2006年01月16日

統一王朝と泡盛

南山王の治める佐敷(現、佐敷町)の地に
後の三山統一の英雄である
思紹・尚巴志(ししょう・しょうはし)の親子がいた

一四〇六年
佐敷上城(さしきうえぐすく)を居城とする豪族、思紹・尚巴志親子は
突如軍を率いて中山王武寧(ぶねい)の居城である浦添城を攻めた
急襲されたは浦添城はまもなく陥落、武寧も滅ぼされたのである
新たに中山王という絶大な権力の座に着いた思紹・尚巴志親子は
中山の拠点を浦添城から首里城へ移し歴史上はじめて
首里の地が国の都として機能し始める

一四一六年
今帰仁城(なきじんグスク)を拠点とする北山王攀安知(はんあんち)を撃破
残る統一の障害は南山王他魯毎(たろみー)だけとなる

一四二一年
父、思紹の死を受けていよいよ尚巴志が中山国王となる

一四二五年
明国皇帝は尚巴志の要請を受け柴山(さいざん)を団長とする使節団を遣わし
尚巴志を『琉球国中山王』に封じた

一四二七年
安国山樹華記によれば北山を支配下に治め、大国明の庇護を取り付けた尚巴志は
その絶大な権力を駆使して現在にまで受け継がれる
沖縄の世界遺産首里城の改築、整備に着手
城の周辺に大規模な造園工事を施し、人工池『龍潭』を掘らせた
余談だが彼には懐機(かいき)という中国人の政治顧問がいた
まさに懐刀である

尚巴志以前の三山時代から大国明との国交が成立し交易を得ていた琉球には
政治、軍事、土木工学、製造等の様々な分野の明国人専門家が
来琉していたことがわかっている
彼ら及び彼らの末裔達がいなければ、いまに伝わる琉球文化は
まったく違うものになっていたかもしれない

泡盛の伝来はタイ・ラオロン説が有名だが
明国との国交が成立していてかの地から多数の技術者、専門家が来琉していたという事実からも容易に『中国より伝播』という仮説にたどり着く
泡盛伝来に関しては『アジアの酒ロードを行く 泡盛浪漫』に
詳しいので詳細は譲るが、
私見としてはやはり中国伝来酒とタイより伝わったとされるラオロン、
そして口噛み酒等の原始酒が琉球の地で昇華し、
泡盛が誕生したとするのが妥当ではないかと想像している






motobu37 at 11:18|PermalinkComments(1)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2005年11月02日

三山時代と海外交易

明の正史『明実録』によると
1372年、建国まもない明朝の使者楊戴(ようさい)が来琉
中山王察度(さつと)へ朝貢を促す
その年12月には察度の弟泰期(たいき)を団長とする進貢団が明の首都南京を訪問
この進貢団こそ琉球王国の繁栄を支えた冊封・進貢関係の実質的な始まりで
後に『ラオロン』が伝来する海外交易の幕開けである
この冊封・進貢関係は廃藩置県、琉球処分まで続く

8年後の1380年10月には山南王が、1383年10月には山北王が相次ぎ入貢
当時の琉球は沖縄本島を中心に先の中山王察度を筆頭に北山、南山に
それぞれの王が存在していた事から三山時代と呼ばれている

しかしながら海外史料『明実録』『李朝実録』によると
中山の勝連按司は察度とは別に単独で朝鮮・京都・鎌倉などと交易を重ねており
琉球の万葉集『おもろさうし』においては
中城湾には貿易のための日本船が多数停泊していると詠まれている
各地域で小国家的なまとまりはあっても統一の王朝ではなかった

14〜16世紀当時、琉球からの輸出産品は硫黄、琉球馬
螺殻・海巴(らかく・かいは)といった螺鈿細工用の原料貝、牛皮(*)、小麦などで
輸入品の種類は陶磁器を筆頭に鉄材、ガラス玉・勾玉などの祭祀用具、武具、
陶磁器、高麗瓦など建築部材等が主である
輸出品目の硫黄は明において火薬の原料となり
琉球馬は広大な領地における物流手段であった
戦乱の絶えない明国においてはまさに生命線とも言える輸入品であったに違いない
逆に言えば硫黄と、琉球馬という輸出品があったからこそ
琉球は後の大交易時代の繁栄を勝ち得たと言える


motobu37 at 11:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2005年11月01日

泡盛前夜

12世紀、琉球は穀物栽培農耕・鉄器文化へと転換
それと共に各地に小国が乱立し小国の王である按司(あじ あんじ)が誕生
グスク(城)を築いて相争う戦国時代の様相を呈する 
当初グスクは按司のお屋敷程度であったが支配地域の生産力が向上するにつれ
まさに『城』と呼ぶに相応しいものへと進化していく
居住、備蓄、防衛を満たす複数の城郭
野面積みの城壁からより堅固で守りやすい切石積み城壁
戦略的な立地条件、広大な敷地
その規模も広大なものへと進化発展する

ところで意外な話だが実はこの当時から海外交易は行われている
各地にグスクを築いた按司の中でもより強力で有力な者が
競い合って日本、中国、朝鮮という近隣国へと
使者を遣わし交易を始めているのだ
なぜなら鉱物資源に乏しい琉球では
機具の耐久性向上や武器に欠かせない鉄資源は
ほとんど貿易でしか手に入らず
防衛と領地拡張の過程においては海外貿易を行うことが
絶対の条件であり、逆に言えば
海外交易を制したものが琉球を制すると言っても決して過言ではなかった

この時代に泡盛はまだない
シャム王国より泡盛のルーツであるとされる『ラオロン』が伝来するのは
まだ先のことである


motobu37 at 12:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2005年10月31日

泡盛

山川酒造の泡盛は君知るや銘酒泡盛の看板に偽りなし
沖縄がまだ琉球だった頃、16世紀後半泡盛は伝来したと言われています
以降、琉球王朝の庇護を受け熟成された泡盛は現在に至るまで
その長い伝統を守り続け、人々に愛される銘酒の座に君臨していますyamakawa-koujyo

motobu37 at 15:05|PermalinkComments(1)TrackBack(1)この記事をクリップ!