MARKET''
〜エマージング・マーケットの現状を知る〜
出席したカンファレンスのご報告を随時していきたいと思います。とてもすばらしいプレゼンテーションでした。
■■■■■■■■■01■■■■■■■■■
「現地プロダクトの流通、その生態系を語る
ー22か国96万人に生きる希望を与えてきた義足」
スピーカー: Devendra Raj Mehta氏(BMVSS創設者)
【概要】
インドには550万人の四肢切断者がおり、毎年2万5,000人が病気や事故などの原因で手足を失っている。義足の価格は米国では平均8,000ドル。それに比べてジャイプール・フットは約30ドルで製造される。低コストかつ短時間で製造可能なジャイプール・フットの開発から製造・流通の経緯を語る。
■■■■■■■■■02■■■■■■■■■
「現場の生態系を考え、未来をつくる企業戦略
ー小規模農業者の収益を10億ドル向上させてきたIDE」
スピーカー:Michael Roberts M.S. 氏( IDE | Cambodia )
【概要】
足踏み式ポンプやドリップ灌漑システムを製造・流通を通じて、小規模農家を支援してきたIDE(国際開発エンタープライズ)。アジア、アフリカ諸国の小規模農家に対し、サステイナブルなビジネスモデルを構築してきた経緯を語る。
May 14, 2010
【創造行脚】 230歩

デザインの可能性を探るとても良い機会です。多摩美術大学の広報、学部長にも呼びかけ、学科を超えたくさんの学生に告知してもらうようお願いをする。カンファレンス、ワークショップもとても充実した内容になっております。BOPに対する試みの意見は賛否両論ですが、環境とデザインの関係性を考える上でも重要な事柄が隠れているのは確かなようです。
『世界を変えるデザイン展』
若き日本人活動家らが主体となり各国を巡り、開発者、研究者など様々な支援者を巻き込み実現化した意欲的な展覧会。途上国の貧困層は世界総人口の約70%を占めるといわれ、現地での生活向上のためにと開発されたプロダクトやプロジェクト約80点が紹介されている。実際に成果を挙げている製品に焦点を絞り、関係者の生の声が聞ける貴重なプログラムも見逃せない。人間や自然環境にとって、何が成功で失敗といった判断ができる状況ではないからこそ、分野を越えて広がる運動体としてのデザインの可能性を一緒に探ってみたくなる。
(渡辺ゆうか★★★★1/2)
【会場と会期:2会場の会期は異なります】
■東京ミッドタウン・デザインハブ(港区赤坂)
5月15日(土) - 6月13日(日) 11:00 - 19:00
共催:東京ミッドタウン・デザインハブ
■アクシスギャラリー(港区六本木)
5月28日(金)- 6月13日(日)11:00 -19:00(最終日は17:00まで)
共催:アクシスギャラリー
公式サイト:http://exhibition.bop-design.com/

私自身、1ヶ月前の身体の状態では長時間動き回ることができなかったが、回復の度合いが上手く会期のタイミングと一致したのは、偶然のようで必然のようにも思えてくる。
実は、曽我部さんからも同展覧会で開催されるワークショップに参加しないかと連絡を頂いていたので、なんとも不思議なご縁だとしみじみ思っておりました。
もちろん、喜んでお引き受けいたしました。
May 05, 2010
【創造行脚】 229歩

題名:見えない音、聞こえない絵
著者:大竹伸朗
(2008/新潮社)
著者にとって描く事、何かをひたすら貼付けること、そして言葉と言葉を繋ぎあわせることもすべて同一線上の行為にある。一般的な時間とは別に、五感の響き合いだけでしか進めることができない自分時間が少しずつ進行していく。晴れなかった頭の霧が少しだけ薄くなった心持ちになる。より効率的に、無駄なく快適にといった「退化する進化」の生活様式からポロポロとこぼれおちる大切なことに、もっと目をこらし、耳をすませてみたくなる。
楽しいことはこの世にたくさんある。あり過ぎるほどある。いろんな経験を積み、さまざまな価値観を持つ人々と話をすること。そんな出会いがとてもなく重要であることももちろん理解できる。しかしそこには自分が絵を描くことで感じる「時間感覚」はない。
その「時間」が流れない限り、何か空しい。その「時間」を感知し続けることでのみ「時間」を意識できる。好きな絵に出会った時はその瞬間内側に確かな時間感覚を覚える。
(p.278)
人生の幸福の差異というのは、その人その人の感性の「時間」にどれだけ触れることができるかで変わってくるのかもしれない。日常のささやかなことでも丁寧に自分で探し当てた時間をきちんと持っている人は、男女年齢国籍問わずやはり魅力的ですね。
May 04, 2010
【創造行脚】 228歩

