カンボジア

2008年01月11日

カンボジアにも海があるのです

こんにちは。
 最近派手に忙しくて(特に休日が)、倒れそうなもりぞおです。

 疲れの源泉は、カンボジアでの食あたりなのですが、そんなカンボジアの話を本日からスタートします。

 カンボジアといえば、アンコールワットとポル・ポトによる大量虐殺が名物です。
 この二つの史跡をめぐるのが今回の旅の目的であり、途中、食あたりをしながらも何とか一通りの視察は達成しました。
 この時点で、カンボジア滞在可能日数、あと4日。

「さすがに、疲れた。
 体力的にもアレだけど、それより精神的にアレだ。」

 と、いうわけで、プノンペンからバスで4時間(6ドル)のところにあるリゾート、シアヌークビルにやってきました。

 カンボジアに海なんかあるの?
 ということをよく聞かれるのですが、あるんです。
 このとおり。

地図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地図を見ると、隣のタイとベトナムに侵略されまくってるのが良く分かりますね。。
 特に、タイの海岸線の取り方が、かなりえげつない。

 ちなみに、港は交易の要所なので、これがないと国家運営はとてもつらいです。

 そんな事はさておき、海へと。

 シアヌーク国王の名前を冠した国家プロジェクトによるビーチリゾートは、きれいな海を持つ小さな町でした。
 海から少し離れたところにあるダウンタウンは、それなりに店が連なっております。

 そこから、バイクタクシーで10分ほど走ると、静かな海岸が続きます。

静か

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 また、ダウンタウンの側のビーチには、欧米人ごのみの安リゾートホテルが立ち並び、

リゾート

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 夜には、怪しげなバーにネオンがともります。

あやしげ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 そんな、ありがちなアジアンリゾートで、海を見ながら2,3日ぼーっとしてるはずだったんですけど、
また成り行きで余計な事をしてしまいました。。。

 余計な事の内容は、次回に続く。



2008年01月10日

勢いだけでスキューバのライセンス取ってしまったので、スキュ友を募集します

カンボジアの首都プノンペンからバスで4時間。
 12時半頃にシアヌークビルにたどり着きました。

 とりあえず、ビーチの側でだらけたかったので、ビーチサイドのホテルを物色。
 が、人が多いのかホテルが足りないのか、3件立て続けに満員です。

 やっとこ見つけた宿は、
「ノーエアコン、ウォーターシャワー 15ドル
  エアコン、ホットシャワー 30ドル」
「えー、たけえよー!」

 海外旅行中はよくあることなのですが、旅行後半になると、金銭感覚が壊れてきます。

 ここ、カンボジアでは、普通に5ドルとか10ドルとかの宿があるので、30ドルは、「高級」の部類に入ってきてしまうのです。

 しかし、ビーチでのんびり暮らすためには、ホットシャワーとエアコンは必要だしなあ・・・。
 清水の舞台から飛び降りる気持ちで、30ドルの部屋に決定!

 昨日一昨日と2夜連続で、レストランでなんの躊躇もなく4000円以上する特選牛を注文した人間と同一人物とは思えません。


 さて、宿も決まって、どんぶり一杯のカレーをかっくらったあと、

どんぶりカレー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと町をぶらぶらして、たまたま見つけたダイバーショップ。
 そうだ、明日はシュノーケルでもやろう ってことで、ふらふらとその店に入ってみました。

 その店の受付は、たまたま日本人。(現地人だと思って、10分以上英語で喋ってたのは内緒)

「おー、シュノーケル15ドルか。安いなあ。
  っていうか、体験ダイビングも50ドルかからないのか・・」

 そこへ、悪魔のささやき。
「っていうか、ライセンス取っちゃいません?」

 確かに、昔沖縄で体験ダイビングやったときは、犬の散歩のようにずーっと首根っこを捕まれてシュノーケルよりも自由度が低かったよなあ・・・。

「今日含めて3日間しかいないんですけど・・・」
「あ、じゃあ、ちょうど今から勉強始めれば、キッチリ終わるわ」

 値段も285ドル(機材レンタル代含む)。どう考えても国内でとるよりも安い・・・。
「クレジットカードって使えます?」
「使えちゃうんだなー。これが」

 10分後。店の奥で蚊に刺されながら、スキューバのライセンス講習DVD(日本語版)を見ている私。

勉強中

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 まさか、2008年1月2日に、カンボジアで、スキューバダイビングのライセンスの勉強をしているとは思いもしなかった。。。
 結局、午後7時までかけて、学科修了。疲れ果てた・・・。


