何故死んでしまったの 祥一郎の生きた証

私、けいは2015年12月28日、最愛のパートナーである祥一郎を突然喪いました。 このブログは、彼の「生きた証を残したい。」という生前の希望を綴ったものです。 そして、ゲイの死別という経験を可能な限り見つめて行きます。 #ゲイ  #死別  #孤独

2017年05月

この途を歩く理由



気がつけばひとりだった。

隣りを歩く人、先を歩く人、後から歩いてくる人は最初の頃居たような気もするが、気がつくと私はひとりで歩いていた。

別にそれが寂しいとか悲しいとか感じる事も無く、それが当たり前のように続いていくものだと思っていた。

しかしいつの頃からか、少し離れて歩く友人ができた。

同じ道をほぼ同じ歩調であるく友人が出来た。

ひとりで歩くことが当然のように考えていた自分が、その時少しばかりこの旅の楽しみを見つけたような気がした。

自分の潜在意識の中で、やはり共に歩く人を求めていたのかもしれない。

足取りがやや軽くなったような気がした。


どれくらいそんな途を歩いただろう。

ある日ある時から、すぐ傍らを一緒に歩くパートナーができた。

滅多に交差することのない私の行く途を、稀に交差した途を歩いてきた人、その人が私の旅のパートナーとなった。

その人の歩いて来た道を遠目で眺めて見ると、私と同じような険しい途を歩いてきたようだ。

交差した途はひとつになり、私とその人はその途を、同じ途を歩くことになった。

私は歩くのが下手で、いつも転んだり足を引き摺ったりしてきたのだが、その人も私以上に歩くのが下手だった。

だから自然に私がその人を支えながら歩くことになっていった。

でもそれは苦痛でも何でもなかった。その人を助けながら歩く、それ自体が私の人生の途を歩く目的になっていったから。

行く途に何が待っているのか、それはどうでもよかった。
その人と歩けること、私にはそれがこの旅を続ける理由になったのだ。

旅は続いた。

いつしか少し離れたところを歩いていた友人は、歩くのを止めた。

そして上に登り、遠くから私達にエールを送っていると思うようにした。

いよいよこの旅を共に歩く人は、パートナーしか居なくなった。

けれどもある日突然、パートナーは歩くのを止めてしまった。

私は一生懸命支え、何とかまた歩けるようにしたかったが、その隙も与えずにその人は突然上に登って行った。

こうして私は自分の人生の途を歩く理由を失くしてしまった。

ずっと一緒に歩いて行くものだと思っていたパートナーはもう居ない。

だから私は前へ進めないでいる。

少し前へ行こうとするのだが、また同じ場所に戻って来てしまう。

かといって来た途を戻る気にもならず、同じ場所に蹲ったり立ち尽くしたりしている。

ひょっとしたら他に途が有るのではないかと探してはみるが、私には未だにそれは見えない。

目の前まで霧で覆われたような、先の見えない一本道が有るだけ。

パートナーが上に登って行ったその場所で、私は今でも右往左往している。

はたして私はこの場所でずっと蹲ったり立ち尽くしたりするのだろうか。

それとも先の見えない途を歩く気になるのだろうか。

それはまだ分からない。

ただ、先へ歩いて行く為の理由、それを探し出そうとはしている。


いつかそれを見つけよう。

パートナーと歩いた年月を胸に抱いて、自分なりの途を歩く理由をみつけよう。



私の最愛のパートナー、祥一郎よ・・・・いつかそんな風に思える日がくるといいなあ。



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悲しみが染み付いた顔と写真



昨日、免許の更新に行って来た。

以前中華料理の宅配の仕事をしていた関係で、一生取ることも無いと思っていた原付の免許を取ったのだが、もうその仕事を辞してから何年も経ち、バイクに乗ることも無かったので、当然無事故無違反のゴールド免許だ。

その際に都庁の免許更新センターで写真を撮ったのだが、精一杯いい顔をしたつもりが、少々写真写りがショックだった。

なんとまあ・・・・・悲しみが色濃く染み付いた顔になっていることよ。

虚ろで生気の無い眼、深く刻まれた放齢線、垂れ下がった頬・・・・・なにやら年齢が一気に5歳くらいプラスされたような、そんな表情に写ってしまった。

以前久しぶりにサウナに行って自分の身体をまじまじと眺めた時に、あまりにやつれてあばら骨さえ見えてきたことに驚いたものだが、今回も自分の顔に刻まれた深い悲しみを見て、改めてこの一年半の出来事が如何に自分にとって未曾有の不幸だったかを思い知ることになった。


