2018年09月20日

キクイモモドキ

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        瀬谷市民の森掲示板

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    画面中央 黄色い花が キクイモモドキ

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         黄色い可憐な花

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        瀬谷市民の森の木々


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         自生している木々

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   瀬谷市民の森 なかみち ここを通り抜けると
         追分市民の森に到着



9月初めの「瀬谷市民の森」も「追分市民の森」も季節が半端で綺麗な花が咲いていません

家から東の方向に歩いていくと瀬谷市民の森の入り口に到着し市民の森を縦断する「なかみち」を通り抜けると30〜40分で追分市民の森にたどり着きます
 ここは聖マリアンナ医科大学 横浜市西部病院の北側裏手のあたる場所で西側は程ヶ谷カントリー倶楽部に道路を挟んで接しています


追分市民の森に咲いていたのはキクイモモドキ(菊芋擬き)の黄色い花でした
 別 名 1 =へリオプシス(ギリシャ語「helios=ヘリオス=太陽」+opsis=オプス
                 シス=似た)
  〃  2 =ヒメヒマワリ(姫向日葵)
 花 期 夏〜初秋
 高 さ 50cm〜1.5cm
 花言葉 憧れ 崇拝 誘惑
 北アメリカ原産で日本には明治中頃渡来した帰化植物


瀬谷市民の森や追分市民の森は横浜の原生的な森に近いのですが人が暮らしの中で手入れした森なので里山と言われる環境になっています
瀬谷市民の森からは「和泉川」の源流がここから発し 追分市民の森から流れる水は「矢指川」から「帷子川」へと流れていきますがこれらの源流がここの市民の森の二つにあります
 したがって市内を流れる川の二か所の源流がこの市民の森から発していることとなリます


この市民の森の木にはスギ・ヒノキ・クヌギ・͡コナラ・オオシマサクラなどが自生している森となっています


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2018年09月11日

徳川家康命名の楽老峰

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三ツ境駅 4























   
         市営楽老ハイツの北側400mほどで中原街道

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                               楽老南公園

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市営楽老ハイツからの眺望 今日は見えませんが冬の晴日には丹沢の
左側に富士山が望めます


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                           信号が中原街道
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                 手前に進むと富士見通り商店街
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三ツ境駅から続く歩道橋を下り前方に進むと富士見通り商店街



相鉄線 三ツ境駅を出て北西側に100mほど歩くと楽老南公園と言う小さな公園があります 
 ここは瀬谷区役所発行の「瀬谷ふるさと歴史散歩道」によると楽老峰と呼ばれ古くは美屋古山と呼ばれた所で市営住宅の楽老ハイツが建ち並んでいる住宅地です
 楽浪ハイツから400mほど北に進むと左右に中原街道が通っています
冬の空気の澄んだときは富士山や丹沢連峰が望めるところです

 

慶長18年(1613年)徳川家康が中原街道を使い駿河に向かう途中 この見晴らしの良いところで休息したところこの地の住民が差し出した湯茶を飲んんだと言い伝えられています
 更にこの地を「楽老」又は「楽老峰」と命名したととの言い伝えもあります
国土地理院の「標高」でこの地の高さを調べてみますと海抜86.1mあります
楽浪ハイツを建設するとき土地を削り平らにしたようですから昔はもう少し標高もあったかと思われます


また 楽老南公園から相鉄線を渡り南に下ると「富士見通り商店街」があります
この富士見通り商店街はちょうど馬の背のように高くなった通りで商店街通りの左右の土地は一段低くなっており昔は富士山が良く見えたと思われます
 ここも国土地理院の「標高」で高さを調べてみると75.9mあり楽老ハイツから見ると
10mほど低いだけですから 昔はこの商店街の通りからも富士山が良く見えたはずです

三ツ境駅から富士見通リ商店街を通り抜け800mほど南に下っていくと右側に「宮沢」と呼ぶ地名が出てきますが昔からこの付近 田畑の多い農村地帯であったため住民の移動も多くない土地柄であったと思われ 昔からの旧家などに言い伝えが今も残り「徳川家康」が鷹狩りに来たとの伝承が今も残っているそうです


 2018.1.14のブログで「徳川家康鷹狩りの痕跡」を書き込みましたが天正18年
(1590年)初めて江戸幕府を開くため江戸に向かったのが中原街道で 東海道を使わず中原街道が好みだったようです
 このことは「駿府記」に記載されているそうです

 
横道にそれますが駿府記とは徳川家康の政治・外交・宗教・文芸などについての記録だそうですが信憑性が高く家康に関する重要な史料とのことです

瀬谷区には中原街道が横断していることから徳川家康が鷹狩りなどでこの地に出現したり地名を命名したとか また和歌を詠んだ などの痕跡が散見されるところで



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2018年08月13日

桂歌丸と吉田勘兵衛

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   今は青葉の「うたまるざくら」

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   「うたまるざくら」の掲示板

横浜埋め立て




























       関内・関外図


桂歌丸



























    桂歌丸さんの「従五位」

吉田勘兵衛2






























    吉田勘兵衛さんの「贈従五位」

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横浜橋通商店街の入り口 左側(東側)が歌丸さんの住んで
いた真金町

