何故死んでしまったの 祥一郎の生きた証

私、けいは2015年12月28日、最愛のパートナーである祥一郎を突然喪いました。 このブログは、彼の「生きた証を残したい。」という生前の希望を綴ったものです。 そして、ゲイの死別という経験を可能な限り見つめて行きます。 #ゲイ  #死別  #孤独

2018年12月

命日が終って・・・・・・・



祥一郎の命日が終って次の日。


虚脱感のような感覚に襲われ、部屋で呆然としていた。


しかしやはり呆然としていても部屋で独りでずっと過ごせるほど私はまだ立ち直っていない。


よせばいいのにまたあてもなく街を彷徨った。


年末で普段より格段に家族連れやカップルが目立つ街で、私は下を向きながらとぼとぼとほっつき歩いていた。


皆楽しそうに、新年への期待に胸を膨らませているように見えるのは、私がいじけているからなのだろう。


しかし「祥一郎・・・・・・寂しいよ・・・・・・・おっちゃんは何処へ行けばいいんだろう・・・・・・」と呟きながら歩く自分を私は制御できずにいた。


人それぞれ抱えているものはあるにしろ、新年に期待を寄せる人々。


自分はその蚊帳の外に居るんだという思いをどうしても止められない。



私にとっては年が変るのでは無く、悲しみと孤独、罪悪感に塗れたいつもの日々が月が変っても続くだけなのだ。


被害妄想、隣に芝生が青く見えているだけ・・・・・・・そういう誹りを受けるかもしれない。


けれども最愛の祥一郎を喪ってまだ三年・・・・・・・・・・・・・・自分の感情を制御できない私は愚かなのだろうか。


それとも・・・・・・・・・・・・・・・。


ねえ祥一郎よ・・・・・・・・・・・・おっちゃんは愚かかい?


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祥一郎の命日の過ごし方。



12月28日、祥一郎の祥月命日当日。


本当は劇団四季のキャッツを観に行く予定だったが、ちょっとした手違いでまたライオンキングを観に行くことになった。


三回目の観劇だったが、一番良い座席だったのでそれなりに楽しめた。


祥一郎は喜んでくれただろうか。
近い内に必ずキャッツを観に行くつもりだ。


その帰りはいつものように独りで、二丁目のいつもの店で飲んだくれた。


命日という事で、祥一郎のグラスもひとつ追加。


店のスタッフも、「きっと今、隣りに居るよ。」と言ってくれた。


そしていつものようにカラオケをがなりたてる。

祥一郎との想い出の歌。
ロマンスの神様、tommorow,、秘密の花園、ひこうき雲、Mrブルー,etc・・・・・・・・・・
祥一郎は一緒に口ずさんでくれだろうか。


祥一郎は言った。
自分の命日には部屋でお経を上げるとかしないで、おっちゃんが楽しんで欲しいと。
その姿を見れば、僕も楽しくなると。


その通りの命日を過ごしたつもりだったが、祥一郎は満足してくれただろうか。


そうれであればいいな。


けれども年末のごった返した街の中、駅に向かう私は下を向いて歩いていた。


楽しそうに歩く人々から目を逸らすことで、世の中から取り残されたような気分を払拭しようとしていた。


まだ前を向いて歩けない自分が悔しく情けない。


祥一郎よ・・・・・・・・・・


いつも言うけれど、おっちゃんはこんなにも弱かったのかな。


弱くてもいいと思っていたけれど、弱いことは辛く悲しいよ。


いつかもっと強くなれたらいいなあ。


ねえ祥一郎・・・・・・・・・・。


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あれから三年  祥一郎突然の死


あれから三年が経ちました。
悲しみと孤独、涙に塗れた長い長い三年でした。
そしてそれはこれからも続くのでしょう。
いつか美しくてほろ苦い記憶になるまで。


あの日を忘れない為に、あの日の日記を再渇します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
読者の皆様、はじめまして。