題名:ちきゅう ぐるぐる
著者:山本浩二
絵:子どもたち
(2004/金沢倶楽部)
10才にもみたない巨匠たちにただ驚くばかり。凝り固まっていたココロを、解きほぐしてくれる。描くことが気持ちの痕跡を現すのだと気づけば、作品は技術を超えたものになっていく。
成長を始めたばかりの子どもたち。その心の世界はまだ小さくて幼い。しかし、子どもたちの理解する言葉で物事の本質を伝えることができた時には、奥深い表現が可能になる。用意された答に自分を近づけようとするのではなく、答が自ら内にあると気づいた時、子どもたちは奥深い表現を始めるのである。それは直感的、感覚的であるばかりでなく、知的でさえある。私たちが技術的な稚拙さや、見せ方の不器用さにだまされずにその真価を見出すことができれば、その知性の、歴史と時代意識に通底していることの意味が理解されるだろう。美術は深い所でつながっている。子どもたち、美学生、画家は、同じ地下茎から生まれた一本の樹である。そして、その表現されたものを楽しみ、時に精神的な影響を受ける人々もまた同じ土の中から生まれた。歴史は、過去も現在も未来も1つにつながっている。
今日も明日も、地球はぐるぐると回っているのである。
私はそのことに気づくのに20年の時を要してしまった。それは私の心が開かれていく過程そのものだったが、数えきれない失敗の後に分かった事は、全ては子どもたちに訊けば良いという事である。おもならず、また高飛車にならずに心の奥底を引き出すことができた時には、私たちは新鮮な体験をすることができるだろう。そこには簡素で幼い知識の中で、必死に掘り下げようとしている子どもたちの精神の真実がある。私たちのすべき事は、到達し得ない高い次元を自分もまた夢見ることであり、その事について語り、共に仰ぎ見る場所にたつことである。人に教えるという事が知識の伝達に終止するなら、教え子は皆、教師の矮小化されたコピーとなるだろう。高い理念と精神の遊びが伝わった時、初めて子どもたちは大きなエネルギーを噴出して、悠々と私たちを超えてゆくのである。
山本浩二
(本著より抜粋)
May 03, 2010
【創造行脚】 227歩

題名:アッキレ・カスティリオーニ
自由の探求としてのデザイン
著者:多木陽介
(2007/AXIS)
カスティリオーニの世界観が、見事にまとめられている。通訳としてデザイナーと関わり始めた著者の文章力もこれまたすばらしい。プロダクト、照明器具、展示空間、建築と多岐に渡る活動が詩的な解説で綴られ、ストーリーテラーとして次々と飛び出すモノや空間。もっと自由に、そして日常を見つめる眼差しの大切さをユーモアを交えて教えてくれる。本の装丁に思わず笑みもこぼれてきたり。
この文章の締めくくりに読者に一つ提案がある。カスティリオーニのつくった物やプロジェクト(デザイン)にある古典としての価値を見い出すために、カルヴィーノがその著作『なぜ古典を読むのか』の中で挙げている、ある本を古典と言えるためのいくつかの条件を定義する文のなかの「本」「書物」という言葉を「物」あるいは「プロジェクト(デザイン)」という言葉に置き換えて読み直して欲しいいのだ。いかにいくつか例を挙げる。
1.
古典とは、読んでそれが好きになった人にとって、一つの豊かさとなる本(物)だ。しかし、これをよりよい条件で初めて味わう幸運にまだめぐりあっていない人間にとっても、おなじくらい重要な資産だ。
2.
古典とは、忘れられないものとしてはっきり記憶に残るときも、記憶のなかで、集団に属する無意識、あるいは個人の無意識などという擬態をよそおって潜んでいるときも、これを読むのにとくべつな影響をおよぼす書物(物)を言う。
3.
古典とは、最初に読んだときとおなじく、読み返すごとにそれを読む事が発見である書物(物)である。
4.
古典とは、初めて読むときも、本当は読み返しているのだ。
5.
古典とはいつまでも意味の伝達を止めることができない本(プロジェクト/デザイン)である。
(古典としてのアッキレ・カスティリオーニより)
「デザインというのは一つの専門分野であるというよりは、むしろ人文科学、テクノロジー、政治経済などにおける批評力を個人的に身につけることから来る態度(世界や仕事に対する取り組み方)のことです」
(p.20)
May 02, 2010
【創造行脚】 226歩