 翌日、朝7時に船でダイビングポイントに、出発!
 たまたま、同じ日程でライセンスを取る日本人の人がいて、仲良く講習。

 インストラクターは、フランス人。

アメリカ大好き、フランス人

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 いや、フランス人かどうかは聞いてないのですが、「バカ」の代名詞に「アメリカ人」を使うことから、フランス人であると認定。

 最初は浅瀬で
「マスクに水を入れてー。鼻から空気入れて、押し出すー。
  簡単でしょー。アメリカ人でも出来るからね。」(英語で)
 ってなかんじで、小技の練習をしてたのですが、2本目からは、「習うより、慣れろ」 の実践練習。

 ああ・・・珊瑚が生きてる・・・
 カニだー
 ヴァー!ウニふんだー!

 などと、海の中ではしゃぎ回ってました。

 くたくたになってホテルに帰ってきたら、裏山が山火事でしたが、


もえー











そんなの関係ねえ。

ガイジン、カンボジア人が混合チームでバケツリレーしてたのが、大変ほほえましかったです。

 ただし、消火活動に水が使われシャワーが使えず、塩まみれで寝るのはキツカッタ・・・。
 せっかくホットシャワーの部屋にしたのに・・・。
 しかも、朝晩は涼しいからエアコンも要らないし・・・。


 そんなわけで、その場のノリとDVD5時間と2日ダイビングで、無事にPADIのオープンウォーターのライセンスを取ってきました。
 
 ちょっとしばらくは、圧縮空気を背負って海に潜るのを趣味にしたい気分です。
 ってことで、スキューバ友、募集!
 どこでも行きます!



2008年01月09日

ややこしい歴史を体現するアンコールワット

さて、カンボジアといえば、アンコールワット。

 世界遺産に登録されている、世界三大仏教遺跡のひとつです。

 ちなみに、私は今回「世界三大仏教遺跡」をはじめて知ったのですが、このアンコールワットで完全制覇でした。
 ビルマのバガン

荒野にたつ遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 インドネシアのボロブドゥール

朝のストゥーパ

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 その中でも最強なのは、地球の歩き方のタイトルが、「アンコールワットとカンボジア」であるからも分かります。
 なにせ、国名より強い。

 ただ、観光客的にカンボジアの中心であるだけではなく、カンボジア国民的の心の中でも中心に近いところにあるようです。

 カンボジアの国旗の真ん中にそびえる、アンコールワット。

国旗

 

 

 

 

 


 実物は、コレです。

遠景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近くに行くと、その繊細な装飾にびびってたじろぎます。

近景

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 このアンコールワットを中心にしているシェムリアップの遺跡群は、東京23区くらいの広さのあちこちに散らばっており、とても歩いて回れる代物ではないので、トゥクトゥク(オート三輪というより、客席付き原チャリ)を半日チャーター。
 もちろん一日で回れるモノでもないので、3日ほどかけてあちこちをみたのですが、ひとつ感じるのが

 仏教遺跡なのに、ヒンドゥー教の神様ばっかりだ

はあーい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ということです。

 暖かい国の仏像といえば、ミャンマー

めがね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラオス

バカ仏なのですが、

 ココにあるのは、インドにありそうな、ヒンディーの神様ばかり。

 トゥクトゥクの運転手に
「なんで、ヒンディーの神様ばっかりなの?」
 と、聞いたら、アンコールワットの歴史を教えてくれました。

 アンコールワットは、元々仏教の王国が作った遺跡。
 でも、その後、ヒンディーの王様に占領された。
 ヒンディーの王様は、アンコールワットの仏像をぶっ壊して、ヒンディーの神を祭る場所にした
 のだそうです。

 たしかに、このように、

神も仏も・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一部の仏像部分がざっくり削られ彫刻が、あちこちに見られます。

 後の回で詳しく説明しますが、カンボジアの歴史は占領の歴史。
 シャム(タイ)に、ベトナムに、フランスに、アメリカに、ポルポトに
 サンドバックのように、あちこちからボコボコにされまくっている哀しい歴史。

 カンボジア(クメール)の最盛期はもちろん、アンコールワットを作った、アンコール朝時代なのですが、寺の建てすぎで財政が傾き、シャム(タイ)のアユタヤ朝(こっちも世界遺産)にぶっつぶされました。