まあ無理も無いといえばそうなのだが。

私の寿命があと何年有るのか知ったことではないが、確実にもう一生分悲しんで、涙を流して、孤独に打ちのめされてきたのだから。

そしてそんな日々はこれからも続く・・・・・。


しかし、私にもし何かあった時に、今回の免許の写真を遺影にされるのはかなわないなあ。

本当に少ない自分の写真を引っ張り出してマシな物を探し出し、今の内にそれを遺影にするようにエンディングノートか遺書を作成しておかないと。

祥一郎と過ごした20数年間を象徴するような、笑った自分の顔で最期を締めくくりたい。

まあもしも誰かが私を弔ってくれるならの話だが。


私がいつも部屋で過ごしているパソコンデスクには祥一郎の写真が飾ってあるのだが、これもやはりあいつの免許の画像を引き伸ばした物だ。

陽に焼けて微笑みを浮かべ、目もキラキラしていて良い顔をしている。

私は毎日その写真に話しかけているのだが、今回の事も報告した。

その時、写真が笑ったような気がしたのは、本当に気のせいだったのだろうか。


それにしても・・・・・

祥一郎よ。

沢山有ったお前の写真、そしておっちゃんと二人で撮った写真はいったいどこに有るんだい?

お願いだから有る場所を教えておくれ、祥一郎よ・・・・。


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ハリボテの街



自分の住んでいる見馴れた街を歩く。

目をつぶっても歩けるぐらい、何度も歩いた道を歩く。

あの小道、あの公園、そこの店の角、あの裏通り・・・・・・・

どれも祥一郎がよく歩いた場所。

私が仕事帰りや出先からの帰りに、祥一郎が向こうから歩いてくる。

そして無言で笑い合いながらお互いの用事を済ませ、また同じ途を部屋まで帰る。

「何処行くのん?」

「ちょっと百円ショップまで。」

「何してるん?」

「煙草買いに行っとってん。」

「晩飯、またあそこの串カツにする?」

「またあ?きょうはチャーハンがええなあ。」

そんな何気ない会話が、堪らなく愛おしい。


けれどもこの街の何処を隅々まで探しても、もう祥一郎と偶然逢うことはない。

いや、この世界中の何処を探したって、祥一郎をこの街に引き戻すことはもうできない。

だって、祥一郎はもうこの世には居ないから・・・・・。


この街のあの通り、あの店の角、あの裏通りを歩く度、私はなんと嘘臭い街並みなんだろうと思うようになってしまった。

もう祥一郎が歩くことは無い場所が、現実にそこにあるのに現実のものではないような気がする不思議な感覚。

店で働く人も途を行き来する人も、それなりの人生の重みを背負って生きているはずなのに、まるで全てがハリボテで中身など無いように感じられる。

祥一郎と私の暮らしという劇が終って、まだステージのセットが片付けられていない・・・そんな感覚も覚える。

拠り所を失った私という人間、祥一郎という帰る場所を喪った私という人間が、ただそこを虚ろに歩いている。

嘘臭い人々の営みや街の喧騒の中を・・・・・。

わかっている・・・・・・そう思っているのは私だけということは。

それでも主人公だった私は抜けがらになり、もうひとりの主人公だった祥一郎はもうこの世から去った。

なのに何故まだ劇は続く?

お願いだから早く幕を下ろしてくれたらいいのに。


そしてきょうも、魚の腐ったような目をした私は何かを探すようにこのハリボテの街を行く。

よろけながら、倒れそうになりながら・・・・・・。


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声をかけて抱きしめて欲しい



仕事柄、ペアを組んで業務をすることが多い。

先日、入浴介護の業務で入職して間もない私とあまり年齢も変わらない女性と一緒に仕事をした。

その女性職員は結婚経験も願望も無いそうで、歳下の男性とずっと付き合っているという。
「その人が居るから、もうずっと一緒だから、別に結婚まで考えていないです。」という。

その何気ない会話の流れで、なんとなく私に振りかかった祥一郎の死という不幸の話になった。

勿論その女性職員はその事は予め知っていて、別に聞いて驚いたわけでもなかったが、

「貴方は何十年も一緒に暮らした大好きな人が、目の前で血を吐きながら息絶えていった、そんな経験をしたことが有りますか?或いは想像したことがありますか?」

そう言ったら、

「・・・・止めてください。私まで涙が出てしまいます。」
そう答えた。

その答えに私はなんとなく、ああこの人は少なくとも冷たい人ではないのだなと思った。

私の働く部署には10何人かの職員がいる。勿論私の今回の事は皆知っているはずだが、ひと声かけてくれた人は数人だけだ。

「・・・・この度はとんだことで・。」「・・・御愁傷様でした。」「・・大丈夫ですか?」等々。

件の女性職員も、私がやっと職場に復帰した時に深々と頭を下げてくれた。

若い職員が多いからだろうか、何事も無いように、何のお悔みの言葉も無い職員の方が多い。

他人の不幸などどうでもいいと思っている人も中にはいるだろうが、概ね何と声をかけていいのか分からないというのが本音の人が多いだろう。

リアルな知人でもネット上でも、今までこちらがそれなりに親しいと思っていた人が、思いの他何の反応もないことに悲しい思いをすることがある。

それこそ何と声をかけてあげればいいのか分からないだけなのか、それともたいして気にもとめていないのか、それはわからない。


腫れものに触ってもっと腫れてしまうのではと、恐れている人も居るだろう。
要は怖がっているのかもしれない。不幸のどん底に居る人を下手にいじってどうにかなってしまうのが怖いのかも知れない。

