何故死んでしまったの 祥一郎の生きた証

私、けいは2015年12月28日、最愛のパートナーである祥一郎を突然喪いました。 このブログは、彼の「生きた証を残したい。」という生前の希望を綴ったものです。 そして、ゲイの死別という経験を可能な限り見つめて行きます。 #ゲイ  #死別  #孤独

2017年06月

祥一郎の大イビキ


あの頃、私には隣りで寝ている人が居た。

大の字で、或いは背中を向けて、私の方を向いて寝ている人が居た。

「グーーー、ググーーー、グーーーー」というけっこう大きなイビキをかいて、安心しきったような寝顔をして寝ている祥一郎が居た。

その鼾のせいで眠られず、あいつをツンツンと突くと、一瞬大きな目を開いて鼾は止むのだが、またしばらくすると大イビキ。

そんな戯れを何度かした後、私は諦めて眠りに入る。

眠れないのは最初だけで、あいつのイビキがやがて子守唄になり、私はまどろんでゆく。

しかしなかなか寝付けないこともあり、私はまったく鼾をかかず眠りも浅い性質なので、大イビキをかいて寝ている祥一郎が妬ましくなり、やはりツンツンと突いてみる。

そんな私の手をパシッと叩いて、あいつはまた眠りに入る。

いつもの、ふたりの夜の始まりだ。

何千回そんな夜を過ごしたことだろう。

誰かが居てくれる、傍に居てくれる、肌の温もりがある、独りじゃない・・・・その証があの祥一郎のイビキだった。



あの温かかった夜は、もう二度と来ない。

私を堪らなく安心させ、寝顔を見て、(ああ、この子は私が守ってやらなければ。)と思えた寝顔から流れてくるイビキはもう聴くことはできない。


今、私の夜の友になっているのは小さなICレコーダーだ。

二度のミディアムセッションで、ミディアムさんが伝えてきた祥一郎からのメッセージを録音したものを、もうかれこれ一年ほど子守唄代わりに聴きながら眠っている。

それを聴きながら涙を流していつの間にか寝入っている事もあれば、まんじりともせずに全部聴いてしまうこともある。

祥一郎の着ていたTシャツを枕の横に置き、その上にあいつの遺影とICレコーダーを置く。

隣りにはいつまでも誰も寝ることの無くなった、一人分の蒲団がたたんである。

独りぼっちになってしまった、それが私の夜の風景だ。


しんという夜の静けさを打ち消すように、今夜もICレコーダーから祥一郎のメッセージを伝えるミディアムさんの声が流れてくる。

その音を聴きながら、ひょっとして、いつか朝目覚めたらあの頃のように横で寝ている祥一郎の姿があるんじゃないか、いつかこの悪夢は終るんじゃないかと有り得ないことを期待しながら、私は疲れきった心身を横たえる。

祥一郎よ・・・・・・

おっちゃんのこんな夜は、いつまで続くんだろうね・・・・・・。


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幼少期の祥一郎



いつもの何も予定のないオフの日。

これもいつものように私は近くの荒川の河川敷で、ぼーっと川面を眺めていた。

するとそこへ小学生の団体が引率の教師に連れられてやってきた。

どうやら自然観察授業の一環らしく、この河川敷あたりに生息するカラスの種類について教師が生徒達に教えていた。

やれあれがハシブトガラスだのこっちがハシボソガラスだのと大声で教えていて、それに生徒達の嬌声が加わり、ひとり静かに祥一郎を偲んでいた私は、(・・・うるさいなあ、早くどこかへ行ってくれないかな)と少々煩わしく感じていた。あ

しかし大人げ無く文句を言うわけにもいかず、まだその団体は何処かへ行く様子も無かったので、自分の方からその場を離れたのだった。


しかしその時ふと思ったのだ。

当たり前だが、祥一郎にもあんな頃があったんだよなあと。

あいつはそんな幼少期の頃の話はあまりしなかったし、私も聞いたことは無かったが、僅かに覚えているのは、よく弟の面倒を見させられたことや親戚に預けられて嫌な思いをしたことなど。