 そんな歴史があっても、やはり、カンボジア人にとってのアンコールワットは心の支え。
 ほとんどのカンボジア人は、一度はアンコールワットに参拝するそうです。

人ばっか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おかげで周りは、ひとばっか。

 しかし、冷静に考えてみると、シャムもヴェトナムも仏教国だよなあ・・・。
 そもそも、アンコールワットは、ど真ん中に、ふつーにシヴァ神とか祭られてるし。。
 どうやら、適当なことを教わったらしい・・・。

 正解は、
「元々ヒンドゥー教寺院として作られたものを、後の王が仏教寺院として改造。
  その後、ポルポト派ゲリラの基地となり、その際に彫刻をボコにされた。」

 でした。

 とにかく歴史がややこしい。
 アンコールワットだけでも、そのややこしい歴史の苦労が痛いほど分かります。



2008年01月08日

アンコールワットの側にあるトゥクトゥク運転手の家に遊びに行く

アンコールワット観光の拠点となる町、シェムリアップ。
 ここは、いわゆる「アジアのぼろい町」と、「観光客向けの高級ホテル」が共存する町です。

シェムリアップ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 コンビニやファーストフード店、インターネットカフェには、地元の人たちが原チャリでやってきて、
楽しそうに遊んでいます。

「内戦あけのボロボロの経済から復活して、結構いい生活してるんだなあ・・・。」
 ってのが最初の感想でした。


 アンコールワットを中心とした遺跡群は、ここからバイクで20分くらい離れたところにあります。

 ホテルの周りにはトゥクトゥク(バイクのうしろに荷台をくっつけた乗り物)がたくさんいて、
半日10ドルとかで乗っけてくれます。(ただのバイクだともっと安い)

トゥクる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 シェムリアップからアンコールワットへの道はひたすらなにもない原っぱで、
一応舗装されている道をさっそうと走り抜けていくのはなかなか気持ちがいいです。

 この日は、片言の日本語が喋れるドライバーと仲良くなったので、食事をおごってあげました。
 一緒に昼飯を食べながら話しをしていると、

「俺は、この近くに住んでるんだ。」
「へー。どの辺?」
「アンコール・トムの向こうに小さな村があって、そこに家がある」
「そうなんだ。その村、行ってみたいな。」
「マジで?なにもないよ」
「いーから」(注:彼の英語混じりの日本語を意訳しています)

 そんなわけで、さっそく村に連れて行ってもらいました。

 アンコール・トムという遺跡のすぐ向こう。舗装もされていない路地があり、そこを分け入っていくと、
いくつかの家や店があります。

わらぶき高床

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家といっても、シェムリアップとは大違いの、木造わらぶき屋根がほとんど。

「床が高いのは、雨期に備えて?」
「そう。この辺は水はけが悪くて、低くなってるところは沼になるんだよ」

 もう少し進むと、ひときわ立派な建物があります。

学校

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「これは、学校。日本人が作ってくれたんだ。
  俺の弟と妹は、昔ここで習ってたんだ。今は、シェムリアップの学校に通ってるけど。」

 看板をよく見ると、
「Gift from Fahter Goto Fumio in Japan」と書いてあります。

 1980年代、ポルポトによる地獄の虐殺から逃れて難民となったカンボジアの子供たちを、里子として育てた後藤文雄というカトリックの司祭が設立したNGOが作った学校のようです。

希望の学校 後藤神父とカンボジアの「子供」たち

「教育は希望を」
「希望は平和を」

NPO法人AMATAK
後藤文雄さんへのインタビュー

 日本には、スゴイ人がたくさんいます。

 そんな学校からちょっと先に行くと、
「家は、こっち」

コンクリ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 ちょっと立派なコンクリート&木造の建物が彼の家です。

「この辺の木は、バナナの木で、雨期にはフルーツがいろいろできるんだ。」

路地

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「あと、あの牛は、うちの。」

田んぼ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「今は牛を飼ってるけど、雨期には水がはって、米を作ってる。」
「母さんは、アンコールトムで土産物屋をやってる。
  弟と妹は、今、シェムリアップの学校で英語と日本語を習ってるんだ。」