題名:身体知
著者:内田樹 x 三砂ちづる
(2006/バジリコ株式会社)
頭で分からないことでも、身体に聞いてみると素直に答えが出ることがある。ああ、これはやっぱり信頼できる感覚なんだということを改めて実感できます。飾らない言葉で物事を見据える二人のやりとりの中に、たくさんの智恵が溢れている。進歩が退歩に思えたり、右脳でする出産を体験してみたくなるのは、決して私だけではないハズ。身体で知ることを知れば、不思議と心も軽くなる。気持ちいい人生、なんだか考えただけで幸せな気分に。
セックスするまでもなく、男と女はいっしょにごはんを食べるだけで、いっしょにいられる人かどうかはわかるんです。うまくゆかない相手とだと、ごはんの味がしないから。「味がしない」ということは、「この人といっしょにいても、あなたの心身パフォーマンスは上がらないのです」って身体がシグナルを送ってきているわけですから。いくら頭が「いっしょにいるほうがいい」というメッセージを送っても、消化器のほうが「いやだ」って言っている。だから、食事の時のたわいないことをしゃべっていても、やたら食が進んで、「おかわり」と言える時は、身体が「この人とは相性がいいよ」って教えてくれているんです。
(p.52)
辺見庸さんも似たようなことをおっしゃっていたような。
男女間だけではなく全てのコミュニケーションにおいて、身体感受性が高くなるということは良い判断力がつくとも置き換えられるのでしょうね。モノと人、空間と人との関係性も、もっと身体感受性が重要視されるべきだと感じてしまう。
21世紀のキーワードは、「おかわり」ですかね。
April 29, 2010
【創造行脚】 225歩

題名:写真集 歌舞伎座
著者:安斎重男
(2009/松竹株式会社)
新しく生まれ変わる前にどうしても体感しておきたかった場所。願えば、叶うのですね。舞台と大向うと呼ばれる人たちとのやりとり、衣装、舞台、擬音、花道、所作など、さまざまな要素が絡み合い生み出される空間が歌舞伎だというのを実感する。通常は見ることができない、活き活きとした4代目歌舞伎座の裏舞台を収めたのがこの写真集。アートドキュメンタリストらしい視線が、すみずみまで行き渡っている。
2013年に完成する5代目歌舞伎座(設計:隈研吾)を前に、いろいろな意味で多くの人が歌舞伎を見直す良い機会だったのかもしれない。確かに、座席の幅やトイレの不便さ、バリアフリー対策は改善するべき点だというのもしみじみと実感。
【歌舞伎座変遷】
1889年(明治22) 初代歌舞伎座 洋風モダン←なんとも意外!
1911年 (明治44) 2代目歌舞伎座 純和風 漏電のためあえなく全焼
1925年 (大正14) 3代目歌舞伎座 現在とほぼ同じ外観
(関東大震災のため一時中断、第2次世界大戦のため内部が焼け落ちる)
1947年 (昭和22) GHQにより歌舞伎が危険思想だとして禁止される
1950年 (昭和25) 4代目歌舞伎座 復活
(アメリカ人フォービアン・バワーズの尽力があったとされている)
2010年 (平成22) 4代目歌舞伎座さよなら公演
2013年 (平成25) 5代目歌舞伎座完成予定
April 28, 2010
【創造行脚】 224歩