今となってはもうそんな話を聞けることも無くなってしまったが、祥一郎の最初の記憶から私と出逢うまでの話をもっと聞いておけばよかったと、これも後悔している。

しかし、祥一郎の幼少期を知っている人が居る。

それは当然のことながら、あいつの父親だ。

祥一郎が生きていた頃、ほんのわずかに繋がっていた私とあいつの父親との関係は、あいつの死によって雲散霧消した。

火葬場で初めて逢ったその日を最後に、私はもう祥一郎の父親と会う術が無い。

以前にも書いたが、私が実家に赴いて祥一郎と私の20数年間の暮らしをお伝えしたい項の申し出はやんわり断られ、それが向こうの意志であることを思い知ったからだ。

けれども私はいまだに願っている。

祥一郎のこの世に産まれてから旅立つまでの歴史、全てを知りたいと。

私には知る権利があると思っている。

何故ならば、私はあいつの唯一のパートナーであり、旅立つ瞬間に立ち会い、私の腕の中であいつは死んでいったのだから。

しかしそんな私の権利は、父親にとっては関係の無いことだろう。

それでも私は願っている。

いつかそんな機会が訪れはしまいかと。

私の知らない幼少期の、まだ先の人生が真っ白な時期の祥一郎の話を、いつか父親から聞いてみたいと願っているのだ。

祥一郎の生きた46年間を全て知っておきたい。


けれどもそれは叶わぬ事なのだろう。

それがとてもやるせない・・・・・・。


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一年半が過ぎようとして・・・・・


いつもこのブログを読んでくださっている方々、改めてお礼申し上げます。

祥一郎が旅立ってはや一年半が過ぎようとしています。

一年半前のあの頃、私の心と頭は真っ白で、身体は重い泥濘の中を歩いているような、そんな日々が続いていました。

今から思えば、祥一郎の遺品の扱いや、友人知人への連絡など、(ああすれば良かった、こうすれば良かった・・・・・)と、後悔の念が後から後から湧いてきます。

しかし過ぎてしまったことはもう取り返せない。

なんとか私ひとりでも出来る事を少しずつやり始め、友人知人達の協力もあり、新盆も一周忌も無事に執り行うことができました。

日々の生活で感じることは・・・・当初の激しい悲しみと巨大な喪失感から若干姿を変え、悲しみは心の中で静かに重く澱み、喪失感からくる孤独が厚いベールとなって私を包み込むようになりました。

心のどこかで抱いていた(一年も過ぎれば、ひょっとして祥一郎と出逢う前のような独りの生活に馴れるのでは・・・)という期待は見事に裏切られ、私は未だに何かを探して、何かに縋ろうとしながら、それでもそれを見つけられずに取り敢えず生きています。

仕事はまがりなりにもしていますが、何の為に私は働いているのかという疑問は拭えず、日々の生活の営みも、(いったいこんなことをして何の意味が有るのだろう)と考えながら重い身体を引き摺って行っています。

しかし一方で、こんな生き方をしていては駄目だ、祥一郎は私のこんな生き方を望んではいない。前を向いて、あの楽しかった20数年間の想い出を糧に強く明るく生きなければならないという思いもあります。

そんな正と負の想いが絶えず鬩ぎ合っているような感覚を覚えながら、なんとか日々を送っています。

このブログも、祥一郎の生きた証を残したい、少しでも祥一郎と私が共に一生懸命生きた小さな歴史を誰かに知って欲しい、その一念でここまで続けてきました。

そして多くの同じような死別経験者の方と繋がることができ、その中でぽつぽつとLGBTの死別経験者の方々の目にも留まるようになり、お話しできる機会もありました。

そして徐々にこう想うようになりました。

LGBTの方々の死別経験は、特殊な事情が絡んでより複雑なことになる傾向があると。

別にLGBTでない方の死別経験と比較して軽いだの重いだのという事ではありません。
そもそも比較などしてもそれぞれの悲しみは何も変りませんから。

ただ、LGBTの死別経験には、ある共通項があるような気がしています。

パートナーが亡くなったことによって、法的な家族では無いことから色々な制度から零れ落ちること、望まないカミングアウトを強いられる場合があること、相手の家族の無理解からのその後の葬儀や法要からの排除、さらにその家族からあからさまな嫌悪をぶつけられる場合もあること、ふたりの関係性が閉じたものになりがちで、地域社会や人間関係の希薄さからパートナーを喪うと孤立を深めてしまうこと等々、遺された者は愛する人の死によって悲しみの極致に居るのに、更に追い打ちをかけられるような様々な事態に遭遇するケースがあるのです。

