何故死んでしまったの 祥一郎の生きた証

私、けいは2015年12月28日、最愛のパートナーである祥一郎を突然喪いました。 このブログは、彼の「生きた証を残したい。」という生前の希望を綴ったものです。 そして、ゲイの死別という経験を可能な限り見つめて行きます。 #ゲイ  #死別  #孤独

2016年08月

二度のミディアムセッションを受けて

キンモクセイ

キンモクセイ 花言葉:真実


祥一郎が旅立って八ヶ月あまりが過ぎた。
その間、あいつは私と生きた年月のことをどう思い、感じ、私自身への想い、旅立つ際は何を感じ、
そして今何処で何を想うのか、それらを知りたいとずっと強く考えていた。

そして導かれるように、ミディアムという存在があるということを様々な媒体や同志から情報として得た。

そして、ミディアムシップというものを知って、藁をもすがる気持ちで祥一郎の想いを知りたいがために、一ヶ月足らずの間にそれぞれ別のミディアムさんと二度セッションを受けたわけだが。


今、その際の会話を録音したものを繰り返し、夜眠る時も聞いている。

その後、2回のセッションを比較検討していく内に、共通する事柄があることに気付いた。

それを自分の中で整理することで、祥一郎の想いの輪郭をはっきりさせることができるのではないか、
そう思った。

ここで、その2回のセッションの共通項を記してみる。

どちらのミディアムさんがどのメッセージを受け取ったのかは敢えて伏せ、順番も不同にしておく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「テレビの画面の中に、ぐーっと入り込んでいるイメージが見える。」
「パソコンの画面にずっと座っている姿を送って来ている。」

これは言うまでも無く、祥一郎は部屋に居て家事雑事をしている以外は、パソコンでブログやらツイッターやらに専念し、加えて色々なサイトに登録してメッセージのやり取り等をしていたことを示しているのだろう。


「自分の最期の瞬間の記憶が曖昧。」
「今まさに旅立とうとしている際の記憶がおぼろげで、よく覚えていない。」

あの時、祥一郎の意識は朦朧としていたせいなのだろうか。自分が叫び声を上げて転倒したことや、大量吐血したこと、私が心臓マッサージを必死で行っていた事、「祥一郎、祥一郎!!!!!」と大声で呼び掛けたことも覚えていないようだった。


「亡くなる直前、かなり後半になってから自分の身体の異常には気付いていたが、それが何であるかわかっていなかった。」
「体調が悪いのは勿論分かっていたが、診断を受けたわけでもなく、病名もわからないので自分の死の原因を理解していないようだ。」

祥一郎はあれだけネットに依存していたのに、自分の症状を調べなかったのだろうか。それともやはり認めたくなかった、或いは怖くて目をつぶっていたのか。
或いは本当に自分の状態が分かっていなかった?


「まだこの世で生きて居られると思っていた。もっと生活を良くしよう、色々な経験をしようと思っていた。」
「あのように突然旅立つとは思っておらず、その後の人生の予定、旅行に私と行ったり、犬を飼ってみたりしたいという想いがあった。」

祥一郎はこの世への未練がやはりあったということなのだろう。
まだ自分の人生を諦めておらず、ささやかな夢もあったということか。それは叶わなかったけれど・・・。


「母親とは一度逢ってはいるが、長い時間一緒に居たという感じはしない。」
「お母さんとは一度だけ逢ってはいるが、今は一緒ではない。魂の仲間とともに説明や指導を受けている。」

もうすでに先に旅立っている人やペットとは一度は面会するが、その後色々と忙しくせねばならない事があるようだ。初心者にはあちらの世界の心得や、遺してきた愛する人への対応のやり方など、習得することが有るのだろうか。


「「色々と人間関係、特に家族との軋轢があった。自分の理解者が居なかった。」
「家族、特に母親からの強い干渉があり、自分らしく生きて行くことができなかった。」

この理由が祥一郎をして早くに家から出ることになり、そして私と出逢い、それなりに自分らしく生きていくことになったのか。私はあいつの自分らしい生き方に寄与できたのか。