題名:レヴィ=ストロースの庭
著者:港千尋
(2008/NTT出版)
昨年、享年100歳で逝去したフランスの文化人類学者で思想家のクロード・レヴィ=ストロース(Claude Levi-Strauss)。貴重な巨人のプライベート空間、世界各地で撮影された写真といくつかのテクストで構成されている。中でも表紙の一部であるポートレイトは、静謐な美しさを漂わせながらも果てしない思考の繁茂を感じさせてくれる、すばらしい一枚です。あらゆる分野の知見も、知性の森にひっそりと咲く草花にすぎないのですね。
森は地上の無秩序としてではなく、
わたしたちの世界と同じくらい豊かで
その代わりにさえなるような、
惑星の新世界としてたち現れるのだ。
クロード・レヴィ=ストロース
『悲しき熱帯』(1955)より
April 26, 2010
【創造行脚】 223歩

題名:本人の人々
本人:南伸坊 写真:南文子
(2003/マガジンハウス)
元気が無い人がいると知れば、こっそり送りつけたい一冊。「電車の中で読んで」とメッセージをそえる。人物を語るなら、本人の身になってを地で行く。身につける衣服で気持ちが変化するように、ある意味極限まで顔を似せればイタコスイッチオン。著名人やワイドショーを騒がすあの方、あの方、えっ、タマちゃん!?ひとつひとつの人生が凝縮されている顔の数々、身から出た言葉は、それはもう圧巻です。
身体をはって生きる姿勢がなんたるかを学べたり。
現代美術作家・森村泰昌氏とは全然違った本人術かと思いきや、両者に共通して流れる「笑」の要素はみのがせない。それに、表紙に印刷された満面の笑みはお財布にこっそりしのばせたくなる。
April 15, 2010
【創造行脚】 222歩

題名:明日を支配するもの
著者:ピーター・F・ドラッカー
(1999/ダイヤモンド社)
今まで読んだドラッカーの書籍の中で、一番かも。「本書は、行動への呼びかけである」とうことを、実感させてくれる。明日に支配されるもの、明日を支配するものの縁起は、行動するか否かのささいな差からはじまる。歴史的教訓や多くの事例をあげながら、個性を強みに変え、学び方、働き方の姿勢を意識することの大切さや楽しさに触れられる。これが本当の教育なのではないかしら。
情報の目的は知識ではない。正しい行動である。
(p.154)
医者として成長する最高の方法が、自ら患者として二週間ほど入院することであることは、古くから知られている。
(p.155)
生きる術を学校や会社では教えてくれないように、一般的には災難に見えることでも、実は本人にとってかけがえのない学びの期間になることもある。そうなると、ますます「明日」が興味深く見えてくるから不思議なもんです。
April 14, 2010
【創造行脚】 221歩

題名:ネクスト・ソサエティ
著者:ピーター・F・ドラッカー
(2002/ダイヤモンド社)
日本の問題は「経済」よりも「社会」にあるのだと言い切っている。1950年代に始まった現行の社会システムにしても、人口構造の変化、働き方の多様化に則した新しい社会システムを考える大切な時期だというのは、多くの人が感じているのでは。次世代の鍵を握るは、政府機関、企業と独立して連携するNPOの存在だという。NPOのきめ細かいサービスやマイクロファイナンス、フェアトレードなどの活動が頭に浮び、進みはじめた未来にワクワク観を与えてくれる。
「ドラッカーはですね、一人ひとりが横を向いて進むのではなく、
前を向いて歩く大切さを教えてくれるんですよ」
クローズアップ現代で、糸井重里さんがドラッカーについて語っていた言葉をしみじみと思い出す。
それと、本著で安全ヘルメットの発明者は、なんとあの奇才作家フランツ・カフカだったということも知り、「ああ、誰かに言いたい!」と身悶えしたのは私だけでしょうか。
April 11, 2010
April 08, 2010
【創造行脚】 219歩

題名:マン・オン・ワイヤー MAN ON WIRE
監督:ジェームズ・マーシュ
(2008/イギリス)
あのツインタワー(WTC)のてっぺんで綱渡りをした「20世紀最大の犯罪芸術」を見事に伝えるドキュメンタリー。本人のみならず、当時の貴重なフィルムや再現映像を巧みに組み合わせた監督の手腕もすばらしい。「なぜ?」という質問に「理由なんてない」と答えるプティ。圧倒的な光景に、警官も感動してしまう。天空で流れる音楽は、エリック・サティの『ジムノペティ』以外ないというほどハマっていた。
この世のものとは思えない美しい出来事に、訳もなく涙が出てきた。
「感動」に問いなど不要で、動いた「心」の事実だけで十分なのかもしれない。
「理由なんてない」か。
「確かに犯罪だ。でも卑劣じゃないし、むしろ夢を与えてくれる。」
April 03, 2010
【創造行脚】 218歩 -終わりからみえてくるもの、叔母の納骨へ-

