2008年03月27日

 休館が決定された滋賀県立琵琶湖文化館で3月30日まで開催されている。同館では今年に入って、収蔵品特別公開と銘打ち、第一期「花鳥風月」、第二期「か・ざ・り」を相次いで開催し、その掉尾を飾るのがこの展覧会である。

 展示室に入って最初に感じたことは、展示されている作品群が展覧会タイトルである「仏教美術の精華」を裏切らないものであったことだ。ずらりと国・県の指定品が並んでいて、圧倒される。仏教美術の優品が滋賀県に多いという歴史的背景はもちろんだが、こうした指定品が琵琶湖文化館に数多く寄託されているという事は、同館が長年にわたって滋賀県下の文化財保護に尽力されてきたことを雄弁に語っている(私の住んでいる県にも博物館はあるが、その歴史は琵琶湖文化館の半分ほどであるし、仏教美術の優品は県外施設に寄託される傾向にある)。
 
 収蔵品特別公開ということでこの展覧会についての図録が用意されているわけではないが、ワンコインでおつりがくる展覧会と同名のハンドブックがあり、作品鑑賞の絶好の手引きとなっている。
 
 出陳されていた作品は前述のように「仏教文化の精華」といえるものだが、その中でも特に気に入った作品を羅列して、簡単な感想文を終えることにする。
 法華経(聖衆来迎寺:平安)・絹本著色六道絵(新知恩院:南宋)、絹本著色尊勝曼荼羅図(園城寺:鎌倉)、木造吉祥天立像(園城寺:鎌倉)、木造阿弥陀如来立像(観音寺:鎌倉)、絹本著色千手観音二十八部衆像(大清寺:鎌倉)、絹本著色三月経曼荼羅図(舎那院:鎌倉)、絹本著色普賢十羅刹女像(成菩提院:南北朝)

 本館でも触れたが、施設としては老朽化している面はあるが、地元の文化財の保護・公開の役割を担う先も決めないままの休館は文化政策の後退ではないかと思う。



(22:13)

2007年07月28日

 展覧会の感想を思いつつままに。ただし、内覧会で思ったこととその後ギャラリートークを聞き、図録を見て思ったことも書き加えているので、ちょっと錯綜気味。「近いうち」が一ヶ月経ってしまった。

展覧会タイトルの「幻のやきもの」について

 おそらく「知る人ぞ知る」という意味で使っていると思う。もっともκ疹討幻ならば、幻でないのは兵庫県では「丹波焼」と「出石焼」くらいだろうというのが正直なところで、素朴な感想。
 そういえば、うちの地元にもκ疹討汎瑛裕焼の技術を導入した「東山焼」というのもあり、ギャラリートークの導入部でも触れられいたのだが、地元の人が知らないという点ではおそらくκ疹討汎営度かそれ以上かもしれない。また、工芸史や骨董市場ではあまり話題にのぼらない近世に成立した窯場がいくつもあるが、それは陶芸美術館の守備範囲というより、市町史やガテン系のテーマかも知れない。

 κ疹討詫靄修文世なをすると「本歌取り」の焼物なので、本歌である中国陶磁や技術の元となった京焼も含めて展示されてあったのが良かった。
 ただ、何故ここまで中国風のものを作らなければならないかという根本の部分がなかなか実感できない。異国趣味や文人趣味(そういった面があるのを否定するわけではない)と簡単に片づけて良いものかと思う(※)。
 最近、江戸後期の知識人の評伝を読み、江戸時代に関するイメージがかなり変わってきた。少なくとも賀集κ燭糴κ疹討鮖藩僂靴審層にとっては「漢詩文」が乱暴な言い方をすれば必須の教養だっと思われ、教科書では触れられないが19世紀は「漢詩文で飯が食えて(学問で身分が超越でき)、漢詩文の出版点数もそれまで以上に増えた」時代だったようである。とすれば食器を選ぶのも趣味の問題というよりも「このデザインしかあり得ない」というところだったのかも知れない。
(※:最近、国文学の世界では従来の「仮名文」・「漢字仮名混じり文」に加えて、「日本人による漢文」も含め「古典日本語」として考え直す方向にあるらしい。明治時代の国文学者たちが「文学史という枠組み」あるいは「近代国民国家」の要請で『源氏物語』を自らも疑問に思いつつ「日本文学史上の最高傑作」に推戴するエピソードは笑える。)