その気持ちは分からないでもない。


しかし、私はこう思う。

こんな時は、不器用でもひと声かけてくれた方がああこの人はこの人なりに気にかけてくれているのだな、申し訳ないな、と。

こんな境遇になったからこそだろうか。
もし私が逆の立場なら何か声をかけよう何かリアクションしてみよう、たとえそれが不器用なことでも、と思う。

なんと声をかけていいか分からないから何もしないというのは、それは不幸のどん底で喘いでいる人にとって、少なくともより寂しい思いをさせるものではないだろうか。

何も言う言葉が見つからないのなら、可能であればだが、ぎゅっと抱きしめて欲しい・・・・その方が癒されるのではないか、そんな風にも思う。

今私は、不器用な言葉でもいいからひと声かけて欲しい。
或いは、多くを語らなくてもいいから傍に居て、少しでもこの気持ちを受け止めてほしい。。

こんな風に考えるのは、傲慢で贅沢なことなのだろうか。

一人で悲しみのどん底で行き場を失っている私は、癒しを求めて慰めを求めて、本当は何をして欲しいのか、迷い続けている・・・・・・・。


祥一郎よ・・・・・・

おっちゃんはお前を喪うというあまりの不幸によって、他人に多くを求め過ぎているのだろうか・・・・・

だとしたら、みっともないのかもしれないね・・・・・


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キッチンに立つ喜び 祥一郎のために


仕事となれば別だが、私はキッチンに立ってあれこれ思索しながら料理するのが好きだった。


まだ小学生の頃から、夜中にキッチンで色々と自分流に作り、失敗しては親に叱られたりもした。

両親に早くに捨てられ、誰も弁当を作ってくれる人がいなくても、自分で作って通学していた。

遠い昔に亡くなった伯母に聞いた話によると、私の先祖は韓国宮廷料理の流れを汲んだ料理人だったそうだ。(ひょっとしてチャングムの子孫かその傍系か?)
その先祖の想いが影響しているのかどうかは知らないが、とにかく料理することは苦にならない、。

加えて自分が食い意地が張っているというのもある。美味しいものが食べたいという欲求が人一倍強い。
(私はおうし座生まれだが、おうし座の人は大概食にこだわりがあるらしい)

一人暮らししていた頃もたまに外食はするが、概ね自炊して生活していた。

採算度外視し贅沢な材料を使って、上手くできたら悦に入って喜び、ひとりほくそ笑んで出来た料理を食べる。そんな休日も多かった。


そして・・・・・・・・

自分で美味い料理を作って一人で食べるという喜びがいつの間にか、祥一郎がずっと私の傍に居て、私の作った料理を食べてくれるという喜びに変わっていった。


出逢って一緒に暮らし始めてからは食費が二人分になったので、採算度外視するわけにはいかなくなったが、それでもあれこれ考えて、何を作れば祥一郎と私の食生活を充実させることができるのか、それが私の喜び楽しみになった。

あいつは家では口が悪いので、私の作った料理を面と向かって褒めてはくれないが、口いっぱいに頬張って全部平らげるのを見ていると、人に食べさせる快感を感じさせてくれた。

料理に満足すると「美味しかった。」とは言わず、「おっちゃんはこの料理をどこで覚えたの?」とか「どうやって作るの?」とかのたまう。これがあいつの褒め言葉だ。

たまには素直に「美味しかった、御馳走さま。」って言ってくれてもいいのに。まったく素直じゃない奴だ。でもまあ満足していたのは食べ方でわかる。

一緒に暮らすうち、私の好きなものよりも寧ろ祥一郎が何を食べたいか、それが食生活の中心になっていった。

ハンバーグ、カキフライ、キーマカレー、玉子肉巻きに挽き肉いっぱいのオムレツ、様々な中華料理、
和風の煮ものやポテトサラダやマカロニサラダ、・・・・・

あいつの好きなものは何でも作り、満足した顔を見るのが私は好きだった。

去年末、もうお粥くらいしか食べられなくなった祥一郎に、最後にまともなものを作ってやったのは鍋焼きうどんだった。
食べた後、か弱い声で「はああ、美味しかった。」と言ってくれた祥一郎。
あれが私が見た、食事をして満足げな表情をした祥一郎の最後の顔になった。



そしてあいつは逝ってしまった。

私はキッチンに立つことが悲しくなり、苦痛になってしまった。

もう一人で何かを作って食べ、悦に入ることなど出来ない自分になってしまった。

祥一郎に食べさせ、美味しそうな顔を見ることのみが私の喜びになっていたのに、もうその喜びを感じることは、未来永劫できない。

今は・・・・重い腰を上げて、何日か分の飯を炊いて冷凍し、みそ汁くらいを義務的に作るくらいだ。

何のときめきも喜びも無くなったキッチンでの作業。

祥一郎・・・・・・・・

お前のために、また料理を作りたかったよ・・・・・・・・・

でももうそれはできないんだね・・・二度とできないんだね・・・。



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けい

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