葡萄風信子カラスの行水

2018年04月21日

ざんぎり頭を叩いてみれば--------

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眼のところ
ZANGIRIと
入っています








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口のところは
YOKOHAMA
とローマ字です









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製作者
木村賢太郎と
入っています







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山下公園と
氷川丸








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保育園児たち
が眺める海





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みなとみらい
方面











明治4年8月9日(1871年)散髪脱刀令が発せられた これは幕末から
洋式の導入が始まって------髷は結わなくてもよし-----髪型は自由  
華族士族は刀は差さなくてもよし------との布告が出された
 「結髪令」は天武11年(683年)に「自今 男も女もことごとく髪は
結うべし」と千年以上(1188年)も髷を結っていたのだから  エー”
エー”エー” と驚きですね

「ものの始まり」は横浜から始まったものが沢山ありますが山下公園
内に「西洋理髪発祥の地」の高さ2m 2トンの御影石でできた石碑が
あります
 この碑は神奈川県理容環境衛生同業組合が木村賢太郎氏に依頼し作成
したものだそうです


幕末 開港後の横浜で日本人髪結師たちが港に停泊した外国船に仕事道
具のカミソリをもって乗組員たちの顔の髭剃りを商売にするようになり
ました
 そこで出会ったのが乗組員の西洋理髪師で彼らからハサミの使い方や
理容技術などを習い 今の中華街の「同發本館」付近で明治2年理容業
を開店した(小倉虎吉)のが始まりだそうです
 したがって山下公園内の石碑は「この場所」で始まったことを示すも
のではなく この地の「横浜」で始まったことを示しています

 すなわち 散髪脱刀令の発せられる2年も前に髪結師たちは時代の先読
みや 先取りが出来ていたことになりますね 
 そして 明治天皇が明治6年に断髪したことにより時代の流れに敏感な
学生や先生・学者・役人などが「ちょんまげ」への執着を断ち切り
「散切り頭」が徐々に増えたとのことです
この断髪・洋髪と言う画期的なヘアースタイルは文明開化の象徴でもあ
りました

文明開化をうたった 都都逸とも俗謡とも言われたうたが下記の-------

 〇 半髪頭(ちょんまげ頭)を叩いてみれば因循姑息な音がする
   (古いもを ただありがたがって ぐずぐずしている)

 〇 総髪頭(長髪頭)を叩いてみれば王政復古の音がする
   (ちょんまげより 少しましだが まだまだ古い)

 〇 散切り頭(ざんぎり頭)を叩いてみれば文明開化の音がする

江戸時代から明治に入ると先進的な西洋文明がは入ってきて今までの
習慣や制度が変化し近代化・西欧化を積極的に取り入れようとする動
きが活発になります
 この近代化・西欧化が文明開化と呼ばれますが 西洋理髪もこの一翼
を担っていたんですね

明治維新後の風俗を取り入れた歌舞伎の演目に「散切物」と言うのが
あるそうです
人力車・洋装・毛布・汽車・新聞・ダイヤモンドなど洋風の物や話を前
面に出した歌舞伎で来月5月には前進座が「人間万事金世中」(にんげ
んばんじかねのよのなか)を横浜を舞台にした物語を上演するそうです
 見てみたいですね




motomoto4 at 11:27│Comments(6)

この記事へのコメント

1. Posted by shin344   2018年04月24日 22:56
もともとさん・・・こんばんは
断髪令や廃刀令の話しは良く聞きますが
「結髪令」があったとは本当に驚きでした・・・
人の髪ってどんどん伸びますが、そのまま伸ばすと
どうなってしまうのでしょうか・・・ある程度まで
伸びると止まるのか地面を引きずる位に際限なく
伸びるのかそれは分かりません・・・もしかすると
際限なく伸びる傾向にあるのかも・・・一部伸ばし
たくでも伸びない人も居られるでしょうけれど・・・
特に女性は何処までも伸びるのかも知れませんね。

そうしますと、髪を引きずって歩くなど誠にみっともない
様相になってしまうかも知れませんので「結髪令」など
が出来たのかも知れませんね・・・

我が家の古写真などを見ますと、大正時代には
男性は今の髪型ですが女性は相変わらず
丸髷を結っています・・・

大相撲や時代劇で私たち日本人には違和感がない
丁髷(ちょんまげ)・・・まげとして前に下りてくる前は
頭上に屹立するもの・・・ポニーテールのような儒者髷のようなもの、朝鮮のように月代のない髷などなど
考えれば考える程不思議な共通点とそうでないものを
感じます・・・昔の男性は髷が一種のステータスシンボルのように思えますが、女性でも恐らく武家と町民とは違うとも思えます・・・私はテレビでも本でも時代物が大好きですが、例えば時代劇の一場面・・・当時の時代に生きた人が観たら思わずワハハと笑われる場面もあるのではと何時でも思って観ていますよ・・・
2. Posted by もともと   2018年04月26日 16:44
shin344さん
いつも有難うございます

当時の人たちが断髪にするには勇気も必要だったでしょうね

 明治4年 岩倉具視の欧米視察団が留学生を含めて
107名でアメリカ・ヨーロッパに友好親善と先進国の西洋文明の視察と調査に向かったそうです
 最初の訪問国アメリカに到着したところ大勢のアメリカ人の面会があり日本人に敬意を表し熱烈歓迎されたり アメリカのおいて決断し断髪にし羽織袴をやめ洋装に変えたそうです

 その後 使節団が帰国後の明治6年に明治天皇が同じ断髪にしたそうです

3. Posted by shin344   2018年04月26日 22:07
もともとさん・・・またまたお邪魔致します・・・
(ちょんまげ)頭にピストルを乗せていると欧米人
が言った話は小学生の頃聞いた覚えがあります。
しかし、日本人が見世物になるような事は
なかったはずです・・・私が今考えますのは
今の日本人以上に当時の日本人の行儀の良さ
立ち居振る舞いの素敵さは欧米人に畏敬の念を
抱かせたと思いますがいかがでしょうか・・・
4. Posted by もともと   2018年04月27日 12:15
shin344さん いつも有難うございます
今回はご指摘有難うございます
『されたと思いきや 頭にピストル-------」云々は訂正させていただきます

 話は変わりますが欧米使節団の中に随行員で「沖守固」という方がおりましが明治20年横浜の水道工事をパークス中佐に依頼した時の神奈川県令が沖守固そして 明治24年滋賀県でロシア皇太子に切り付けた「大津事件」が発生しましたが これがまた沖守固滋賀県知事だったそうです
 珍しいめぐり合わせと思います

5. Posted by shin344   2018年04月27日 20:08
もともとさん・・・いえいえ本当に欧米人が
頭にピストルを・・・と言う記録でしたら
訂正などされないで良いのではないでしょうか・・・
私はアメリカの進駐軍が日本の丁髷を見て
そのように言ったと面白可笑しく自虐的に
小学校の先生が話していたのを覚えて
居ただけですよ・・・

「沖守固」のお話し大変に興味深くお聞きしました。
ありがとうございました。
6. Posted by もともと   2018年04月29日 09:41
shin344さん いつも有難うございます

shinさんの書き込みでハッと気づきました---
当時 岩倉使節団が欧米視察に出かけるにあたっては相当な勇気と緊張感ををもって出かけた事だと思うのです
たとえ記録に載っていても揶揄したような書き方は107名の彼ら先人に対して失礼だと思い直したのです
 どうか気になさらずに 今後共よろしくお願いいたします

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