κ疹討棒茶器が少ないというのも、面白いと思った点。
 18世紀半ばから売茶翁の活動に伴って、京・大坂の文人・墨客に煎茶が流行する。その中で、上田秋成・村瀬栲亭は茶器の図を描いて、初代清水六兵衛に茶器を作らせ、それが大いに流布した。後年、秋成が六兵衛から茶器を求めた際、六兵衛は秋成のお陰で大儲けができたと茶器の代金を受けとらなかった。このエピソードにあるように、京焼と煎茶器の結びつきは強く、κ審窯前後に活躍した京焼の名工達の作品にも煎茶器は多い。
 そのような中で、京焼の影響が極めて強いκ疹討棒茶器が少ないというのは「技術」の問題ではなく、「経済」の問題なのかもしれない。また、18世紀前半に長崎から伝えられた卓袱料理(大鉢に盛り、小皿・小鉢に取り分ける)が江戸では話題にならなかったものの、関西では好評のうちに18世紀を通じて供されていたようだから、その流れは19世紀も続き、エキゾチックな料理にはエキゾチックな器が用いられたのかもというのが素人の無責任な想像である。
と書いたあとで、展覧会図録を眺めているとこんな事は既に指摘されていた。
 博物館で同様の展示が行われた場合、「用途」に関する情報も会場に掲示されるのだろうが、美術館ではなかなかそうもいかないのだろう。

下絵帳
 色絵花鳥図盃洗(作品番号:52)と色絵花鳥図台鉢(作品番号:53)の解説で、花鳥のデザインがほぼ同じで「下絵帳」を用いて絵付けが行われたとあった。でも、色絵の作品というのはこの2作品に限らず、「下絵帳」に基づいて絵付けが行われているのではないのかというのが素朴な感想である。少し時代は新しく一般的な事例とは言えないかも知れないが、三田焼では結構単純な赤絵系のものも含め、下絵がある。

 下絵に関して、面白いと思ったのは色絵秋草文皿5客組(作品番号:13)である。下端中央に描かれた岩は彩色に若干の違いはあるものの、ほぼ同形同大に思えた(※)。また、秋草の種類や並び順は一緒なのだが、個々の秋草については形状にかなりの違いがある。ただ、その中でも形状の似通ったものもあるようなので、複数の下絵があるのか、コアとなる下絵を元にして、その場その場で複数の絵付け職人がアレンジを施したと考えるのかで、工房の規模も変わってくる。κ疹討砲浪竺帳や製作に関わる文書類は残っていないのだろうか?(※:ただし、改めて図録で確認すると会場で裏返して展示されていたものは岩の形が少し異なっていた。)

 個人的な興味としては、陶器の色絵と絵画の間に何らかの相関関係があるのかどうかが気になる。かって岡氏が仁清の色絵について狩野派絵師の介在を想定していたり、荒川氏が乾山の作品に中国の画譜からデザインを学んだ事を指摘されている。それを前提に置いた上で、色絵のデザインにおいて「狩野派」的な表現から「南蘋派」的なものに変化することがあるのだろうか。最近、肥前の方ではCOE研究で絵画と色絵の関係について研究がされているようなので、興味深い分野である。 

 あと、κ疹討亮容については、κ疹討κ疹討箸靴銅け入れられたのか、それとも京焼の一部として認識されていたのかなどなかなか証明しがたい疑問も生じてくるが、今後は京都からの技術導入を図った他の窯との比較も含めて、徐々に解明されていくことを期待したい。

展覧会内容とは関係のない独り言
 『月刊あいだ』に掲載されたAASアジア研究学会のレビューを読んでいると、タイモン・スクリーチが17・18世紀の東インド会社の目録では交易品の3割以上が京都に出自(Miyacoencis)を持つという発言をしており、文脈から見るとここでいう交易品は陶磁器類の事を指しているようだ。東インド会社の交易品と言えば、どうしても肥前を思い浮かべてしまうのだが、実際のところはどうなるのだろう。なお、スクリーチがコメントした研究発表の一つは陶磁器に表されたオランダと中国における図像や文字情報の融通無碍な流通についてのもの。面白そうなことをやっているなぁ。