叔母の四十九日の法要と納骨のため越後の国へ。関越トンネルを抜け、目的地へ入る直前に虹が地上から伸びていた。祖父母や先祖が眠る山へと向かう道すがら、叔母の面倒をみていた両親の姿が鮮明に浮んでくる。父が託された遺言、実の母親の末期癌を発見できなかった母の過去、共通していたのは「叔母へは出来る限りのことはしたい」という思い。大きな問題がいくつもあり、あまりの重大さに押しつぶされそうな時もあった。そんな時の両親の決断や行動力の早さに、わたしは人生のなかで最上級の「学び」を得たような心持ちさえしていたり。普段はゆるキャラなのに、このギャップはすごいの一言につきる。
出来る限りのことを果たせたとき、遺族は笑って故人を送り出すことができる。
以前の自分だったら、見過ごしてしまっていた出来事かもしれない。
そう思うと、人生ってなんとも不思議でうれしくもあるのでした。
March 30, 2010
【創造行脚】 217歩 -終わりからみえてくるもの、叔母の納骨まで残り3日-

先日、トレーニングを行っている山でたまたま定例自然観察会が行われていたので、チョロチョロと参加してみる。(立ち聞きから合流)さすがに30haの保護観察区域に指定されているだけのことはあり、多種多様な動植物の生息にあらためて驚きました。歩く図鑑のようなガイドの方とのフィールドワークは、とても楽しく学ぶ事も多い。写真の樹種は思い出せないのですが、この木の芽吹き方で遅霜が来るかどうかわかるのだ、と教えてくれた。
「新芽が片方から出るようだったら、遅霜が来る。来なければ、全体から新芽が出るんだ。昔の人は、こうやって種を撒く時期や対策を予測していたんだよ。」
昨日、今日と気温が落ち込み予想が的中し、「おじさーん!ほんとだ!」と叫びたくなる。昔の人の観察力は、すごいです。同時に現代人の鈍感力を痛感。。。
ニリンソウ、ヤマモモ、タチツボスミレ、キブシ…etc 草花の名や習性を知っているだけで、ちょっぴり幸せな気分になります。ナズナを見ると、なかなかの策士に思えたり。
今度は、ちゃんとメモ帳持って参加いたします。
March 17, 2010
【創造行脚】 216歩 -終わりからみえてくるもの、叔母の納骨まで残り16日-