 どうやら、彼は、この村の中ではちょっとリッチな方らしい。
 家の中に入れてもらったけど、がらんとした家の中には、テレビが2台置いてありました。

「テレビが2台もあるんだ。リッチだねー」
「そんなことはないよ。トゥクトゥクじゃあまり稼げないから。」

「日本語が喋れるんだから、ガイドをやれば?」
「そう。ガイドになれば、もっと稼げるんだよね。
  英語のガイドなら半日で20ドル。日本語なら30ドル。フランス語・ドイツ語なら30ドル
  でも、ガイドになるには、ポリスに2000ドル払わなきゃいけないんだ。」
「ポリス?ガバメントじゃなくて?」
「そう。ポリス。2000ドル払って、アンコールワットの歴史のテストを受ければガイドになれるんだ。」

 2000ドル・・・20万円。。日本人の我々からしてみたら、運転免許をとるようなもんか。。
 ただ、1日10ドル稼いでる彼らにとっては、行政書士よりも遠いモノです・・。

 払ってあげちゃおうと思えば払える額だけに、ちょっと悩むのはまいどのこと。
 とりあえず、
「きっと、これから中国人の観光客がいっぱい来るから、中国語のガイドをやれば儲かるよ」
 と、あまり参考にならないアドバイスをしてあげました。

「そうだね。もうすぐこの辺に大きい道路が出来るんだ。そうしたら、日本人とか中国人とか
たくさんの観光客がくるよ!」

 それは違う・・・成田とか上海からの直行便が飛ぶようにならないと本質的には変わらないと思う・・・。

 彼の弟、妹は、どんな勉強をして、どんな大人になるんだろう・・。
 彼は、この先、どんな仕事をしていくんだろう・・・。

 それが幸せな道になるのか、どうなのか。
 アジアを旅行して、現地人の日常にちょっと触れるたびに、いろいろ考えてしまいます。

 とりあえず、朝、「半日10ドル」まで値切った料金ですが、「チップだ」と言って15ドル払ってあげました。
 ま、こんなもんでしょ。



2008年01月07日

カンボジアの通貨に見る、アイデンティティの喪失

 カンボジアの通貨ってなに?と聞かれて、すぐ答えられる人はいますか?
 いたら、かなりのマニア認定。
 答えは「リエル」です。

バイヨン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シアヌーク殿下の顔がうざい。

 この、カンボジアリエル。
 なかなかどうして、使い勝手がわるい、困った通貨です。
 なにせ、カンボジア国内(首都プノンペン、シェムリアップ、シアヌークビル)で、モノの値段がほぼ全て「ドル」で書かれているのです。

 飛行機や、ホテルなど、外国人旅行者が利用することが多そうなモノは納得がいくのですが、
 普通の国民が使うであろうADSLの料金や、

DSL

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (256kbpsで$39/月ってすげえ高けえ・・・)

 スーパーの食品なんかも、もれなくドル表示です。

ペコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


($1.35。しかし、ひでえ商品だな。きっと農薬かかってる)

 じゃあ、リエルはどう使われているかというと、USドルの補助通貨です。
 1ドル=4000リエル なので、1000リエル=0.25ドル。

 1.75ドルの買い物をして、2ドルを出すと、1000リエルおつりがかえってくるわけです。
 自国通貨が、「セント」としてのみ使われるって、どーよ?


 通貨危機が起こったタイなんかでは、高級ホテルやブランドショップはドル表示です。
 
 100ドル両替すると札束が返ってくる、ミャンマーなんかは、飛行機やホテルなどもドル払いです。

 しかし、普通の市民が使うような、スーパーや食堂の料金まで徹底的にドル表示の国を見たのは初めてです。

 なんでこんな事になっているかというと、1970年代に起こった、ポルポト派による通貨廃止です。

 1970年代に誕生したポルポト派(クメールルージュ)により設立された民主カンボジア政権が、銀行業務どころか貨幣を全て廃止してしまったのです。
 当然、通貨は紙くずとなり、それ以降30年経っても、失った通貨への信用は回復されていないのです。

 ちなみに、学校、工場、病院、伝統文化、宗教なども全て廃止。

 それに伴い、教師、技術者、医師、踊り子、坊さん、その他、頭が良さそうな人、ガイジン、なんかむかつく奴などを片っ端から虐殺。

 人口800万人のカンボジアで、150万人とも200万人とも言われる人が殺される、それも、同一民族の政府に。
 人口の1/4を死に追いやった、世界最凶悪の虐殺のひとつです。

 この虐殺で、当時の全てのカンボジア人は、最低一人は親戚を殺されているといわれています。
 
 度重なる内戦、ベトナム戦争のついでにアメリカ軍から落とされる空爆、そして同一民族の政権による大虐殺。
 カンボジア人がこの頃に喪失してしまったモノはあまりにも多すぎます。