(01:16)

2007年06月08日

 一ヶ月近く行われたリニューアルイベントも終了し、少し落ち着いたので館内を回ってみた。何かと問題のあった「貸し館」展示の幕が無事におりたことを良しとしたい。ただ、博物館自体も構成員である実行委員会が図録を発行し、作品の写真撮影を館員が行い、実行委員会経費として館が補助金を申請したイベントを「貸し館」事業と言えるのかどうかは普通に考えれば判りそうなものだ。そして、オープニングイベントが終わった時点でHPの更新が止まっているのも熱狂が去った後の脱力感を現しているのだろうか(もっとも我が社は新組織発足から2ヶ月経ってもHPは整理されていないし、モバイル版に至っては昨年度末から全く更新されていないので、偉そうなことは言えないのだが)。

 ロビーの床に印刷された兵庫県の航空写真、琵琶湖博物館の2番煎じで、しかも岡山市デジタルミュージアムのように航空写真の上に情報機器を走らせることで、地区の情報を確認できるような仕掛けもないのだが、ビジュアル面でのインパクトはある(我が社の展示部門担当者はリニューアル担当業者がアイデアを横流ししたといっているが、どっちにしてもオリジナリティに溢れたアイデアでもないし、業者はアイデアの遣い廻しで食っているのだから、あまりにもナイーブすぎる見解であろう。ただし、同じ行政体の博物館で、しかも同じ年度にオープンする館に対して同じアイデアを流用することについては業者自体の倫理とかコンサルタント能力の面で如何なものかという捉え方もできるが)。

 旧来は常設展示室の一部であった場所が、ギャラリーとされてしまったので、ギャラリーが未使用の場合は、有料スペースの導線が一方向に固定されてしまった。導線が循環ではなく、行き止まりが出来てしまった上、固定された導線は展示された資料の流れとは明らかに逆になっており、スムースな見学が妨げられている様に思える。また、ギャラリー・特別展示室は講演会なども開ける多目的スペースとも位置づけられているようだが、リニューアルイベントのスタート時のように、展示と講演会を無理して同時に行うのは健全なありようとも思えない。

 そして、展示スペース自体も大きく減じられ、少なくとも「ひょうごの歴史を一目で概観する」という構成ではなくなった。通史を止めたことを補完するための「ひょうごライブラリー」も後述のように現時点ではやや難ありと思われる。また、行き止まりのある導線も含め、通路が狭隘になった印象を持つ。エレベーターが1機増えたとはいえ、展示室に関してはバリアフリーから少し遠くなったように思える。

 ヴァーチャル歴史工房と名付けられたスクリーンでは「最新のシステムで城下町の様子」が学べるらしいのだが、番組に内包された知識量はかなりショボイ。また、姫路城および城下町をCGで作っているのだが、城下町の部分が同一パターンの組み合わせなので、同じ番組中で身分・職業によって居住区画が定まっていたという内容との間に整合性がないし、この程度の作り込みでは既に陳腐化している。それと、戦国時代の播磨の状況で「英賀城三木氏」が出てくるのだが、現在の知見では「英賀城」とか「城主」三木氏に?がついていて、「英賀寺内」と標記されることもままあるのだが、そのあたりはどうなのだろう?

 「ひょうごライブラリー」で播磨地方の文化財を検索してみた。項目はそれなりにあるように見えても、肝心の内容が伴っていない。開館後10年ほどは別として、近年は館の活動としての「文化財悉皆調査」を全く行っていないツケか、館自体に情報が蓄積されていないことが徒になっているようである。そのため、どうしても各市町のまとめた資料の丸写しにならざるを得ないのだろうが、どう考えても原資料には明記されていたであろう情報がライブラリーでは欠けているなど、学芸員の関与がほとんど無かった事を疑わざるを得ない出来映えである。