更に言えば、悲しみを癒そうとしてグリーフケアやグリーフカウンセリングに参加しようにも、LGBTに特化した団体は日本中探しても殆ど有りません。(東京に僅かに一団体、そして緒についたばかりの団体がひとつのみ)

一般のグリーフケアの団体が特別にLGBTを排除しているわけではありませんが、参加しようにも亡くなったパートナーが同性となると、二の足を踏むのもやむをえない面が多々あります。

そんな中、悶々としながらネットで検索して拙ブログに辿り着いた方が何人かいらっしゃいます。

シチュエーションやパートナーが亡くなってからの年月はそれぞれ違えど、前述したような悲しみに追い打ちをかけるような事態に遭遇した方も何人かいらっしゃいました。

そんな人達とやりとりをさせていただくようになり、お互いの胸の内を吐露しながら同じ経験をした者同志、小さな繋がりができたと思っています。

グリーフの専門家でもない者同志ではありますが、悲しみや孤独、絶望感や今後の生き方について話し合い、ほんの少しでも支え合うことができるのなら、この小さな繋がりも意味が有るのかもしれません。


本当はもうそろそろこのブログを閉じてもいい頃かなと思っていました。

更新日記を書く度に祥一郎のことが強く想い出され、恋しくなって涙ぐみことが殆どで、些か辛く疲れてきたというのが本音のところでした。

しかし何処かの誰かがこんな拙ブログでも辿り着いて、同じような経験をした人と繋がりたいという気持ちの役に立つのなら、私は力尽きるまで続けるべきではないかとも思うようになりました。

LGBTの死別経験者の、小さな小さな道標になるのなら、私のやっていることもあながち無意味な事ではないのかもしれません。

いつまで続くかは成り行き任せな面が有りますが、どうぞ辿り着いたらひと声かけてみてください。


加えて小さなことをまず初めてみました。

LINEで「あの愛があるから・・・・・」というグループを作りました。LGBTの死別経験者の方で誰かと少しでも繋がりたいと思う方が居たら、どうぞ検討してみてください。

※その際ブログの方のメッセージに、連絡可能なアドレスを記載してください。私のLINEのIDをお知らせします。

以上、祥一郎が旅立って一年半の総括として書かせて頂きました。

今後ともよろしくお願い致します。


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寂しさのあまり「真夜中のギター」を唄う


ひとりで生きていた頃もあったのに・・・・・・・・・。

誰にも干渉せず干渉されず、心底誰かを愛する事も無く愛されることも無く、ひとりで生きていた頃もあったのに・・・・。

そんな人生が当たり前のように死ぬまで続くものだと信じていたのに。

別にそんな人生が不幸だとか、報われないとか思う事も無かったのに。


今私は、身体も心も綿のように疲れきるほど寂しさに塗れている。

悲しみの後に、寂しさがやってきた・・・・・いや、悲しみが無くなったわけじゃない、それは深く重たく私の中で蟠っているけれど、寂しさがよりいっそうに巨大になり、悲しみを芯としてぐるぐると激しく回転する嵐のように私を包みこんでいる。


しんと静まり返った部屋で、時計の秒針の音が、遠くの電車の音が、閉め切った窓の外から聞こえる雨の音が、マンションの外を歩く楽しそうに喋る誰かの声が、耳をつんざくほどの大音響となって私に聞こえてくる。