 そんな時代から30年近くが経ち、コンビニやスーパーやインターネットカフェが建ち並び始めた街。
 それでも、自国のアイデンティティのひとつである通貨は、補助通貨としてしか使われていないという現実。

 勝手にふらふら遊びに来た外国人である私は、そんな通貨を見ながら、限りない喪失に思いを馳せ、勝手に哀しい気持ちになってしまいました。

 で、その通貨を裏返してみると、

バイヨン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイヨン。
 アンコールワットの次に有名な遺跡です。

ペコちゃん印のソーセージ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  5000リエル札に描かれたこの遺跡は、国旗の真ん中に描かれているアンコールワットと共に、「宗教」というよりも、「国民のカンボジアに対するプライドの象徴」として描かれているような気がします。

「私たちには、誇れるモノがある。」

 前回のコラムでバカにしたバカな建造物は、その時の国を没落させることもあるけど、将来の国民に希望を与えるという役割があるのかもしれません。


 次回、この悲惨な歴史のお勉強に続きます。



2008年01月06日

歴史のお勉強 カンボジアの大虐殺はなぜ起こったのか?

カンボジアで色々なモノをみていると、そこかしこに出てくる、ポルポトの影。
カンボジア人と話しているとたまに出てくる、ポルポトの話。

しかし、いったいそれがなんだったか、非常にわかりにくいのです。
 っていうか、情報が残っていないというのが正解でしょうか。

 今回、ポルポト関係で3冊本を読んで、それ以外にもWebサイトなども調べたのですが、とにかく分からないことが多すぎる。
 でも、ざっくりと、冗談交じりに説明してみます。(読むのが面倒な人は「簡単にまとめると」まで飛ばしてください。)

 そもそもカンボジアは、周りのシャム(タイ)やヴェトナムから占領されまくってました。
 その後、ヨーロッパが植民地をつくるのを趣味にしてた時代に、フランスの占領下に。
 18歳で即位したシアヌークが、日本軍と組んでフランスからの独立を勝ち取るも、日本敗戦により再びフランス占領。
 その後1952年に再びシアヌークがクーデターを起こし、やっとこ完全な独立を勝ち取りました。

 が、このシアヌークもなかなかの一杯食わせ者で、独裁政権で国はボロボロ。
 ついでに、隣のベトナムでベトナム戦争が起こり混戦を極めた戦局は、ベトナム国内では治まらず、
隣のカンボジア国内でも場外乱闘。
 ついでに、世界の戦争の半分にからむ迷惑極まりないアメリカが、場外乱闘に空爆をかけて、さらにボロボロ。

 この時点で、カンボジアは共産主義側にも資本主義側にも入っていなかったのですが、アメリカが、ベトナム戦争を有利に運ぶために、ロン・ノルという冴えないおっさんにクーデターを起こさせ、資本主義政権を樹立させます。

 が、大統領が冴えないおっさんなので、政権はガタガタ。
 そこに、シアヌークと組んで共産主義政権を作ろうと内戦を仕掛けた政党が、サロト・サル 通称ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジアの赤)なのです。


 簡単にまとめると、

 いろんな国に占領されまくってたシアヌークという人の手によりカンボジアがやっと独立。
 だけど、隣で起こったベトナム戦争に巻き込まれて、アメリカの都合によるクーデターでシアヌーク政権が倒れて、新政権樹立。
 コレに反抗したポル・ポト率いるクメール・ルージュ軍と新政権軍による泥沼の内戦が始まったのです。
 
 その後、ボロボロの内戦の末に政権を奪取したクメールルージュ。
 シアヌークは邪魔なので、戦国時代の天皇の様に幽閉。ポル・ポトによる恐怖の独裁体制が始まりました。

 政治の内容は、前回書いたように、通貨、学校、工場、病院、伝統文化、宗教、家族など、人々が培ってきた「文化」と呼ばれるモノは全て抹殺。
 それに伴い、教師、技術者、医師、踊り子、坊さん、その他頭が良さそうな人、ガイジン、なんかむかつく奴などを片っ端から虐殺。

 都市生活は怠惰の表れであり、プノンペンなどの都市に住んでいる人間は、強制的に農村へ移送。
 首都プノンペンがゴーストタウンになるという異常事態に。

 知的労働者は反逆者の前身であり、医者、技術者はもちろん外国語が喋れるような人間は即虐殺。
 その代わり、医者や農業の管理者はピュアな子供に行わせる。
 ピュアな子供は迷いがないので、病人の身体を適当に手術(っていうか切り刻むだけ)して形を変えた虐殺をしたり、
ちょっとの愚痴も漏らさずキャッチして、収容所に送って、虐殺される人の数を増やしたり。