 歴史工房というハンズオン資料をおいたり、トピック展示をするスペースがあるのだが、スペースの性格や構造上、フロアスタッフの常駐が要求されると思うのだが、そういった措置は少なくともウィークデイには行われていないようだ。個人的には同一縮尺でかなりの数が作られている古代寺院の伽藍配置プレートを手に取ってみたかったのだが、スタッフがいない、鍵がかかっている、広げる場所が不明であるという三重苦状態で諦めざるを得なかった。

 レストラン・ショップの部分は、もしかしたらこのリニューアルで唯一まともに機能しているところかもしれない。ただ、リニューアル前の図録類はいったいどこで買えばいいのだろう?少なくとも、ミュージアムショップには置いていなかった。「友の会」会員の特典として図録類の割引販売が明記されているが、その際は送料を払って直接申し込むとか、館外に出て裏口に回って事務室で購入しなければならないのだろうか?(更に割引販売自体が今後はどうなるか判らないとの情報もあるが、少なくとも「過去から未来へ ひょうごのメッセージ」展の図録までは割引がないと詐欺であろう)。

 ともあれ、リニューアルを一通り見て、もしかしたらこの館の学芸員は自分の勤務先を愛していないだけではなく、個人的な興味を越えて、館を運営していこうという義務感みたいなものも消失しつつあるのではないかと思われた。


(07:00)

2007年06月07日

企画展「共生の風景」
 「古い写真には、今はもうなくなった「人と自然の共生」が写っています」というのが企画展のコピーだが、「人と自然の共生」が写っている写真ってあったっけ?と言うのが正直な印象だ。基本的に都市近郊の写真が多いし、第1次産業の写真と言っても養蚕や丹波の植林って「自然との共生」ではないでしょう。また、環境負荷を減らしていくための方向性を提示するという意図もなかったようだし。
 でも、全体としては何だか不思議な展示だった。一見、民俗学テイストが溢れているけど、カメラの原理とかサイフォン橋の原理といった光学的・物理的模型を入れてみたり、最後のコーナーは実際のまちづくりコンペ入賞案(丹波市青垣町佐治が対象地)のプレゼン資料だったり、ストーリーが流れていくというのではなく、テーマが放射状に拡散していくというか、開いていく感じがする。

「丹波の恐竜発掘速報展」
 恐竜展は展示としては盛り上がるという感じではなかった(ゴールデンウィーク中にはたくさんの入館者があったらしいが)。しかし、現実世界では、博物館・県・市の三者協定も結ばれ、行政も含めて盛り上がっている。

 この展示と直接関係ないが、我が社の幹部が本気が冗談かは別として、「どこへ挨拶に行っても、発掘と言えば丹波の恐竜なので君たちもガンバレ」というのだが、恐竜の発掘は「ハレ」の出来事(発掘したからといって土木工事に支障が出るわけでもない)、それに対しガテン系の発掘は今や現象面では「ケ」の出来事なので、頑張って済む話でもはないと思われる。もっとも、現象面(行政手続き上)では「ケ」であっても、心情的には厄介事であったり、「大阪・奈良での話」であるという状況を将来的には解消していくことも考古博物館の役割なのだろうとふと自省的になった。


(21:43)