前回のブログで先月亡くなった落語家 桂歌丸さんに関するブログを書き込み
ましたが今回も歌丸さんです

歌丸さんの住まっていた真金町は「横浜橋通商店街」の東側の隣接地です

この付近 今から351年まで入海でした 吉田勘兵衛さんが埋め立てをしたこと
から吉田新田と呼ばれ「吉田町」「南吉田町」「新吉田川」など吉田のつく多
くはこの名残です

「横浜橋通商店街」”橋”がないのに横浜橋!!
46年前の昭和47年までは横浜橋と言う橋が架かっていました
伊勢佐木町方面から歩いてきて 昔は川であった大通公園を横切り横浜橋通商店
街に入ります
 初代の横浜橋は明治29年に完成し この時架けられてから昭和47年 市営地下
鉄工事のため川を埋め立てため76年で橋の役目を終えなくなりました

「横浜市街図」で釣鐘状の形をした関内・関外とあるところはほとんどが昔入海
です
今は横浜の中心街となっていますが真ん中の太い水色の川が新吉田川です
 埋立地の吉田新田の真ん中を水運交通の便を良くするため運河開削を進め
新吉田川として切り開きました

川は市街地のほぼ真ん中を流れますが上の方で右と左に分かれています
左に分かれた上一つ目の橋から下方に流れ ほぼまっすぐ下に向かうのが新吉田
川です

新吉田川は11か所の橋が架かっていましたが一つひとつの橋名に綺麗な名前が
付けられていました
上流から千歳橋・日本橋・坂東橋・横浜橋・長嶋橋・武蔵橋・山吹橋・千秋橋
・鶴乃橋・権三橋・蓬莱橋
 3文字で読みも響きも気持ちよい名称です

平成23年には 130店舗 長さ350mの横浜橋通商店街の名誉顧問を務めていた
桂歌丸さんにあやかり「うたまるざくら」として桜の木を商店街入り口の大通公
園 右側50mぐらいの場所に商店街の方たちにより植えられています
 今は桜も青葉が茂り他の公園の木と見分けがつきませんが 桜の花が咲くころ
また来て咲いた「うたまるざくら」の花を眺めてみたいと思います


 横浜橋通商店街協同組合は「横浜橋通商店街」の今の名称を「歌丸通商店街」
に改正しようか?との案が出ているそうです
そうなれば奥様の冨士子さんにも粋な取り扱いと喜ばれるでしょう
 それから「47代横綱 柏戸さん」「プロ野球の鶴岡さん」「柔道の斎藤仁さん」
たちと同じように桂歌丸さんには生前の功労が称えられ政府から平成30年7月2日
付けで日本国憲法施行後では12人目の「従五位」に叙せられたとのことです

吉田勘兵衛さんと「入海の埋め立てについて書くため調べていたところ大変珍し
い発見がありました
 大正13年に吉田勘兵衛さんにも「従五位」が贈られていました
ただし「贈従五位」と従五位の前に「贈」がつきますが生前に功績をあげた人に
対して没後 月日が経ってから贈る場合に「贈」をつける制度だそうです

横浜生まれで横浜育ちで亡くなった落語家 桂歌丸さん そして横浜の入海から
陸地をを生み出したとも言える吉田勘兵衛さんは下に陸地の見える高台の久保山 
常清寺に静かにねむっています
 大変珍しい偶然ですがお二人の関連付けがこのブログをアップするため発見でき
た収穫でした

「叙位」とは国や国民に対して生前多くの功労が認められた方に鄭重に厚く追悼す
る美徳で遺族・友人などの方々に大きな誉れと安らぎを与えることとなると思われ
ます

横浜橋通商店街の薬局店主の理事長と今は亡き桂歌丸師匠のお付き合いで始まった
歌丸一門の59回目の「よこはまばし寄席」が今月 8月26日開かれるそうです
薬局の定休日の日曜 午後2時からビールケースと長い板で作った講座で入場料無料
・30席で始まるそうです









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2018年08月05日

しんげいいん しゃくかがん

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真金町の「酉の市」が開かれる金刀比羅大鷲神社

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玉垣に桂歌丸さんの顕彰文字が 町内を大事にした証

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   「横浜市地域無形民俗文化財」掲示

横浜橋














 共進中・吉田中・横浜橋通商店街の位置図

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  横浜橋通商店街  伊勢佐木町側入り口


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横浜橋通商店街 この通りの右・左で中学校の学区が分かれた