私けいはこの度、20数年苦楽を共にした相棒を突然、あまりに突然悲惨な形で亡くしてしまいました。彼の名は祥一郎と言います。

12月中ごろから下血が始まり、本人は痔だと言っていて、以前にもあったからその内治ると言っていました。痔の薬を塗布し、やり過ごしていました。

しかし20日頃から今度は腹部の張りが見られ、高熱が出るようになりました。

それでも本人は大丈夫、今に治るからと言っていました。

下血は止まらず、パンツが汚れるのでオムツを買い、熱さましも買い、痔でも座れるクッションも買い、痛み止めも買い、なんとかやり過ごそうとしましたが、それでも症状が治まりません。ときおり酷い寒気や震えも見られるようになりました。

これはやはりおかしい、何かが違うと思い、私はなんとか無料か定額で受診できる算段を模索しました。何分にもふたり食べていくのがやっとで、私にも彼の診療費を出す余裕が無く、保険証は会社のものなのでそれを貸すわけにもいかず。

27日に病院のソーシャルワーカーにも相談し、とにかく生活保護の医療扶助を受けるように動いて、病院としては来た患者を断るわけにはいかないので受診して、お金のことはその後相談しましょうとのことでした。

私は更に、住んでいる地区の共産党の議員に生活保護の医療扶助受給に協力してほしいと相談をもちかけ、その場で28日の午前中に福祉課に一緒に行きましょうとの言質を頂きました。

思えばその二日くらい前、珍しく祥一郎が「おっちゃん、手を握って。」と言ってきました。

なにを今更と思い、「さすがに弱気になったの?大丈夫、おっちゃんがなんとかするから。病院行けるようにするから。」といって軽く彼の手を握ってやりました。彼は少し涙ぐんでいました。

祥一郎は28日前夜から変なしゃっくりが止まらず、寝室でも少量嘔吐していました。本人は「昨日食べたチョコレートを吐いちゃった。」といい自分で処理してました。

そして当日です。

私も殆ど心配で寝られず、午前中に議員と福祉課に行って、その後祥一郎を近所の病院に連れて行く算段でした。

しかし早朝7時前ごろ、祥一郎は起き出してきましたが、台所でドスンという大きな音、そして悲鳴のような叫びのような声が聞こえ、駆け付けると仰向けに倒れた祥一郎が目に入り、抱き起そうとしましたが、突然口を大きく開け、私の膝の上で大量吐血したのでした。とにかく血を吐き出さそうとして私は祥一郎を横向けにし、背中をタッピングしました。しかし目の焦点は合っていず、呼吸もしていません。私はあわてて介護職の現場で習った心臓マッサージを行いました。マウスtoマウスも行いましたが、意識は戻らず、119番しました。その後もマッサージを行いましたが、祥一郎は戻って来ません。

救急隊員が到着、処置を施しましたが、それでも意識は戻りません。

そして祥一郎と私は救急車の車上の人となり、病院に到着、引き続き救急処置をおこなっていましたが、無情にも医師から、「残念ながら、心臓の鼓動は戻りませんでした。」との死刑宣告を受けました。

皮肉にも、生活保護受給に関して必要になる、千葉在住の彼の実父、弟の連絡先を前夜に詳しく聞いていたメモが手元にあり、迅速に連絡をとることが出来ました。

その時点で私は何が起こったのか、これは現実なのか、動物園の熊のように冷たい病院の廊下を行き来し、ミクシイで知り合った友人に事の顛末を連絡しました。彼は遠い横浜からかけつけてくれ、もうひとり都内の友人も駆け付けてくれました。どちらも祥一郎のことは殆ど知りません。


時間が経過し、やっと実父と弟が到着。

初めて会う得体のしれない私を見て、困惑しているようでしたが、そうも言っておられrず、私は経過を説明しました。

その前に刑事に、事件性の有無の調査でふたりが同性愛の繋がりで有ったことは説明したので、それは二人とも知っていたのでしょう。

二人とも嘆き悲しむどころか、淡々としていました。

私にはあずかり知らぬ肉親の関係性があったのでしょう。しかしその後の言葉に耳を疑いました。


「葬式はせず、明日火葬します。」

なんと、厳粛なお別れをしないというのです。

しかし肉親の言う事、私には猛然と反発することも出来ず、諦めるしか有りませんでした。


その後実父と弟と連絡先を交換し、翌日の火葬場には私も行くことになりました。

祥一郎の死に顔を見ても未だ信じられぬ私は、後ろ髪を引かれる想いで、病院を後にしました。その間ずっと横浜の友人は付き添ってくれました。その後二日間一緒に居てくれました。血だらけになった部屋の片づけも、遺品整理も手伝ってくれました。