2007年04月03日

 4室を使った展覧会。うち3室は出土品・伝世品からなる「伝統」サイド、最期がartist in residenceの手法に則った鯉江良二氏による「実験」サイドという構成である。ただ、この二つは実際には対比されるようなものではなく、脈絡や時間軸の異なったものを空間軸によって辛うじて結びついているものとも考えられる。
 ギャラリートークに参加しただけで、じっくり見たというわけでもないのだが、感想を少し書いてみようと思う。
 「伝統」サイドでは大量埋納銭に用いられた壷類に優品が多く、「古丹波」と呼称されていた未開封の茶壺の印象が強かった(作品そのものだけではなく、付帯する状況も含め)。徳利が畳状の展示台に転がった風情で並べられていたのも少しばかりの遊び心があっていいと思った。
 ただ、これら伝世品あるいは出土品を「伝統」という言葉で表して良いのかという点が少し気になったことも確かである。展示してあった作品はそれぞれが製作された時点では、その時々に丹波焼が自らを取り巻く状況に適応しようとした実験の結果ではないかと思われたからだ。その思いは展示室を出て窯元見学をした際、窯元が日常雑器という言葉に器以外のものも含めていたことで強くなった。しかし、今ここで書いたようなことは展覧会の担当者にとっては自明のことのようであり、図録には作品論だけではなく、丹波焼そのものの置かれてきた状況に迫っていく決意が述べられているように思う。今後、「白丹波」であるとか、遠州七窯という「伝承」を纏うようになった経緯などについても触れた展覧会が企画されることを期待したい。
 実験サイドの鯉江作品は観念が先走っているように思えて、それほど感銘を受けたわけではない。ただ、陶芸家にとって土が変わることの重大性を感じさせてくれたことは確かであった。そのような中で、ドローイングと釉が掛けられた甕が幾つか展示してあった所で、鯉江氏が釉を掛ける様子とドローイングの自由な感じには共通点があるというような解説があって、そのあたりは別の場所で流しているDVDで確認して欲しいとも言われたが、残念なことにウルトラマンが優先されてDVDを見ることができなかった。そこで提案(もう遅いが)、制作風景というか作家の手の動きだけのビデオを3種類(粘土をこねる・成形する・施釉する)くらいつくって、インスタレーション風に作品と一緒に展示していたら、ギャラリートークを聞きながらでも見れたのではないかと思う。ただ、図録を見る限りでは、館内分業あるいは展覧会の準備段階において「伝統」サイドと「実験」サイドの連携がうまくいっていない印象もあり、今後も伝世品+artist in residenceあるいは現存作家という形の展覧会が行われるとすれば、そのあたりの改善が望まれる。 


(21:04)

2006年10月04日

 「動物園」は企画展スペース、「水族館」は常設展入口の廊下と展示場所が一定しないが、夏休み企画の第3弾である。
 今回は展示場所が、常設展アジアの一角になっていた。虫を象った器物、人間と虫との交渉に関わる道具が展示されている。
 天井からは虫をモチーフにしたアジアのカラフルな凧が吊され、導入部には虫を象った仮面が展示されている。この仮面類の中に、縁日の屋台で売っている「仮面ライダー1号(新)」のセルロイド製のお面が展示されているのだが、これだけに資料キャプションがつけられていなかった。担当者が遊びで混ぜたものだろうか?(後述のように関係書籍のセレクションにもライダーに対するこだわりが感じられたし)。
 養蜂に関わる道具の展示は段ボールでできた蜂の巣(八角形のつつを組み合わせた)状の台におかれ、食用昆虫(缶詰中心)は片田舎の食堂を思わせるテーブルの上にディスプレイされ、メニューを模した説明シートが添えられていた。虫を象ったおもちゃ類は展示台の周囲に長短の段ボール筒を組み合わせて並べ、虫が草むらに潜む様子をイメージしていた。このあたりは「きようよりワクワク」や「キッズ・ワールド」で用いられた手法を取り入れているのだろう。
 また、それぞれのコーナーごとにキャプションの色が変えてあるほか、キャプションの背景に「ハエ・カ・イモムシ」等があしらわれている。そして、14インチ程の液晶ディスプレイが用意され、展示品に隣接して、それらが実際に使われる場面のビデオが数カ所で流されていた。
 展示場の一角には、蚊帳が吊された畳2畳とテーブルからなる休憩スペースが設けられ、昆虫と人間の関わりをテーマにした書籍を眺めたり、昆虫を象った玩具で遊ぶことができる。また、置かれていた書籍だが、民族学関係のものだけではなく、食文化をテーマにした長寿マンガの「昆虫食」を取りあげた巻や「昭和仮面ライダー」を現代に蘇らせた作品も含まれており、後者については仔虎が読みふけって蚊帳の中からでてこないので、自宅にも揃っているからと説得して読むのを止めさせる一幕もあった。なお、昆虫食の一部や昆虫をモチーフとした玩具はミュージアムショップで販売されており、それは展示場でも明示されていた。
 展示はディスプレイ方法も含めて良くデザインされていたと思うのだが、資料の選択が「非ヨーロッパ系」のものに偏っているようだった(一部、南北アメリカの資料があったが、これらが在地系、ヨーロッパ系、混淆系の何れであるかは私には判断できない)。これは虫との関わりが、ヨーロッパでは他の地域と比べて薄いためなのか、それとも民博にヨーロッパ系の資料がないためなのかも定かではない。そのあたりの素朴な疑問に答えてくれるシステムが民博の展示室なりレファレンスにあればなぁというのが、この展覧会に対する不満である。