「貴方は自分の精神的な支柱であり、唯一の理解者であり、心を許せる人だった。」
「貴方には大変御世話になり、自分に多くのエネルギーやお金を注いでくれた。そして色々なことに耐えてくれた。」

今、祥一郎がそう思ってくれているなら、それはそれで安心する面もあるけれど、私に着いてきた事で色々と苦労したり嫌な思いもしたはずだ。それらに対して恨み事一つも無いのだろうか。

私が祥一郎を理解するのも、エネルギーを注ぐのも、支えになろうとした事も、愛していれば当然のことであり、心から祥一郎を守ろうと思っていたのも事実だ。

しかし、心配性の私は思ってしまう。「一緒に暮らして嫌な事はなかったのか?おっちゃんに一言文句を言っておきたいことは無いのか?」と。


実はまた近日中に別の方とミディアムセッションの予定が有る。

この方は前回のセッションが急に決まる前に予定していたもので、今更断るのも失礼なので、予定通り受けようと思っている。

その時は、少々怖い気もするが、もっと祥一郎と突っ込んだ話をしてみようと思っている。
上記に記したように、わだかまりは少しも無いのかも含めて。


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祥一郎のお母さんへの手紙

カーネーション

赤いカーネーション 花言葉:母の愛

お母さん、初めまして・・・・・・・・・・というのも何か変ですね。

お会いしたことは無かったけれど、祥一郎からよくお母さんの話は聞かされていました。
彼はお母さんのことが大好きだったようですね。

私には無かった母子の関係を羨ましく思ったことも有ります。

祥一郎がまだ幼く若い頃、それなりに親子の確執や気持ちの行き違い等があったのかもしれませんが、私と暮らすようになってから彼はお母さん、貴方のことを一番心配し、慕うようになりました。

もうあの頃には親子のわだかまりは消えていたと私は思います。


そうそう、彼が実家に戻った時に色々持たせてくれて、私もそのお裾わけに預かったことも多々あります。お母さんの作ってくれた菜っ葉の塩漬けは大変美味しく頂きましたよ。

その後、私が大阪へ行くことになり、祥一郎もついてきた時にはさぞ心配されたことでしょう。

でも、10年余りの大阪での暮らしでしたが、結構二人で楽しくやっていましたよ。

なかなか逢えない距離に離れてしまって、すいませんでした。

東京にまた二人で戻って来て、祥一郎もたびたび実家に帰れるようになった時には安心されたと思います。

そしてその何年か後に、お母さん、貴女が天国に召されてしまった時の祥一郎の悲しみはどんなにか大きかったことでしょう。それは一番近くに居た私がよく知っています。
強い親子の絆だったのですね。

また、お母さん、貴女がそちらへ行かれてから僅か3年余りで祥一郎もそちらへ行ってしまい、驚かれたかもしれませんね。
今頃積もる話をされているでしょうか。安らかな世界で安心して一緒に暮らされているでしょうか。
そうであることを願います。


