仕事から帰宅して部屋で寝酒だとばかりに一杯二杯と酒を飲む。

それがそれで済まなくなり、徐に外出して近所のバーのドアを開ける。

結局はそこでも少しばかりのはずが強かに酔うまで飲み、歌をがなりたて、意識を朦朧とさせてからやっとふらふらと帰途につく。


元々人間嫌いで対人恐怖症気味、臆病で無愛想な私が、酒を飲むことを覚えてそれを誤魔化すようになった。

そしてそれが自分の生業になり、十代の終りから三十代半ばまでを過ごしてきた。

別に特別酒が旨いと感じたからではない。

アルコール分解酵素が人より多少多かったのか、そこそこ飲んでも泥酔することなく、気分良く饒舌になり、こんなネガティブな自分でも人と接する事ができると思い込んでいた。

その思い込みは限りなく偽りのもので有ったのかもしれないが。

それでも私は酒を飲み、酒を売る商売で殆どの青春時代を費やした。

一人で生きるのだと覚悟を決め、唯一酒だけが友よとばかりに男の一番輝く時代を過ごしてきた。

酒を媒介にして様々な人と出逢い様々な人と別れ、時には誰かを愛し、憎みもした。

身体を悪くして酒の川が流れる夜の街から去り、壮年期に差しかかった私ではあるが、あの頃の習慣からか今でもフラフラとネオン街に彷徨い出て、バーやスナックの扉を開ける癖はそのままだ。

仕方が無い。

そのような人生を選んだのも自分だし、今更その人生の軌跡は消せはしない。

自分を構成するそんな一面を否定しようとしても、それは無駄な事だろう。


そして・・・・・・・強かに酔って何かを紛らわせ続けた自分が居なかったら、あの日あの時祥一郎と出逢う事も無かったのだから。

酔った勢いであいつに声をかけ、それが酔った勢いで無くなった。

言ってみれば酒が取り持つ縁で、私は祥一郎という伴侶と出逢う事が出来たのだ。

勿論その後の20数年間というあいつとの年月も、あの日私が酔って朝帰りなどしなかったら有り得なかった。


今私にとって酒は、あの最期の日で止まった20数年間の歴史への喪失感と、祥一郎という宝物を喪った悲しみをなんとか宥めようとする術になった。

しかし酒は一時その喪失感や悲しみを脇に置くだけで、根本的には忘れさせてはくれない。

酒は私の友であったのかもしれないが、真のパートナーである祥一郎の代わりになどなるはずも無かったのだ。

分かっている。
祥一郎の代わりなど、この世の何処にも存在しないことは。

それでも私は溺れるように、何かが見つかるのではないかと酒に手を伸ばす。

日中の陽の光に何も無くなった自分が痛めつけられ、帳が降りる頃にまた酒で自分を癒そうとする。

今宵も同じだ。

しかし、酒が友であった自分はもう戻ってはこない。

祥一郎がいつでも傍に居た自分ももう戻ってはこない。

次に来る自分はいったいどんな自分なのだろう。

そんな堂々巡りな想いを抱きながら、今夜も私は眠らせまいとする孤独と闘いながら寝床につく。

やっとうつらうつらとしつつ、(このまま何もかも終ればいいのに・・・・・)と朦朧としながら今夜も夢の中で祥一郎を探しに行くのだ。


↓祥一郎の供養の為によろしくお願いします。
にほんブログ村 セクマイ・嗜好ブログ 同性愛・ゲイ(ノンアダルト)へ


死別 ブログランキングへ