何故死んでしまったの 祥一郎の生きた証

私、けいは2015年12月28日、最愛のパートナーである祥一郎を突然喪いました。 このブログは、彼の「生きた証を残したい。」という生前の希望を綴ったものです。 そして、ゲイの死別という経験を可能な限り見つめて行きます。 #ゲイ  #死別  #孤独

2017年07月

川の流れの向こう


私の住んでいる街の近くに、荒川という川が流れている。

この街に来てから、仕事で疲れきった身体と頭を休めにときおり訪れて、見晴らしの良い河川敷に何時間も座ってただぼーっとする習慣があった。

この近くには大きな公園が無いので、ここが一番の癒しスポットだ。

最近、この河川敷を訪れる回数が増えた。
ぼーっとする為ではない、部屋に居てもどうしようもない感情に襲われ、叫び声を上げたくなるので、ここに悲しみや孤独感などの感情を捨てに来ているのだ。

以前はここに来ても、夕方近くになれば「さあ、祥一郎と食べる夕ご飯の用意をしなきゃ。あいつが待ってる。」と、それほど長くは居なかったが、今はただ何時間も川の流れを見つめつつ座っている。
ときおり声を出してむせび泣くこともある。


先日もそんな日だった。
日曜日でもあったので、釣りをする人、連れだってサイクリングをしている人、バーベキューを楽しんでいる人達、皆幸せそうで楽しそうだ。

隣の芝生は青く見えるのかもしれないが、いや、実際青いに違いないと思い込んでその光景を見ている私が居た。

そういえば祥一郎と一緒にこの河川敷に来た事は無かった。
あいつは個人的に、川沿いにゲイの発展場があるというので友人と一緒に覗きに来たらしいが。

弁当でも持って祥一郎と来ればよかったと後悔している。


じっと川の流れを見ていた。

ゆっくりゆっくり水が流れていく。その澱んだ流れを眺めながら、

「まるで、私の悲しみに満ちた時間の流れのようだ。」と感じた。

この川の流れ、全部が私の悲しみ、孤独、喪失感のようだ。
ふと上流の方を眺める。
大量の水が絶えること無くゆっくりゆっくり流れてくる。それが全部私の負の感情だとしたら、いつ果てるとも知れない。永遠に果て無いのかもしれない。

そんな事を考えてしまった。

河川敷を降りて、水辺に座ってみる。

(この流れの先には違う世界があって、そこに祥一郎は居ないかなあ。)

(この川に飛び込んだら、死ねるだろうか・・・・・・。)

(そうだ、この川が三途の川だったらいいのに。そうしたら向こう側に祥一郎が迎えに来てるかもしれない。)

などと荒唐無稽なことも考えてしまった。

私は段々精神がおかしくなってきてるのかなと思いつつ、ふと祥一郎の残した指環を見つめ、

(さああの部屋へ帰ろう。帰って祥一郎にお供えをし、お経を上げ、花の水を替えなきゃ。)

と思い直して、河川敷を立ち去る。

そんな習慣がついたきょうこの頃だ。

街中を歩いても何処へ行っても祥一郎の姿はもう見つけることは出来ない。

いくら信じたくなくても、この世に祥一郎は居ない。

そして私はまたこの川を訪れ、有り得もしない想いを抱きながら水の流れを見つめることになるのだろう。


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10年前の日記


つい最近、とあるSNSに書いた私の10年前の日記に「イイね。」を押してくれた人が居た。

以下がその日記だ。

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『2005年9月23日
あいつと暮らし始めてはや15年。
二丁目の帰りに酔っ払った勢いで声かけて、しばらくしたらもう俺んちに居候。大阪に引っ越したらついてきちゃった。

仕事もせずに引きこもりになって、それを立ち直らせるのに四苦八苦。
危機はそりゃあもう数限りなく。「出て行け!」「出て行く!」のすったもんだは飽きるほど。

で、いつもしばらくしたら探しに行くのは俺。
あいつには行く所が無いのがわかっているから。俺の方が強い立場なので、それを嵩にきて追い出したら絶対後悔するから。

でもやっぱり一人になるのが怖かったのかも。
人間嫌いの、神経質なこの俺がねえ。

ってことでもう今は空気みたいな存在。居るのが当たり前。
仕事もやり出したし、やっと少しはまともになったかな?