さて、私と祥一郎の関係ですが、何をどうお伝えしたらいいのか迷っています。

でも、お母さんの息子、祥一郎と私は20数年、片時も離れず共に暮らしたことはご存じだと思います。

小さな小さな出逢いでしたが、それがいつの間にか長く長く続き、私にとって祥一郎は無くてはならない存在になりました。

私達は男同士です。お母さんにとっては複雑な想いも有ることでしょう。

それでも私は祥一郎を愛していました。いや、今でも愛しています。

それ故私はお母さん、貴方にありがとうと言いたい。祥一郎を産んでくれてありがとうと。

お陰で私は祥一郎と出逢う事が出来たのだから。

人を愛する事を知らず、愛を感じたことの無い私が、たったひとり貴方の息子である祥一郎にだけは
愛を感じることができました。愛を注ぐことができました

今、思う事があります。

もしも私と祥一郎が男と女だったら、もしかしたら結婚して子供ができ、貴女に孫の顔を見せることも出来たかも知れません。

でも、偶然か必然か私と祥一郎は同性愛者として生き、そして出逢い、愛し合ったのです。

そこには善悪も上下も無く、ましてや恥じることなど何も有りません。

お母さん、貴女の息子を人生のパートナーとして最も愛したのは私であると確信しています。
今、私の目の前にお母さんが居られても、それだけは自信を持って言えます。

だからお母さん。
現世での祥一郎を、祥一郎の人生を受け止めてあげてください。
彼は46年の短い一生を懸命に生き抜きました。そして人生の半分ほどを私と一緒に懸命に生きてきました。

でも一つ、お母さんに謝らねばならないことが有ります。

私は祥一郎と長年共に暮らしながら、私自らの至らなさ、力の無さ故に彼にあまり良い思いをさせてやれませんでした。彼の健康的な生活にもあまり力及びませんでした。

祥一郎があんな亡くなり方をした原因の一端は私に有ります。

それは幾重にも謝ります。
私がそちらに行ったら、直接貴女にそれは謝罪致します。

その上で言わせて頂きます。
祥一郎と私の絆は、彼がそちらへ行っても無くなる事はないと思っています。
私がそちらへ行ってもそれは変らないと信じています。

そしてまたどこかで生まれ変わっても、きっと祥一郎と私は再会することでしょう。

貴女と祥一郎の縁が永遠なように、私達二人の魂の結びつきも永遠だと思っています。

きっと祥一郎はまた貴女の子供として生まれ、私と再会するはずです。

それがどんな形であっても。

そしてその時が訪れたら、私は今回祥一郎にしてやれなかったことを全部してやろうと思っています。

最後にもう一度言わせて頂きます。

祥一郎を産んでくれてありがとうございました。

そしてこれからも・・・・・・・・・・・。



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この世で共に生きたかった・・・・

二輪草

二輪草 花言葉:共に生きる喜び

月日が経つほどに、祥一郎を喪った恐ろしいまでの喪失感は一向に小さくならず、寧ろ大きくなっていくのを感じる。

街を歩く度に思う。

はち切れんばかりの若さを発散した好みの若者や、涼しい目をしてスーツを着て颯爽と歩く青年、特に祥一郎の面影が何処かに見える男性を見かける度、(この人が私の伴侶だったらよかったのに・・・・・・。)

と思ってしまう。

何故なら、その人達はこの世で生きているから。

この世で生を営み、話しかける事も、一緒に食事することも、強く抱きしめる事も、それなりの関係になったらセックスだってできる。

同じこの世で生きているということが、どれほど偶然で貴重なことか。私は祥一郎の死で思い知った。

私はまだ祥一郎を愛している。逢いたくて傍に居たくてたまらない。

しかし、そんなことはもうできない。

だからそんなこの世で生きている人達に、私は上目遣いで視線を送ってしまう。気付かれぬように。

しかしあの時のように、祥一郎に声をかけたあの時のように、気軽に何も後先考えず、声をかけるなんてもうできない。

それをするには祥一郎との20年余りの年月は、そして祥一郎を亡くしたことはあまりにも私には大きな出来事だった。人生最大の事件だったのだ。

今更いくら好みの男だったとしても、あの時のように声をかけるなんてもうできないのだ。
加えてあれから20年余りも歳を取り、気力体力も無くなり、風貌も衰え、経済的な成功など望むべくも無くなってしまった。