翌日の火葬の場。

実父と弟から聞いた話では、祥一郎の死の原因は上部消化管出血によるショック死との事でした。

なぜ出血したのかは、消化管のどこかに潰瘍かガンがあったのではないか、詳しくは解剖しないとわからないとのこと。肉親に希望によって解剖は行わないことになっていました。私の意志など関係ありません。

そして火葬終了後、なんとか分骨をさせてもらえました。

弟さん曰く、「ひょっとしたら兄はその辺で野垂れ死にしたかもしれないのに、私たち肉親よりもずっと長く過ごしたけいさんに看取られて、兄もよかったと思います。」

弟さんも何か感じるところが有ったのでしょう。その言葉で少し救われた気がしました。

火葬前にも、実父が泣きじゃくっている私の背中をさすってくれていました。


その後横浜の友人と4人で、私と祥一郎の過ごした部屋へ戻り、遺品を肉親に手渡しました。

ゆっくり話す間もなく、実父と弟は帰って行きました。

遺品整理しても祥一郎の写真がほとんど見つからず、唯一最近の写真で免許証の写真を引き伸ばして、私にも送ってくれるとのことでした。

あまりにもあっけなく終わった、祥一郎とのお別れの儀式。

その後、私はがらんとした部屋で、まだまだ残った祥一郎の痕跡に囲まれながら、悲しみと苦しみと慟哭に苛まれています。

かたっぱしから友人知人に連絡し、私をひとりにしないでほしいと喚き散らしました。

それに呼応した優しい友人たちは、遠くは栃木からを始め都内からも何人も私の部屋を訪ねてくれました。電話やメールも頂いています。

それに縋って私はまだ辛うじて、心身を保っています。

思えば私は年末の21日から29日まで、1月にある介護福祉士の勉強のため長期休暇をとっていました。

それに合わせるかのように祥一郎は状態を悪化させ、まさに受診の当日の早朝に逝ってしまったわけです。

そしてあんなに嫌がっていた、肉親に知られることになる生活保護受給の件もやっと観念し、連絡先を私に教えて、その後逝ってしまったのです。

これは何かの筋書きなのかと思われてなりません。見えない存在、神?の意志に沿った筋書き。

もっと早くに私が動いていれば、もっと早くにあの子の状態を把握していれば、何ヶ月か前に血圧が高いと言って目眩がすると言っていた時点で動いていれば………悔やんでも悔やみきれるものではありません。

どうしても私の見通しが甘かったと思えてなりません。また、祥一郎本人も今まで体調が悪くなっても医者にはかからず、なんとかやり過ごしてきたという過去の不摂生が原因のひとつであったのかもしれません。