題名:オシムの伝言
著者:千田善
(2009/ みすず書房)
オシム監督が日本に根付かせようとした「心」の言葉で溢れている。専属通訳として時間を共にした著者の視点だからこそ、発せられた言葉の意味の奥深さをあらためて実感できます。日本代表の記録、監督の人間性、選手との距離感、トレーニング法、日本社会と「個」の問題などを通じて、サッカー観とともに人生観も変わってしまう。脳梗塞で倒れられてからのリハビリへの姿勢、発せられるユーモアに人としての芯の強さが伝わってくる。
一筋縄じゃいかない「セルビア・クロアチア語」の監督の言葉をその場で日本語に訳せというのは、まさに至難の技です。
【人生】
■「美のために死んでもいい」と考える人びとが存在する余地は、現代のサッカーではますます小さくなっている。個人的には実に残念なことだが、現代のサッカーはそういう方向になっている。人生もそうではないか。昔の旅行は歩いたり、汽車に乗ったり、実にのんびりしたものだった。今はみんな飛行機に乗る。うまく答えられただろうか?(2006年9月 サウジアラビア戦前日の記者会見 プレーより内容だけが重視される風潮について)(p.8)
【リスク】
■リスクを冒さないサッカーは、
塩とコショウの入っていないスープなようなものだ。
(オシム監督の口癖)(p.38)
【教師】
■一番大事なのは指導者が自分のチームの選手を尊敬すること。それから相手選手を尊敬することを選手に教えることだ。(2009年2月)
■リスクを冒して失敗したらそれは褒めてやった。その代わり、同じ失敗は繰り返すなよ、と言った。そうすると選手は成長する。(2009年8月)
■監督に選手たちに、相手をリスペクトする必要はあるが怖がってはいけない、ということをもっと教えるべきだと思う。(2006年11月 サウジアラビア戦前夜)
(p.45)
【スタイル】
■イミテーションを繰り返しても、彼らを超えることはできない。日本はコンプレックスから開放されて、自分たちのストロングポイントを自覚するべきだ。(2008年6月 日本サッカー協会アドバイザー就任記者会見で)(p.66)
【プロ】
こちらから特にコメントはない。記者のみなさんの方からサッカーに対する意見がきちんと出たらコメントするようにしたい。スポーツジャーナリストとしてのレベルに達するまで、私は辛抱強く待つことにしたい。(2006年8月 イエメン戦前日の監督会見)(p.89)
【エスプリ】
若い選手というのはよくない。若い選手がいないのは、もっとよくない。
(2007年3月 ペルー戦後)(p.101)
【哲学】
そのとおりだ。全てが偶然だけなら、サッカーに監督は必要ない。だが、偶然についてもいろいろ哲学することができる。どんな偶然も、自分たちがサポートすることによって、幸運を自分たちのほうに引っ張ることができる。(2007年9月 スイス戦後)(p.119)
【自由】
自由というのは危険なものだ。民主的な政治でも、完全の自由を得た瞬間、独裁的な政府に変わる。自由を与え過ぎると困る選手もいる。自由を使う能力がないと、自由というものは危険なものになる。(2009年8月)(p.131)
【生命力】
私をアドバイザーとして要請してくれたことに感謝する。日本語はあまりできないが、覚えた言葉の中に「がんばれ」という言葉がある。「戦え」という意味だ。今度は、私が皆さんに「がんばれ」という番だ。がんばらなくては前進はしない。(2008年6月 日本サッカー協会アドバイザー就任記者会見)(p.172)
【希望】
私が何者であるかということを忘れないために、試合を見に行った。サッカーが原因で病院に行かなくてはならなくなったが、そこから戻るのもサッカーの力だった。(2008年6月 同上)
【教育】
日本人の特性なのかもしれないが、誰かが、こうすればいいと言ってくれるのを待っているように見える。自分自身に責任を持つ、自分で決定を下す能力を身につけるべきだ。サッカーはそういうことを反映する。自分で責任を持ってプレーする、自分を頼る。それが私の日本へのメッセージです。(2008年12月)(p.232)
March 16, 2010
【創造行脚】 215歩 -終わりからみえてくるもの、叔母の納骨まで残り17日-

題名:脳卒中で倒れてから
ーよく生き よく死ぬためにー
著者:鶴見和子
(1998 / 婦人生活社)
「1995年12月24日は、わたしの命日です」脳卒中に襲われた日のことをこう振り返る。左半身麻痺という後遺症との付き合い方、リハビリテーションを刺激的な異文化と捉える社会学者らしい姿勢が貫かれている。幼少からの身の上話や、倒れてからの心境の変化などが丁寧に綴られており、リハビリは格闘するものではなく一生続ける「お稽古」と位置づけている節を見つけると、思わず小躍りしておりました。
何回も言いますように、生と死のあわいを生きたことで、
ものの見え方の違い、価値の転換が起こりました。
とてもおもしろい体験をし、貴重な切符を手にしたと思っています。
わたしは死にながら生きたのです。生きながら死ぬのは困りますけれど、
死にながら生きているからおもしろのです。
健康なときは、健常者の思い上がりで生きていました。
健常者の文化で生きていました。健常者の文化とは、権力、名声、金力に
価値をおく、いわば、男性の壮年者との文化です。でも、わたしのように、
病者で障害者、その上女という立場になると、権力、名声、金力は全く無関係になります。
そういう立場から、どういうことが本当に価値があるのか、これから必要かを考えてみますと、おどろくほど展望が開けてきたのです。
(p.106)
March 15, 2010
【創造行脚】 214歩 -終わりからみえてくるもの、叔母の納骨まで残り18日-