そう思い至った時、やはり私は残りの人生を一人っきりで耐えて行かねばならないのかと改めて思い、茫然自失とする。


耐えていけるのだろうか。

耐えながら生きていけるのだろうか。

不安な心持は更に深く深くなっていく。

今私の傍で寄り添い、私を頼りに生きているのは、一匹の猫だけだ。

猫の背中を撫でながら、(こいつが祥一郎だったらいいのに・・・・・・・・・)とも思ってしまう自分が居る。

猫はそんな私の思いを知ってか知らずか、ひと声鳴くだけだ。

祥一郎は生きているとき、「おっちゃんはもう歳だがら出逢いも無いし、うちが居ったらなあかんねん。」
と言ったと聞いた。

そして旅立ってからもミディアムさんを通じて、

「いつまでも一緒だよ。ずっと一緒だよ。何処へでもついて行くよ。」

と言ってきた。

残念ながら私はまだ祥一郎が傍に居るという確証が持てない。あいつを感じる事が出来ない。

そしてまた街ゆく男性をぼーっと眺めることになる。呆けたように・・・・・・・・。

そんな惨めな自分を消し去りたくなる。

あいつは「きっとその内、うちを感じるようになる。絶対なる。」とも言った。

その時がいつ、どんな形で訪れるのか、私はそれを待つしかない。

思ったよりも早く訪れますようにと祈りながら・・・・・・・・・・。


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10年前の日記

桔梗

桔梗 花言葉:永遠の愛


つい最近、とあるSNSに書いた私の10年前の日記に「イイね。」を押してくれた人が居た。

以下がその日記だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『2005年9月23日
あいつと暮らし始めてはや15年。
二丁目の帰りに酔っ払った勢いで声かけて、しばらくしたらもう俺んちに居候。大阪に引っ越したらついてきちゃった。

仕事もせずに引きこもりになって、それを立ち直らせるのに四苦八苦。
危機はそりゃあもう数限りなく。「出て行け!」「出て行く!」のすったもんだは飽きるほど。

で、いつもしばらくしたら探しに行くのは俺。
あいつには行く所が無いのがわかっているから。俺の方が強い立場なので、それを嵩にきて追い出したら絶対後悔するから。

でもやっぱり一人になるのが怖かったのかも。
人間嫌いの、神経質なこの俺がねえ。

ってことでもう今は空気みたいな存在。居るのが当たり前。
仕事もやり出したし、やっと少しはまともになったかな?

お互い仕事が忙しくて会話もあまり無いけど、それが有るべき形なのかもしれない。

結局は結果オーライってことなのかな。

お互いの欠点どころか、エゴ剥き出しの喧嘩を何回もして、妥協点が見つかったのかも。

長かったような、そうでもないような。

ゲイ同士が一生添い遂げる例は殆ど無いかも知れない。
しかし少しでもその可能性があるなら、少しは努力してもいいかな、と思い始めている。自然体でね。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「イイね。」を押してくれなければ、私も忘れていたかもしれない、もう10年以上前に書いた、殆ど埋もれていた日記。