平成30年7月2日亡くなった 落語家の桂歌丸さんの法名だそうです
眞藝院 釋
歌丸 法名と言いますと多分 浄土真宗だろうと思います
日蓮宗は法号と言い その他の宗派は戒名と呼ばれていますから-----


歌丸さんの想い出は二つあります
 一つは後年成人してから分かったことですが横浜市真金町の金刀比羅
大鷲神社 東京浅草の酉の市と同様横浜の酉の市と言えば金刀比羅大鷲神社
です 子供時代に何回か連れられてきたものです
平成になってからこの酉の市は「横浜市地域無形民俗文化財」になっています
 歌丸さんは真金町で富士楼と言う遊郭の経営者のおばあさまに育てられたと
のことですが金刀比羅大鷲神社は歌丸さんお住いと同じ町内だったのです
 
 二つめは就職した勤務先の同じ課の先輩に桂歌丸さんと同じ吉田中学そして
同じ学年の方が先輩にいました
 これは たぶん笑点の大喜利メンバーになったのが昭和41年 真打になったの
が昭和43年だそうですから このころ職場の先輩に聞いた話だと思います


 私の卒業した中学校が地図の左下にある「市立共進中学」 歌丸さんは地図
の右上の「市立吉田中学」に通ったそうです
不思議なこともあるもので 学区の分かれるところが「横浜橋通商店街」で
西側の高根町・白妙町・浦舟町から通学していた共進中学の同級生がかなり
居ました
 そして商店街の東側の真金町から歌丸さんが通ったのが吉田中学です
もし 歌丸さんと学区が同じであったなら同じ中学の先輩にあたる方にでした

 今日から甲子園で高校野球が始まりましたが公立高校では全国でも珍しい
春夏十数回も甲子園球場に出場した横浜市立横浜商業高等学校 俗称Y校
に歌丸さんは入りましたが落語に専念したため退校したようです 合掌





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2018年06月24日

梅と浸透圧

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三月に咲いた豊後梅です


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このガラスのボールに一杯で1.25kあります今年は
これだけ採れました


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今年の梅酒はホワイトリカー1.8Lと氷砂糖1kgを使いました


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氷砂糖・梅・氷砂糖・梅と交互に瓶に入れます つけ込み完了です

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つけ込んで12日目です 梅はホワイトリカーの中に浮かんでいます
浸透圧の作用が完了すると氷砂糖は溶けて浮いている梅は瓶の底に
着底します


三か月前の2018.3.13のブログでアップした「塩梅----」の梅の木から
梅の実が1.25kg採れました
ここ何年も実のつきが悪く収穫(それほどの量ではありませんが?)し
なかったが今年はもぎ取り梅酒を作ることにしました


作り方はオーソドックスな
 梅---------------------1.25K
 氷砂糖-----------------1K
 ホワイリカー----------1.8リットル


1 青梅は良く洗い1時間ほど水につけ あく抜きをします
2 水気をふき取り一つひとつへたを竹くしで取ります へた取りをし
  ないとえぐみが出ます
3 熱湯消毒したガラスの容器に青梅 氷砂糖を交互に入れていきます
4 ホワイトリカーを入れ蓋をして冷暗所で半年保管で飲み頃になります
 二週間の間は梅がホワイトリカーにつかるようにたまにゆすっておく
  梅酒には賞味期限がありません
 待てば待つほど熟成されコクが出て美味しくなります
  我が家では10年ほど前につけた梅酒がまだ2〜3本ほど残っています

 二種類の濃度の違う液体を隣り合わせにおくとお互い同じ濃度になろう
と移動する力が浸透圧ですが梅酒もこの作用を利用したものです

漬物もこの浸透圧の現象で出来上がりますが 梅酒つくりも浸透圧とゆっく
り溶ける氷砂糖の性質が生かされます
 梅酒をつけ込んだ当初は梅の糖度が高いため梅の実の中にホワイトリカー
が侵入して梅は膨らんでいきます 
そして 取り込んだホワイトリカーは梅にエキスと香りが溶け出します

次に 氷砂糖が溶けてホワイトリカーの糖度が上がってくると今度は逆に梅
の実の中に入ったホワイトリカーが出てきます
 この浸透圧バランスが落ち着くのが三か月から半年とされているのでこの
ころから飲みごろと言われます

普段料理で野菜の煮物や魚の煮つけに使う粉砂糖を使い梅酒を作るとホワイ
トリカーの糖度が一気に上がり梅のエキスが抽出されず  さらに粉砂糖は溶け
ずに瓶の底に留まってしまうため梅酒つくりに適さないとのことです

私は試したことはありませんがハチミツを使うと口あたり良さとコクのいい
梅酒が味わえるそうです ただしハチミツを使う場合は(梅1kgに)500g
程度で良いようです
 いつも作る梅酒は ウイスキーと焼酎と今度のホワイトリカーが定番です


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