 こんな暗黒政治は4年間続き、人口800万人のカンボジアで150万人とも200万人とも言われる人々が殺されたわけです。


 なんで、こんなことになっちゃたんだろう。
 なにが、彼らをこんなことに急き立てたんだろう。

 今回読んだ本の中にはその答えは全然書いてなかったため、自分で勝手に考えてみました。


 いろんな国が入れ替わり立ち替わり攻めてきて、戦争が起こり、支配者が変わり、また戦争が起こり、支配者がかわり
 自分たちと関係ない都合で起こる戦争によって、自分たちの住むところはボロボロになっていく。
 なんだかよく分からない人たちに支配され、誰だかよくわからない人たちに搾取される。

 そんなカンボジアで生まれ育ったポル・ポトの心には、絶望と反抗の心が育ったのではないでしょうか。
 自分たちを苦しめる世界への絶望と、そんな世界をぶっ潰してやろうという反抗。

 そして、世界最強のアメリカという巨大帝国のバックを受けた政権を打ち破り、自らが政権を樹立したときに、この心がブレイクした。

「俺は、クメール人を理想的な人間に変えることが出来る!」

 今まで自分たちが、そして世界の人々が「文化」、その全ては自分たちを絶望に追いやってきた諸悪の根源である。
 自分たちは、その諸悪の根源である「文化」を根絶やしにし、「文化」のない、新しい世界を創らなくてはならないのだ。

 野生で生きて行くにはあまりにか弱すぎる人間が、生きるために作り上げてきた家族や宗教、産業などの「文化」と呼ばれるモノ。
 これらを全て破壊し、自らが食べる食物を生産するだけの、自然界にいる普通の動物と同じような存在に戻す。

 なんか、人類補完計画みたいだ・・。

 漫画や小説、映画の中で、このような極端な思想に走ってしまう人間はたくさん出てきます。
 また、小さな宗教や会社の中で、このような極端な方向に組織が動いてしまうことはあります。

 でも、それは、様々な環境が整ってしまったとき、国もしくは世界全体が動いてしまう可能性があるということです。

 極端な動きに歯止めがかからなかったのはなぜなのか?
 
 本を何冊読んでも、この時代の事がよく分からないのは、当時の人間のインタビューを聞いても的を射た返事が返ってこないのが一つの原因です。

 共産主義をキチンと理解していた人間も、カンボジアの文化を愛していた人間からも、インタビューの中で
「あのとき、なにをやっていたか覚えていない」
 という返事が返ってきます。
 
 絶望が限界を超えると、人間は思考停止を起こすものなのか・・・。
 どんな時でも、広い視野で、様々な視点で、自分でモノを考えられる余裕を持つことが出来るほど、人は強くないようです。

 次回、実際この虐殺が行われた場所 「キリング・フィールド」で見たものをご紹介します。

 

 ちなみに、4年で国がボロボロになったカンボジアは、ベトナムに占領されます。
 政権を奪われたクメール・ルージュは、ゲリラとしてこのベトナムと戦うのですが、
こいつらを支援したのがベトナムを倒したかったアメリカ。

 アメリカが支援を行うため、クメールルージュの虐殺を「なかったこと」とするために証拠を消しまくったのも、
この大虐殺の真相が出てこない原因の一つです。


 



2008年01月05日

キリング・フィールド

シェムリアップからプノンペンにバスで到着して、トゥクトゥクの運転手との会話。

「これから、キリング・フィールド行きたいんだけど」
「それじゃ、ホテル行って、キリング・フィールドとジェノサイド博物館回って10ドルだな」
「けっこー高いなー。」
「キリング・フィールドは、ちょっと遠い高台にあるからなー」
「なんでそんなとこにあるの?」
「低いところにあったら、血が溜まって沼になっちゃうからだろ。」

 そういえば、シェムリアップのキリング・フィールドも、ちょっと離れた見晴らしの良い原っぱだったな。

 前回の文章にあったとおり、クメールルージュは、「文化」を持っている人々を片っ端からしょっ引いて殺しました。

 映画・「キリング・フィールド」で描写されているように、都市に住む人間は、強制的に農村に拉致され、その過酷な移動や栄養失調などで亡くなりました。
 それ以外に、知識がある、外国語が喋れる、愚痴を言ったなどといった人々は強制収容所に入れられ、多くが殺されました。