(18:30)

2006年10月03日

 A4版4Pのリーフレット、点字でも表記があり(4p目に点字一覧表があって、点字を知らないものでも根気があれば変換可能)、タイトルは凸字印刷。タイトルだけでなく、点字資料の一つ「木刻漆塗文字」の写真1点も外周と文字の輪郭を盛り上げ、擬似的に資料をさわった感触を再現している。
 また、画期的なことは「触文化」をテーマにするだけあって、ほとんどの資料を実際に触ることができる。触ることのできる資料は文字関係だけではなく、「絵画」や「彫刻」も含まれており、視覚に頼り切った生活を送る私にとっては、触るだけでは全容をつかみきれない資料も多かった。
 リーフレットやチラシ類ではなぜだかほとんど触れられていないのだが、会場には海外の点字や凸字関係資料もかなり展示してあって、これらにも触ることができる。この中でムーン式凸字は途中失明者に現在でも広く用いられているということだったが、「見た目」には変わらないようでも、実際に触れてみると他の凸字に比べて明らかに判読しやすい事が体感できた。
 展示を見ていて何となく頭に浮かんだのは、最初から目が不自由な方はどのように周囲のことを認識しているのだろうということであった。私が展示品に触れる場合は、あくまでも視覚から取り入れたイメージをなぞりながら、あるいはイメージと比較しながら展示品に触れている。しかし、形を認識するすべが触覚しかない場合、脳内に浮かぶイメージはどのようなものだろう?想像力に乏しい私はすぐに考えるのを止めてしまったが、印象的な展覧会だった。
追記
 この展覧会に関して、(狭い世界のことであるが)画期的だと思ったことは、『考古学研究』の特集記事の一つとして、この展覧会の企画者である広瀬氏による紹介記事が掲載されたことであった。同時に掲載されていた九州国立博物館の記事に若干キレの悪さがあったのとは対照的で、広瀬氏が考古学の学術誌に執筆することになった経緯も含めて、興味深い。


(22:06)

2006年07月31日

gurigura 姫路市立美術館で開催されている。展示室へいたる廊下の壁面には、創刊以来の「こどものとも」表紙をあしらったパネルがあり、観覧者の記憶に訴えかけてくる。また、拡大された絵本のキャラクターたちのパネルがいくつも置かれており、中でも「タマゴの車に乗ったグリとグラ」のパネルは記念撮影できる仕掛けになっている。それとは別に、チケットの半券をチラシ裏面に記された手順に従って折っていけば、「グリとグラ」の帽子ができあがるという遊びもあった。
 展覧会の方は以下の五つのセクションから構成されていた。
1.みんなのともだち「こどものとも」
2.戦後、日本の絵本はここから始まった−月刊物語絵本「こどものとも」の誕生
3.タテ版からヨコ版へ、字のない絵本−新しい表現方法の追求
4.絵本で世界の旅に出る−昔話で伝える世界の暮らしと文化
5.さらなる50年に向かって−これからの「こどものとも」
 セクション1では「グリとグラ」や「グルンパ」等のロングセラー絵本のキャラクターを紹介していた。
 セクション2は最初の10年間を中心に、様々な分野のクリエーターが「こどものとも」へ参入してきたことが紹介されていた。
 セクション3は版型の変更が絵本に与えた影響や新たな表現の模索が行われた様子をとりあげている。
 セクション4では外国の民話・伝説などを素材にした絵本が紹介されていたのだが、日本人作家による絵だけではなく、それぞれの物語を伝えてきた国の作家によるものもあった。
 セクション5は最近の作家を紹介しており、家族全員の好きな秋山あゆ子作『くものすおやぶんとりものちょう』の原画も展示されていた。