あらためて読み返してみると、去年までの私の気持ちとさほど変わっていない。

変ったところが有ったとすれば、最後の一文の、

「ゲイ同士が一生添い遂げる例は殆ど無いかも知れない。
しかし少しでもその可能性があるなら、少しは努力してもいいかな、と思い始めている。自然体でね。」

の部分かもしれない。

あれから10年経っても、まだ祥一郎と私は共に暮らしていた。

私達ふたりは、一緒に暮らしていく為に何か努力をしただろうか。

したかもしれないし、別にそんな力みも無く、ごく自然に年月を過ごしただけかもしれない。

そう、最後に書いたように、自然体で過ごしてきたからこその年月だったのだろう。

隣に居るのが当たり前、空気のような存在に祥一郎はなっていた。もう10年も前に。

そして10年後には空気のような存在を遥かに越えて、もう私の心身の一部、いや、半分ほども占める存在になっていた祥一郎。

一生添い遂げるために努力するどころか、もう分かち難い関係になっていたのだ。

10年前のこの日記を書いたあの頃、当たり前だが、ほんの7ヶ月前に起きたあの悲劇など一瞬たりとも考えもしなかった。

ふたりのあんな酷い別れが訪れるなどと1ミリも予想せずに、今から思い返せば本当に幸せに過ごしていた。

確かに有った二人の幸せだった年月。

苦楽を共にし、ささやかな喜びを分け合い、笑って泣いて喧嘩して、それでも身を寄せ合って暮らしてきた確かな時。

失ったものはあまりにも大きい。

しかし逆説的に言えば、私と祥一郎が生きた年月はその失った大きさ故に、確かな証として永遠に存在し続ける。

あの世に旅立った祥一郎は言った。

「二人で過ごした年月は、決して消えないよ。」。


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去って行く人、残ってくれる人

たんぽぽ

たんぽぽ 花言葉:別離


祥一郎が亡くなってから、私はどういう過ごし方をしてきただろう。

とにかく初めからわかっていた事は、独りになってはいけない、独りで居ては気が狂ってしまうに違い無い、ということだった。

なので腰の重い私にしては迅速に動いたと思う。

その動きとは、とにかく誰でもいい、友人知人に私のこの状況を伝え、電話ひとつかけてくれてもいい、直接逢って話を聞いて欲しい、できるなら一緒に居て欲しいと、訴えかけることだった。

そしてそれに応えて遠方から訪れてくれた人も居る。

私からのしつこい電話に、辛抱強く付き合ってくれた人も居る。

慰めの酒宴を何度も開いてくれたり、夜中にただ大声で泣き叫ぶだけの私の声を黙って聞いてくれた人も居る。

私はそれらに縋って、辛うじてこの途方無い悲しみや喪失感で心身が崩壊すること無く、まだまがりなりにも呼吸をし、食事をし、仕事もしている。


あまりに自分の感情が制御できないので、ときにはその自覚も無いまま行動したこともあっただろう。
それにもかかわらず私に寄り添ってくれている人は居る。
本当に感謝にたえない。


しかしながらそんな私に関わってくれた方々も当然ながら自分の生活があり、悩みや苦悩もあるだろう。

私のいつまでも変わらぬこの状態に、ずっと付き合っていく義理も無いし、現実問題不可能だろう。

どう転んでも当事者ではないのだから、お気の毒、可哀想、励ましてあげなければと当初は関わってくれていても、それぞれの生活に戻って行くのは当然の流れだ。

自分が反対の立場でも確実にそうなっていくだろう。

本音では迷惑がっている人も居ると思う。

当たり前だ。
私のこの負の感情をいつまでもぶつけて、それに寛容に接してくれる人ばかりでは無い。

いずれ私の元から距離をとって、そしてもう関わりたくないと去って行く人も出てくるだろう。

それはもう仕方ないことなのだ。

楽しく華やかなオーラを纏っているならいざ知らず、その正反対のオーラを発露している私に、好んで近づく人などそうそう居ないのは分かっているのだ。

知り合いの方が言っていた。
私と同じような経験をし、そして親しいと思っていた人がその後掌を返したように離れて行ったと思えば、その経験によって新たな人間関係ができたケースもあると。

最愛の人を亡くした人は、その後の人間関係がガラリと変わるケースも有ると言う。

要するにこういう自分の本当の危機の際に残った人間関係、それに感謝し大事にしていくこと、それが
肝要なのだろう。


それでもいまだに私の事を案じ、どんな時にでも可能な限り付き合ってくれる方々はまだ居る。

私の状態はまだ一向に好転せず、むしろ悪化する兆しを見せている。

なのでその人達にこれからも縋っていくしかない。

本当に申し訳ないと思うが、私は甘えて行こうと決めたのだ。そうせねばとても日常を送れないと確信しているから。
その過程で、知らず知らずに非常識な態度や、失礼な言動をするかもしれない。それはもう覚悟の上で、去って行く人が出るのも覚悟の上だ。

そしていつか機会が有れば、私がこの祥一郎の死という人生最悪の不幸をいつか記憶にすることができたなら、何らかの形で恩返ししなければとも思う。

まだまだ私にとって、祥一郎の死と巨大な悲しみ喪失感は現実のものとして目の前に横たわっている。

どうかそんな私のこれからも続く醜態を許して欲しい。

そしてまだ私に関わっていてくれる人達、ありがとう。

また、去っていく人達、今までありがとう。


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