お互い仕事が忙しくて会話もあまり無いけど、それが有るべき形なのかもしれない。

結局は結果オーライってことなのかな。

お互いの欠点どころか、エゴ剥き出しの喧嘩を何回もして、妥協点が見つかったのかも。

長かったような、そうでもないような。

ゲイ同士が一生添い遂げる例は殆ど無いかも知れない。
しかし少しでもその可能性があるなら、少しは努力してもいいかな、と思い始めている。自然体でね。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「イイね。」を押してくれなければ、私も忘れていたかもしれない、もう10年以上前に書いた、殆ど埋もれていた日記。

あらためて読み返してみると、去年までの私の気持ちとさほど変わっていない。

変ったところが有ったとすれば、最後の一文の、

「ゲイ同士が一生添い遂げる例は殆ど無いかも知れない。
しかし少しでもその可能性があるなら、少しは努力してもいいかな、と思い始めている。自然体でね。」

の部分かもしれない。

あれから10年経っても、まだ祥一郎と私は共に暮らしていた。

私達ふたりは、一緒に暮らしていく為に何か努力をしただろうか。

したかもしれないし、別にそんな力みも無く、ごく自然に年月を過ごしただけかもしれない。

そう、最後に書いたように、自然体で過ごしてきたからこその年月だったのだろう。

隣に居るのが当たり前、空気のような存在に祥一郎はなっていた。もう10年も前に。

そして10年後には空気のような存在を遥かに越えて、もう私の心身の一部、いや、半分ほども占める存在になっていた祥一郎。

一生添い遂げるために努力するどころか、もう分かち難い関係になっていたのだ。

10年前のこの日記を書いたあの頃、当たり前だが、ほんの一年半前に起きたあの悲劇など一瞬たりとも考えもしなかった。

ふたりのあんな酷い別れが訪れるなどと1ミリも予想せずに、今から思い返せば本当に幸せに過ごしていた。

確かに有った二人の幸せだった年月。

苦楽を共にし、ささやかな喜びを分け合い、笑って泣いて喧嘩して、それでも身を寄せ合って暮らしてきた確かな時。

失ったものはあまりにも大きい。

しかし逆説的に言えば、私と祥一郎が生きた年月はその失った大きさ故に、確かな証として永遠に存在し続ける。

あの世に旅立った祥一郎は言った。

「二人で過ごした年月は、決して消えないよ。」。


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自我の殻を破る



「おっちゃん、もっと冒険をしてよ。」・・・・・か。

祥一郎と繋がった二度のミディアムセッションで言ってきた言葉だ。

小さな事でもいい、お金をかけなくともいい、いつもと違う行動をとってみてとも伝えてきた。

これがまた簡単なようで難しい。

仕事で疲れきっているので、オフの日になっても雑用を済ませ、いつもの公園や河川敷でぼーっと過ごし、いつものスーパーで買物を済まし、いつもの時間に風呂に入って食事をするということの繰り返し。

加えて私自身かなり保守的な人間なので、行動パターンを劇的に変えようなどとは少なくとも祥一郎が生きていた頃は考えもしなかった。

自分はこれでいい、これが自分なのだから何も変えなくともいいという強固な自我。

我ながら頑固な性格だと思う。

しかしながら祥一郎が旅立ってしまい、自分のそんな頑迷な自我を保つだけではとても時間をやり過ごせなくなってしまった。

あいつが傍に居た頃は、私がいつもと同じ行動をしていても、祥一郎がしでかす日常の些細なことが刺激やイベントになっていた。

それが自分にとっての癒しになっていたのだと、今になって嫌というほど感じている。

そして慌てふためいて、独りでも夢中になれること、外出する予定、誰か知らない人と繋がる・・・・そんな方法論を模索している。

祥一郎はそんな私の事を見透かしていたのだろうか。

だからこそのあの「冒険をして。」という言葉を伝えてきたのだろうか。

とにもかくにも、私は何かを探し、何かに縋っていかなければとても生きてはいけない。

だからこそここ最近、独りで映画鑑賞に出掛けたり、コンサートの予約を入れたり、旅行の計画を立てようとしている。

自分の強固な自我の殻を破ろうとしているのだ。

綿のように疲れきった身体がそれを阻むことも有るけれど、私は探し続けなければならない。

祥一郎の望みの為にも、私自身の為にも。

私の人生はもう黄昏を迎えている。

祥一郎の死によってその黄昏はより色合いが濃くなった。

信じられぬ早さで過ぎていく年月と自分の老化を考える時、いったい何をどこまでできるのか分からないが、私は彷徨い、探し、結果的に何も見つからなくとも何かを探し続けることになるのだろう。

何かを探すこと、それ自体が目的になろうとも。


だから、ねえ祥一郎・・・・。

おっちゃんは何処へ行けばいい?どの方向へ歩いて行ったらいいかなあ?

少しのヒントでもいい、返事をおくれ。

祥一郎よ。


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ねえ祥一郎



ねえ祥一郎。

最近また夢に逢えるようになったね。

逢えない時は半月以上も逢えないけど、逢える時は続けて逢えるんだね。

半月以上逢えないときは、(もうこのまま逢えないのかな・・・祥一郎はおっちゃんの傍から離れてもっと遠いところへ行っちゃったのかな・・・・)なんて不安になるけど、やっぱりお前はおっちゃんの傍に帰って来てくれるんだね。