 労働者管理の役割を持ったガキが
「手がきれいだから敵だと思う」「眼鏡をかけているから敵だろう」などという理不尽な発言をしただけで連れてこられる場所。

 その強制収容所がジェノサイド博物館。処刑地がキリング・フィールドです。

 まずは、供養塔がお出迎え。

供養塔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一見ただの仏塔に見えますが、近づいてよく見ると、無数の頭蓋骨が安置されてます・・・。
 すでに量が多すぎて、人の亡骸とは思えません。。。

 奥に行くと、ただの原っぱがあります。

原っぱ

 

 

 

 

 

 

 


 


 ここが、キリング・フィールドか・・・。
 今や、ただの静かな原っぱなのですが、10年前はこの写真のように、

キリング写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 掘れば掘るほど人骨が出てきていたようです。

 きっと、この絵のように

キリング絵

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 人が殺されていたのでしょう。

 殺される人がやらされた最後の仕事が、この原っぱに穴を掘ること。
 まさに、「墓穴を掘る」
 最悪の気分になってきました。

 ジェノサイド博物館には、殺された人の写真が所狭しと並べられています。

写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無表情な写真。驚いている写真。薄く笑みを浮かべている写真。

 この上ない絶望を抱えた人間の表情は、当人もどんな表情をすればいいか分からないくらい混乱しているようです。
 
 その日は肌寒く、曇り空で、数日前からの腹痛もあり、陰惨たる気分で倒れそうになったのをよく覚えています。
 それ故に、キリング・フィールドの入口にあったこの花の美しさに、心惹かれます。

花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 美しい花を咲かせる木の根本には死体が眠っているんですかねえ。。
 花の色が、異常に鮮やかだし。

 次回、このキリング・フィールドで感じた、もう一つの虐殺の爪痕に続きます。
 重い話が続いてすいません。あと1回です。



2008年01月04日

キリング・フィールドで生活する子供たち

 シェムリアップの街とアンコールワット遺跡群の間くらいにある、キリング・フィールドinシェムリアップ。
 ここも、前回お伝えしたような、頭蓋骨だらけの供養塔や、静かな原っぱがあります。

 ただ、ひとつ、違うことは、こんなモノがあったこと。

Hotel?

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 看板に書いてある、Renovated by Angkor Century Hotelの文字

 ホテル?

 この、何千人という人々がぶっ殺された土地に、ホテルを建てるか?クメール人。
 しかし、いちおう、韓国の観光バスが泊まってるなあ。。
 徴兵制の国は、そういうの平気なのか?

 と、思ってたら、そのバスは観光客を満載して、どっかへ行ってしまいました。

 んー。とりあえず、入口に行ってみよう。
 と、いうことで、周りをうろうろしてみました。

 そして、明らかに通りの裏側に入口が・・・

入口

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「はろー!」
 小学校低学年くらいの、賢そうなガキに声をかけられました。

「ここは、ホテルなの?」
「ちがうよ。僕らの家だよ。」
「そうなんだ。中を見てもいい?」
「いいよ。僕らの他にもたくさんの人たちが住んでるんだ。」

 中にはいると、そこは、

室内テント街

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上野公園のテント村でした。

「僕らの家族3人の部屋は、ココ。」

親子三人部屋

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 カブトムシの幼虫の臭いがします。クサイ。

 ゴミ捨て場なのか物置なのかよく分からない部屋もあります。

ゴミだめのような物置

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポルポトに家族を殺されて、孤児になった人たちがここに住んだんだ。
  僕らの両親もそういう人たち。
  僕らは、この裏の学校で勉強してる。
  30%の子供が英語を、30%が日本語を、残りがクメール語の勉強をしてるよ。」


 ポル・ポトに親を殺された人々が、まさにその処刑地でボロボロの生活をし、
 その子供たちが、ポル・ポトが破壊した文化を取り戻すべく勉強をしている。

 死の地で行われる、新生の営み。

「と、いうわけで、僕らの学校に寄付をください!」

 しっかりしてやがる。と、思いながらガキに10ドル寄付して、
「これは案内してくれたチップだ」と言って、あと1ドル渡して、
 ちょっと未来に希望を感じながら帰りました。

 クレイジーな独裁者が、いろんなモノをぶっ壊しても、
 たくさんの人をぶっ殺しても、
 それでも、また生まれてくる子供と、生活。

 人間は、強いんです。
 



2008年01月03日

カンボジア バカコレクション

 今回のカンボジア旅行は、羽田→関空→バンコク→シェムリアップといった、非常にややこしいルートで行ったのですが、最後のバンコク→シェムリアップは、「バンコクエアー」というマニアックな航空会社。
(ちなみに、バンコク-シェムリアップ便はこの会社しか飛んでません。)

 まあ、ステキな飛行機が待っているのだろうと思ったのですが、やっぱりステキでした。

バンコクエア

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プロペラ機。そして、機体のペイントがトロピカル!
 一応指定席のこの飛行機で、カンボジアへ!


