2005年12月31日

 京都市立美術館で見学。こちらは前期の見学となって、目玉の一つと思われる堂本印象「訶梨帝母」は見ることができなかった。
 近代の画家(一部近世末の人も含む)による主として「仏画」風あるいは仏教に題をとった作品を集めたもの。最初の部屋には修羅でも仏でもない人間の不安にフォーカスした作品が置かれて、本展の導入部分となっている。作家によっては複数のコーナーに作品が展示されている人もあり、モチーフのとらえ方や作風が全く違っていて同一作家の作品と思えなかったものがあった。
 次に修羅というセクションになるわけだが、忿怒系尊像に取材したものが多く、テーマとは少し隔たりがあるような気がしたが、秦テルヲ「毒婦」とか橋本関雪「両面愛染明王下絵」、それに河鍋暁斎の作品(点数も多い)あたりはテーマに沿っていると思う。前田青邨「修羅道」は金の細い線で風を切る様子が表現されていて、スピード感に溢れていた。金島桂華「大威徳明王」は東寺のものを写生しているのだが、何とも言えない格好良さがある。このセクションでは図録表紙にも使われた松元道夫「制多迦童子」・菊池契月「赤童子」がラブリーで端正な印象だった。本館の方で触れた粉砕された「思い込み」というのは田村宗立「善女龍王図」を見て、「善女」龍王といっても冷静に考えれば男形なのは当たり前なのだが、子どもの頃読んだ空海の伝記マンガ(というより説話マンガ)では女形で描かれていたのだ。
 次のセクションは菩薩の世界と言うことで、伝統的な構図に基づいた仏画・祖師画風のものから抽象的な表現まで色々バリエーションがあった。杉本哲朗「マハービーラー(偉大な英雄)」は無着衣と言うこともあって、何となくジャイナ教の祖師像を思わせ、脇を固めるのが菩薩というよりヤクシーなので、エキゾチックでもある。また、祖師像風のものにも着衣が東アジア的ではないものもある。こうした絵が描かれるようになるのも近代になってインド美術などの知識が流入してきた結果であろうか。
 最後は彼岸の世界をモチーフにしたと作品を集めているが、イメージとしての「彼岸の世界」、来迎図的なもの、そしてキリスト教にみる母子像の影響が感じられるようなものが並べられている。コーナーキャプションでは堂本印象の作品が大きく取り上げられていたのだが、冒頭に書いたように後期展示と言うことで見ることはできなかった。
 それにしても近代以降の作品を眺めていると観音菩薩の形象が前代までと比べて女性化の度合いを強めているような気がした。元々観音自体が女性性を付与されていたこともあるので、西洋画の導入・影響で面貌だけではなくプロポーションの面でも女性化するのかも知れない。
 図録はA5版のコンパクトなものだが、丁寧な作りで、展覧会を振り返るには十分なものである。ただ一つ何を言えば、作家解説(あくまでも作品解説ではない)が展示場のものと同じで、作品に接して置かれると事を前提とした内容なので、「本作品は」というフレーズが多用されている。また、小牧源太郎の解説に関しては、源太郎の略歴と「壁画(十一面観音)」の作品解説となっているのだが、会場では「民族病理学(祈り)」の隣に置かれていたので、迂闊な私は図録で確認するまで混乱してしまい、無駄だとは知りつつも会場監視員の人に質問してしまった。


(09:32)

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