題名:がん哲学 新訂版
著者:樋野興夫
(2009 / to be出版)
「がん」細胞や形成過程そのものを哲学的に捉えた稀有な学問です。知れば知るほど、「がん」はやみくもに怖がる対象ではなく、共存していく相手だということが伺えます。日々繰り返される細胞分裂のちょっとしたコピーミスで「がん」が芽吹く。つまり、生きてることは、同時に「がん」化していくことだという。「がん」細胞を人間の行動科学に置き換えると、たくましいこと圧巻です。
人は宇宙を内包している。
(p.21)
細胞に起こる現象は、生物にも、人間社会にも、
地球規模にも、そして銀河系にも見立てることが可能だという。
March 14, 2010
【創造行脚】 213歩 -終わりからみえてくるもの、叔母の納骨まで残り19日-

題名:HEAVEN&EARTH
(2002 / PHAIDON)
心の中で「出会えてよかった!」と思わず叫ぶ。「分けられないこの世界」を俯瞰できる、本当に素晴らしい写真集です。ページをめくる指先とともに、目頭が熱くなっていた。
細胞、シナプス、精子、花粉、種子、地球、太陽、銀河系へと続くミクロからマクロの写真の羅列により、一対多の森羅万象の世界が現れる。「ああ、そういうことなんだ」と言葉が後からついてきた。
生物学者や天文学者には、審美眼を持っている方が多いというのもうなずけます。
人が創り出せる領域とはまったく違う圧倒的な次元。
「美」の断片の数々を前に、しばし茫然とするのでした。
March 13, 2010
【創造行脚】 212歩 -終わりからみえてくるもの、叔母の納骨まで残り20日-

題名:世界は分けてもわからない
著者:福岡伸一
(2009 / 講談社現代新書)
美文家である生物学者の伸びやか思考が、どこまでも続く。ものごとの新しさは、異分野の超越のみならず、大小といった世界の尺度も重要なのですね。学者の視点と著者の感性が絡み合う独特の解説は、ここでも冴えています。ES細胞とガン細胞の表裏一体な関係は、もはや哲学にしか思えない。実際に学界で起こった事件の章では、別の本を読んでいるようなスリリングな感覚さえ覚えた。バラバラなようで有機的に繋がる構成から著者の世界観がみえてくる。
この世界のあらゆる要素は、互いに関連し、すべてが一対多の関係でつながりあっている。つまり世界に部分はない。部分と呼び、部分として切り出せるものもない。そこには輪郭線もボーダーも存在しない。
ー中略ー
世界は分けないことにはわからない。
しかし、世界は分けてもわからないのである。
(p.274-275)
March 12, 2010
【創造行脚】 211歩 -終わりからみえてくるもの、叔母の納骨まで残り21日-

題名:世界の葬送
著者:松濤弘道
(2009 / イカロス出版)
葬送スタイルに色濃くお国柄が反映されているのに改めて驚く。125カ国の弔い方法は、火葬、土葬、風葬、樹上葬、水葬、ミイラ葬、鳥葬など、宗教の混ざり合いや風土、階級、民族によって実にさまざま。メキシコの墓地パーティー、台湾ではストリッパーが踊り、泣き女を雇ったり、それぞれの死生に対する世界観が凝縮されている。良い悪いではなく、この多様性こそが世界そのものなんですね。
日本では当たり前の「骨あげ」という儀式も、世界的にはかなり珍しいことだという。その世界観で生活しているとごくごく自然なことに感じる。ただ現在の日本では、とくに都会の人間は「死」を直視する機会がほとんどない。ニュースによって毎日聞かされる「死」とは少し違う。「死」は美化されるものでもなく、目をそらし伏せているものでもない。できれば遠い事柄であってほしいことは確かです。けれど叔母の穏やかな「死」から学ぶきっかけを得たことは、私にとってとても尊い機会だということ。
私たちの遠い祖先は、「死」実相を直視していたからこそ、肉体は霊魂の仮の宿とみ、肉体はほろびても霊魂の不滅、霊魂の再生を信じていたのではないか。
(森と水を守る自然葬「再生の森」をめぐって p.182 より)
なんだか、世界の例を見ても上記のように思えてくる。