 みなさん!カンボジアへようこそ!

某ねずみ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界で一番著作権にうるさいあの会社でも、さすがにこれは訴える気が失せるであろうほど、
あまりにも酷すぎるネズミさんから、カンボジア、バカコレクションスタートです。


 カンボジア名物といえば、「地雷を踏んだらサヨウナラ」ですが、きっちり押さえてありました。

地雷シャツ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 Denger! Mines!! (地雷、キケン!)

 ま、Tシャツだけじゃなくて、普通にこの標識が道とかにあって、

地雷原

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 このような、Mine Field(地雷フィールド)に足を踏み入れると、マジデサヨウナラになるようです。

 ポルポトは地雷が大好きで、国中に埋めまくってるので、発掘がとても大変なのです。
 やっぱ、ふだんは地味にじっくりなにもせず、変化が起きたときに即座に確実に変化の元を破壊するのが、 ポルポトの思想と会ってるんですかねえ・・。 哀しい話です。。。
 と、下を向いて歩いてたら・・・

笑顔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんな哀しいスマイルは初めて見た。。。

 さらに、虐殺博物館では

笑うな

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 笑うな。
 微妙な表情ですね・・・。

 と、いうわけで、最後は明るく、バカ仏っぽい動物で。

アジア風シーサー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 ばいばーい。



2008年01月02日

カンボジアで食中毒

 カンボジアの食べ物には、あまり印象がないのです。

 入国して一発目の食事がいきなり

インドカレー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インドカレーだったというのもあるのですが、それからも、

 焼きめし

焼きめし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 焼き肉

焼き肉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、なんか、ふつーのどこにもありそうな食べ物だったので。
 味も、不味くはなく、なんか、見たとおりの味がします。

 が、カンボジアに入って2,3日目の2007年12月31日。異変が訪れます。

 その日、アンコールワットから登る朝日を見るために朝5時に宿を出発したのですが、身体が異常に重い・・・。
 眠いか、疲れが溜まってるかどちらかだろうと思って、アンコールワット前の広場で朝日が出るのを待ってたのですが、その日は思いっきり曇りで(暗いからわからん)、いつ日の出があったかも分からないうちにうっすらと空が明るくなってました。

 いったいなにをしにきたのだろう。。。と思いながらも、立ち上がれない・・・。
 立ち上がっても、普通に歩けない。。格闘技でいうところの「足にきている」状態。。。

 腹痛というより、身体全体がだるく、全ての間接が痛く、身体が命令通りに動かない・・・。

 こんな状態で、キリング・フィールド行ったから、あんなダークな内容になったのだな・・。

 ふらふらと昼前に宿に帰り、気を失う。

 ただ、お米の国の便利なところは、こんな時にすぐそばのファーストフード店で

おかゆ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おかゆが食べられること・・・。
 おかゆ。Love.

 さっぱり味のラーメンも・・・。

らめーん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インスタントでも、気にしない。
 君は仏様のよう。荒野に咲く花のよう。

 結局その日はなにもせず、寝て、起きて、食って、本読んで
 数件となりに日本人がたくさんいる宿があるので行ってみたら、紅白歌合戦やってて、
 まさかこの異国の地で、10年ぶりくらいに紅白をみるとは・・・と、思ってたら、
 司会が仲間由紀恵で、DJ OZMAが踊ってて・・・去年のでした・・・。

 そんな感じで、年越しそば食って、
 さっさと寝て。なんか、2008年になると共に、食中毒も治ってしまいました。

 ちなみに、その翌日にはバスでプノンペンに移動。
 さらに、翌日にシアヌークビル移動したに、そのままダイビングの筆記試験と、
 ハードすぎる生活を送っています。

 結局、この疲れが1月一杯残ったわけで、もう、若くもないしムリはやめようと心に誓う2008年でした。



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