 普段は2倍版の世界で生きているので、原画と仕上がりがほぼ同じだということが何回見てみても新鮮だ。また、原画の方がおおむね製本されたものよりみずみずしい感じがする。また、定番とは言え、読書コーナーも広めに設定されていて、子どもと一緒に愉しむことができた。ただ、一つ残念なことは、この展覧会には図録がないこと(開会1週間で売り切れたのでなければ)である。グッズ販売のコーナーには「こどものとも」の絵本や、キャラクターグッズ(絵葉書・便箋・一筆箋・クリアファイルなど)と共に『おじいさんがかぶをうえた』という福音館が「こどものとも」50周年記念出版として刊行した「こどものとも」の歴史を振り返る本が置かれていた。一部展覧会の内容とも重複する点があるとはいえ(セクション1・2と5の一部)、特にセクション3・4にかけての部分は当該書ではほとんど触れられていない。多くの作家の作品を扱う展覧会であるため、著作権の問題をはじめ作品を印刷物に収録するための手続きが煩瑣であったり、予算的にも苦しいものがあったかもしれないが、「鑑賞ガイド」という展示作品目録だけではなく、8p程度のリーフレットがあるだけでも、新旧「こどものとも」読者層にはありがたかったのではないだろうか。3年ほど前に同美術館で開催された「絵とものがたり」展や昨年の夏休み企画では興味深い図録が作成されていたので、今後の展覧会では是非オリジナル図録を作っていただきたい。


(21:37)

2006年06月30日

 久しぶりに兵庫県立歴史博物館(以下、同館)を訪問する。リニューアルを控えて、展示室は閉鎖中だが、ロビーでミニ展示をしており、講座関係は夏まで開かれている。
 そのような中、歴博ゼミナール「メイクアップの近代史」を聴講した。
 普段の仕事とは全く関係ないが、4年前(2002年)に芦屋市美術博物館で開催された「モダニズムを生きる女性−阪神間の化粧文化」展を紹介した新聞記事で「人前(電車内)で化粧する事もあった」と書かれていた。このことについて、何らかの回答が得られるのではないかと思い、参加した。

 ゼミナールの冒頭で、担当学芸員さんが今回の発表の趣旨を話した。リニューアル後の同館では「歴史工房」というテーマ展示室ができ、「メイクアップの近代史」はそのテーマの一つで、同館が春以来集中して開催しているゼミナール・連続講座は「来年度の解説ボランティアの養成セミナー」も兼ねているのだとか。ちなみに、「メイクアップの近代史」は再来年度(予算がつけば)のテーマということで、今回の内容を再来年まで頭の片隅に留めておいて欲しいとも言っていた。こういった、いわば裏話をするということは10人ほどの聴講者は「再来年度の解説ボランティア予備軍」だったのだろうか。しかし、展示解説の研修も兼ねているというなら、A4版1枚で大項目を羅列しただけのレジュメだとちょっとキーワード集にもならないのではというのが部外者である私の正直な感想であった。

 ゼミナールの内容は、髪型・化粧品・化粧法について、明治初期から第2次世界大戦前までを取り扱ったものだったが、主として髪型の変遷をおったものだった。西洋人から見て「野蛮な」習俗から廃れていくというのが興味深い。また、鉛害が言われながらも「おしろい」の使用がやまないのも(それが学芸員氏の言うように「女性の美に対する追求心なのかは置くとして)、いったん確立された文化の堅牢さを物語っているように思えた。
 ただ、全体を通しては、雑誌や写真に残された髪型などを10年単位でピックアップ・羅列するという内容であったように思う。
 新しい髪型・化粧法が発信され、それが受容さて、定着するという流れを考えた場合、情報の発信者と消費者とをつなぐ媒介者があるように思う。
 学芸員は雑誌情報が直接消費者に達し、それで流行が起こり、定着すると考えられていた。ただ、髪型の場合は「洋髪」を実現できる髪結いというか美容師が必要であるし、化粧法は雑誌に掲載できても、実際の化粧品を提供する場が整備されていなければ、化粧は出来ない。ブリコラージュ的に従前の技術や材料で似たものを実現すると言うこともあったのかもしれないが、印刷メディアに表れた事象を追いかけるだけではなく、現実にそれらが定着していく際のシステムにも少し触れていただきたいと思った。また、今回の講演で取り上げられた情報が中央に限られているためか、兵庫県(都市部ということであれば、京阪神間)の状況についてもほとんど触れられなかったのも気になる点である。

