仕事柄、ペアを組んで業務をすることが多い。

先日、入浴介護の業務で入職して間もない私とあまり年齢も変わらない女性と一緒に仕事をした。

その女性職員は結婚経験も願望も無いそうで、歳下の男性とずっと付き合っているという。
「その人が居るから、もうずっと一緒だから、別に結婚まで考えていないです。」という。

その何気ない会話の流れで、なんとなく私に振りかかった祥一郎の死という不幸の話になった。

勿論その女性職員はその事は予め知っていて、別に聞いて驚いたわけでもなかったが、

「貴方は何十年も一緒に暮らした大好きな人が、目の前で血を吐きながら息絶えていった、そんな経験をしたことが有りますか?或いは想像したことがありますか?」

そう言ったら、

「・・・・止めてください。私まで涙が出てしまいます。」
そう答えた。

その答えに私はなんとなく、ああこの人は少なくとも冷たい人ではないのだなと思った。

私の働く部署には10何人かの職員がいる。勿論私の今回の事は皆知っているはずだが、ひと声かけてくれた人は数人だけだ。

「・・・・この度はとんだことで・。」「・・・御愁傷様でした。」「・・大丈夫ですか?」等々。

件の女性職員も、私がやっと職場に復帰した時に深々と頭を下げてくれた。

若い職員が多いからだろうか、何事も無いように、何のお悔みの言葉も無い職員の方が多い。

他人の不幸などどうでもいいと思っている人も中にはいるだろうが、概ね何と声をかけていいのか分からないというのが本音の人が多いだろう。

リアルな知人でもネット上でも、今までこちらがそれなりに親しいと思っていた人が、思いの他何の反応もないことに悲しい思いをすることがある。

それこそ何と声をかけてあげればいいのか分からないだけなのか、それともたいして気にもとめていないのか、それはわからない。


腫れものに触ってもっと腫れてしまうのではと、恐れている人も居るだろう。
要は怖がっているのかもしれない。不幸のどん底に居る人を下手にいじってどうにかなってしまうのが怖いのかも知れない。

その気持ちは分からないでもない。


しかし、私はこう思う。

こんな時は、不器用でもひと声かけてくれた方がああこの人はこの人なりに気にかけてくれているのだな、申し訳ないな、と。

こんな境遇になったからこそだろうか。
もし私が逆の立場なら何か声をかけよう何かリアクションしてみよう、たとえそれが不器用なことでも、と思う。

なんと声をかけていいか分からないから何もしないというのは、それは不幸のどん底で喘いでいる人にとって、少なくともより寂しい思いをさせるものではないだろうか。

何も言う言葉が見つからないのなら、可能であればだが、ぎゅっと抱きしめて欲しい・・・・その方が癒されるのではないか、そんな風にも思う。

今私は、不器用な言葉でもいいからひと声かけて欲しい。
或いは、多くを語らなくてもいいから傍に居て、少しでもこの気持ちを受け止めてほしい。。

こんな風に考えるのは、傲慢で贅沢なことなのだろうか。

一人で悲しみのどん底で行き場を失っている私は、癒しを求めて慰めを求めて、本当は何をして欲しいのか、迷い続けている・・・・・・・。


祥一郎よ・・・・・・

おっちゃんはお前を喪うというあまりの不幸によって、他人に多くを求め過ぎているのだろうか・・・・・

だとしたら、みっともないのかもしれないね・・・・・


↓祥一郎の供養の為によろしくお願いします。
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