様々なことが遅すぎ、そしてあと一歩遅かった.。

祥一郎はもう居ません。



20数年の私たちの紛れも無い家族の歴史は、一瞬で閉ざされました。

お互いがお互いしか居ませんでした。

どんな時も、私がどんな境遇に陥っても祥一郎はいつも傍らに居ました。

祥一郎は逝ってしまいました。

残された私は、未曾有の悲しみと苦しみと慙愧の念と共に生きて行かねばなりません。

時間は過ぎて行きます。

いつか祥一郎の死が記憶になるまでどれほどかかるのか。それを考えながら私は茫然としています。


巨大な悲しみのために、あまり涙を流すことも出来ないでいます。

いっそ狂ってしまえばいいとも思っています。彼の記憶が無くなるように。

私は、私は、もう祥一郎無しでは生きていけないかもしれません。

運命や神という概念が本当にあるのなら、私はそれを呪います。

ひっそりと都会の片隅で肩を寄り添い、貧しくつつましく助け合って生きてきた祥一郎と私に、何の咎があったのでしょう。

誰か教えてください。誰か………


祥一郎、祥一郎、祥一郎、祥一郎、祥一郎、祥一郎、祥一郎、祥一郎…………

どこに行ったの?早く帰っておいで。

はやく病院に行かなきゃ。後のことはおっちゃんにまかしとき。

そしてはやく治って、またいつもの暮らしに戻ろう。

二人はいつも一緒だよ……いつも一緒だよ………



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最後の言葉



誰もが思う。


きょうが最後だったら。


翌日の悲しい別離が避けられない事で、きょうがふたりで過ごす最後の日だったなら、愛する人に何を伝え、何をしただろうと。


私は祥一郎をひと晩じゅう抱きしめ、楽しかった想い出の数々に感謝しただろう。


私がした愚かなことを謝り続けただろう。


そして、
「祥一郎、こんなおっちゃんと20年も一緒に居てくれてありがとう。本当にありがとう。お前だけがおっちゃんを本当に愛してくれたんだよ。そしておっちゃんの本当に愛した人はお前だけなんだよ。」

と繰り返し繰り返し伝えただろう。



「明日からお前とおっちゃんの住む世界は違ってしまうけれど、魂はいつも一緒なんだよ。いつまでも永遠に一緒なんだよ。」


「時を越えて、どんなことがあろうと、ふたりの心はいつも隣に居るんだよ。」


「そしていつか、きっと思ったより早く、また同じ世界で一緒に暮すんだよ。今度こそいつまでもいつまでも一緒に暮すんだよ。」



きょうが最後だったなら・・・・・・・・・・
語り尽くせぬ言葉が後から後から溢れ出て来るだろう。



今ここにこうして記している私の心の叫びが、祥一郎お前にはきっと届いているだろうね。


うん、きっとそうに違いない。


なあ、祥一郎よ・・・・・・・・・・・。


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最後の日の夜が更けてゆく。



祥一郎と私、いったいどこで何を間違ってしまったのだろう。


祥一郎は、私に負けず劣らず貧乏だった。
それが理由だったのだろう、まともな医療は受けてこなかった。


しかし探せば低額で診察してくれる病院や、或いはそこらの病院のケースワーカーに相談するなど、方法はいくつかあったはずだ。


けれども色々な条件があったり、ケースワーカーとの丁々発止のやり取りをしなければならないとなると、祥一郎はすぐ諦めてしまっただろう。

あいつはそういうことは特に苦手だった。


だからブログにも、「お金がなくても安心して手軽に医療にかかれるシステムが無いんだから、貧乏人は死ぬしかない。」と書いていた。


そう、お金がなければまともな医療の恩恵にはあずかれない。それは厳然たる事実だ。


そして受付のカウンターをぶったたいて、「だから治療費が払えないって言ってるだろ!だからって目の前の重病人に死ねというのか!」とわめき散らす、そんな逞しさを誰もが持っているわけではない。


お金がなければ、逞しくなければ、健康に生きてはいけない・・・・・・・・・祥一郎と私にとって、今の日本はそんな国だ。


そんな日本の東京の片隅で、少しばかり図太かった私は祥一郎の代わりになんとかしようと思い、駆けずり回った。


しかし、すべてが遅すぎた。


そしてあの三年前のきょう、12月27日は、祥一郎と私が過ごすこの世での最後の日になった。


愚かさと後悔と、悲しみと涙と孤独が翌日から長く続くことになったのだ。


祥一郎よ・・・・・・・・・

そんな弱い私達でも、20数年間一緒に居られたのは奇跡だったのかもしれないね。


その奇跡の年月だった最後の日が、今年も更けてゆくよ。


明日になればなんとかなる、きっとお前はいずれ元気になる、そんな淡い希望をもって過ごした夜が過ぎてゆくよ。



なあ祥一郎・・・・・・・・・・・悲しいよ、辛いよ、悔しいよ、寂しいよ・・・・・・・とても、とても・・・・・・・・・。


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