 講演会終了後、いくつか質問を受けていただいたが、残念ながらはっきりしたお答えはいただけなかった。その点に関して、不満がないといえば嘘になるが、展示が無事できあがった際には解説ボランティアの方に同じ問いかけをしてみようと思う。一般聴講者からの質問にはなかなか時間がとれないが、解説ボランティアから同様の質問が出れば学芸員さんもそれなりに真摯に答えてくれるのではないかと思う。
 学芸員さんは冒頭で触れた「モダニズムを生きる女性」展についてもご存じではなかったようだが、同館が所蔵する「入江コレクション」には、メインとなる児童文化関係資料だけではなく、大正・昭和期の百貨店広報誌やポスターなど都市生活に関する資料も多く含まれていると聞くので、展示に無事予算が付いた暁には、さらに立体的なメイクアップの近代史が語られることを期待したい。


(07:24)

2006年06月29日

 久しぶりに陶磁資料館へ行くと、子ども向けのハンズ・オン展示というか、ミニ・ワークショップみたいなものが4種類ありました。HPで確認してみると「やきものに触れて遊ぼう!」というコーナーのようです。

「その1:鳴いたのは誰だ?」
 10体くらい陶製の狛犬が置かれていて、その中から音が鳴る(陶鈴になっている)狛犬を見つけるもの。鳴る狛犬の個数は全体のは1/3から1/2くらいに思えました。導入部分を見逃していたのですが、外見だけから判断させるもののようです。答えは底面から側面にかけてスリットがあるものが「鳴る狛犬」。

「その2:やきものをさがせ?」
 中が見えない箱が5つあり、それぞれに器が1個ずつ納められていて、触覚だけで「焼物を見分ける」。ちなみに、入っていたのはスチール製の洗いカゴ、プラスティックの汁碗、ガラス製灰皿、磁器の飯碗、表面に突起のついた合成樹脂のボールで、ボール以外はほぼ同じ大きさのものが使われていました。
職員の方の話では灰皿と飯碗の区別がつきにくいとのこと。

「その3:石なの? これもやきもの」
 大小20個くらいの「陶製」の石に本物の石が1個だけ混ぜてあり、それを
発見するというもの。「陶製」とはいっても、見た目はそっくりでした。導入では、一番大きい石(陶製)を持ち上げてもらい、石のようには見えるけれども陶器であることを示した後、本物の石を捜すというもの。ちなみに、「石」の周りには陶製の「落ち葉」もたくさんまき散らしてありました。
 一番簡単な(体力のいらない)方法は、指で弾いて音を聞くというもの。陶製の石は全て中空なので「カンカン」と高い音がします。また、持ち上げて裏を見る、表面観察でヒビや空気抜き孔を見つけるという方法もあります。

「その4:パズルにチャレンジ」
 3種類あったのですが、うち2種類しか覚えていません。一つは出来上がりが「耳付き壺」になるもので、一つ一つのパーツが「蛸」を象ったものでした。もう一つは出来上がりが「魚」で一つ一つのパーツが「狛犬」を象っていたと思います。

 狛犬やパズルは外注品とも思えなかったので、資料館のボランティア組織や協力者が作成されたものではないかと思っています。
 今は展示内容が渋めなので、仔虎と仔龍にとっては息抜きにはなったようでした。HPを見ると最近始まった期間のイベントのようだった。

 当初の目的であった「木村定三コレクションの茶陶」は良いものが揃っているように思えた。とある茶会で用いられた道具類がピックアップして展示されていたが、茶道に縁のない身としては、その取り合わせが使用された空間を想像するのは難しい。パネルで、掛け物として使われた若冲の「六歌仙図」が紹介されていた。「果蔬涅槃図」にも通じる諧謔味がある。機会があれば愛知県美術館に所蔵されている実物にも接してみたい。最後に、所蔵者の手元でコレクションがどのように梱包されていたかを示す展示があった。入手した作品にあわせて風呂敷をあつらえ、風呂敷の隅に作品名と「お気に入り度」によって数が増減する○が書き込まれている。コレクターの想いとか人となりを推し量る上で、こういった展示は良いのではないかと思う。


(21:10)