それらがますます私の寂しさを増幅させる。

目をつぶり歯を食いしばり、両手で頭を抱えながらそれらに耐えようとするのだが、溜息をついて無駄な抵抗だと諦める・・・・・。


祥一郎と出逢う前に戻りたい・・・・・・・そんなことを考えるわけではない。

いや、ひょっとしたら心のどこかでそう考えているのかもしれない。

しかし一方で、祥一郎と出逢い暮らした20数年間は、私にとってかけがいのない宝物であり、誰にも何にも犯されてはならないと思っている。

そんな二つの想いが私の中で鬩ぎ合っているのかもしれない。

確かに言える事は、過去には戻れないし、私が体験してきたことはこれっぽっちも消せはしないという事だ。


私は今夜も寂しさと闘う。

どれほど力を入れてもどんなに意気込んでみても、必ず負けてしまう闘いに入って行くのだ。

そして、ほうほうの体で寂しさに変る何かを求めて彷徨う事になる。


・・・・・・・・・・
♪街のどこかに  寂しがりやがひとり  今にも泣きそうに  ギターを弾いている

愛を亡くして  何かを求めて  彷徨う  似た者同士なのね

ここへおいでよ  みんな孤独で辛い  黙って夜明けまで  ギターを弾こうよ
・・・・・・・・・・

子供の頃覚えたこの「真夜中のギター」という唄を、いつのまにか口ずさんでいる自分が居る。

でも、私にはここへおいでよと言ってくれる人も、一緒に何かをして過ごそうと言ってくれる人も居ない・・・・・・・。


祥一郎・・・・・・おっちゃん寂しいよ。

なんでおっちゃんひとり遺して逝ってしまった・・・・・・。


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パワーを制御するために。



私はパワーが強いらしい。

これは前回のミディアムシップでも言われたことで、私自身には自覚は無いのだが、パワーが強いと言われた。

ペアを組むスピリチュアルワークショップでも、手をかざすと相手が「強いね。」と言って手を下げたり、別の人と組むと、「・・・・手のひらを押される感じがするんです。とても強く。そしてピリピリするんです。」とも言われた。

このパワーの正体を詳しい人に尋ねてみると、純粋に生命エネルギーが強いのだそうだ。

このエネルギーが強い人は想念も強いので、使い方次第ではかなりな恩恵になるとか。

そして、霊能力、ヒーリング能力、現実社会で物事を実現する力にも寄与するらしい。

ということは、間違った使い方をすれば身を滅ぼすことになるのだろうか?

それが若干心配ではあるが、とにもかくにもこの自分のパワーをどうにかして祥一郎の存在を感じるために生かしたいものだ。



それにしてもパワーが強いという自覚はないのだが、若干思い当たる節も無い事はない。

例えば、私は長い間水商売をしていたが、他のお客の相手をしていても別のお客から、「貴方って愛想も悪いし御世辞も言わないけど、何か気になる雰囲気持ってるね。」と言われたことは何度か有る。

苦手なお客だったので他のスタッフに任せようとしているのに、気になると言われた私は(面倒くさいなあ・・・)と思ったことは一度や二度では無い。

また或いは、これはどんな折りにもよく言われることなのだが、話しかけて欲しくないと強く思っていると大概は誰も近づいてはこない。

所謂話しかけ難いオーラが出ていて、それがベールのように私を包んでいるらしい。

これは思い切り自覚しているのだが、私自身は決して気安く話しかけ易い人間では間違ってもない。

何となく(嫌だ・・・・)と思っている事や人間に対しての拒否のパワーは確かに強いと思う。


いやいやしかし、パワーが強いと想念も強いとなると、霊界(幽界)からの祥一郎のメッセージがなかなか感じ取れないことになるな。

実際ミディアムセッションでも、私の想念が強過ぎて合図が届かず、私の周囲の人間を通して祥一郎が色々伝えてきたというメッセージがあった。

まあ言えば迂回作戦だ。

私があまりに強く、(祥一郎、逢いたいよ・・・・傍に居るならお願いだから合図をしておくれ・・・)

と願っているので、それがバリヤーとなって私に直接届かず迂回作戦を取らざるを得なかったという。

となるとますます私のこの強いパワーの使い方を、制御しなければならない。

私の残りの人生の唯一最大の目標は、祥一郎は傍に居るという一体感を得ることなのだから、パワーがその障害となるならこれは本末転倒になる。

これはスピリチュアルな知識を更に深めないと、目標に届かない事になってしまうな。

やれやれ、もっとか弱いパワーで良かったのに。

元々私の魂が持っていたものならば仕方がない。

そのパワーと付き合いながら、なんとか操るしかないのかもしれない。


と、そんな事を想っていたら、窓の外の物干し竿にバタバタっと羽ばたく音がしてキジバトが留まった。

窓際に猫のクロが座っていたのに。

祥一郎よ、これも迂回作戦かい?



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