気がつけばひとりだった。

隣りを歩く人、先を歩く人、後から歩いてくる人は最初の頃居たような気もするが、気がつくと私はひとりで歩いていた。

別にそれが寂しいとか悲しいとか感じる事も無く、それが当たり前のように続いていくものだと思っていた。

しかしいつの頃からか、少し離れて歩く友人ができた。

同じ道をほぼ同じ歩調であるく友人が出来た。

ひとりで歩くことが当然のように考えていた自分が、その時少しばかりこの旅の楽しみを見つけたような気がした。

自分の潜在意識の中で、やはり共に歩く人を求めていたのかもしれない。

足取りがやや軽くなったような気がした。


どれくらいそんな途を歩いただろう。

ある日ある時から、すぐ傍らを一緒に歩くパートナーができた。

滅多に交差することのない私の行く途を、稀に交差した途を歩いてきた人、その人が私の旅のパートナーとなった。

その人の歩いて来た道を遠目で眺めて見ると、私と同じような険しい途を歩いてきたようだ。

交差した途はひとつになり、私とその人はその途を、同じ途を歩くことになった。

私は歩くのが下手で、いつも転んだり足を引き摺ったりしてきたのだが、その人も私以上に歩くのが下手だった。

だから自然に私がその人を支えながら歩くことになっていった。

でもそれは苦痛でも何でもなかった。その人を助けながら歩く、それ自体が私の人生の途を歩く目的になっていったから。

行く途に何が待っているのか、それはどうでもよかった。
その人と歩けること、私にはそれがこの旅を続ける理由になったのだ。

旅は続いた。

いつしか少し離れたところを歩いていた友人は、歩くのを止めた。

そして上に登り、遠くから私達にエールを送っていると思うようにした。

いよいよこの旅を共に歩く人は、パートナーしか居なくなった。

けれどもある日突然、パートナーは歩くのを止めてしまった。

私は一生懸命支え、何とかまた歩けるようにしたかったが、その隙も与えずにその人は突然上に登って行った。

こうして私は自分の人生の途を歩く理由を失くしてしまった。

ずっと一緒に歩いて行くものだと思っていたパートナーはもう居ない。

だから私は前へ進めないでいる。

少し前へ行こうとするのだが、また同じ場所に戻って来てしまう。

かといって来た途を戻る気にもならず、同じ場所に蹲ったり立ち尽くしたりしている。

ひょっとしたら他に途が有るのではないかと探してはみるが、私には未だにそれは見えない。

目の前まで霧で覆われたような、先の見えない一本道が有るだけ。

パートナーが上に登って行ったその場所で、私は今でも右往左往している。

はたして私はこの場所でずっと蹲ったり立ち尽くしたりするのだろうか。

それとも先の見えない途を歩く気になるのだろうか。

それはまだ分からない。

ただ、先へ歩いて行く為の理由、それを探し出そうとはしている。


いつかそれを見つけよう。

パートナーと歩いた年月を胸に抱いて、自分なりの途を歩く理由をみつけよう。



私の最愛のパートナー、祥一郎よ・・・・いつかそんな風に思える日がくるといいなあ。



↓祥一郎の供養の為によろしくお願いします。
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