ねえ祥一郎。

この頃ね、夕方ちょっと涼しくなるとあの公園にお前の写真を持ってよく出掛けるんだ。

そうだよ、お前がよく日向ぼっこをしていた公園だよ。

そこでぼーっと座って、お前の面影を探しているんだ。お前の幻でも見えやしないかと期待しているんだ。

遊んでいる子供たちや、カップルを横目に、幸せだったおっちゃんとお前の姿を探しているんだよ。


ねえ祥一郎。

お前が旅立ってしまってから冷蔵庫の中はスカスカになってたけど、この頃食材でかなり埋まってきたよ。
でもね、自炊しようとするんだけど、ヘトヘトなときはやっぱり外食や弁当を買って来て済ますんだ。

これじゃ駄目だ、もっと料理しないと腕が鈍るって思うんだけど、台所に立つとやっぱりね、あの頃の生活が今何故無いのか、悲しくなっちゃうんだよ。


ねえ祥一郎。

休みの日の予定が埋まらなくて、部屋で独りっきりの時間が堪らなく辛かったけど、人に頼るから駄目だったんだよね。

独りでもできることを始めようとしているよ。

映画を観たり、博物館へ行ったり、珍しい国の料理を食べに行ったりしようと思ってる。

年末のユーミンのコンサートもチケット取れたらひとりで行こうと思ってる。

そうそう、韓国旅行の予定も立てようとしてるんだよ。これは友達と一緒だけどね。

おっちゃんが何処へ行こうとも、お前は着いて来るんだよ。

言わなくても着いてくるよね。


ねえ祥一郎。

ペンデュラムというものを買ったよ。ダウジングをする道具だね。

これにね、お前の写真と爪と髪の毛を入れて、お前ともっと強く繋がろうと思うんだ。

その事でダウジングしたら、答えは「Yes」って出たよ。

これでお前と会話できたらいいな。


ねえ祥一郎。

寂しいよ・・・・・悲しいよ・・・・辛いよ・・・・・・。

でもおっちゃんは生きようとしているよ。

お前がそれを望むんなら、そうしなきゃね。

そして生きながらでも、お前と強く繋がろうとしているんだよ。

そこから見えるだろ?傍に居るんだろ?

一緒に力を合わせようね。


ねえ祥一郎・・・・・・・・

ねえねえ祥一郎・・・・・・・。


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私が求めている答え



祥一郎・・・・・・・

あいつは私の家族だった。紛れも無く家族だった。

幼い頃から家族なんて要らない、必要ないと思っていた、それが当たり前だった私にできた、初めての家族だった。

雨が降れば、粗末な部屋で二人でじっと雨をしのいだ。

雪が降れば、二人で表に出て、二人とも転んで笑い合った。

太陽がぎらぎら照りつければ、裸になって二人で冷たい麺を啜った。

季節がどんな顔を見せようが、空から何が降ってこようが、あいつはいつも私の傍に居た。

あいつは私の家族だった。


あいつは私の帰る場所だった。ひとりぽっちじゃないと思える帰る場所だった。

誰も居ない部屋の灯りをつけて、ひとりっきりで過ごしていた私にできた、帰る場所だった。

仕事で疲れて帰って来ても、ドアを開けるとそこにはいつもの姿であいつが座っていた。

煮詰まってくさくさしている私が、ひとりで街を彷徨い酔いどれて帰って来ても、あいつはやっぱりいつもの場所に座っていた。

私が人生にめげそうになっても、泣きたくなっても、あいつはいつもの場所に座って私を待っていた。

あいつは私の帰る場所だった。


あいつは私の全てだった。

自分の身体や心は自分のものだと思っていた。しかしいつの間にかあいつが私の中で全てを占めるようになった。

仕事をするのも、あいつの為だった。

部屋を探すのもあいつと暮らす為だった。

少ない金をどう使うかも、あいつのことをまず考えた。

どんなに生活が苦しくとも、二人分の喰い物が用意できなくなっても、あいつを手放そうと思ったことは無かった。

あいつは私の全てだった。


そんなあいつは、あの冬の朝、突然叫び声を上げ、血を吐いて死んでいった。
その目はもう、私を見ることは無くなった。

その手はもう、私に差し伸べることは無くなった。

その口で「おっちゃん・・・。」と呼んでくれることはもう無くなった。

私は家族を、帰る場所を、全てを失った。

私は何に縋ればいいんだろう。

何処へ帰ればいいんだろう。

私の中には何が有るというのだろう。

答えを考えてみる。これから先も考えてみる。

私はどんな答えを望んでいるのだろう。

悲しみや虚しさを感じなくなる日がくることか。

一人ぽっちで当たり前に暮らせるようになることか。

あいつのことを、殆ど想い出さなくなることか。

違う、違うんだ・・・・・・・・・・。

姿は見えなくとも、肉体は無くとも、何も喋ってはくれなくても、あいつはいつも私の傍に居る。

それを信じられる日が来る事を望んでいるんだ。

それが答えだ。

その答えを導き出すために、私は与えられた課題をこなして行く。

ときどき涙で先が見えなくなる時もあるけれど、それでも課題をこなして行く。

いつか、求めている答えを見つける為に。


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